共存するアクアリウム

 毛先を巻いて、ラメを散らす。今日はいつもより少し気合いの入ったメイク。けれどやっぱりヴィルさんよりは劣るから、また今度出会ったときにご指導いただきたい、なんて少し厚かましいかな。
 だからといって特別なことがあるわけではなく、それこそ“遠足”程度のものなのだけれど、なんとなく気分を上げたいときってあると思う。ウォータープルーフじゃないともしかすると崩れてしまうかも、と心配したけれど、現にオクタヴィネル寮は海中にあるし、この間珊瑚の海に行ったらしいトラッポラたちの服や髪は微塵も濡れていなかったので、きっと大丈夫だろう、と考えたのだ。

「おはよー。あ、なんか今日キラキラしてる」
「おはようございます。そう、キラキラさせてきました」

 フロイド先輩が言っているのはきっと、目元のラメのことだろう。いつもよりしっかりめに、それでいて少しだけ主張の強いものを振り撒いてきたからこうして指摘されているのだと思う。
 フレンチトーストにナイフを入れていると、付け合わせのチェリーが一つだけ長い腕によって盗まれたのはスルーしつつ、するとそれとまた別の長い腕を持った副寮長が少し離れた場所で私に言葉を向けた。

「今日は雲ひとつない快晴なので、良い遠足日和になりそうですね」
「そうなんですね。……海と天気って関係あるんですか?」
「え、関係しかなくね? 雨の日ってマジで視界不良で気分悪すぎ。晴れの日は気持ちよく泳げるよ」

 真顔で当然のように言うフロイド先輩に、私の無知さに恥ずかしさが募った。水が濁るから、かなあ。それとも太陽の光が届きにくくなるからかなあ。何にせよ、綺麗な海中散歩ができるならばそれは楽しみなことだ。
 副寮長が淹れてくれた、淹れたてより少し渋みが出てきてしまった紅茶にスティックシュガーを入れつつもゆっくりと、味わうように飲んでいると、ウツボの二人は何やら支度を済ませて談話室から出ていこうとしたので、もうそんな時間かしらと首を傾げた。

「いえ、オンボロ寮へ行くんです。監督生さんたちを迎えに行くので」
「あそこって鏡ねーし、ちょっと遠いでしょ? だから迎えに行くんだ。ナマエちゃんはアズールと先に鏡の間で待ってて」

 そう言ってひらひらと手を振るフロイド先輩と、軽く会釈をする副寮長。こうして見ると、二人とも本当に対極的に見える。そのまま談話室を後にすると、二人と入れ違いのような良いタイミングで寮長が談話室へと入ってきて、そのまま私の方へと歩いてきた。右手には何やら小さな小瓶のようなものが見えたので、ひょっとすると例の薬だろうか。余ったミントを横に避けて、ごちそうさまでした、と手を合わせると、それを見計らったかのように寮長が私に声をかけた。

「ナマエさん。あなたのご所望の薬を入手してきましたよ」
「わぁい、ありがとうございます。人魚になれる薬、ですよね?」
「はい」

 そうして手渡されたのは、巻貝を模したような手のひらに収まるサイズの小瓶に、水のように透明なわけでない、かといって薬だとは到底思いがたい海のような色に、星のような砂粒をまぶしたみたいな、不思議な薬だった。これを飲めば数秒後に人魚になれるらしく、効果は一日まで持つという。変身薬は基本的に禁制と言われているけれど、これは寮長の授業での知識で作ったものでなく、事前に私の情報をお伝えして専門家や薬剤師からしっかりと処方箋を出してもらったものだ。しかし一日も人魚のままだと不便だろうということで、人間になる薬も一緒に受け取った。そちらは人間に“戻る”ではなく、人間に“なる”だそうで、根本から人間に戻るには人魚になる薬の効果が切れなければならない。人間になる薬の方は三日間継続するらしく、うーん難しい、と考え込んでいると寮長は、「そう深く考える必要はないですよ」と言った。

「くれぐれも使用中は怪我などしないように」
「わかりました」
「まったく……高かったんですから、丁寧に扱ってくださいよ」
「取引、でしたよね?」
「そうですけど! くれぐれも写真の件は内密に!」
「ふふ、わかってますよ」

 これだけ寮長に助力したのだし、一度は力も奪われてしまった。さらには寮長の黒歴史らしい写真も口外しない、だなんて、この薬の対価としては十分だと思うけれど。しかし三日間しか人間でいられないなんて、寮長たちは余程頻繁に薬を飲まないといけないのでは、と思って聞いてみたところ、少し前の薬らしく、今はもう少し効果が継続するだとか。こうして入手するのにも、寮長たち自身の薬は配布されるものらしいけれど、購入するとなるとなかなかにお値段が張るらしい。
 声を少し荒らげてしまった寮長は慌てて周りを見回すけれど、休日もあってまだ寝ている寮生が多かったりで談話室内には私しかいないらしく、あからさまにほっとした表情をした。

「さあ、そろそろ行きましょうか」
「あ、その前に」

 咳払いをして仕切り直した寮長を、私がこうして止めると、どうしたのかとこちらを振り向いた。大したことでないのに引き止めてしまったのは、なんだか少し申し訳ないけれど。

「写真ってちゃんと持ってます?」
「ええ、当然じゃありませんか」
「……ちょっと確認しても?」
「っ! な、何を考えているんですあなたは! 絶対に見せませんよ!」

 寮長が小さな紙切れ一枚を取り出したのを見て、控えめに手を伸ばしつつも確認という体でそう尋ねると、首を思いきり振っては私を避けるように身を引いて、あからさまに拒否をした。やだな寮長、かわいいまんまるアズールくんがもう一度見たいだなんて少しも思っていないのに。

 ◈◈◈

 鏡の間に着くと、どうやら寮長がアトランティカ記念博物館の貸切の手配をしているそうで、先に鏡に飛び込んでいってしまった。それにしても、寮長のあの魔法薬を飲んだ瞬間の今までに見たことがない歪んだ表情……余程あの魔法薬が不味いのだと見受けられて、少し鳥肌が立った。
 それから少しすると、トラッポラにスペード、それからハウル、最後にリーチ兄弟とグリム、監督生がやってきた。勢揃いだ。というか写真を返すのに付き合う、と申し出た監督生たちだけでなく、トラッポラやハウルまで来るのは少し予想外。ハウルなんて心なしかそわそわしているように見えるし。

「ではそろそろ行きましょうか。皆さん、魔法薬を飲んで」
「げ〜、これマジで不味いから飲みたくないんだよね」
「やめてトラッポラ、私まだ飲んだことないんだから」
「そういえばミョウジの持ってる薬は色が違うな」

 スペードに言われて、薬の瓶こそ同じだけれど、確かに他の五人が持っている魔法薬の色は蛍光っぽい黄緑色をしていることに気がついた。見た目の可愛さだと私の持っている薬の方が上かもしれない。その綺麗さの分不味さが比例しているなんて言われてしまえばたまったものではないけれど。

 一番初めに飲むのは誰だ、とトラッポラとスペードも私と同じように周りの様子を窺い、なかなか埒が明かないでいるところで、天を仰いだかと思えば一番に口の中にそれを流し込んだのは監督生だった。ごく、と喉を鳴らすとまあ、本当に不味そうな顔をしている。元イソギンチャクたちはそれを見て「すげえ……」と洩らし、リーチ兄弟は愉しそうに笑っている。うわ、相変わらずいい性格してる。本当にそんなに不味いんだ。

「じゃあ、次は私で……」

 右手を軽く上げて、そう申し出るとまるで勇者を見たかのようにスペードとグリムが感嘆の声を洩らした。小瓶の蓋を開けると、少し甘い匂いが鼻をくすぶり、しかしとても食欲をそそるような香りではなかった。口の前まで運び、どのタイミングで飲むのがベストなのか、しばらくその状態で考えていたけれど、薬を飲むときはいつだって勢いが大切! だから、ぐいっとそれを喉に流し込んでは、また小さく感嘆の声が上がった。
 ま、まっず〜!! 不味いなんてもんじゃなくて、人間が口にしていいものではない。薬特有の苦さとかでなく、ほんとに、何か腐ってる感じの味。こんなの、いつ吐いてもおかしくない!

「うわすげぇ顔」
「う、げほっ、うるさっ、げほっ」
「落ち着けミョウジ」

 落ち着いていられるかー! 不味すぎて視界さえぼやけてきて、そのまま背の高いフロイド先輩に助けを求めるようにそちらを見上げるけれど、あの双子はいつも通り愉しそうにこちらを見ていた。副寮長はお決まりの「おやおや」を添えてくる始末だ。腹立つ〜! フロイド先輩が私から奪った、既にお腹の中にあるであろうチェリーで口直しをしたいところだ。
 そんな私の心情なんてつゆ知らずに他の三人もぐびっと魔法薬を飲んだ。もちろん不味そうな顔には変わりないけれど、まるでもう慣れましたよとでもいうような顔をしていて、こちらも腹が立つ。

「皆さん準備はよろしいですか? それでは行きましょう」
「う、先輩早く、苦しくなってきた!」
「? 苦しい?」

 トラッポラたちが喉のあたりを押さえて息苦しさを訴え始めたのは薬の効果だろうけれど、私はまるで感じない。ああ、そういえば私の薬は人魚になる薬だから、海中でも陸でも変わらずに呼吸できるのだろうか。他の五人は魚と同じようにどこかにエラが発生したのだろうか。

「ナマエちゃんはそのまま入っても大丈夫だよ。海の中入ったら服も自然に変わるし」
「え〜、すごい」

 五人がばたばたと鏡に向かって飛び込むのを三人で見守りつつ、それからフロイド先輩から順に、ドキドキと胸を踊らせながら鏡の中へと飛び込んだ。

 ◈◈◈

 目の前に広がる、日光の反射により七色に光る海中に、悠々と泳ぐ魚たち。おそらくシュノーケリングよりも直に感じることができて、身体の感覚も違っていた。自身の姿に目を向けると、本当にフロイド先輩の言った通り服装というか、姿かたちが変わって、上半身は人間で下半身が魚。どうも私が見る限りは思った通りの人魚になったみたい。ほとんど透明の尾びれだ。前に進もうと足を動かそうとするけれど、その足がついていないため、水の中での泳ぎ方が今までとまるで違っていた。
 前方に目を向けると、制服姿の監督生たちと、写真で見たウツボをそのまま大きくしたようなリーチ兄弟の姿があった。

「あっ。ナマエちゃんはネオンテトラの人魚なんだ」
「これはこれは、綺麗な尾びれをお持ちで」
「ネオンテトラ……」

 どうやらこの透明で小さめの尾びれの正体はネオンテトラらしい。ネオンテトラ、と言われてもピンと来ないので、あとで調べてみよう。
 どうやって前に進めば良いのかとパニックになっているところに、ウツボの二人がこちらに近づいてきた。わ、本当にウツボだし、耳もヒレで水かきもある。むしろ魚要素の方が強いまでもある。そんないつもと違う二人の姿に少しだけ戦きつつも、それ以上に泳ぎ方のわからなさにより余裕綽々で泳ぐ二人に助けを求めた。人魚の数え方って、人? 匹? 余裕がないのに頭に浮かんできたそんなことは心の底からどうでも良かった。

「泳ぎ方教えてください……」
「言うと思った。いいよ、ほら手掴まって」

 そうして青みがかった、少し生々しい肌をした、いつもと違うようでいつもと同じ手が私に向かって差し伸べられた。それに手を伸ばすと、その水中をさまよう手を迎えるかのように強くない力で包んだ。

 アトランティカ記念博物館まではそれなりの距離があったけれど、水の中で呼吸できるうえに、人魚姿かつ手を引いてもらっているので他の五人よりは早く進み、そんなに体力の消耗は激しくなかった。博物館に着く頃にはすっかり人魚の体に適応しつつあったのだ。

「ナマエちゃんセンスあんじゃん。そんな感じ」
「オレらも人魚が良かったな〜」
「ナマエさんはアズールとの取引で人魚になれる魔法薬を得たので、もし欲しければアズールと何か契約するべきでしたね」
「う……契約はもうこりごりだ」

 水中なのに不思議と会話ができて、体内にも水が入ってくることはない。足がひとつになった、というより、完全に尾びれとして体の一部になっている。それでいて、フロイド先輩に褒められるくらいには、集中さえしていれば助けなしでも思い描いたルートを泳ぐことはできるようになった。結果的に引っ張ってもらっているのだけれど。私たちを羨ましがるのは数メートル後ろにいる元イソギンチャクたちだけれど、重くなるはずの制服で軽々と泳いでいる様はアンバランスこの上ない。
 そうこうしているうちにアトランティカ記念博物館らしき建造物が見えてきて、海のお城みたいなメルヘンチックなその建物に見惚れてしまった。そんなに新鮮なリアクションをしているのはこの中でも私だけで、もちろん私だけが初めて訪れたからだ。

「あはっ。ナマエちゃん、嬉しそうだね」
「ずっと楽しみにしていましたもんね」
「おーい、早く入るんだゾ」

 絵本の中に入ってしまったかのような感動を覚えている間に、他の一年生たちはとっくに博物館の入口で私たちを待っていた。先程までは私たちが泳ぎの遅いあの五人を待っていた立場だというのに、こうして逆転だ。

 フロイド先輩に手を引かれるがままに中へと入ると、一番に目に飛び込んだのは人間姿でどんと待ち構えていたアズール寮長……ではなく、その後ろにある大きな像だった。伝説の王、らしい。陸では海の魔女の方がポピュラーだけれど、知らないだけでたくさんの偉人がいるようだ。館内は吹き抜けのようになっており、天井はなく、陽の光が届いていた。すごい、あんなに上にまで展示物が飾ってある。

「皆さん、ようこそアトランティカ記念博物館へ」

 そうして私たちを迎えてくれたのは、この博物館のガイドさんではなく、先程から気がついてはいたけれど館内に目を奪われて一度目を滑らせざるを得なかったアズール寮長だ。あれ! 密かに楽しみにしていたのに確かにタコ足ではなくて人間の足が生えている。

「僕のようにタコ足の人魚はこの辺りではとても珍しいので……こっそり写真を戻しに来たのに変に印象に残っても嫌ですから」
「そんなに気にしなくても、写真に写っているまんまるおデブな人魚があなただとは、誰も気づきませんよ」
「せっかく戻ってきたんだから、そんな不便な姿じゃなくて、元の姿に戻って泳ぎ回ればいいのに〜」
「私も寮長の人魚姿楽しみにしていたのに〜」
「フン、放っておいてください」

 副寮長は存外、オブラートに包むということを知らないらしい。けれど残念。小さなまんまるアズールくんも可愛かったけれど、今の寮長の人魚姿も気になるところだけれど、こうして言いすぎてまたギャン泣きしてしまっては流石に可哀想だ。まあ、寮長のことだからもうそんなことはないと思うけれど。
 寮長が写真をこそっと戻しに行っている間に、私たちは先に館内を見て回ることにした。

「フォークじゃん」
「……フォークだね」
「銀の髪すきだって」

 トラッポラが言っていた、私が事前に調べたときから気になっていた“銀の髪すき”の展示場所へと泳いで行くと、本当に噂通り、パンフレットに掲載されている写真通りにフォークだった。三又に分かれた先の一本だけが、少し曲がっているのがもしかするとフォークではないポイントなのかもしれない。しかしどう見ても、陸でいうナイフ、スプーンと並ぶそれはフォークだった。

「なんか、陸にあるものと変わりないんですね」
「陸の人間にはそう見えるのでしょうね」

 オルゴールにライター、ワインオープナー……。どう見たって人間の使う代物ばかりだけれど、やはり人魚にとっては珍しいものばかりなのだろうか。
 人魚姫のコレクションエリアの外に目を向けると、途端に禍々しく大きなものがたくさん。大釜に、サメよりも何倍も大きな恐竜みたいな骨、化粧品。

「なにっ。海にも大釜があるのか」
「海ん中でどうやって温めんの?」
「さっきライターみたいなのあったから火自体はつくんじゃないかなあ」
「けど海の中じゃオレ様の火の魔法は使えなかったんだゾ」
「それは魔法をとられていたからだろう……」

 私のひと言のせいで元イソギンチャクたちがますます混乱に陥りつつあったのを、フロイド先輩が遠くにいた寮長に投げたおかげで、博識アズール・アーシェングロットによるアトランティカ記念博物館ツアーが行われた。

 ◈◈◈

 一時間ほど館内を見て回ったところで、再度銀の髪すきのところへと戻ってくると、トラッポラも私と同じように戻ってきた。

「ナマエちゃんもこれがお気に入り?」
「ふふ、そう。どう見たってフォークなのにね」

 他にも貝殻の形をした楽器だとか、金の貝殻のロケットなんかはショーケースに入れられて大切に保管されていた。けれど、銀の髪すきが一番印象に残って、まじまじと見るものでもないのだけれど、またこうして戻って来てしまったのだ。
 そういえば、トラッポラに謝っておいた方がいいかもしれない。トラッポラだけでなく、他の四人にも。

「トラッポラ、この間は邪魔してごめん。魔法も……使っちゃったし」
「ん? ああ、ほんとだよ。でもあれ、アズール先輩たちに言われてやったんでしょ?」
「んー、それもあるけど……私情がほとんどだったかな」
「なんだよそれ」

 その私情というのは、もちろんリーチ兄弟の正体がウツボだという究極のネタバレなのだけれど、そんな私をトラッポラは笑ってくれた。それから、謝罪だけでなくて、感謝だって伝えないと。これもトラッポラだけでなくて、他の四人にも、レオナさんやラギーさんにも。少し離れた場所にいる寮長に聞こえないように、トラッポラに少し近づいて耳打ちした。

「寮長のこと、助けてくれてありがとう」

 そう言ってから離れると、トラッポラに笑いかける。私の言葉を聞いて驚いたように目を見開いたトラッポラは、目を私からわかりやすく逸らすと照れくさそうに頬を掻いて、私に聞こえるくらいの小さな声で「どういたしまして」と言った。
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