AirB_水圧に負けた人魚



水の中にいるような感覚がずっと続いてる。
これはきっと苛立ち。
ストーカー、週刊誌、照史に執着してる女。
はまちゃんと淳太くんから伝えられた現状は理解した。
頭で、理解した。
時間は止まることなく進んでいく。
どんな仕事の時でも、仕事が終わったプライベートな瞬間も、理解したことを何度も思い出して言い聞かせる。
収録中は不自然にならへんように話す。
目も合わす。
でも仕事じゃなくなった瞬間にパチッとスイッチが切れたようにシャッターが下ろされる。
いつも触れてたわけじゃない。
理由をずっとずっと探してた。
どんなに小さくても、それを大きくしてきた。
耳の中がボーっとする。
周りの音が時々遠くに感じる。

「真夏、朝着替えた部屋、もう他の人使ってるんやって。着替えメイク室でええ?」
「わざわざごめんな?」
「大丈夫やで。ちゃんと鍵閉めてな?」
「うん」

衣装を着替えるためにメンバーが楽屋へ向かう中、私はメイク室へ。
1人だけ着替える部屋を別で用意してくれることに感謝しかない。
頭がボーっとしたままジャケットを脱ぐ。
鏡に映った自分の顔がひどくてびっくりしてもうた。
こんな顔してたんや。
こんな顔してる場合ちゃうのに。
私がこんな顔でボーっとしてる間も照史は付きまとわれて苦しんでる。
今すぐ飛んでいきたいのに。
照史を襲う脅威から守りたいのに。
ああ、イライラする。
ストーカーにイライラする。
ストーカーに?
ほんまに?

「…あ、鍵」

閉めるん忘れてた。
スカートのチャックを下ろす前に気付いてよかった。
開けっ放しやった扉を閉めようとした時、明るい声が聞こえてきた。

「あ、ボタン引っかかった?」
「あー、本当ですね。私外しますよ?」
「すみません、ほんまに」
「大丈夫です。…今日の収録もばっちりでした!」
「ありがとうございます!」

背伸びして照史に手を伸ばした若い衣装スタッフさんと、嬉しそうに笑った照史。
そこにはなんの意図もない。
理由もない。
きっと、ない。
って思いたい。
断言なんて出来へん。
断言できへんくらい、照史の気持ちが分からへん。

「……」

ぷちんって何かが切れた気がした。
完全に水の底に沈んでしまった。
苛立ってたなんて嘘ばっかり。
ちょっとは本音やけど、でも、それよりもっと強い力で水の底へ引きずり込まれる。
私は、照史が私に触れへんのに他の女の人に触れることが嫌。
私に笑ってくれへんのが嫌。
距離を置かれるのが嫌。
頭では理解したつもりで、納得もしてて、照史が決めたこともメンバーが決めたことも全部全部私と照史のためやって分かってるのに、それでも、私は嫌やった。
照史からの言葉が何もなくて、触れる熱もなくて、もしかしたらもう二度と照史が私に触れる理由を探すことがないんじゃないかって不安で。
その不安は私が思ってるよりも強く、私を襲った。

「あ!真夏閉めんといて!俺お茶忘れ、……真夏?」
「っ、…こたき、」
「真夏、」
「っ大丈夫やから」
「……」
「なんでも、ない、から…っ、ほんまに、っなんでも、」

なんでもない、大丈夫、そう思いたいのに上手く息が出来へん。
苦しくて、立っていられへん。
しゃがみ込んだ私の背中に小瀧が優しく触れる。
戸惑ってるって分かる。
心配させてしまった。
なんでもない、ごめんって言いたいのに、もう声は出えへんかった。
涙と、喉を空気が通る音しか、出えへんかった。






真夏はプライドが高い。
少なくとも俺にはそう見えてる。
真面目でストイックな“望月真夏”に、真夏が誰より誇りを持ってる。
弱音を吐くならはまちゃん。
甘えるなら淳太か照史か神ちゃん。
年上でも同期でもない3人に弱いところを見せることなんてほとんどない。
俺は一番年下で一番後輩。
絶対弱さを見せることなんてない。
涙流して、俺の服ぎゅって掴んで、助けてって声にもならへんなんて、そんなこと、絶対ないって思ってた。

バンっ!!!

「っびっくりした」
「望?」

勢いよく開いた楽屋の扉なんか気にもせん。
もう私服に着替え終わってた照史の腕を掴んで力一杯引っ張った。
眉間に寄った皺。
絶対怒られる。
そんなん、どうでもよかった。

「お前、なに、」
「メイク室行け」
「は?」
「今すぐ行け!!!なんで真夏泣かせてんねん!!!俺の前でやで!?ありえへんやろ!!!」
「っ!?」
「照史のあほ!!!」

メイク室に向かって思いっきり身体ぶん投げたら、足をもつれさせながらも照史が血相変えて駆け出した。
メンバーの視線が集まるけど全部無視した。
怒鳴ったから息荒い。

「小瀧、」
「真夏が俺の前で泣いた」
「は?」
「もー、ほんまに、ありえへん。初めてやで?俺の前で泣いて、誤魔化すこともできへんって。それくらい限界や。だからもうええやろ」
「…はぁー」
「だから俺は嫌やってん」
「真夏ちゃんか望の前で泣くなんて……」

真夏はいつだって強くて、笑顔で、最後まで走れる人や。
でもそれは、言葉がなくても通じ合ってるって信じてるからやろ。
それがなくなったら、あいつは走られへんぞ。






肩にかかった小瀧のジャケットをきゅっと握りしめた。
衣装、早く着替えな。
こんなところで小さくなってる場合ちゃう。
でも全然力入らへん。
立ち上がれへん。
息ってどうやってするんやっけ。
涙って、どうやって止めるんやっけ。
床の上に投げ出された右手に涙が落ちる。
指先が濡れて、どんどん冷たくなってく。
きゅって目を閉じた時、扉が開く音がした。

「っ真夏、」
「あきと…」

扉が閉まって、鍵がかかる音がした。
右手に照史の手が重なる。
照史は泣いてないのに、泣いてる私より苦しそうに顔を歪めた。

「ごめん」
「……」
「ごめん、真夏、ほんまにごめん」
「…ちゃんと手握って」
「ごめんな」

ごめん、しか言うてへんやん。
私がほんまに聞きたいのは違う言葉なのに、ごめんで十分やった。
痛いくらいに握られた手が熱い。
止まらへん私の涙を指で掬ってくれる。
息、ちゃんとできてる。
声出てる。
顔見たら、私、立ち上がれそうや。

「照史、私のこと嫌いになったわけちゃうやんな?」
「そんなわけないやん」
「解決したら、ちゃんと私のこと見てくれるやんな?」
「穴が開くくらい見たるわ」
「絶対、……ぎゅってしてや」
「……約束する。全部解決したら、絶対、すぐ、真夏のとこ行ったる」

やっと、心で理解した。
照史の手から伝わる熱が全て。
不安が消えたわけじゃないし、今もこれからもきっと怖い。
この手がもう二度と私に触れへんかもしれへん。
照史を脅かす恐怖を取り除くことができへんことより、照史がもう二度と私に手を伸ばさへんかもしれへん恐怖の方が何万倍も怖い。
私、こんなに弱かったんやな。
言葉にしない私と照史の繋がりは、こんなにも繊細で、弱くて、いつだって切れてしまうものやったんやな。
一瞬で消せるものなのに、消されるかもしれへんのに、こうして手を握ってくれた。
少しだけ熱をくれた。
その熱が何よりの証拠で、弱い私の背筋を伸ばしてくれた。


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