『ボタン、落ちてた』
『予備があるから捨てておいて』
『会いたい』
『会ってどうするの』
『話したい』
『頭を冷やす時間が必要』
『いつならいい?』
いつなら良いかという質問に返信をせず、画面を伏せた。自宅でもめたのは約1時間前だ。彼が任務に関する電話をとっている間に家を出て、車で事務所まで来た。
いつだか服から弾け飛んでしまった、いや轟が雑に脱がせた為に弾け飛んでいったボタンが部屋のどこかにあったらしい。ボタンなんて、片方のピアスほどの価値はない。服の内側にはだいたい予備のボタンが一つだけ隠されているのだから。
どうやら会うための口実が欲しかったらしい。こういう場合は複数の切り札を用意しておくべきなのだが、たった一つで尽きたようだ。計算高くないところも轟らしいのだが、策なしとはいかがなものか。それでも今まで良いとして、見逃してきてしまった私がいうのも何だが。
任務のために荷物をどこかに置いてこなくてはいけないが、事務所に行くのは気が引ける。変な憶測をされるのも、同情されるのも御免だ。
取られて困るようなものもないため、車の後部座席に投げ込み、そのまま事務所に向かう。
事務所の扉を開ければ、妙な空気と共にしんと沈黙が訪れた。時間が止まる個性を使用されたのではと疑ってしまうほど、誰も口を開く様子はなかった。
今朝の話が広まり、腫れ物扱いをされているのだろうか。今朝の話というのは、長年ルームシェアをしながらもショートの結婚相手は自分ではないと否定した一連の流れのことだ。さらに尾ひれがついて、哀れな女のストーリーが出来ているかもしれない。
轟のことを頭から追い出したくて、休日を潰してまでやってきたというのに、職場でもこうなのか。ついつい顔を顰めてしまった。
「パトロールしてきます」
「待て待て!」
「何かご用ですか」
「もともとオフだったんだし、休んどけよ! ワーカーホリックか!」
逃げ出すようでなんだか癪だったが、この空間にいることと天秤にかければ、前者の方がまだマシに思えた。
爆豪との約束の二十時まで、パトロールをしたり、どこかで休憩したりして過ごせば良い。そう思って踵を返そうとしたのだが、慌てた様子で呼び止められた。今朝、私に週刊誌をみせて祝福しようとしてくれた先輩だ。変に気を遣われては嫌だなぁと思っていたが、彼は案外フラットに話しかけてきた。この対応にかなり救われた。
「行ってきます」
「いや、今日は行かねぇ方がいいと思う」
だからといってパトロールにいかないという選択肢はない。報告書も含め、全ての事務作業は片付いている。事務所にいたところで暇を持てやます未来は容易に想像できたからだ。
事務所を出ようとすれば、もう一度引き止められた。今度は必死さが滲んだような声だったように思う。
「何ですか」
「ほら、なんか、アレだよ……な?」
「そうそう、あの、風水的なアレ?」
「それを言うなら運気的なアレじゃないですか?」
「そう! 運気!」
私が向き直れば、先輩は分かりやすく慌て出した。話を振られると思っていなかった周囲も、つられて慌て出す。
アレ、についてなんとか捻り出したようだった。風水って、私は建物か! 普段ならばしていたであろう突っ込みだが、心の中に留めた。留めたという表現をしたが、意図的にではなく、ただ口に出す気力がなかっただけなのだが。
しどろもどろになっている姿に憐憫の情がわいてしまい、助け舟を出せば、分かりやすく胸を撫で下ろしていた。ホッとしたのだろう。
「つーか、お前、頼みたいことあるって言ってたじゃん!」
「俺かよ! あ、え、ソウダッタ! 頼みたいことあるんだった!」
それほどまでに心配をかけているのだろうか。事務所に留まらせる理由を考えようと、頭を働かせているようだった。
頼みたいこと、といって渡された仕事は、経理の仕事だった。私の管轄ではないのだが、午前中は、いや現在進行形で気遣わせてしまっているのだ。彼らの思いを汲もうと、担当外の仕事に取り組んだ。
「仕事ため過ぎ」
「早かったね」
「お! ようやくお迎えが!」
呆れたような声が落ちてきて、のけぞるようにして見れば、背後に爆豪が立っていた。約束よりも三十分ちかく早い。
先輩たちは私のデスクの上から書類を掻っ攫っていった。
「あとは大丈夫だから! 気をつけて!」
「大丈夫! 絶対に大丈夫だから、思いっきりいけよ!」
先程の対応とは一転して、今度は必死さが滲んだ態度で送り出そうとしている。今までにもこのような任務に就いたことがあるし、問題なくこなしてきた。まるではじめてのお使いに送り出すかのような大袈裟な見送りだ。
ガチャっとドアノブがまわされる音がして、そちらを見やればジーニストが姿を現した。
「連携をスムーズにするためコミュニケーションをとることも重要だが……お喋りも程々に」
すぐ側のソファーに踏ん反り返るように座っていた爆豪は「キョウイクは後でにしろ」と嫌味っぽく一部の言葉を強調しながら、本題に入るように促した。
これでも雄英入学当初に比べれば角がとれ、丸くなった方だ。それを理解しているからかジーニストも特段矯正をしようとはしていないようだ。いや、もう諦めたという方が正しいだろうか。
「渡しておく。自由に使ってくれて構わない。……くれぐれも破壊しないように」
「だってさ」
「いちいち話振ってくんな」
車のキーを手渡してきたジーニストは、私と爆豪それぞれに視線を向けて念押しをしてきた。若かりし日に一度だけ事務所の車を破壊したことがあるが、それはもちろん故意ではなかったし、人命を優先した結果だったのだが。
その時車を運転していた爆豪、そして助手席に座っていた私は、車の扱いにおいては信頼が薄いようだ。
壊したことは事実であるため、言い返すこともできない爆豪は、苦虫をいくつも噛み潰したかのような表情をしていた。苛立ちを感じさせる足取りで扉に向かっていった爆豪を慌てて追いかける。やれやれといった様子で肩をすくめたジーニストに会釈をしてから、子どものような怒りの表現をする爆豪の後を追った。
駐車場で車のキーを作動させれば、一つの車がチカっとライトを光らせた。今日はどうやらワゴン車のようだ。
車の後方をまわって運転席の方へと移動すれば、なぜか爆豪も同じようにしていた。エスコートをしてもらうような関係ではないのに、なぜ爆豪は運転席側にきたのだろうか。
「なに当たり前のように運転席座ろうとしとんだ」
「え、だって、護送は私がメインでやるんだし、慣れておいた方が良くない?」
どうやら爆豪も運転をする気でいたらしかった。自分のことは棚に上げて、助手席に乗ることを考えていなかった私を睨んだ。しかし人質の救出および護衛を担当するのは私だ。普段のは違う形状の車を運転するならば、慣らしておく必要がある。
どうやら納得してくれたようだが、舌打ちは欠かさなかった。
「さっさと発進させろや」
「今日も理不尽を極めてるね」
助手席が空いているというのに、わざわざ後部座席にどかりと座った爆豪は運転席を蹴ってきた。横暴な態度だが、長い付き合いになれば苛立つどころか、面白がれるようになる。面白がっていることが反応から伝わってしまったのか、もう一度座席を蹴られてしまった。
少し離れた、目立たない位置に車を停める。よく映画やドラマでみる車ごと建物に突っ込む、という様子はみていて爽快ではあるが、人質がいる状況では得策ではない。車も破壊するなと念押しもされてしまったし、仕方がない。
「あのトタン屋根の建物だよね」
車に乗せられていた暗視ゴーグルを拝借して、アジトの位置を確かめる。人の姿は視認できないが、サイドキックからの通信が途絶えた位置情報と一致している。組織の拠点だと考えて良い。隣にいた爆豪がかすかに顎を引いて、頷いた気配があった。
「……人質は倉庫の右手奥の部屋」
風を操る個性は、風の流れを感じることもできる。風をまとわせてパワーを強化したところで、増強型の個性には負ける。どのように活用できるか悩んだ時期もあったが、まさか索敵に使えたとは。気付いた時には腰を抜かしたものだ。
呼吸でおおよその人数、配置が分かる。その中でも呼吸のリズムが乱れている者が人質だ。右手奥の部屋に拘束され、床に寝かされた人物がいる。
「索敵要員も連れてきてくれればいいのに」
「テメェで十分だろうが」
私が個性で収集できるのは人数と配置くらいだ。響香や、障子みたいに内部の音を聞き取ることは出来ない。やはり情報は多いに越したことはない。
自分の個性を信用していないわけではないが、人の命がかかっている場面では慎重にもなる。ぽつりとひとりごちるように溢した言葉を、爆豪は拾い上げた。己にどこまでもストイックになれる男から、十分だと評価されたのだ。彼が信じてくれるならば、大丈夫だ。
「夜が明ける前にいくぞ」
「了解」
夜明け前の方が奇襲にはもってこいだ。爆豪の言葉に頷き返した。