「お前黒足のメシ食ったことある?」

 唐突な質問に固まる。黒足。ヴィンスモーク・サンジ。長い間領主によって虐げられていたこの島を助けてくれた麦わらの一味のコックさん。食べたことある、も何も、つい昨晩、大きな宴を催してくれて、本来なら私たち島民が彼らをもてなさなくちゃいけないのに、なぜかあの黒足のサンジさんが私たちを招いてもてなしてくれた。とても、とても美味しくて、満足な食材だってきっとなかっただろうにいつも私たちが使う材料で、思い出すだけで舌に味が蘇ってくるかのような今まで食べたことのない素敵な料理で。
 だけど、今、その話題を出す、ということは。
 一緒に出かけよう、昼飯は作ってくれ、と頼まれたお弁当箱を片手に見下ろして、一口食べた第一声がそれということ、は。
 きっと、お気に召さなかった。
 ほんの少し浮かれていた自覚はある。今までずっと領主に納めるお金を稼ぐことに必死で、遊ぶ予定なんてもちろん組めなくて。それは島民みんな一緒で。だけど何もかもから自由になった昨日、宴で皆が皆浮かれて騒いで、誘われて、何もない日に誰かと出かけることに浮かれてひとつ返事で頷いて。……浮かれなければよかった。
 突き返されたお弁当箱を両手に抱えて俯く。その間にも、昨日の黒足のメシは美味かったよな、だなんて言葉が降ってくる。おいしかった。私だって思い出すだけで幸せな気持ちになる。

「お前黒足みたいなうまいメシ作れるようにもっと練習しろよ」

 あの料理が自分の手で作れるようになる日が来たらそれは素敵なこと。あの人は島の名物を使った簡単なレシピを書いてやる、と機嫌良さそうに話していたから私もそれを教えてもらおうとは思っていた。
 だけど考えていることと同じことを言われただけのはずなのに、今はなんだか惨めで、悲しくて、頬に何かが滑り落ちたのと、蛙が潰れたような声が聞こえたのは同時で思わず顔を跳ね上げた。ふわりと風が舞い上がって髪の毛をおさえる。目の前に座っていた男がどこにもいなくて、瞬いた瞬間、ふわりと風のように黒いスーツが目の前に降ってきて固まる。

「クソ野郎が」

 低く、重い声が響いて思わず肩が揺れる。話題の中心だったサンジさんが、目の前に立っていて、サンジさんが睨み付ける視線の先を追えば私のお弁当箱をついさっき突き返した男が人間の骨の可動域はそうはならないんじゃあないだろうかという見るも無惨な姿で地べたに転がっていて息を呑んだ。

「せっかく心を込めて作ってくれた人様の料理にケチつけるなんて、てめェ何様なんだよ? あ?」

 ふわり。また舞うように飛び上がった姿に視線が向いて目を瞠る。片足で軽く小突きながら、だけどぐねぐねになってしまった男からは聞くに耐えない悲鳴が聞こえてきているからきっとものすごく重たい蹴りなんだろうということがわかる。

「レディがてめェの為に作ったメシに対しててめェ、」

 ひゅ、と風を切る音がして、すらりとした黒い足が空に伸びて思わず声を上げる。

「や、やめて!」

 ぴたり、と振り下ろす寸前で止まった黒い足にホッとして両手に抱えたお弁当箱を見下ろす。あの人はこのお弁当のために怒ってくれている。優しい人。だけどたからこそ、それだけのために手をあげ……足を上げてほしくなかった。

「…………麗しきレディの優しさに感謝しろ」
「ヒッ、」

 人の形だけはなんとかある姿で這々の体で退散する姿を見ても悲しく思ったりはしなかった。だって目の前に私以上に私のために怒ってくれている人がいる。私以上に私に心を砕いてくれるサンジさんに目を向ければ怒りが収まらないのか苛々と私以上にあの男の背を睨み付ける様子に思わず小さな笑い声がひとつ漏れた。私にしか聞こえないような空気のような音だったのに、瞬時に私の方へ視線を向けられて思わず瞬く。

「大丈夫かい? あんなクソ野郎の言うことなんか気にして涙を流す必要なんてないよ」

 タバコの火を消して優雅に私に近付いてきて隣にしゃがみ込んだサンジさんを見上げる。人でも殺しそうなほど殺気立っていた気配がとても優しく変化して安心する。そもそも殺気立っていた理由だって優しいが故だから、ちょっと驚いたものの怖いなんてことはなかったけど。
 頬を伝っていた何かが涙なことにも気付かない自分の鈍さに呆れながら涙のあとを拭う。驚いたりなんだりでもう新しい涙が頬を伝うことはないけどなんだか気恥ずかしくて俯いた。

「……あのヤロウ一口しか食ってねェじゃねェか。やっぱもうちょい締めるべきだったな」
「大丈夫です、ありがとう」
「いや、おれァ勝手にキレただけだから……」

 俯いた先でぽっかり一口分だけあいたお弁当をサンジさんも見たのかまた怒りの滲んだ声音に、それだけ怒ってもらえる価値がこのお弁当にあるんだと思えば悲しくもなくてお礼を言いながら首を振る。

「いいんです、大丈夫。サンジさんの料理は本当に美味しかったから。あんな美味しい料理のあとに食べたらそりゃあ、ああ言いたくなるのもわかりますから」
「食べていい?」
「え?」

 その本人があんなに心から怒ってくれた、だから気にしていないと伝えようと思ったのに唐突に言われた言葉に口が止まる。私が首を傾げてサンジさんを見上げれば優しげな視線と絡んで私の持つお弁当箱を指差してもう一度同じ言葉を囁くから思わず握りしめる手を強くしてしまった。

「いえ、そんな、サンジさんのおめがねにかなうような立派なものじゃないですし、その、あ」
「ん、うめェ!」

 恥ずかしくなって後ろ手に隠そうとする私より早くサンジさんの手が伸びて口の中にひょいと放り込まれてしまった。ぽかんと間抜けに口を開ける私に、にっこり優しく微笑む姿に視線が彷徨う。そりゃ、その、人様に渡すために作ったものだから、まずいものはいれていないはずだけど、一流のコックさんにそんな笑顔で賞賛されるようなものではないのは自覚しているから戸惑う。戸惑っている隙にひょいひょいとどんどん口の中に吸い込まれてお弁当の底が見えはじめたのに気付いてハッとしてももう遅くて、綺麗に完食されたお弁当箱。

「勝手に食べちまってごめん。でも美味くて止まんなくてさ」

 そんなのお世辞に決まってる。わかってるのにじわじわあたたかくなる胸がきゅうと締め付けられてサンジさんを見上げる。

「おれのメシとこんなにうめェ手料理を比べるような見る目のないクソヤロウにレディはもったいねェよ」

 だから泣かねェで、と言われてまた涙を流してしまっていたことに彼の言葉で気付いて思わず笑う。涙を流しているのに頬を緩ませる私に一瞬怪訝そうな表情を見せたけど、細くて長い指が私の涙を控えめに拭ってくれてくすぐったい気持ちになる。

「こんな素敵なレディを泣かせるヤロウのことなんかもう忘れて。あんなクソヤロウなんかじゃなくって、世の中には君を幸せにしてくれる世界一羨ましい男がいるはずだから、」

 ただひたすら優しく声をかけてくれるサンジさんの言葉に思わず涙を拭ってくれる指に手を伸ばして掴んでしまった。驚いたのか言葉を止めて私を不思議そうに見つめるサンジさんに私も自分で何がしたかったのかわからなくて固まる。だけど何をしたいのか分からないのに、何か言いたくて、伝えたくて、ぐるぐると脳を働かせても答えは出なくてただ見つめあったままで。

「……本当にありがとう」

 色々と言いたいことがあるはずなのに結局言えたのはそれだけで、だけどサンジさんは嬉しそうに微笑むからまた胸が締め付けられた。

2021/08/11