「バスケ部の練習試合?」
目の前のテラコッタ、無造作ヘアの彼が私に向かって、手を合わせては深深と頭を下げる。私は彼に言われたことを復唱するだけだ。
◈◈◈
昼休憩も後半に差しかかり、人が増えてきた教室で満腹により恥ずかしげもなく大きな欠伸をしながら億劫な魔法史の用意を机に広げていたとき、教室の外から私を呼ぶ声が聞こえた。
「ナマエちゃんいるー?」
もちろん、そんなことをすれば教室がざわざわするのも当然のことだ。私はこの学園唯一の女子で、それが隣のクラスの男子にお呼び出しをされているのだから。私ももしそれが知らない男子ならば、告白くらいは覚悟したであろう。けれど、その声の主はハートのスートが顔に描かれた彼だということはすぐに判断することができたので、そんな可能性は宙に消えるどころか、浮かんでくることもなかった。
「はーい」
「ちょっと来てくんない?」
ここだよ、というように軽く右手を上げると、エース・トラッポラは私を手招きしたので、なんだろう、と不思議に思いながらも教室の外に出た。やっぱり案の定、たまに話すけれど仲が良いとは言えないクラスメイトがこちらを見て、声を抑えてひそひそとお喋りし始めた。あー、なんとなくだけど、これ教室に戻ったら他の生徒が少し厄介なやつだ。
「珍しいね、トラッポラが教室まで来るの」
「いや、ちょっと用があってさ」
「告白?」
「ばーか。違うって。ナマエちゃんのそういうとこは結構好きだけどさ」
授業前なのもあり廊下に出ている生徒たちは少ないけれど、そのうえでさらに人気が少ない方へと移動すると先に口を開いたのは私だ。イソギンチャクの一件くらいでしか関わりがなく、校内ですれ違っても軽く手を振るだけの関係なのに、スペードや監督生たちを連れてくるでもなく、一人で。さらに同じクラスのハウルでなく私を呼ぶのはまあ、なかなかにレアなことだ。おそらく私のクラスメイトたちが思っているであろうことを、ほとんど冗談のつもりで聞くと、もちろんトラッポラもそれはわかっていたようで、けれど違う角度からの告白に少しだけ困惑はした。
私の冗談に息を洩らして笑っていたかと思うと、はあ、と軽めの溜息をついてから私に頭を下げた。
「今週末のバスケ部の練習試合の応援来てくんね? 頼む!」
予想なんてまったくできなかった言葉を口に両手を合わせては目を閉じてこちらに懇願する。それから様子を窺うように片目を薄らと開けた。
こうして冒頭に戻るというわけだ。
◈◈◈
突然の予期せぬ頼みごとのせいで、そもそも何故私に頼むのかと、言葉にはしないけれど疑問に思っている私を見て、トラッポラは断られたと思ったのか、もう一度頭を下げた。ホリデー前にバスケ部の練習試合って、大変だしそんなに活発な部活動だったんだなあ。
「どうして私? 監督生やスペードじゃなくて?」
「いや、オレじゃなくてさ……」
もしかして本当に私のことが好きなんじゃないの!? なんて冗談はさておき、トラッポラがこれをわざわざ私に頼み込むのは違った理由があるらしいし、その“オレじゃなくて”というワードのせいで、ある程度は予測を立てることだって難しくなかった。その予測はあくまで頭の片隅に置きつつ、小首を傾げることでトラッポラの次の言葉を待った。
「今週末が試合だっていうのにフロイド先輩、『気分じゃなくなったぁ』とか言っちゃって、ぜんっぜん練習にも参加しないんだよね」
「何そのやたらクオリティの高い物真似」
その予測はもちろん当たったのだけれど、フロイド先輩を召喚したのかはたまた乗っ取られたのかと思うほどにクオリティの高い物真似にまあ、驚いた。魔法史の時間に思い出し笑いほどではないけれど、思い出しにやにやくらいはしてしまうだろうな。物真似の際に絶妙に表情まで似せていたトラッポラは何事もなかったかのようにいつもの表情に戻り、やれやれと溜息をついた。
「いっつもゆるーくやってんだけどさあ。ナイトレイブンカレッジの運動部って一応強豪だし、相手チームがまあまあ有名なとこでさ。どうせなら勝ちたいじゃん? フロイド先輩、調子いいときはマジで頼りになるんだけど」
「んー……それは困ったね」
「練習試合だし、そんなにガチでやらなくてもいいのはいいんだけど」
フロイド先輩がそういう性格だってことはよく知っているし、なんなら私がシフトに入っていなくてフロイド先輩がシフトに入っているときのホールなんてまあ、結構大変そうだったりする。フロイド先輩が私のことを気に入っているのは見ればわかるし、けれどそれって、私がどうにかできることなのかな。リドル先輩とかの方が案外適任だったりして。
「だからさ、ナマエちゃんがいたらもしかしたら? フロイド先輩もその気になるんじゃないかなー、みたいな」
「その未知なる確率にかけるわけね」
「そういうこと。だから……あっ、」
最初、あんなに深く頭を下げていたとは思えないほどリラックスしきって、足を後ろに組みながら頷いていたトラッポラがいきなり目をわずかに見開いた。それはまあ、授業開始五分前を告げるチャイムのせいだったのだけれど、次は移動授業かどうか聞いたところ、そうではなかったらしい。ならそんなに驚かなくても。
「トラッポラもまあまあ苦労人だね」
「ま、要領いいから切り抜けたりは得意なんだけど。……ってか、その呼び方やめない? 距離感じるわ」
トラッポラが言っているのは、紛れもなく私がエース・トラッポラのことをファミリーネームで呼んでいることに対してだろう。確かに、仲良しなエペルやセベク、先輩たちは名前呼びしているけれど、そこそこ話すようになってきたトラッポラのことはこの呼び方だ。でもトラッポラって響き、言いやすいし結構好きなんだよね。トラッポラ。
トラッポラは名前呼びを促すよう、エース、とだけ私に言ったので、それを復唱しようか迷った末に口を噤んだ。
「まあ、気が向いたら呼ぶよ」
「えー。ま、デュースやジャックより先に呼んでもらえるように頑張りますよ」
「何その対抗心」
ちぇっ、と言いたそうな、拗ねた子供のような表情を映したトラッポラは、何故か矛先がスペードとハウルに向いたらしく、思わず笑みが零れた。私の気が向くのが早いか遅いかは、私と、トラッポラ次第かもしれない。
授業開始まで残り三分ほどになったのを、廊下から教室の壁に掛けられた時計を見て確認したトラッポラは、私の方を向いたまま、後退りするようにA組の教室へと踵を向けた。
「できればでいいんだけどさ、今週の日曜。うちの体育館使ってやるらしいし」
「へえ、それは行きやすいね」
「フロイド先輩には言っても言わなくても、まあ任せるわ! お願いナマエちゃん!」
そう言って私に手を振りながら教室に戻ろうとしたトラッポラは、ふわふわ暖かそうな白と黒のコートを着た先生にぶつかっていた。防衛魔法か何かなのかなあ、次の授業。背中からドン、と軽くぶつかったトラッポラは、やべっ、と言いたげなわかりやすい表情でそちらを振り向くと、軽く注意されていた。ちゃんと周り見なきゃ。
「じゃあよろしく頼むわ!」
「ミョウジも早く教室に戻れよ」
「はぁい。じゃあねトラッポラ、デイヴィス」
相変わらず綺麗なお顔のクルーウェル先生と注意されて面倒くさそうな表情をしたトラッポラに手を振ってそう言うと、二人とも同時に顔を顰めた。どっちが先に口を開くかな〜、なんて教室に戻りかけながら観察していると、クルーウェル先生が私に対して「Bad girl!」と言う声が静かになった廊下に響いた。クルーウェル先生の勝ち。
「クルーウェル様だ。仔犬の分際で飼い主を気安くファーストネームで呼ぶな」
「ふふ、ごめんなさい」
「クルーウェルのことは名前で呼ぶのかよ!」
「バッドボーイ。お前も呼び捨てにするな!」
出席簿でふわふわの頭を叩かれていたトラッポラは、うげ、と声を洩らしていた。もう、先生に呼び捨ては駄目だよトラッポラ。
その後の魔法史の授業では、不意にフロイド先輩が憑依したトラッポラが脳内に浮かんできては、肩を震わせて笑いを堪えるのに必死だった。
◈◈◈
部活のやる気はあまりないらしいけれど、ここ最近ラウンジでの仕事で見かけないのはきっと部活に勤しんでいるからだろう。トラッポラいわく、「練習の成果よりコンディションの方が大きく影響する」だそうなので、本当に試合当日のフロイド先輩の機嫌次第ということになりそうだ。アズール寮長に相談、というかたちで、休日というモストロ・ラウンジの客のかき入れ時を開けてもいいのかと聞いたところ――
『あまり望ましくないですね。せっかくナマエさんのおかげで売上が右肩上がりだったのに、フロイドだけでなくナマエさんまで不在だなんて』
『ですよね……』
当然といえば、当然の結果だった。日曜日を挟んで二日間でこの秋学期は終わってしまう。なのにその日曜日に二人揃って出勤しないだなんて、売上もそこそこ下がってしまう可能性だってある。トラッポラには悪いけれど、ラウンジの方を優先させてもらおう。頭を下げてその場から離れようとしたところで、背の高い副寮長に軽くぶつかった。肩口に顔が埋まったので、やっぱりこの双子は背が高い。
『話は聞いていました。試合といっても一日中するわけではないでしょう』
『確かに……』
『なので午後のカフェタイムには間に合いますよ。確か試合は朝からでしたから』
にこにこ、物腰柔らかそうな笑顔でぶつかった私の肩に軽く手を添えた副寮長は、私と寮長にそう言った。フロイド先輩みたいに香水のような匂いがするでもなく、なんなら対照的に、どこか土っぽい匂いがするような気がする。気のせいかもしれないけれど。
寮長は『それならいいでしょう』と言ってくれたので、ありがとうございます、と頭を下げた。
『ナマエさんはよく働いてくれていますから、僕からもお礼を言いたいくらいですよ』
『ふふ、それは否定できないです』
――というわけで、無事に慈悲深い寮長から了承を得た私は、トラッポラに言われた通りになった。そう、ナイトレイブンカレッジの馴染みある体育館の観客席の端に腰かけている。二階席で、ボールの飛んでくるリスクなくコートを囲うようにした配置ならもっといいのにな、なんて、学園設計者に心の中で文句を言いつつ階段状になっている席に腰かけた。ボールはどうやら、コート外に結界が張られることで飛んでくる心配はないらしい。それにしても、
「人少な」
ぽつりと口先で呟いたその言葉通り、人が少ない。詳細には、ナイトレイブンカレッジ側の観客が少ないのだ。反対側の席はわらわらと選手の友達だかファンだが、男女問わず応援に来ているというのに、こちらは数えた方が早いくらい。これが校風の差ってやつ?
「頑張れジャミルー!!」
しかし、人が多い向こうの学校よりこちらの方が何故だか応援の派手さは勝っている。やたらキラキラした、というかギラギラした黄金みたいな眩しい横断幕を持ったスカラビア寮の寮長と、それの端を支える寮生たちのせいだ。ジャミル、は多分、あの溜息をあからさまについている髪がサラサラの人だろう。
そういえば、とフロイド先輩の方を見ると、まあ、やる気がなさそうといえばそうで、どちらかというと意識が完全にサッカーの方に持っていかれたのか、バスケットボールでヘディングをしていた。ちょっと、それは普通に痛そう。見ているだけで頭がふらふらしそうだ。
「あーもう! フロイド先輩、試合始まりますよ!」
「えー、だって気分じゃねーし……オレ帰っていい?」
「ダメに決まってるでしょ!」
これは……思った以上に厄介だ。ジャミルさんも、フロイド先輩に対してまで頭を抱えて溜息をついている。そんなところで申し訳ないけれど、バスケ部ってユニフォームがあったんだな、なんて呑気にも考えた。トラッポラは前髪をアップにしていて、フロイド先輩もヘアバンドで髪を上げている。かと思いきや、特徴的な長い前髪だけは垂らしたままだ。あの態度は置いておくとして、なんか、ちょっと、かっこいい。
フロイド先輩のやる気はとても出たようには見えず、そのままタイマーは動き出してティップオフ。もちろんフロイド先輩がジャンプボールをするのだけれど、相手チームはあんなに背の高い人がいないので、言うなればチートだ。
もちろんナイトレイブンカレッジの攻撃から始まったのだけれど、まあ、相手チームの応援が強い。なんなら応援コールまであって、え、こっちの学校にはそういうのないんだけど。そのせいなのかやる気のせいなのか、フロイド先輩がボールを奪われてしまって、心底つまらなそうにしていた。ああいうの燃えるタイプだと思っているのだけれど、今日はそうではないのかな。
本当にフロイド先輩のコンディションのせいなのか、そもそものナイトレイブンカレッジのソロプレイ思考のせいなのか、あっという間に点差を広げられていく。フロイド先輩はあまり動かないし、皆は好き勝手やっているしで、思った以上に良くない傾向だ。小さく溜息を零しつつも、ぼーっと点数を取られていく様子を眺めていると、トラッポラとばちっと目が合った。するとフロイド先輩の肩を軽く叩いて、私の方を指さした。あ、これは――
「は、なんでいんの? えっ、は?」
「あ……」
今まで気がついていなかったらしいフロイド先輩は、つまらなそうな顔をしていたのに、オリーブ色と金色をした目をそれぞれ真ん丸に、大きく見開いて、相手の応援で体育館が沸いている中でもその呟きを拾うことができた。トラッポラは、私の方に大きく口パクで「お・う・え・ん」と言ったような気がするので、大きな声を出すのはあまり慣れていないし、人数が少ない中、あのスカラビアの寮長さんを除いて一人で、だなんてまあ恥ずかしいけれど。もうどうにでもなれ! という気持ちで声を張り上げた。
「フロイド先輩! 頑張って!!」
こうして声を張って応援するのは、マジフト大会ぶりだろうか。向こうの応援がうるさいはずなのに、私の声だけがやたらと響く感覚があった。トラッポラの読み通り、これが少しでもフロイド先輩のやる気を促進させることに繋がればいいけれど。
驚いたようにぽかんと口を開いていたフロイド先輩は、口角をにっと上げてからトラッポラの頭をわしゃわしゃ掻き混ぜた。トラッポラも察したのか、フロイド先輩を見上げては楽しそうに笑っている。多分、絶対、あの様子だと、
「やるかぁ。テンション上がってきちゃった」
肩を押さえて回したフロイド先輩は、さっきまでとは別人みたいに、素早く相手のもとへと回り込んで、あっという間に主導権を握ってしまった。それからドリブルでこちら側のゴールへと走ってきたかと思うと、大きすぎる歩幅による助走で、軽々とダンクシュートを決めてしまった。ダンクシュートというか、むしろスラムダンクというか。え、生でダンクを見ることになると思わなかったし、なに、いまの。
バスケットボールを心から楽しむような生き生きとした表情で、ギザギザした歯を覗かせて、ゴールに向かって上からボールを叩き込む。そのフロイド先輩の一挙一動に、何故だか胸が踊るというか、騒ぐというか、妙な気持ちになった。胸のあたりがざわざわして、耳裏から熱を持つみたいに。なんだ、これ。
そうしてナイトレイブンカレッジに二点が入る。あんなにかっこよかったのに、私だったら芸術点で五点はさらに入れたいくらいだ。相手チームの応援していた女の子たちも、私同様何が起こったのかわからなかったようで、応援コールが止むと顔を見合わせてざわめきだす。
そこからは、他のナイトレイブンカレッジ生もフロイド先輩に感化されたのか、動きが次第に活発に、チームワークなんてとても知らないみたいだけれど、各々が全力で楽しんでいて、最後にはあんなに開いていた点数を縮めるどころか、逆転までしていた。
◈◈◈
「フロイド先輩!」
試合が終わり、向こうのチームが悔しそうにしているのを横目に、自由奔放といった感じのナイトレイブンカレッジ生の中で、一際かっこよく見えるフロイド先輩のもとに早足で、次第に駆け足になって近づいた。なんだか、胸がざわざわして、向こうの女の子たちがフロイド先輩のことを少しみていたのも、ちょっと、もやもやして、なんとも言えなくて。私、こんなに独占欲が強いタイプなんだっけ。
「ナマエちゃん。なんでいんの?」
「トラッポラが、今日練習試合あるって言ってて……応援に来たくて」
「ふーん、カニちゃんが……」
くるくる、と指先でバスケットボールを回しながら、少し遠くで、バレていないつもりなのか横目にこちらを見ているトラッポラをぼんやりと眺めた。言われてみれば、確かにカニっぽい。ボールをピタッと止めると、脇に抱え込んでから大きな手で私の頭も撫でた。それも、トラッポラにするよりは優しく、あくまで髪型がぐちゃぐちゃにならないように。
「ナマエちゃん見つけてからすげーやる気出てさ」
「効果てきめ……それなら良かったです」
「ん。ナマエちゃんってすごいね」
「すごいのはフロイド先輩でしょ」
いつもの香水と、少し汗の匂いが混ざって、独特な匂いながらも不快感はない。フロイド先輩の匂いをなんだか、直で感じているみたい。未だに、今度は撫でるではなく髪を梳かれていて、それが妙な心地良さで癖になりそうだ。匂いも服装もいつもと違うフロイド先輩は、やっぱりいつもよりかっこよく見えて、ぼやっと背の高いターコイズブルーの彼を見上げて、先輩も私の目を真っ直ぐ見ていたところで、横からジャミルさんの咳払いが聞こえた。
「いい雰囲気を壊すようですまないが、片付けの時間だ」