役立たずな両脚



「真夏?」
「んー?」
「あの、真夏、真夏さーん?」
「うん」
「さっきから何して、ぶふ、」
「あはは、変な顔やなー」

なんやこの子は。
何がしたいんや。
わけがわからず頭にはてなが浮かんでるけど、目の前の真夏はケラケラ笑って俺の頬を押しつぶす指の力を強めた。
エアコンの風が生温いのは設定温度が高いからか、それとも本来は1人しかいない部屋に人間が2人いるから室温が高まってるのか。
この家の家主ではないから俺はその答えを知る由もない。
仕事が終わってから真夏の家に行って一杯飲むようになったのはいつからか。
約束してるわけでもルーチンになってるわけでもないけど、なんとなく、2人の仕事終わる時間が揃った時にはこうして真夏の家にお邪魔している。
真夏の家に入ってコロナ対策も兼ねてすぐにお風呂に入って、真夏が用意してくれた部屋着は自分の家とは違う柔軟剤の香りがしてちょっとだけドキドキして、リビングに行くと部屋の掃除を終えて昨日洗った食器を片付け終えた真夏が笑ってるのがいつもの流れ。
そこから真夏がお風呂上がるまでにキッチンを借りて簡単なおつまみを作って、お風呂上がってほかほかした真夏と2人、ソファに並んでキンキンに冷やしたビールで乾杯するのが最近の俺たちや。
そう、今日もその流れだったはず。
どこで気が変わったんかわからへんけど、2杯ビールを飲み干した真夏はソファに座る俺の膝を跨いで膝立ちして、なんでか俺の両頬を指でむにむに押して顔を変形させてる。
それも何度も、飽きずに、むにむにと。
しかも笑うてるし。

「照史、意外とほっぺぷにぷにやな」
「あー、ぽっちゃりやからちゃう?」
「そうなんかなー、でも最近絞ってるやろ?」
「絞っててもほっぺたは、はんへいはいんしゃう?」
「ん?なんて?」

なんて?ちゃうわ。
真夏が引っ張るから喋れへんねん。
関係ないんちゃう?って言いたかったのに。
喋れへんってわかってて聞いてくるから怒りたいのに、それはもう楽しそうに笑ってるからなんも言えへん。
膝立ちやからいつもより真夏の目線が高い。
にこにこ笑って見下ろしてくるのは可愛らしいけど、俺の意識はそこよりも正面やった。
目の前にはオーバーサイズのTシャツでもその存在を主張してる真夏の胸、視線を下げればショートパンツから出てる太腿。
なんでそんなにガード緩いん?って呆れるけど、そもそもここは真夏の家で、一緒にいるのは俺やからガード緩いんは大歓迎。
さっきからその身体に触れるタイミングを図ってるけど、それを知ってか知らずか、真夏の指の力が弱まる気配はない。
そういう空気に持っていく意思はないらしい。
指の力が緩まって優しく頬を撫でられたから視線を上げると、目を細めた真夏と目が合った。

「小瀧がさ」
「望?」
「うん、小瀧がさ、真夏は犬嫌いやけど照史も嫌いなん?照史って犬っぽいやんって言うてて」
「そんなこと言うてたん?望が1番犬みたいやで?」
「あはは、せやな小瀧は大型犬やな。で、小瀧にそれ言われたから私も気になって。照史って犬っぽいか?って考えててん」
「それでほっぺた触ってたん?でもあれやろ?真夏は犬のほっぺたなんか触れへんやろ?」
「うん。でもこの前ともが犬のここ触って撫でてたん見てん。せやから真似してみよって思って」

真夏の犬嫌いは有名で、基本は犬との共演NG。
メンバーがいたらなんとか仕事できるレベルで、1人やったら絶対に無理。
犬嫌いの原因は事務所に入る前まで遡る。
雨の中、友達がリードを話した瞬間にトイプードルは真夏をターゲットにして追いかけ回した。
幼い真夏は雨でぐしゃぐしゃになった泥道を靴が脱げるほど全力疾走したけど逃げきれず、最終的には真夏が着てたワンピースの裾をトイプードルが噛んで真夏はすっ転んで怪我した。
大した怪我ではなかったらしいけど真夏の心にトラウマを残すには十分で、その頃から真夏は犬が苦手。
苦手というより嫌い。
こればっかりは治すことは難しいし、治さなくてもええと思うてる。
だからこうして俺が真夏の家に来てるわけで、真夏がうちに来ることはほとんどなかった。
玄関開けてシーサーとゴーヤ出てきたら真夏は死ぬかもしれん。
まあとにかく真夏は犬が嫌いなんやけど、そんな真夏が犬に似た俺のことは嫌いじゃないのか?って望がからかってきたらしい。
せやからこんな謎な行動してるんか?
理由を聞いてもピンとこなかったけど、空気を変えるきっかけにはなりそうや。

「俺のこと嫌いなん?」
「そんなことあるわけないやん」
「でも俺犬みたいやで?スタッフさんとかマネージャーさんにもよう言われるもん。シーサーとゴーヤもおるし、似てくるんかもしれへん」
「私が犬嫌いなのはどこまでも追いかけてくるからやで?追いかけてこおへんなら私かて犬嫌いになってへんし」
「ほら、やっぱりな」
「ん?」
「真夏がなんで犬嫌いかなんて知ってんねん。その上で、俺のこと嫌いやったらどないしようって思うてんねん。だって俺、……ずっと真夏のこと追いかけてるやん?」
「っ、照史、」
「ずっとずーっと真夏のこと追いかけてんねんで?トイプーよりしつこい。いつまでも追いかけ続ける。まだ噛んでへんけど、そのうちがぶっと噛むで?」

右手で真夏の太ももを撫でたら『んっ』って唇を噛んだ。
どうや?
空気変わったやろ?
犬とか犬じゃないとか本当はどうでもよくて、本当にしたいことは別にあって、そのタイミングをずっと図ってた。
左手で腰を撫でながら少しずつ指先を上げていく。
Tシャツの裾から手を入れて素肌に触れた時、また両頬がむにゅって潰された。
唇がまるでタコみたいになって、眉がハの字になったまま真夏を見たらくすくす笑ってた。

「ちゃう。逆やで」
「ぎゃく?」
「照史やない。追いかけてんのは、私」
「っ、」
「昔からずっと、ずーっと、今も、これからも、追いかけてんのは私や。私が照史のこと追いかけ続けてんねん」
「真夏、」
「明日小瀧に答えとこう。照史は犬じゃないから嫌いやない、って」
「ほんなら真夏が犬なん?」
「ううん、私は真夏。で.照史は照史や」
「あははは、そう?」
「うん、そう。犬ちゃう、けど、……逃げてみる?」
「……」
「私は追いかけるけど」

ストンって、俺の太ももに重みが落ちてきた。
膝立ちしてた真夏は俺の太ももに腰を落として馬乗りになった。
目線が変わる。
俺と同じ高さで目が合って、真夏の目がとろんって溶けたように見えたのは果たして真実か、俺の欲望か。
ま、どっちでもええか。
鼻先を擦り合わせてキスしようとしたけどフイって顔を逸らされる。
どうやら答えを言わないと先には進ませてくれないらしい。
なんや、今日はちょっとわがままやな。
俺の想いなんて余すことなく知ってるくせに、時々こうやってその気持ちを確かめようとしてくる。
直接的な愛の言葉は聞きたくないくせに、それ以外の言葉で想いを求めてる。
せやけど、そういうところ嫌いやない。
真夏の太ももに触れてた手を離して自分の太ももを叩いたら、真夏の視線がそっちを向いた。

「逃げられへんよ」
「うん?」
「俺の脚は何年も前から役立たずやけど、治す気はない」

つまり、逃げる気はさらさらない。
走り出す気も、さらさらない。




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