美術館の管理人の視線の先には口ぐちに懺悔を繰り返している人たちがいた。
罪悪感――――。それはどういう意味なのだろうと思っていると、管理人は「例えば」と一人の女の人を見据えた。
「あそこにいる彼女は結婚をしてもう十年になります。しかし最近出会った若い男と逢引をするようになったらしいのです」
「あっちの彼は医者なのですが、ついこないだ手術を失敗して患者を助けられなかったそうですよ」
「彼に至っては何も悪いことなどしていない。ただ家族と離れて暮らしていることが彼にとっては罪なのかもしれませんね」
管理人がわかる範囲で誰がどのような罪悪感を抱えているのかを教えてくれた。
確かに旦那さんがいるのに若い男の人と不倫関係にあるのは良くないだろうけど、それは別として医者でも助けられない命だってあるだろう。
家族と離れて暮らしているのが罪というのは大袈裟なのでは…………。
そういう意味を込めて懺悔をしている人たちに目を向けると、管理人は「私もなぜみなが自分の抱える罪悪感にここまで罵られているのかまったく理解ができない」とため息をついた。
「早いとこ回収した方がいいかもな」
ウィルさんの言葉に「その方がいいだろうな」とマリが頷く。ちょうどよくすぐ近くに管理人がいるんだ。
交渉するなら今がチャンス!ということでウィルさんが管理人に「あの絵画のことなんですが、」と声をかけたときだった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
女性の悲鳴が館内に響いた。悲鳴の方に顔を向けると、懺悔をしていた人たちが群れを崩していくのが見えた。
その中で悲鳴をあげたであろう女性のすぐそばにうずくまっている老人と、静かに佇んでいる男性。
よく目を凝らしてみると、うずくまっている老人からは血が流れており、男性の手は鈍く光る刃物になっている。
それを見た瞬間足を動かし腰につけたケースから言ノ葉を取り出していた。
神田もマリも気付いたのか、それぞれのイノセンスを発動させていた。
男性に化けたアクマに刺された老人が血を流した場所から星形のペンタクルを浮かび上らせ後に砂と化した。
それを目前にした人々が恐怖の声をあげパニックを起こし始める。おかげでアクマに攻撃がしづらい――――――。
「(それが狙いか!)」
パニック状態の人々に紛れてアクマはあの絵画となったイノセンスを破壊するつもりだろう。
「ちょ、皆避けて!」と叫んでみたけどどうやら私の声は耳に入らないらしい。
管理人も「皆さん落ち着いて!」と声を上げているが自分自身も状況を理解できていないのか声が上ずっている。
「どうすれば?」とマリと顔を見合わせたあと再び人々に紛れたアクマに視線を戻す。
しかしアクマは体をすべて転換させていないため見つけるのが難しかった。すると、
「死にたくなかったら退きやがれテメェ等―――!」
地を這うような低い声が耳に入り思わず肩がビクゥ!と跳ねた。自分に言われたわけじゃないけど染みついた習慣って恐ろしい。
神田に睨みつけられ、その手に持つ六幻の刀身を目にした人たちが顔を青くして一目散にこの展示スペースから逃げて行った。ていうか一般人脅すなよ!
「(まぁおかげで、)」
「アクマは逃がさずにすんだな」
「うん」
マリと二人神の天秤の前に立つ。ポツンと取り残されたアクマは逃げて行った人たちの方をジッと見つめていた。
神田はその隙を逃さずにすかさず六幻を縦に一振りした。が、
「甘いなエクソシスト」
腕だけを刃物に転換させた今だ男性の姿をしているアクマは神田の一振りを受け止め、ボディが真っ二つになるのを防いだのだ。
一撃で仕留めるつもりだったんだろう神田は「チィッ!」と舌打ちをしながらアクマとの間合いを取っている。
「人に紛れてイノセンス破壊しよーと考えるあたり、破壊衝動だけの馬鹿ではないみてぇだな」
「その通り。なにせ私はレベル2だからな――――!」
ニィと耳まで割けるように口が弧を描いた瞬間、皮膚はボロボロと零れ落ちて行き、あっという間に転換した。
全身のボディが銀色に鈍く光り、腕は両方とも刃物になっている。
「貴様の刀と私の刃……。どちらが鋭いが勝負といこうかエクソシスト!」
神田に向かっていくアクマは腕をブンッ!と振り下ろした。しかしそれを避けられない神田じゃない。
軽い身のこなしで攻撃を避けて素早く次の構えに移る。そして下から上へと流れるような一閃がボディを切り裂いた。
「テメェの鈍(なまくら)と俺の六幻じゃ勝負になんねぇよ」
くるりと踵を返して私たちの方へ来る神田。ウィルさんが「やったか!?」と喜んだような声のトーンで言う。私もそう思った。
だけどマリの「いや、」と小さく呟くのが聞こえアクマに目を向ける。
苦しそうにうずくまっていたアクマがゆっくりと立ち上がる。「鈍?いつ私のダークマターが刃物だと言った?」
「私のダークマターは――――――、風だ!」
それぞれのイノセンスを構えた瞬間、ビュオォッと大きい音とともに風に襲われる。まるで鉄の塊をぶつけられたような感覚で、足が浮いたのがわかった。
「(吹き飛ばされる!)」
とっさに受け身の体制を取ったものの、黒い大きな影に包みこまれて私の身体が吹き飛ばされることはなかった。
ゴォォオと雷のようにも聞こえる風の音を耳にしながらおそるおそる顔をあげてみると、
「神田?」
「…………………。」
何も言わずに私の頭を抱えるようにしている神田を見て思わず顔が赤くなった。
まさか助けてくれるとは思わず、神田に抱きしめられたまま突風がおさまるのを待った。
ようやく風がおさまると、抱きしめられていた体がゆっくり離された。
色んな意味でドキドキとうるさい心臓の音なんて聞こえないフリをしてお礼を言うべく神田の名前を呼んだ。
「か、かんだ」
「何軽いフリしてんだお前」
つもりだったんだけど。
「は、」
「あれくらいの風で吹き飛ばされそうになってんじゃねぇっつってんだよ少しは踏ん張りやがれ!」
「ごごごごごごめんなさい……………」
キッ!といつもの如く睨まれてキツーイ一言。まさか助けてもらったあとすぐにお説教が来るとは思わなかった!
でも助けられたことには変わりないから小さく「ありがと」と呟けば「ふんっ」と思いっきり顔を背けられた。
「人がお礼行ってんのになんだその態度!」と頭に来たけど、まぁそれが神田だしな…………。「どういたしまして」とか返されても困る。
「神田は素直じゃないな」と笑うマリに「うんうん」と頷いてたら「何か言ったかナマエ」と何故か私だけ睨まれた。(ひぃなんでマリが最初に言ったのに!)
「チッ。さっさと片付けるぞ」
「「了解」」
神田の一言を合図に言ノ葉を構える。あいつのダークマターは風だ。白兵戦に持ち込みたいが至近距離まで近づくのは難しいだろう。
だとしたら言ノ葉で隙を作って近距離攻撃が得意な神田に任せるのが得策かもしれない。
三人で目配せをしたとき、さっきよりも強い突風が起こる。慌てて横に飛び退けると、神の天秤を厳重に囲っていた木の柵とガラスの囲いが飛び散った。
「ナマエ、イノセンスは!?」
「大丈夫!壊れてない!」
ガラスの囲いが壊れてイノセンスも壊れてしまったかと思ったが、絵画は無傷だしイノセンスの音もちゃんと聞こえることを伝えればウィルさんの安堵の声が伝わってきた。
「(にしても派手に館内壊しちゃったな…………)」
まぁアクマとの戦闘に入った時点で覚悟はしてたけども、管理人の「あぁ、フランス王がお造りになられた宮殿が………」という嘆きの声が聞こえてきて心の中で「ごめんなさい」と謝っておいた。
悲惨な姿になってしまった展示スペースをグルリと見渡して「これ経費で落ちる?」と小さく呟くと「本部がなんとかしてくれるだろう」と言ったのにマリの顔は青かった。
有名な美術館派手に散らかしたのに黙って教団が修理代出してくれるとは思わないんだけど。
とにかく、次の風の攻撃を出される前に言ノ葉を左右同時に投げつける。
「そんな小道具が通用すると思うか!」
言ノ葉はヒョイ、と簡単に避けられてしまいアクマは余裕の憎らしい笑みを浮かべていた。しかし、それで終わりなわけがない。
攻撃を避けられたことを私が悔しがると思っていたであろうアクマが、私の表情が変わらないので不思議そうな顔をしていた。
「何を余裕ぶって―――――、ギャッ!」
避けられた言ノ葉はアクマに向かって行ったときよりも更に鋭さとスピードを増して返ってきていた。
ついさっき神田につけられた傷に上乗せするように言ノ葉の刃がボディの両脇腹にあたる部分を切り裂いた。
「どうやら体は本当に鈍のようだな、切り裂かれた音でわかるぞ。―――――――聖人ノ詩篇!」
切り裂かれたボディを押さえて呻き声をあげ始めたアクマの隙を逃さずにマリがそのボディを締め上げた。もちろんトドメはこの人である。
「じゃぁな鈍――――――、」
「ギャァァァァァァァア!」
六幻の太刀がボディにまっすぐ振り下ろされた瞬間、青い閃光が見えた気がした。すぐあとに大きな爆裂音を放って鈍アクマは破壊されたのだった。
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