「ヒッ」

 ありえない額のお金が振り込まれていて喉が鳴る。こわい。人目を避けるように建物から出て胸元に抱いた通帳を開かずに持って固まる。この手の中に、大金。
 ありえない金額の隣に書いてあるゴジョウサトルの文字を見て、ふと思い出す。





「好き」
「え、あ、これですか? 美味しいですよね」

 唐突に背後から声をかけられててっきり手に持っていた缶飲料だと思って頷けば唇を噛みしめ首を振る五条さん。だってあまりにも唐突な言葉で、まさかそれがあまり接点もない私に向けられているとはとても思えなかったから。

「君が、好き」
「え。あ、ま、またまた〜」

 だからつい、人として最低な返しをしてしまった。だってまさか告白だなんて思いもしなかった。五条さんがそんなことするわけないとわかっていても、タチの悪い冗談だと思い込んでしまった。

「わかった。本気だって頑張って伝えるから」

 いつものように軽口を叩くわけじゃなく、低いトーンでゆっくりと呟かれる。だって、私はただの事務員で、この学校の事務をしているから一応あれやそれやの事情は一般人よりかは確かに知っているけど、本当に「知っている」だけだ。私には疲れ目かな?と勘違いするレベルにぼんやりとしかそれらが見えないし、力なんて全く持っていない。ただただ知っているだけの普通の人間で、だからこそ普通の他の人間との話のすり合わせや誤魔化しができるだけの、普通の事務をこなしているだけ。先生たちや生徒たちのやっていることは話に聞いて事実として知っているだけで、この目でそれらの不思議な出来事をしっかりと見たことなんてもちろんない。ただ本当に知っているだけ。先生たちや生徒たちだって普通に挨拶はしてくれるし他愛のない会話をすることはあれど、彼ら彼女らの心を理解することなんてできないただ普通の一般人という立場でしかなかったはずなのに。
 それを噛み砕いているうちにいつのまにか五条さんはいなくなっていた。いつ私の前からいなくなったのかもわからない。それほど衝撃で、立ったまま気を失ってしまっていたんだろうか。







 心当たりといえばあの会話だけで、とりあえず返しに行かなくちゃ、と顔をあげたら目の前に今の状況の原因を作った人が立っていてさっきよりも恐怖を感じたのに声が出なかった。一瞬また気絶したんじゃないだろうか。

「本気だってわかってくれた?」
「五条さん、」

 にっこりと口元だけが見える笑みで言われて声を絞り出す。恐怖に掠れていたし、か細すぎだけど、一応声が出たことに安堵する。

「君をお金で動く人間だと思ってるわけじゃないけど、でも、一番目に見えて本気がわかりやすいのはやっぱりお金でしょ? これで冗談じゃないってわかってくれた?」
「あの、これ、あの、」
「それでも足りない?」

 そんなわけない。今はただの通帳なのに、返す前に誰かに盗まれてしまわないだろうかと不安になってなくさないよう力強く握りしめてしまう程の金額だ。足りないなんてそんなことあるわけがない。

「僕の通帳見せても仕方ないでしょ? だから振り込んだの。本気だって分かってほしくて。……全額じゃないから信じられない? さすがに報酬とかで入用だからちょっと残してるんだけど。あっでもこれからも僕ばんばん稼ぐし」

 信じられないなんて思うことが信じられない。

「しん、じ、信じるのであのこれ、返します、あの、」
「……別に返さなくてもいいんだけど、それだと罪悪感とか身売り的な感じで付き合ってくれそうだから、わかった」

 なんとか一応口約束でも返すことを了承してもらえてほっとする。けどまだ大金は私の通帳の中でキリキリと胃が痛くなってくる。

「あの、これ、ぞ、贈与税とか、あの」

 受け渡しだけで結構なお金がマイナスになるのでは、とようやく思考が働いてきて今度は血の気が引いてくる。精神的に満身創痍すぎる。

「あー……本気だって分かってもらいたかっただけで負担をかけたかったわけじゃないんだ、ごめん。気にしないで、って言っても気にする額か。冗談だと思ってほしくなくて考えた金額が裏目に出たなー。失敗した。ごめんね、ほんと」
「……あの、どうして私、」
「好きな理由とか説明できないんだけど」
「そ、」

 それもそうですよね変なこと聞いてすみません、と、通帳から顔を上げて固まる。

「ごめん嘘。説明しようと思ったらできるよ。でもちょっと恥ずかしいからさ」

 ありえない金額をいきなり振り込んできた人が口元しか見えなくても真っ赤に顔が染まっているのが分かって頭にはてなが浮かぶ。常識じゃありえない行動をした人がする顔じゃない。そこまでピュアなのにどうして。

「あの、とりあえず、心臓に悪いのでこれ、お返しするので」
「うん。……本気なのは伝わったよね?」
「えーと、はい。……それで、返したらお茶、飲みに行きましょう」
「え」

 ぽかんと口が開いたのを見て少しだけ気分が落ち着いて確信する。やることが突拍子なさすぎるだけで、少し常識人とはずれた思考回路をしているだけで、五条さん曰く、ただ、私を好きなだけ。

「こんな突飛なことする前に、五条さんのこと教えてください。私、あなたの目も見たことないんです。まずお互いのこと知るところから始めましょう」
「……振らないでね」
「そ、れは、わかりませんけど」

 それは約束できかねます。そもそも私がこの人のことをよく知らないのだから、この人だって私のことをよく知らないわけで、それならこのお茶のコミュニケーションで私が五条さんにやっぱ無しでと言われることもなきにしもあらずなわけで。

「僕の全部あげるから」
「ヒッやめてくださいこわい」

 なんて考えていれば言われた台詞に背筋が凍った。
 お茶しようって言ったの早まったかもしれない。

2020/01/09

2020/12/07