あなたが好きという意味ですが。



グループメールに放り込まれた新情報に、照史が言葉を失った。

『真夏がドラマ主演やって!◯◯の実写化!』

一気に他のメンバーが騒ぎ立てる中で、既読の数が1つ足りひん。
これはきっと今ロケに出てるはずの真夏で、他のメンバーは全員把握したことになる。
ラジオ帰りの車内。
照史はゆっくり背もたれに腰を下ろした。

「照史?」
「ついに来てしまったか……」

真夏にこんな大きなお仕事が来ることは祝福されるべきや。
実際にさっきからグループメールはお祝いの言葉と明るいスタンプで埋め尽くされてる。
真夏が仕事を終えて見る頃には通知がえげつないことになってるやろう。
問題はそこじゃない。
ドラマの原作◯◯は今人気の少女漫画。
ヒロインが好きな人と結ばれてからの困難を丁寧に描く作品で、俺でも知ってる。
2人が結ばれてからのお話がメイン。
つまり、絶対にキスシーンがある。
もしかしたらその先もあるかもしれへん。
今まで真夏にそんなお話は来たことなかった。
このタイミングで入れてくる事務所の本気度合いと、真夏の覚悟が感じられた。
あいつ、女優でも100点取りに行くつもりや。
もう一度照史の表情を盗み見る。
ぎゅっと目を閉じて大きく吐いたため息。
それだけで俺まで胸が痛くなりそうやった。

「照史、」
「分かってる。俺になんか言う権利ない」
「……」
「真夏の邪魔はせえへんよ」

権利がないわけない。
目の前に権利は用意されてる。
それを取ってないだけやん。
ずっと、手を伸ばしてないだけやんか。






静かな廊下をバタバタ走る音が聞こえる。
目の前の角をすごい勢いで曲がってきたマネージャーは俺の顔を見て大袈裟に手招きした。

「桐山さん桐山さん桐山さん!ナイスタイミング!」
「な、なに?めっちゃ怖いねんけど!」
「今楽屋に望月さん1人なんで一緒にいてもらっていいですか!?僕プロデューサーに用事があって!15分くらい!すぐ戻るんで!」
「ええけどなんで?真夏1人?」
「1人なんです!寝てるんで起こさないように!」

真夏が楽屋で寝るなんて滅多にない。
メンバーが引くくらい朝強いし体力おばけのストイックおばけ。
楽屋でもずっと仕事関係のことしてる真夏が寝てる?
体調悪いんかなってマネージャーに聞きたいのに、彼はもう次の角を曲がろうとしてた。

「なんかあった、」
「台本読んでて!三徹!したらしいですー……」

走りながら喋るから最後の方聞こえへんし。
三徹?
3日も徹夜したん?
あほちゃう?
なにしてんねん。
眉を吊り上げて楽屋に入ると、ソファで真夏が丸くなってた。
手には付箋だらけの台本持って、どこかのページに指突っ込んだまま。
左手には赤ペン持って、いかにもさっきまで起きて読んでた様子。
マネージャーに休め言われたのに全然休んでないやん。
正面にしゃがみ込むと、足音に気づいてゆっくり目を開けた。

「照史…?」
「ごめん、起こしたな。寝とき?」
「ええや、起きる」
「寝とき。三徹したんやろ?」
「…誰が喋ったん?」
「マネージャー。隠し通せると思ったん?」
「……はぁー」

起きたらしばくって強めの視線を注げば察したのかため息をついた。
台本もペンも持ったまま。
それでも身体は横にして目をこすった。

「寒い?上着いる?」
「ええの?ありがとう。……あ、お昼うどん?」
「なんで分かったん?」
「匂い。照史の上着、うどんの出汁の匂いする」
「それ臭いやん。スタッフさんになんか借りてこよか?」
「これがええ。なんか安心するわ」
「うどんの匂いが?」
「食べ物の匂いは照史の匂いやろ?」
「あほあほ。そんなわけあるか」

言葉は怒ってるのに声色は優しくなってもうた。
怒るつもりやったんやけどな。
俺の上着に包まって柔らかく笑う真夏見たら、なんも言えへんかった。
言葉にしなくても顔見れば分かる。
疲れてるし追い込まれてるし、焦ってる。
台本に突っ込んだ指を決して離さない。

「ドラマどうなん?大丈夫?」
「あははは、急にどうしたん?」
「役者の先輩としてアドバイスしたろうと思って」
「えー、桐山先輩に応えられるかな」

ストイック真夏が少しでも楽になるように。
少しでも、弱音を吐き出せますように。

「キスシーンむずい」
「え、あー…そういう悩み?」

俺から視線を外して言われた言葉に俺も視線を外す。
真夏の顔が見れへん。
そんなん、俺、なんてアドバイスしたらええん?

「台本読んでる時はいけそうって思うんやけど、たぶん俳優さん目の前にしたらできへんかも」
「…お仕事って割り切ったらええんちゃう?」
「これだけは無理」
「なんで?」
「……」
「……」
「……キス、したことないもん」

コンマ2秒で真夏に視線が戻る。
全身の血が沸騰するかと思った。
俺の上着に顔を埋めた真夏の表情は全く見えへん。
なのに髪から覗く耳が真っ赤やった。
これ、ほんまやん。
キスしたことないん?
なんで?
関西ジュニアの頃から忙しかったとはいえ、恋愛する時間はあったはず。
ましてや真夏がめちゃくちゃモテてたのも知ってるし、ジュニアの奴がこっそり告白してたのも知ってる。
なのにキスしたことないん?
眠そうな声色。
もしかしたら眠くて意識が飛びそうで、普段より弱ってるのかもしれへん。
俺が言葉をかける前に真夏が口を開いた。

「彼氏いたこともあるけど、キスは好きな人としたかったから、私、キスしたことない」
「……」
「お仕事って分かってるけど、初めては好きな人としたい」
「……」
「……いや、私わがままやな。そういうん諦めるわ」
「…なんで?」
「……」

すとんって、真夏の手から台本とペンが滑り落ちた。
真夏は手を伸ばさへん。
だらって垂れ下がった腕はそのままやった。

「……私の好きな人は、きっとキスしてくれへんよ」
「そんなんわからんやん」
「わかる」
「なんで?その人が真夏のこと好きかもしれへんで?」
「メンバーとキスするような人じゃないもん。たぶん」

“メンバー”
真夏の好きな人はメンバー。
他の人に触れられるのを今までずっと守ってきたのはそのメンバーとキスしたかったから。
誰や。
神ちゃん?しげ?
みんな真夏のことを大事に思ってるから、誰でもありえる。
なのに、誰であっても嫌やって思う。
真夏に聞く勇気はない。
衣擦れの音がして、ハッとした。
泣きそうな目で真夏が俺を見てた。

「照史?」
「…なに?」
「メンバーでもキスできるかな?」
「……」
「私とキスできると思う?」
「……わからへんよ。そんなん、言うてみなわからへんって」
「……」
「でもハンパな気持ちで真夏にキスする奴はおらんと思うで。するんやったら覚悟決めてると思う。もし遊びやったら俺がしばいたる」
「……じゃあさ、」
「っ、」

髪をスッと耳にかける仕草がゆっくりに見える。
いつも見てる仕草のはずなのに、こんなにドキドキするのはなんでや。
横になったまま、ずいって俺の前に身体を乗り出した。
手を握ったのは俺からやった?真夏からやった?

「キス、してよ」
「……」
「明日キスシーン撮るから、その前に、照史がキスして」
「……」
「……ごめん、忘れ、っん」

全部、どろどろに溶かしてやろうかと思った。
明日撮影できひんくらいに。
もう二度と俺以外の男とキスできひんくらいに。
真夏の全部を溶かしてやろうかと思った。
初めて?
キスしたことない?
そんなん知らんわ。
手加減なんて、最初からするつもりもない。
がぶって噛み付いて、何度も何度も重ねる。
眉を寄せたって肩を叩かれたって握った手に爪を立てられたって、離さへん。
そっちが悪いやん。
は?ふざけんな。
なんやその目は。
俺のこと、絶対好きやん。
好きって言うてるやん。
そんな目で言われて、何もせえへんほうがおかしいわ。
期待してたんやろ?
俺がキスするって、願ってたんやろ?
……お願いやからそうであってほしい。

「はっ、…、」
「……、っ、……あはは」

微かに聞こえた笑い声に唇を離す。
鼻先が触れたまま、近すぎてボヤける視界の中で真夏の瞳から涙が溢れたのが見てた。
なのに、可笑しくて堪らないって顔で笑った。

「あははは、ちょ、待って」
「なんで笑うん?」
「……めっちゃうどん」
「嘘やん!?」
「ほんま。うどんと関西風お出汁」
「え、あ、ほんま!?ごめん!!!」

今すぐ土下座したい気分やわ。
ファーストキスがうどんの味て、ありえへんやろ。
真夏とキスするんやったらもっと綺麗にキスがしたかった。
こんなん、最悪や。
膨れっ面でため息吐いた俺とは対照的に、真夏はずっとくすくす笑ってる。
もう、雰囲気ぶち壊しやで。

「照史」
「ん?」
「ありがとう。……私、最強になれた気がする」
「……」
「これからどんなお仕事が来ても120点取れそうやわ」

照れて笑うこの笑顔が世界で一番可愛いって本気で思う。
その感情が生まれた日はもう思い出せへんけど、この笑顔を見る度にいつだって心臓がうるさくなる。
この笑顔を守りたいから触れたい。
この笑顔を壊したくないから触れられない。
そうやって距離を保ってきた。
俺、やっぱり真夏が好きや。
同じメンバーとかアイドルとか、考えなあかんことは山程あるのに、この子が好きで好きでたまらん。
付き合いたいとか応えてほしいとか、そんなことは望まへん。
ただ真夏が俺を求めてくれるなら、いつだって手を広げて抱き締めたい。
それだけや。

「もう一回していい?」
「…200点取れちゃうやん」
「1000点取れるまでしようや」

求めるなら、何万回だって。

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