浅瀬の蛍

 ホリデーまで一週間を切り、気の抜く生徒も増えてきた。現に、私だってそうだ。今期の成績には影響がないから、と私と同じ考えの生徒たちは、トレイン先生の授業で机の下でこっそりクラスメイトとやりとりをする、なんてスリルも味わっていたけれど、あのトレイン先生のことだしきっと気がついてチェックをつけているに違いない。
 朝より暖かいのは確かにそうだけれど、十二月なので寒いことには変わりないのに運動場での体力育成が午後一発目に待機しており、憂鬱な気持ちでミネストローネを口に含んだ。授業がきっちり時間通りに終わったおかげで、食堂でも良さげな端の方をとることができ、ゆっくりとランチタイムを楽しんでいると、何やら私の向かい側に誰かが来たらしい。

「あれミョウジじゃないか?」
「ほんとだ、珍し。前座っていい?」
「ナンパ?」
「いや、席がなくてここが空いていたから」
「冗談だって。どうぞ」

 確かめるまでもなく、それはハーツラビュル寮の問題児二人とオンボロ寮の一匹、それから監督生だった。珍しくはないと思うけれど、確かにこうして食堂で話すことはなかったかもしれない。午前最後の授業が選択授業だったため、今日は隣にエペルはいない。もちろん、四六時中一緒にいるわけでない。同じ人と一緒にいすぎるのも、それはそれで疲れることだってあるし。
 グリムはとんでもない量をトレーに盛ってきており、午後の合同授業は大丈夫なのかな、と心配になりつつ、バケットをひと口齧る。席は結局、向かいにトラッポラ、隣にスペード、トラッポラの隣には監督生とグリム、というかたちになった。

「おいナマエ、それだけで足りるのか?」
「逆にグリムはよくその身体にそれだけ入るね」
「ま、結局腹いっぱいになって午後の授業は爆睡なんだねどね、こいつ」
「案の定じゃん」

 メインディッシュも炭水化物も気にしないといったようなグリムは、勢いよくパンを口に入れては次いでグリルチキンやハンバーグも放り込んでいく。お年寄りだったら喉に詰まらせてしまうやつだ。それとは対照的にゆっくりナイフを使ってグリムと同じくグリルチキンを食べていると、パンを飲み込んだトラッポラが私の手元を見たかと思いきや、口を開いた。

「ナマエちゃんネイルしてんの?」
「あ、これね。クルーウェル先生にしてもらったの。かわいいよね」
「クルーウェル先生にか!?」
「あーやだ罪な男。そういうとこだわクルーウェル」

 やっぱり注目されていたのはかわいい冬仕様ネイルだったらしく、スペードはクルーウェル先生がしてくれたという事実に目を大きく見開いて驚いていた。そんな、今世紀最大くらいにびっくりするほどでも。トラッポラはやれやれといった表情をしてそう零していた。あ、四人ともクルーウェルクラスなのか。楽しそう〜。でも、トラッポラの言う通り本当に罪な男というかなんというか。

「こんなむさ苦しい男子校じゃなくて女子校の教師だったらモテモテだっただろうに」
「それな。オレが女だったら間違いなく惚れてたね。クル先、たまに彼氏面してくんだよ」
「それはエースの思い込みだろ」
「そういうデュースだってたまに照れてんじゃん」
「顔面強いよね」

 大人の男の人が男子高校生にする彼氏面、面白いな。けれど本当、クルーウェル先生が女子校の教師、共学でも女子を何人も虜にすることになっていただろう。指導の方法はともあれ。その分、先生が男子校の教師で良かったとも思う。おかげで私のことも相手にしてくれているのだろうし、イレギュラーも悪くない。まあ、我ながら下心はこの有様である。
 すると今度はスペードが私の方を向いて、素直に疑問に思ったのであろうことを口にした。

「そういえばミョウジって、入学したての頃はもっと大人しい印象があったんだが、そうでもないのか?」
「失礼な。今もおしとやかだよ」

 当然のことのようにそう言えば、「そうか……? いや、そうだな」なんて咳払いをして前半部分を誤魔化していたのはお見通しなので、頬を軽く膨らませてスペードの方をじっと見ると申し訳なさそうにしていた。こちらこそ面倒くさい性格でごめん。これ、割とクラスメイトや同級生には効くんだけど、クルーウェル先生とフロイド先輩にだけ効かないんだよね。あ、する機会は少ないけれど、副寮長と寮長も。フロイド先輩によくやるのは、頬を片手で挟まれるのがお決まりみたいになっているからだ。クルーウェル先生には単純にぶりっ子が効かないのである。
 スペードの言う通り、九月の私と今の私では明らかにテンションや発言に差が生じている。なんというか、

「慣れ、じゃないかなあ」

 慣れ、というのも少し違って。ヴィルさんきっかけでイレギュラーな私の存在を割とすぐに受け入れてもらえて、それで本来の自分を出せているのもある。あとは、世の女の子たちに喧嘩を売る言い方をすれば、調子に乗っているのも半分。男子校で唯一の女子生徒だなんて、まるで乙女ゲームの肩書きのようなそれは誰しも調子に乗ってもおかしくないと思う。まあ、現実は乙女ゲームのように逆ハー展開にはならず、普通に生活しているだけなのだけれど。それにしても入学して早々の私を認識しているだなんて、私もこの問題児たちと同じくらい有名らしい。

「男子校特有のノリについていけないときはあるけどね」
「そんなんついていかなくていいって」
「ふふ、でもそういう空気も割と楽しくて好きなんだ」

 最初の頃はどうなるかと思ったけど、と何気なく呟くと、ふ、と息を洩らして三人が笑った。きっと監督生だって同じような気持ちで、早く元の世界に帰りたくて仕方ないだろうに、こうして一生徒として馴染んでいる。
 副寮長が淹れた紅茶の方が美味しい、なんて言ったらゴーストに出禁にされるだろうか。決して濃すぎず薄すぎないけれど、香りがしっかりと立っていない、少し冷めた紅茶を口に運ぶと、視線を未だに感じた。私がカップを下ろせば、それに従って視線も下に落ちる。そう、向かいのハートのスートが特徴的な、エース・トラッポラによる視線である。

「どうかした?」
「いや、マジでクルーウェル先生って器用だなって」
「ね。しかもセンスめっちゃかわいくない? あ、見ていいよ」

 カップを包んでいた手を興味深そうに見ていたので、そんなに気になるなら、とトラッポラの前に手の甲を表に差し出せば、黒手袋がそれを控えめに掴んだ。乾燥しやすいこの時期だけれど、保湿しておいて良かった。ラウンジで働いている身としても保湿は大切だし、見た目でも。
 そのまま感心するように私の手指を見ていたかと思いきや、私の方を見て「げっ」とでも言いたげな、というか半分言ったような。そんな表情で見てきたので、なんだろうと眉をひそめると、トラッポラはパッと私の手を離した。よく見ると目が私と合っていなかった気がして、けれど今は私からすっと視線を外した様を見て、不審に思い、もしかして後ろに誰かいるのかと振り向けば、ターコイズブルー。他より頭一つ分高いフロイド先輩が二つ後ろの座席に座っており、ご機嫌そうなにこにこ笑顔で私に大きく手を振っていたので、軽く振り返すと前を向き直した。

「今日部活行くの怖いわー……」
「? 頑張れ〜」

 はあ、と深く溜息をついたトラッポラは、先程より元気がなさそうに付け合わせのニンジンにフォークを刺した。

 ◈◈◈

 体力育成ではいつものようにグラウンドを走らされ、寒い空気の中、耳が切れそうになりながら足を動かした。走り終わった頃には確かに寒さなんて忘れていたけれど、指先が冷たいのは相変わらず、汗が冷えて風邪さえひきそうな始末であった。それでもネイルはかわいいので、なんとか課せられたメニューはクリアすることができた。うーん、ホリデーまで体力育成がなければもう少し清々しい気持ちだったのにな。

 それから、今日は開店から閉店までモストロ・ラウンジにシフトを入れていたのだけれど、どうやらフロイド先輩は部活で不在らしい。フロイド先輩って確かバスケ部だし、トラッポラもそんなことを言っていた気がするので、二人は部活が同じなんだな。あの二人が仲良くできているのかすごく気になる。
 ポイントカード制にしてからずっと賑わっていたモストロ・ラウンジも、今日は部活動の生徒が多いのか開店から一時間経っても、いつもより人が少なかった。まあ、たまにはこういう日も必要だよね。先程帰ったお客様の座っていたテーブルを布巾で拭いていると、カラン、と扉が開く音がした。

「いらっしゃいませー……あっ」
「あ、えっと、……」
「ご案内します」

 扉の方に目を遣ると、青い光。青い炎。顔を見るまでもなく誰かなんてすぐにわかった。アズール寮長が営業文句のように言っているだけだと思ったけれど、まさか本当に来るだなんて。
 端の方がいいだろう、なんてことはわかっていたので、イデアさんを空いている一番端のテーブルにご案内する。カウンターでも悪くないけれど、隣に人が来てしまうことを考えればテーブルの方が良さそうだ。

「ご注文お決まりでしたら呼んで――あー、私と目合わせてくれたら伺いますので」
「えっと、あ、ありがとう……ゴザイマス」
「ごゆっくりどうぞ〜」

 にこ、と営業スマイルを向ければ、ハッとしてメニュー表で顔を隠した。シャイ、じゃなくて、陰の波動を感じる。今日は寮長の出勤日だし、それに合わせて来たのだろう。まさか本当に、それも一人で来るだなんて思わなかったけれど。てっきりいつも横に連れている、オルトだっけ。もし来るなら彼も同伴かと思っていた。
 他のテーブルにドリンクを運んでいる最中、視界の端で青い炎が揺らめいた気がして、そちらをちら、と見るとメニュー表の上からこちらを見ているようだったので、伺いますよということを首肯で示すと、ドリンクを運んだ後にイデアさんのテーブルへと向かった。

「お決まりですか?」
「う、うん。えっと、…………」
「……」
「……コーラ、一つ」
「……へ? あ……かしこまりました」

 予想外。予想外のオンパレード。あれだけ溜めに溜めた結果が、ポイントのつくスペシャルドリンクですらない、コーラ。絶対にそれ目的じゃないだろうし、コーラなんて頼んでしまえば購買部よりも割高だ。けれど、慣れていないモストロ・ラウンジに来てオーダーするのに緊張してしまったのだろうな、と予測を立てた私は、次のオーダーを急かすなんてことはしなかった。
 しかし彼もそれ以上何も言わなかったので、とりあえずキッチンの方にコーラのオーダーを通していると、聞き馴染みのある靴音が聞こえた。にこにこ営業スマイル、アズール寮長だ。

「支配人、イデアさんがご来店です」
「そのようですね」
「コーラだけ……なんですけど」
「はは、イデアさんらしい。しかし彼はナマエさんのアレ目的で来ているので、そのうちオーダーが来るでしょう」
「え、ええ……」

 氷増し増しのコーラが用意できたそうなので、並々に入ったそれを零さないように運ぶ。最初のうちは零していたけど、今はもう手馴れたものだ。それにしても、氷でこんなにかさ増ししているコーラだなんて、ますます購買部で買った方がいいと思う。スペシャルドリンクの方がもちろん高いけれど、コスパは間違いなくスペシャルドリンクの方が良い。
 お待たせしました、と言ってテーブルにグラスを置くと、私の方をちら、と見てから目を勢いよく逸らして、小さくありがとう、と言った。それからストローを咥えるとコーラを飲んでいくので、一歩、二歩と後退りして次のオーダーを待つ。しかしイデアさんはやっぱり、横目にちら、とだけこちらを見ては知らないように目線を下に向けた。

「支配人、もうオーダーいいらしいですよ!」
「ははは、そんな馬鹿な。しかしこうしてイデアさんがラウンジに来るなんて、珍しい光景です。少しお話に行ってきます」
「はーい……」

 私は用済みらしく、再度寮長の方に言ってあくまで囁き声として大声を出せば、また営業スマイルだ。その営業スマイルにはお世話になっていて、私も営業スマイルが得意になってしまった原因である。アズール寮長はいつもみたいに眼鏡をくい、と持ち上げると、イデアさんが座っている向かい側の空いているソファに腰かけた。わ、積極的。同じボードゲーム部ゆえだろうか。イデアさんも私と話しているときの何十倍も肩の力が抜けているように見える。
 その間に他のテーブルに料理を運んだり、例の二ポイントメニューのアレをやったりと割と忙しく動いていると、寮長が私の肩を叩いた。

「ナマエさん、イデアさんがオムライスのオーダーをされました」
「えっ! 私には言ってくれなかったのに!」
「同じ寮長同士で部活も同じですから、ナマエさんよりは関係が深いんですよ」

 ナチュラルに謎マウントをとってくる寮長、面白すぎる。うわ〜、イデアさんがメニュー表の中でも無駄にかわいいフォントのオムライスを指さしてオーダーしているところ、すごく見たかった。今日はフロイド先輩が不在なので、横で監視するのはアズール寮長らしい。それ、同じ部活なだけにすごく気まずいのではなかろうか。オムライスは値段が張る分もちろん作り置きはせずに、オーダーが入ってから作りたてを提供する、まあ贅沢なものだ。基本的にはどのメニューもそうだけれど。
 十数分が経過し、無事に湯気の立った熱そうなオムライスを寮生から受け取ると、寮長と一緒にイデアさんのもとへと向かった。うわあ、なんか私も研修中みたいで緊張するな、これ。

「お待たせしました〜、オムライスになります」
「あ、ありがとう」
「はいナマエさん、ケチャップです」

 そうしてケチャップを受け取ると、イデアさんと書いてハートで囲み、横に猫のイラストも添えておいた。なんとなく、こういうのがご所望なのかと思って。とんだ偏見だけれど。

「じゃあいきますよ〜」
「ア、待って。……アズール氏はどういう立場?」
「僕はナマエさんがマニュアル以上のことを求めないようにと監視についているだけです。普段はフロイドの役割なのですが」
「! フロイド氏じゃなくて良かった……って、僕がそんなことするように見える?」
「いえ、僕もイデアさんがそんな人間だとは思っていませんが……店側もこういうマニュアルなので。どうぞいないものとして扱ってください」
「それは無理がござらんか?」

 わあ、途端に饒舌だ。私が一対一で話したときは、ありがとうとコーラくらいしか言わなかったのに。ボドゲ部ズフレンドシップだ。置いてけぼりになった私に気がついたらしいイデアさんは、肩を縮こまらせて、手を膝の上に置いた。極度の人見知りでいらっしゃる。寮長にケチャップを渡して、気配を消してもらって、寮長の大切なお友達であるイデアさんに満足していただけるよう、綺麗なハートを指で作った。

「美味しくなぁれ、萌え萌えきゅ〜ん」

 寮長が言うには、本場のメイドカフェのように本気で猫なで声をしてしまうのは、特に注文をするイグニハイド寮生からすれば少し違うらしい。だから、素人らしく棒読み感を残して、けれど前のトラッポラにしたほどではない、多少声色を高くして、これで完成だ。
 これを言った後に一番恥ずかしいのはもちろん私で、相手から反応がすぐにあればいいのだけれど、当のイグニハイドの寮長さんは私を見上げたまま硬直している。え、あれ、ご所望のものと違った?

「あ……」
「……」
「あ、……ありがとう……っ、」
「! いえいえ〜、冷めないうちにどうぞ」

 声を絞り出したイデアさんは急に頭を抱え始めたので、どうやら大丈夫そう。これがイグニハイド寮生以外なら全然大丈夫そうじゃなかったのだけれど、きっとそういうことだろう。
 今度こそ私は用済みだな、とテーブルから離れると、何やらまた寮長とイデアさんがお話をしているようで、ちらちらと間違いなく視線が向けられていた。きっと満足してもらえているんだろうな、と思いつつ、半分はクレームだったらどうしようと不安も抱え込んで次の仕事へと移った。

 それから二十分もせずにイデアさんが席を立ったようなので、後片付けに行こうとしたら、寮長が少し遠くでこちらに声をかけた。

「ナマエさん、会計の方を」
「はい」

 まさか私が行くことになるとは思わず、少し驚いてしまった。今日はきっと、学園で過ごす四年間のうち一番イデアさんと接した日になるのだろうな、と一年目の秋学期で確信を得た。イデアさんがレジの方で早く帰りたいというように待機をしていたので、やや急ぎ気味でそちらに向かい、イデアさんからお金を丁度受け取った。あ、お釣りでも接触したくないタイプなのかな。

「……今日はありがとう」
「どういたしまして。もっと力抜いて、またのご来店お待ちしております」

 そうして二つスタンプを押したポイントカードを手渡しすると、少しだけ、一瞬だけ口角をゆるめたイデアさんはすぐに我に返ったかのようにポケットにしまい込んだ。

「あ、いや、僕は多分もう来な……あー、気が向いたら、また来るよ」
「ふふ、お待ちしております」

 良かった、どうやら今日の分はお気に召したらしく、イデアさんが軽く会釈をしてはそそくさとラウンジから立ち去った。最後は結構話してくれて良かった〜、と思いつつ、上に伸びをしてから、少し固まったように感じた左肩を押さえた。
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