心音再生



「あ、新作ですか?」
「よくわかったね。そうだよ。今月発売されたばっかり」
「えー、めっちゃかわいい」
「似たようなやつ持ってへんかったっけ?なんか見たことあんねんけど」
「この前のはブラウン。これはピンクブラウン」
「同じ茶色やん」
「全然ちゃうし。ブラウンとピンクブラウンはまったくちゃうから」
「ほとんど同じやって」
「ほんなら真鯛と石鯛は同じやな」
「全然ちゃうし」
「それと一緒や」
「おお、そういうことか」

やっと真夏の言うてることが理解できた。
それはたしかに同じではない。
なぜかどや顔した真夏の顔を鏡越しに見てると、俺についてくれてるメイクさんがファンデーションを塗ってくれる。
同じように真夏もメイクさんがファンデーションを塗ってくれてるんやけど、その動きをじっと観察しながらチラチラ手に持ったアイシャドウを物欲しそう見てた。

「このブラウンほんまに綺麗。絶対可愛いやん」
「真夏ちゃん似合うと思うよ。これからの季節に合うと思うし」
「マスクすること多いから目元めっちゃ盛りたいんですよね」
「はい、貸して?今日それ塗ってあげる」
「え!?ほんまに?やった!動画撮ってもいいですか?」
「いいよ」
「動画撮ってどうするん?」
「家で練習する。プロのメイクさんめっちゃ上手いから真似したいんよ」
「へー、そうなんや」

スマホを構えた真夏はいい感じで写るように画角を調整して録画のスイッチを押した。
目元に色がついていくのをじっと見ながら、コツをメイクさんに何度も聞いている。
こんなとこでもストイックやなーって思いながら、俺があんまり気にしてなかっただけで、真夏はようメイクさんと話してるなって気づいた。
ずっと勉強、いつでも勉強、盗めるものはなんでも盗む。
そういうところ、何年経っても変わらへんな。
真剣に話を聞いてたのに、メイクが完成したらうーんって眉間に皺を寄せて鏡の自分とにらめっこし始めた。

「さすがすぎる。私、自分でこれできるかわからん」
「別にできへんでもええやん。仕事の時はメイクさんやってくれるし」
「この顔どう思う?」
「え?」
「今の顔。はまちゃんどう思う?」
「可愛いと思うけど」
「せやろ?メイクさんがメイクしてくれた顔は可愛いねん。可愛くなれてんねん。せやからプライベートでもこの顔になりたいんよ」
「えー、そうなん?でもプライベートで俺と会う時はすっぴんの時もあるやん」
「そりゃはまちゃんやもん」
「なんや手抜きってことか?」
「リラックスしてるってこと。はまちゃんの前だと飾らないでいられるの。でもプライベートで全力で可愛くしたい時もあるやん」
「…あ!そういうこと?」
「そういうこと」

やっとわかったかって顔で真夏はまた鏡とにらめっこを始めたけど、開けっ放しだったメイク室の扉の向こう、廊下から聞こえてきた照史の笑い声に一瞬だけ視線を向けた。
プライベートでも可愛くしたいって、そういうことか。

「このアイシャドウ限定品ですか?まだ売ってます?」
「たぶん買えるよ。通販サイトにないかな?」
「今買います!これめっちゃ可愛い!買って家で練習する!動画の通りにやればこの顔になれるはず…、いやでも練習せなできへんか…」
「真夏はいつでもストイックやな」
「だって、褒めてくれるんよ」
「褒めてくれる?」
「毎回、いっつも、可愛いなーって、にっこにこな笑顔で褒めてくれるんよ。それがめちゃくちゃ嬉しい。私、世界で一番幸せやって思う」

スマホの指を滑る爪に色がついていることに今気づいた。
つやつやの髪も、ふわふわの肌も、ぷるぷるの唇も、一日二日でできるものじゃない。
ずっとずっと自分を磨いている証拠で、その原動力は“アイドル”って職業だけじゃないんやろう。
何度も何度も鏡を見つめるのは、可愛くありたいから。
いつでも可愛い自分でありたいから。

「そら嬉しいやろな」
「なにが?」
「自分の好きな人が自分のために可愛くなろうとしてくれてるなんて、男からしたらめっちゃ嬉しいと思うで」
「ほんまに?」
「ほんまに。俺やったらめっちゃ嬉しいもん」
「…照史も嬉しいんかな」
「嬉しいんちゃう?」
「へへ、…そうやったらええな」

そんなん、嬉しくない男なんておらんやろ。
俺たちはたぶん、普通の男性より身だしなみを整える機会が多い。
“かっこいい”“可愛い”そんな言葉をかけられるような容姿になるのにどれだけの努力と時間が必要か、理解している。
せやから、真夏が頑張ってることもわかるし、そんなに自分のためにしてくれるなんて嬉しいに決まってるやん。

「あーあ、もっと可愛くなりたいな」
「今でも十分やで」
「気持ち悪いこと言うてええ?」
「ええよ?」
「照史の目に映る私が、毎秒可愛くありたい」
「……」
「……」
「…なんで言うた本人が照れてんねん」
「ひゃー、忘れて!めっちゃ恥ずい!」

やっば、しんど、つら、って全力で後悔しながら真っ赤な顔で手をぶんぶん振ってるけど、俺は気づいてる。
照史の笑い声がこっちに近づいてたことを。
鏡越しに、廊下の陰に隠れてニヤニヤしてる望が見えていることを。
それにつられて俺までニヤニヤしてしまいそうになるのを、必死に堪えてた。
この2人、何年この空気出すんやろ。
付き合てたの初々しいカップルか。



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