イソギンチャクたちがラストまで入ってくれたおかげで、今日のオクタヴィネル寮生たちはいきいきしていた。私もその一人に入るのだけれど、疲れの蓄積具合からして結局就寝時間はラストまで入った日と同じくらいになったのだ。クラスの半数のイソギンチャクたちは一日中ぐったりしており、まるで入学したての私みたいだなあ、なんて思ったけれど、ここまで扱いが雑ではなかったかもしれない。イソギンチャクは本来毒を持つのに、あれでは毒を受けているみたいだ、なんて。
「今日は居眠りをするバッドボーイ共が多いようだな」
クルーウェル先生も呆れた様子だった。もはや注意すらもしないのは、あまりにも人数が多いからだろうな。頭のイソギンチャクについて言及しないのは、その正体を知っているから、だろうか。担当にあたった教員も、すれ違う教員もそれについては一瞬だけ視線を上に運んだ後、何事もなかったかのようにかのように接するだけだった。ぱっと見た感じ、オクタヴィネル寮生に契約者がいないのは、私たちは既に従業員として使われているからなのだろう。そんなことを考えつつも、指名された私は予習通りの答えを発表した。
チャイムが鳴り、お昼休みを告げるチャイムが鳴るとぐったりしていたイソギンチャクたちも口々に「メシ……」なんて言いながら教室の外へ出ていく。あちゃー、みんな目が死んでるなあ。少し可哀想だけれどまあ、自業自得だし。けれどお昼休みや授業中にこき使われないだけ、うちの寮長はまだ慈悲深い方なのかもしれない。次の範囲に付箋を貼って、今日のランチは何かな。確か隔週の、すごく人気のチーズがパスタと同じくらいの比率でかかっているボロネーゼがあった気がするなあ、なんて席を立とうとしたとき、私に向かって影が伸びてきた。白と黒の、あ、クルーウェル先生だ。
「ミョウジ」
「はい。……え、もしかして何かやらかしました?」
「そう身構えるな。お前は今回の期末テストでは五十位以内に入り、よく勉強したようだが……アレには頼っていないようだな」
「アレ……ああ」
私の前に立っているクルーウェル先生、脚が長すぎる。机で隠れているにもかかわらずそれよりも上の位置に腰があって、ヴィルさんと良い勝負。モデルさんみたいだなあ。エペルとかリドル先輩とは違う、それこそヴィルさんに近い系統の匂いがするから、香水だろう。高級な香水つけてそうだなあ、詳しくないけれど。
クルーウェル先生が言っているのは、うちの寮長と多くの生徒たちが結んだ契約で得た対策ノートのことだろう。やっぱり、先生たちも黙認していたんだ。寮長のこの契約や動向は傍から見れば完全に悪者だけれど、それを注意できないのは何かしら理由があるらしい。
「使ってないですけど……フロイド先輩にみっちり教えてもらったおかげでなんとか。特に文系科目は」
「なに? リーチ弟にだと?」
フロイド先輩って弟だったんだ。確かに副寮長と比べれば弟っぽいけれど、どこかお兄ちゃん気質も持ち合わせているとも思う。フロイド先輩に、というワードを聞いたクルーウェル先生は不機嫌そうに、ではなく、ただただ疑問に持ったように顔を顰めた。もともとの顔が綺麗だから、そういう表情をしても全然顔が崩れないな。エペルとクルーウェル先生に挟まれてリバーシみたいに私の顔面偏差値も上がらないかなあ、なんて。
「リーチ弟の機嫌が良かったのか?」
「んー……割といつでも悪くはないと思いますけど……」
「……確かに今回はどうやら気合いが入っていたそうだな。全教科満点だった」
「ま、満点!?」
思わず声を上げてしまったけれど、授業中でないからかクルーウェル先生に注意を受けることはなかった。昨日、もしかして私の勉強を見てくれていたせいで自分の勉強がままならなくなっていたのではないかと不安に駆られた私はフロイド先輩にやんわりと順位を聞いたら、「五十位以内には入れたよ、えらいでしょ」なんてにこにこ笑顔で言っていたけれど。まさかそれが満点だなんて思わなくて、ぽかんと口が開いたまま塞がらない。フロイド先輩、やっぱり寮長の命令はなんだかんだ聞くんだなあ。オクタヴィネル寮の先輩ってやっぱり、今思っている以上にもっともっとすごい人の集まり、なのかもしれない。
実際勉強と営業と部活……は微妙だけれど、両立ができているのだし、もっと尊敬に値すべきなんだなあ、と今までの自身の行動を見つめ直していると、頭にぽん、と軽い衝撃を受けた。
「ともあれ、よくやった仔犬」
「ふふ、ありがとうございます」
「次も期待してるぞ」
「ご褒美に次の課題免除してください」
私の余計なひと言で、グッドガールと言いかけていた先生は即座にバッドガールと言い直していた。ちょっと、冗談のひと言で態度を変えないでください。
私の頭上から手を離した先生の時計を見る素振りに従って、私も時計を見ると、昼休憩が始まってから五分、間もなく一〇分が経過しているようだった。それを見てガタン! と音を立てて立ち上がると、エペルが肩を小さく震わせていた。驚かせてごめんね。だって、のろのろしてたらパスタなくなっちゃう。まだ食べたことないのに。
「ごめんお待たせエペル。急がないとランチが選べなくなっちゃう」
「ううん、大丈夫。そうすぐになくならないと思うけど……」
「なくなったらイシダイ先生のせいだからイシダイ先生の奢りでお願いします」
「随分軽口叩くようになったな、生意気な仔犬が」
担任じゃないけれど、先生の中だったら絡みやすいから仕方ないなあ、クルーウェル先生。入学して一、二週間はイケメン先生だしちょっと変っぽいからなんとなく気を張っていたけれど、指導者としてはしっかりしすぎているくらいだし、今は癖がある感じが接しやすかったりもする。
教科書を身体の前に抱えてぺこ、と二人揃ってダルメシアンみたいな先生に会釈すると、そのままやや走り気味で食堂へと直行した。
◈◈◈
食堂は本当にイソギンチャクの群生地だったし、なんなら同じ色をした同じ形状のイソギンチャクだったから、集合体恐怖症の人だったら地獄だろうな、といった光景だった。せめてもっとカラフルにすれば面白かったのになあ。寮長の趣味なら仕方ないけれど。何より目的だったパスタは残り三人分のところで食べられたし、満足だった。
それにしても、エペルに言われるまで気がつかなかったけれど、今日はハウルが欠席していたみたいだ。無遅刻無欠席だったのに珍しい。寮長と契約したわけでもないようだったし……少しだけ胸のあたりがざわついた。
「ナマエ、久しぶり」
「久しぶりです、ふふ」
「? 何を笑っているんだい?」
活動日だからもともとシフトが空いていたのもあり、馬術部に顔を出すと、リドル先輩にもシルバー先輩にも、セベクにもイソギンチャクが生えていなかったものだから、安堵の笑みが零れた。もっとも、今日部活動に出席している面々は寮長と契約をしていないそうだ。ぱらぱら欠席している人達が契約してしまったんだな、なんてことは容易に想像がついた。
「そういえばキミは契約をしていないそうだけど……オクタヴィネル寮生だからそれはそうか。ジェイドから聞いたよ。五十位以内に入ったんだって?」
「わ、そうなんですね。実はギリギリ……ですけど、ランクインしました」
「大したものだよ」
ギリギリを擦らないあたり、リドル先輩は優しい。フロイド先輩に教えてもらった、なんて言ってしまえば、リドル先輩はきっとすごい顔をするに違いないから、黙っておくことにした。リドル先輩による褒め言葉に対して、そうでしょうそうでしょうとやや得意げにすると、セベクやシルバー先輩も感心するような表情を向けてくれていた。あまり数人に賞賛されるような経験がないから、どこか面映ゆい。私からすれば、寮長に頼らずイソギンチャクが生えていないこの場にいる部員のことも褒めたたえたいくらい。もしかすると五十位以内に入っただけで、契約していないなんてことはないのかもしれないけれど。
「ボクも今回は危なかったよ。いつも以上に勉強しておいて良かった。アズール、今回はすごく気合いを入れていたようだね」
「えっ、リドル先輩も入ってたんですか?」
「もちろん。何を当然なことを」
「わあ……それ言ってみたい」
五十位に入るのは至極当たり前、なんならいつも全教科満点で一位だ、なんて涼しい顔で、何より嫌味なく言っているリドル先輩は本当に天才というよりはきっと秀才で、優秀というか、努力家というか……。それでいえばうちの寮長も優秀で努力家、なのだけれど、なんだろう、属性? 素直さ? 何かがうちの胡散臭くて嫌味な寮長とは違う。まあ、どちらも尊敬しているし、私はそんな寮長が性格含めてすごく好きなのだけれど。次の試験もオクタヴィネル寮生として、それにリドル先輩やクルーウェル先生の期待に応えるためにも頑張ろう。
「うちの寮生たちには困ったものだよ。アズールと契約した生徒が何十人といる」
「……トラッポラとか、スペードとか、ですか?」
「そうだけど……キミはあの子たちと知り合いだった? ……ああ、有名人だからね」
「あー……昨日見かけて」
「まったく。首をはねてやろうかと思ったよ」
本当、寮長であるリドル先輩を困らせるなんて、ハーツラビュル寮生として恥ずかしいなあ、あの人たち。首をはねる、はきっと比喩で、時折見かけるあのハートみたいな可愛らしい首輪のことだろう。確かリドル先輩のユニーク魔法、だったかな。イソギンチャクよりも絶対にあちらの方がおしゃれだし、せっかくなら首をはねてもらえば良かったのに、と思ったけれど、得意魔法を失っているのにそれを助長させるようなのは確かに、可哀想かもしれない。
「じゃあボクは馬たちの準備をしてくるから、少し待っていて」
「はい!」
リドル先輩が厩舍の方に早足でもなく、堂々と向かっていき、背中が小さくなるのを見ながら、一歩ずつシルバー先輩とセベクのもとへと近づいた。テスト期間明けの部員の顔って、本当に懐かしい感じがする。特にシルバー先輩は学年が違うのもあって、全然見かけてすらいなかったから。
シルバー先輩の隣に、人一人分くらいの距離を空けて並ぶと、リリーみたいな花の匂い。これも久しぶりだな、なんて思うと、向かいの大きなセベクよりも先に、珍しくシルバー先輩が口を開いた。
「試験勉強中は何度か居眠りしたが、本番では眠らなかった」
「え? ……ああ! 良かったです……ね?」
「ああ。おかげで補習も免れた。感謝する」
「何もしてないですけどね」
若干天然だなあ、シルバー先輩。ふわ、と王子様みたいに笑うシルバー先輩、私がもっと耐性がなければ一目惚れしていたし、もしくは幼ければ完全に初恋泥棒だっただろう。そんなシルバー先輩をライバル視するセベクは、これまた珍しく何も言わずに顔だけがやや不機嫌そう。いつでも不機嫌そうだけれど、今日は顔だけでうるさい声が聞こえてきそうなほどだ。もしかしてライバルに友達の私までとられたみたいで嫉妬でもしているのか、それともその逆か。そうだったら少しかわいいけれど、きっと思い上がりだろうと思ったのでスルーさせてもらった。
後からセベクにどうしてあんなに険しい顔をしていたのかとやんわり尋ねると、代わりにシルバー先輩が先に答えてくれた。どうやらディアソムニアの寮長と副寮長が一日中イソギンチャクの軍団に意図しない邪魔を受けたそうで、それに関して考え事をしていたりして不機嫌だったとか。うーん、とんだ思い上がりだった。うちの寮長がごめん、と謝っておくと、「契約した人間たちの自業自得だ」と言ってくれた。私もそっち派だから、衝動的に大きな手を固く握ってしまい、戻ってきたリドル先輩には「……何をやっているの?」と聞かれた。