夢の散亡

 どうやら契約満了までの一日目は上手くいったらしい。私の新入りへの指導は上手くいっていないけれど。ほとんど先輩たちがしてくれたなあ、サボって絞められていた先輩も優位に立ったからなのか、それとも双子がお留守だからなのか、目に見えていきいきしていた。私はまだここで働いて二ヶ月だし、上に立てるかと言われたらまあ、難しい。イソギンチャクもそれなりに人数がいるわけだし。
 業務も締めに入ったところで、私の首に長い長い腕が巻きついた。なんか久しぶりな気がするなあ、この距離感。実際には二日ぶりとかだとは思うのだけれど。

「ナマエちゃん、おつかれぇい」
「今日は特に何もしてないですけど……」
「おや。十分な時間稼ぎをしてくださったと思いますが」

 イソギンチャクたちが洗い物や掃除に励むのを横目で監視しつつも、売上と発生した現金に誤差がないか、カウンターで数えていると、そうして話しかけてきたのはもちろん双子だった。この腕の長さなら、確かに片腕だけで違反者のことを余裕で絞められそう。わ、締めと絞めでかけるなんて天才かも。
 その腕を放置したままに売上金を数える。今日はフロイド先輩たちがいないから正直何かしら不備が発生するだろうと思っていたのだけれど、もしかしてイソギンチャクって優秀? 数え間違えもなければ誤差も生じていなかった。副寮長の言う通り、確かに私は今日寮長たちの企てに協力をして、なかなかの活躍をしたと自負している。ふふん、と鼻を鳴らしたいのを我慢して、謙虚さをアピールするのだけれど、副寮長は「もっとしたり顔をしてもいいんですよ」なんて私の心を見透かしているようだった。

「小エビちゃんたちはどうせ明日は珊瑚の海には来ないから……ナマエちゃんは自由にしてていーよ」
「明日はシフトが入ってて自由に、は難しいですけど……小エビちゃんって?」
「オンボロ寮の監督生さんのことですよ」

 新キャラ登場だ、と思っていたらまさかの監督生のことらしい。確かにハウルが小エビという柄ではないけれど、小エビ……。名前の由来を考えていると、副寮長が「小さくてビクビクしているからだそうです」なんて。私と対面したときはそんなにビクビクしていなかったし、そんなに小さくもなかったはずだけれど、きっとフロイド先輩目線かつ監督生がこの双子の圧にやられて怖がっていたんだろうな。少し間違えれば私のあだ名が小エビだったかもしれない。
 どうやら海の中での妨害も上手くいったらしく、あと二日間で無事にオンボロ寮は私たち……というより寮長たちの手のうちになるそうだった。けれど、寝床をとられるなんて監督生たちも可哀想。特にこの冷え込む時期にだなんて、災難だなあ。あ、監督生といえば。

「監督生たち、写真がどうの……って言ってたんですけど、取引と写真が関係あるんですか? 何か商売に使える写真だったり?」
「おや、やはり気になりますか」
「その写真はねぇ、アトランティカ記念博物館に飾られているアズ――」
「ジェイド、フロイド」

 フロイド先輩が何か言いかけたのを遮ったのは、うちの寮で最も上に立つ彼の声だったような気がして、動かしていた手を止めると、ようやく振り返って先輩たちの姿を捉えた。真っ先に目に入るのはフロイド先輩のはずだったのだけれど、そのフロイド先輩の目線の先にいる寮長が眼鏡を光らせていたので、自然とそちらに誘導された。アズール、って言いかけていたと思うのだけれど、やはり何かに利用するつもり、なのだろうか。写真と取引、博物館……私の小さな脳みそではそれらから正解まで導くことは難しそうだ。

「それ以上何も言うな」
「はぁい。ざんねんナマエちゃん」
「寮長の命令なので僕たちから言うことは何もありません。ふふ、アズールもせいぜい僕たち以外に知られないようにお祈りしておくといいですね」
「黙りなさい。……さて、ナマエさん。今日のラウンジは特に違反者も出なかったようですね」

 生殺しだ、すごく気になる。副寮長って意外と、こういうふうに平気で寮長を煽ったりするけれど、やっぱり余程仲が良いんだろうな、この三人は。寮長からの業務連絡を受けつつ、ラウンジの様子に目を向けるが、イソギンチャクたち、精が出るなあ。人数が多いのも相まって、マシンの清掃からフロアの掃除から、うちの先輩たちからの指導を受けながらキビキビ……じゃなくて、キリキリ働いている。ご指導ありがとうございます、と寮長に微笑まれたのでつい私の手柄にしてしまいそうだったけれど、慈悲深い寮長に倣って、以前絞められていた先輩のおかげだと伝えておいた。私もオクタヴィネル寮生だし、そもそもあの先輩も同じ寮の仲間だし。
 そうしているとまた、寮長はテンプレのように眼鏡をくい、と持ち上げる体勢のままに口を開いた。少しだけ、肩にかかっているジャケットが落ちそうになっている。

「さて、明日のナマエさんの役割は特にありませんが……明後日は是非ともご協力いただきたい」
「明後日って……最終日ですか?」
「ええ。今日のような時間稼ぎで構いません。アトランティカ記念博物館は休館日ですが、明日を切り抜けてしまえば彼らは無理やりにでも侵入を試みるでしょう」

 不法侵入ってなかなかやるなあ。バレてしまえば終わりなのだけれど、きっとどうにかなるのだろう。グリムやスペードからはその気はしないけれど、他の三人はまだ頭が回りそうな雰囲気がある。完全に偏見だけれど。だからそれまでの時間稼ぎをしてほしい、と。わかりました、と言おうとしたところで、二つの金色の瞳とスカイグレーに見つめられたまま、私は口を開かなかった。その理由は簡単で、今日彼らの時間稼ぎが成功してしまったからだ。

「おや、どうしました?」
「いや、……今日の時間稼ぎできっとあの五人には警戒されてると思うんです。だから私がまたできるかどうか……」

 そう言うと、フロイド先輩は「確かにナマエちゃんは適任じゃねぇかも」と言った。他のオクタヴィネル寮生に任せた方が……いや、だとしても“オクタヴィネル寮生”というだけで誰であっても警戒される。だからといって他寮のエペルなんかを引き入れるわけにはいかないし、そもそもエペルはきっと乗ってくれない。私たちオクタヴィネル寮生だけで何とかすべきだ。アレを使えば、いけないことはない、けれど。
 一人で顎に手を添え、俯いたまま脳内でいくつもの考えを巡らせていると、副寮長と寮長が口角を上げると控えめながらもおかしそうに笑った。嫌な予感がする。先に口を開いたのは副寮長の方だった。その八の字の眉とギザギザの歯を覗かせる笑みは、あまりいい予感はしない。

「ナマエさんならどうにかできると思いますが」
「いや、でも……」
「大丈夫。数分でいいんです」

 そうして副寮長は私の耳元に顔を寄せては囁いた。入学二日目から副寮長は侮れないという考えは持っていたけれど、まさか今になってそれを再認識させられるなんて。五人も相手なんてしたことがないけれど、耳元に降ってきた副寮長の声に圧を感じて、つられるように頷くしかなかった。できますよね? たったそれだけの言葉だったのに。

「頼りにしていますよ、ナマエさん」
「え〜なに? オレには内緒なの?」
「ええ。フロイドもいずれ知ることになるかもしれませんよ」

 楽しいけれど、やっぱり怖いなあ、オクタヴィネルは。けれど今更どう足掻いたって、寮長たちには色々知られている。なら、私たちの情報を握っている寮長のために精一杯働いてさしあげますよ。

 ◈◈◈

 自由に、と言われていたから、本当に自由にラウンジでのバイトに励んで、ミスをしてしまったイソギンチャクには、絞める代わりに注意程度のことはした。そもそも間違いなんて、始めたてでなくても誰にでも起こりうるのだし。もしかして私、慈悲深い?
 監督生たちは寮長たちの予想通り、寮長との取引で使った“黄金の契約書”を狙ってラウンジのVIPルームへと忍び込んだらしい。卑怯だなあ、それ。ユニーク魔法は割とデリケートな話題なので、同じ寮の、ましてや寮長のものも知らないけれど、大方契約や取引関連だろう。イソギンチャクたちは得意魔法を奪われた、とか言っていたから、他人の魔法を奪う能力、とかなのかな。だとしたら怖すぎる。私が今まで直接見たユニーク魔法って、リドル先輩の有名な『首をはねろオフ・ウィズ・ユアヘッド』しか知らないかもしれない。

「ナマエ、今日はやけに落ち着きがないね」

 眠いはずの魔法史の授業は、今日は不思議と眠くなかった。不思議と、ではなくて、エペルの言う通り落ち着きがない。つまり、イソギンチャク率いる監督生への二度目の妨害が待っているからだ。たった今授業が終わり、そそくさと教科書を片付けるとあとはバッグを持つだけで帰れるといった状態になった。

「うん、勝負が控えてて……」
「勝負?」
「ちょっとね」

 監督生と寮長が結んだ契約満了は今日の日没まで。私は一体何のためにこうして全力で寮長たちに協力をしているのか、疑問を持っていないというともちろん嘘になる。何のために頑張っているのか。強いていえば、スマートフォンで少しアトランティカ記念博物館について調べていたときの話だ。



 昨晩、談話室のソファで副寮長の入れてくれた美味しいアールグレイティーを喉に流し込みつつ、外装だとか展示品だとかを調べる。個人で変身薬を買って行くしかないのかなあ。するといつものように、後ろからぬっと影が伸びてきた。言うまでもなく、フロイド先輩だ。

『アトランティカ記念博物館に行きたいの?』
『わっ、びっくりしたあ。話題に出てて良いなあって……』
『おや、僕たちは決して遠足で言っているわけではないのですよ』
『わかってます、けど。人魚姫のコレクションだとか、気になるので』

 人のスマホを覗き込むだなんて、良い趣味をしていることで。特に副寮長まで覗き込んでいるのだから。覗き見防止フィルムに貼り変えようかな。
 どか、と私の横に座ったフロイド先輩は長すぎる足を組むと、今度は横から覗き込んできた。人から見られているとなんだか、スクロールすらも気恥しい。ふぅん、と小さく洩らしたフロイド先輩は、鱗みたいなかわいいピアスをしゃらん、と鳴らして、液晶を見ていた瞳をこちらに向けた。

『じゃあさ、全部終わったら連れてってあげる』
『全部?』
『うん。今の小エビちゃんとアズールの契約関連のこと』
『契約関連が終わったら……えっ、本当に!?』
『反応おそ。ほんとほんと、オレとジェイドで泳ぎ方も教えてあげるね』
『楽しそうですね。ナマエさんの尾びれの形状も気になるところですし』

 変身薬を飲んだら尾びれの形状って統一じゃなくて、人によるんだなあ。先輩たちの人魚姿も気になります、というと、「それは今度行くときのお楽しみ」と言われたので、それまで何の人魚なのか予想を立てつつ楽しみに待っておこうと思った。



 というわけで、今日も私は重大な任務にあたっているということだ。時間稼ぎをして、無事に寮長たちの方も今日の日没まで耐えてくれるならば、私は晴れて人生初のアトランティカ記念博物館に行くことができる。楽しみだなあ。銀の髪すきとか、本当にあるのかな。噂ではフォークだとか聞くけれど。
 こうして色々考えていると、担任の先生がホームルームの終わりを告げた。それと同時にハウルの方を見ると、彼も私と同じでいつでも帰れる準備をしていたようで、先生の「また明日」の挨拶とほぼ同時に動き出した。先越されたらまずい。私もそれに追いつくように、しかし気づかれないように教室を出た。

 ◈◈◈

 ハウルが教室から出ると、既に隣のクラスのイソギンチャクたちと監督生は準備ができていたらしく、待機していた。先回りはきっとできない。だから、今ここで食い止めるしかない。

「待ってそこの五人!!」
「ん? ……あ! お前は!!」

 色々な広さの背中に思いきって声を投げると、もちろんのこと何事かと思った五人はこちらを振り向く。今更だけどグリムの数え方、人でいいのかな。今はそんなことを気にしている場合では無い。
 トラッポラは私を指さして、グリムとスペードはこちらを睨んでいる。やっぱり、警戒されている。

「やいやい! 今日という今日はもう騙されないんだゾ!」
「アンタ、かわいい顔してやることえげつないんだな。うちの寮長よりタチ悪いぜ!」
「おい、今は相手にしている場合じゃねえ」

 リドル先輩が可哀想、というのが何よりも先に出る本音。それから、ハウルにはもはや相手にされていない。ハウルのひと言に確かにそうだな、と頷いたスペードは、身体を前に向き直した。駄目だ、時間稼ぎしなきゃ。

「ねえ、」
「なんだよ。どうせアンタもあのウツボとグルでしょ?」
「……ウツボ? …………うわ」

 ウツボって、もしかしてリーチ兄弟? あの二人、ウツボの人魚だったの? え〜、楽しみにしていたのにネタバレされてしまった。これは間違いなく、今ここで動けなくするくらいしないと私のネタバレをされてしまった悲しみが回復することはない。けれど感情のままに止めると成功率も下がるし、オクタヴィネル寮生としてあまり良くない。だから、あくまで私はあなたたちの味方ではないけれど、寮長たちの味方もしていない、というように。声色を変えて、眉を八の字に曲げてみる。

「この間は悪いことをしたと思ってる。私も寮長たちが正しいとは思ってないの」
「あーそうかよ。でもオレら急いでるから――」
「だからね、一つ忠告させて」

 トラッポラとハウルと監督生は、やっぱり比較的警戒心が強い。私の第一声を怪しんで、無視をする方向性だった。他の二人は少し情が移ったのか、しかし私の思いなんかより取引の方がもちろん優先だっただろうから、少しだけこちらを振り返った。そのまま、私は五人を引き寄せるように、“忠告”という言葉を使った。そうすれば皆、こちらを見るから。

 私と目が合っている方が成功率は高い。幸いにも周りに人はいても、ギリギリ発動範囲から外れているはずだ。五人を相手にできなくても、最悪ハウルとトラッポラとスペードにかかればいい。監督生は魔法が使えないのだから。

「……『果てまで落ちて、水面みなもに消えろ――』」
「……! まさかユニーク魔――」

 監督生さん、ご名答。でも気がつくのが少し遅かったかな。

「『夢の散亡バースト・ユアバブル』」

 私がそれを唱えると、三秒、四秒、五秒後に五人は崩れ落ちる。よし、成功した。効果は一定時間、というだけで、魔力量や耐性によって色々だけれど、まだ一年生の彼らなら一○分……もしかすると一五分は持つかもしれない。監督生なんて魔力がないから、もっと持つかな。

「珊瑚の海……行く必要なくね?」
「オレ様もう何もする気が起きねぇんたゾ……」
「ここから動く気にもなれない……」

 私のユニーク魔法、『夢の散亡バースト・ユアバブル』は、一定時間対象を無気力にする。何もしたくない。どうでもいい。そういう感情が彼らを支配して、落としてしまう。もちろん寮長クラス……特にアズール寮長のように慎重派を相手にすると、五秒と持つかわからないけれど。外界からの呼びかけも、ほとんど無意味に近い。根気よく声をかければもしかすると、とけるかもしれない。残念だけれど、魔法をかけた張本人である私にはこの状態をとくことは不可能だ。

『大丈夫。数分でいいんです』
『…………え?』
『あなたのユニーク魔法』

 片割れより慎ましい波の音。何かを企てて、私のすべてを見透かすような低い声。鈍く光る金色の瞳とは、もちろんのことかち合ってしまった。入学してから誰にも言ったことがなかったのに、やっぱり副寮長って怖いな。どこでどうやって漏れてしまったのだろう。

「はあっ、は、っ……」

 大体今までこの魔法を使うときは一対一だったりしたから、この人数を同時に、しかも成功してしまったともなると、ブロットの蓄積量がとんでもない。私の魔力量がもっともっと多ければ、オーバーブロットだってしていたかもしれない。私が未熟で良かった。それにネタバレされた鬱憤も、少しだけ晴れた気がするからね。

「ラウンジ、行かなきゃ……」

 息を切らした状態で、床に手をつくイソギンチャクたちに見向きもせず、壁伝いにオクタヴィネル寮へと向かう。モストロ・ラウンジはいつも通りの営業だ。寮長も、双子も、今日は忙しいだろう。だから私は、いつも通りラウンジで精一杯働いて、良い報告を待つだけだ。
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