家に帰ると、お母さんにたくさん学園での話をした。男子校に入学したイレギュラーだから、心配させないようにという意味もあるけれど、単に楽しすぎて誰かに話したくて仕方がない、といったふうに。そんな私を見てお母さんは安堵していた。きっとお互い、入学したてのときは馴染める気がしなくて心配だったのだろう。
『ナマエが普段仲良くしてる子はどんな子?』なんて言われて、そういえば写真があったかなあと思って見ると、エペルの林檎細工の写真を撮ったときにその奥に少しだけ写っているものを見つけて、まあ、困惑していた。女の子じゃないの? とか、可愛すぎる、だとかで。あとはホリデー前に撮った馬術部での写真や、クルーウェル先生の隠し撮り写真を見せると、顔面偏差値の高さに驚いていた。確かにセベクもよく見るとお上品な顔してるもんね。どうやらお母さんの推しはシルバー先輩らしい。
『寂しい』
「……違うな」
年末は地元の友達と遊んだり、年内に課題を終わらせるという優等生ぶりを発揮してしまった私は、年明け早々こんなことを送ろうとしている。もしかしたらハッピーニューイヤーくらいは届くかと思ったし、そこから話題が広がったりもするんじゃないかって想像していたのだけれど、なんと年明け一発目に私にメッセージを送って来たのはトラッポラだった。そこからどれくらい課題が進んだかとか、何やらホリデーに入って間もなく大変な思いをしたとかいう報告を受けたりして、むしろ早く皆に会いたい気持ちが募ってしまった結果、フロイド先輩にメッセージを送ろうとしているわけである。
入学してから四ヶ月ほどなのに、一年分ほどの量がある写真を見返しては、にやにやして、なんだかんだあのフロイド先輩との間抜け顔をしたツーショットが気に入っていたりで、しかしお母さんに唯一見せていない写真だ。ロック画面に置くのはどこか照れくさいし、SNSのアイコンには少し不向きで、そんなことを考えていると次第に寂しくなってきて。
『フロイド先輩』
入るなら呼びかけからかな、なんて思って、そう入力したところで冷静になった。フロイド先輩ももしかしたら私からの連絡を待っているかもしれなくて、けれどこんなのただの思い上がりで、むしろ大したことのない要件に鬱陶しがられたらどうしようって。そもそもの話、あと一週間せずに会えるっていうのに。
けれど寂しくなったらって言われたし、なんなら暇つぶしとでもすればいい。思い切って送信ボタンをえい! と押して、数秒経ってすぐに後悔して、送信取り消しをしようとして画面にタップした瞬間、スマホが震えた。
「わっ!!!」
セベク顔負けの大声で驚いてしまったのは、スマホの液晶に『フロイド』の文字がメッセージなんかより大きく表示されていたから。そう、つまり電話がかかってきたのである。なに? どうして電話? 私、何か変なことしたっけ。心臓が跳ね上がって、けれどこんなときでも私は冷静なもので、数コール待ってから応答ボタンを押したのだ。
『あ、出た。ナマエちゃん』
「……」
『あれ、おーい』
「……」
電話に出たひと言目って、何を話したらいいかとか、変な声が出たらどうしようとかで、そこそこ困ってしまうのはいつものこと。直接話すときはそんなことはないのだけれど、何よりフロイド先輩の機械を通したいつもと少し違う声が、その近さがその緊張感を助長しており、耳の方がゾワゾワしたので、思わずスピーカーにした。
「ふ、フロイド先輩……」
『やーっと喋った。で、どうしたの? 何か用があったんでしょ?』
「……えっ?」
『いや、メッセージ送ってきたじゃん』
えっ。もしかして、私への返信がこの電話ってこと? 文字を打つのが面倒なタイプなのだろうか。私は文字で返すつもりだったのに、緊張とか動揺とかが顕著になってしまう電話だなんて、誤魔化しが効かないじゃないか。策士だ! ムシュー・策士だ!
「えっと、大したことじゃないんですけど、」
『うん。どーしたの?』
「会いたくなって、……じゃなくて、寂しくて、じゃなくて……」
あれ、誤魔化すってなんだっけ。暇つぶしとか、そんな言葉を選ぶ暇もないくらい私は冷静ではないらしかった。今フロイド先輩がどんな表情をしているかなんて安易に想像がついて、にやにやしているか、何言ってんだこいつ的な表情をしているか、おおよそその二択だった。
私が言葉を選んで、けれど相応しい言葉を選ぶのも難しく、誤魔化すにも遅くて諦めて押し黙ってしまったのだけれど、フロイド先輩の声が聞こえる様子は一向になく、やっぱり呆れられているんだ。そう思ってスマホに向かって声を出した。
「あ、あの……ごめんなさい」
『……は? なに謝ってんの?』
「変なこと言っちゃったので」
えへへ、なんて今度こそ誤魔化すみたいに笑って、もちろん誤魔化せているわけはないのだけれど、私のせいで電話越しでも感じとれるどこか重い空気を晴らそうとした結果による行為である。
フロイド先輩は電話口で「ふぅん」とだけ言って、また数秒沈黙が聞こえた後、それを有音にしたのは私ではなかった。
『オレもそろそろナマエちゃんに会いてぇ〜って思ってたとこ』
「へぇ、奇遇です……ね」
『うん。オレら気合うね』
奇遇ですね、なんて、さっきのが冗談だなんてもう通じなくなるも同然の言葉をつい零してしまって、語尾が徐々に小さくなる。フロイド先輩、どうしてこんなに余裕なの? それはまあ、緊張しているのが私だけだからだろう。
その後、フロイド先輩は年末はこんなことがあっただとか、年明けは小エビちゃんとアザラシちゃんも一緒だったとか、そんな話をしていた気がするのだけれど、私の頭はまったく違うことに埋め尽くされていた。それも、馬鹿の思い違いかもしれないけれど。フロイド先輩が私のことを気に入っているのはわかる。けれど、フロイド先輩の今までのって、いや、思い違いだと思うんだけど。深夜も近いとなると、私は私の中に静かに積もる考えを、抑えることができずに。
『それでアズールが――』
「フロイド先輩って、私のこと好きなんですか?」
こうしてつい口から零れ落ちて、楽しそうに話していたフロイド先輩の話を中断させてしまうことになった。その疑問の中に、冗談は三割ほどしか含んでいない。ただ私を都合の良い道具とか、飽きたら捨てる玩具とか、そんな方に考えているとも捉えられるかもしれないけれど、それにしたってフロイド先輩は私に甘すぎる。過保護といえば、そうなのだろうか。
フロイド先輩がこれをライクとして受け取っても、ラブとして受け取っても、私にはどっちだっていい。ただ、純粋な疑問をぶつけてしまっただけだから。ただ、またしても訪れた沈黙の間に、私は口を滑らせてしまったことに対してひどく後悔を抱いていた。フロイド先輩の楽しそうな声とか、息遣いが完全に遮断されてしまったみたいに静かで、今すぐこの世界から消えてしまいたいほどだった。三十秒ほど経ったように思えた時間は、通話時間を見るとまだ十数秒で、沈黙って本当に怖い。丁度二十秒になったとき、やっと息を少し吸う音が聞こえた。
『うん、好きだよ』
「……それって、」
『早く会いたいねぇ。ホリデーにおもしれーこといっぱいあったし、ナマエちゃんからもお土産話いっぱい聞かせてよ。アズールとジェイドも
「……わかりました」
好き、は間違っていなかったけれど、私の思っていたのとはやはり違ったみたいだった。そもそもフロイド先輩って、恋愛経験とかあるのかな。そんなことを気にしても仕方ない、なんて言い聞かせて、そう、そもそもフロイド先輩が思わせぶりだから私もこんな思考に至ってしまったわけだし。もし、もうひとつの方の“好き”なんて言われていたとしても、私だってフロイド先輩のことは友達だとかそっちの方の“好き”だし、返事に困ることにはなっていただろう。
「今日の私、ちょっと変かもしれないです。ごめんなさい」
『そーやってすぐ謝る。オレ、ナマエちゃんにはありがとうって言われたいんだよね』
「あ、ありがとうございます」
『うん、そっち』
私の余計なひと言のせいで、逆にフロイド先輩に意識させてしまっていたらどうしよう、なんて思ってしまったけれど、杞憂みたいだ。反対にフロイド先輩のおかげで、こうやって楽しく笑いあって、やっぱりスピーカー越しだからか、夜だからなのか、フロイド先輩の声が幾分か低く聞こえる。私も、低く聞こえるのかな。
でも、本当に声が聞けて良かった。久しぶりに聞いたせいで、もっともっとナイトレイブンカレッジの皆に会いたくなっちゃったけれど。
「じゃあ、おやすみなさい」
『おやすみ。またいつでも連絡しておいで』
「はい、ありがとうございます」
通話が切れるのを待って、けれど十秒経っても切れる気配がなかったので、私から通話終了ボタンを押した。ふう、とひと息つくと、思い出したかのようにフロイド先輩の声が頭の中でハウリングするから、妙に頭の方が熱くなって、脳内のフロイド先輩をどこかにやるために、魔導書の山を飛び越えるふてぶてしい顔をしたルチウスの数を一生懸命数えた。
◈◈◈
あれ以降フロイド先輩と通話することはなく、メッセージでのやりとりも謎にアズール寮長との方が多い始末だった。アカウントを教えてもらってから、最近手に入れたボードゲームやらで盛り上がっている。あとは、ホリデー中に知ったらしいマンカラというゲームとか。
そして新学期が始まる前日。そういえば学園長が、ナイトレイブンカレッジに鏡が繋がるのは前日からだとか何とか言っていた気がするので、手荷物をまとめて鏡に飛び込むと、学園長の言った通りよく見知った鏡の間へと出てきた。というか、なんか、
「さ、さっむ!!」
校舎を出た瞬間に耳まで凍るかと思った。えっ、一月になったばかりなのに雪がこんなに積もっている。賢者の島ってこんなに寒いの? 死んじゃう〜!
マフラーで鼻までぐるぐる巻きにして、しっかり手袋も装着した私は、凍って滑りやすくなったメインストリートを一思いに駆けた。早く暖かい場所に行きたい。なんならスカラビア寮に行きたい。スカートの下は生足な私は、校舎を出ると同時に早くも感覚がないに等しくなってしまい、寒いのかもわからなくて、着込んだ上と着込んでいない下ではこんなにギャップがあるのか、なんて思いながらも鏡舎へと走った。
手袋の上からはあ、と息で手先を温めながら、本来寒いはずなのに暖かさを感じるオクタヴィネル寮へと抜けることができた。この安心感と暖かさ、けれど身体は冷えきっている。早く副寮長に美味しいホットストレートティーを出してもらおう。二週間ぶりという、文字にすれば短い再会に胸を躍らせ、それでも緊張か寒さかで震える手でトランクを引きずりながら寮の中に入ると、何やらモストロ・ラウンジの方がえらく騒がしかった。喧嘩みたいな音じゃなくて、もう少し地響き的な。なんだろう、と思い手荷物や防寒具を一度談話室に置いてからラウンジの様子を見に行くと、まあ、なんということでしょう。
「どうだアズール!」
「え、ええ、とても素晴らしい。しかしそれではモストロ・ラウンジの良さが……」
「ん? あそこの装飾、少し味気なくないか? どうせならもっと派手にしようぜ!」
「ラッコちゃん話聞けよ」
落ち着いた雰囲気のモストロ・ラウンジが、きらびやかになっている。なりすぎている。スカラビア〜熱砂の国〜みたいな外見の業者さんが何人も来ており、壁やら窓やら天井やら……色々改装しているようだった。それは見るからに、スカラビアの寮長、カリムさんの仕業で、えっ、絶対に前の方がいいのにどうして! 寒さなんて忘れて、ぽかんとその場に立ち尽くす私を初めに見つけたのは、やっぱりフロイド先輩だった。わっ、久しぶりに見ると大きい。カリムさんの好き勝手しているように見えるそれを見て、呆れたような顔をしていたのに、私の顔を見てあからさまに瞳孔が大きくなった。フロイド先輩、私のこと好きすぎる。なんちゃって。……なんちゃって、というか、取りようによっては冗談にはならないのだけれど、とりあえず一旦忘れよう。
「あれ? ナマエちゃん帰ってきたの? おかえり」
「た、ただいま……」
「ナマエさん、良いホリデーは過ごせましたか?」
「ええ、とっても……」
いや、この状況で私にそんなに普通に話しかけられても。久しぶりの再会で嬉しいはずなのに、この異様な光景のせいでそんな感動なんて薄れてしまっている。なにこれ、砂金舞ってません? 海とラクダは合わないと思うし、けれど一つだけ、あの青っぽい絨毯は割とかわいい。
何があったのかと寮長の方に視線を送ると、やれやれというポーズをしてからこちらに向かってきた。
「ホリデー中に訳あってスカラビアの寮生にモストロ・ラウンジをめちゃくちゃにされまして……」
「その件はほんっっとうにすまなかった!」
「それでカリムさんが修繕をすると申し出てくださり、その結果が……」
「このキラキラなんですね……」
まず、ホリデー中にどうしてスカラビア寮の生徒が残っているのかというのと、何がどうなってめちゃくちゃになったのか。あ、もしかしてトラッポラが言っていた大変だったどうこうっていう。
「僕たちはホリデー中、少しの間でしたがスカラビア寮での合宿に参加したんです」
「小エビちゃんとアザラシちゃんも一緒に行って……って、前言わなかったっけ?」
「言われたような……気がしないこともないです」
「ナマエちゃんも話聞いてなかったの? ショックだなぁ」
そういえば先週、フロイド先輩が小エビちゃんどうこう言っていた気がする。あれ、年明けだけじゃなかったんだ。違うことで頭がいっぱいだったけれど、なるほど、そういう話だったのか。人の話はちゃんと聞かないと駄目だなあ、反省。フロイド先輩が悲しそうに眉を下げていらっしゃる。演技でもそうでなくても、罪悪感が押し寄せてくる。
すみません、と私も生えていない尻尾を下げるみたいに肩を縮こまらせていると、私の前にじゃらじゃらと金属を鳴らしながらずんずん進んでくるカリムさんがいた。ま、眩しい〜。
「お前がナマエか! シルバーからよく話は聞いてるぜ」
「わわ」
「今日はモストロ・ラウンジを綺麗にしに来たんだ! ナマエも気に入ると思うんだけど……まあ、とりあえず仲良くやろう!」
すごい、話題転換が凄まじすぎる。にかーっと白い歯を見せて笑ったカリムさんは、私の手をとってぶんぶん上下に振った。手、あったか〜い。カイロ代わりになりそうだ。その体温を吸い取るみたいにぎゅっと握り返してされるがままになっていると、「すげー冷えてるな。大丈夫か?」と心配の声をかけてくれた。優しいし、眩しい。優しいカリムさんに感動して私も上下に手を振っていると、後ろから影が伸びてきて、私とカリムさんがそれにすっぽりと覆われてしまった。もちろん、見るまでもなく、
「はいラッコちゃんしゅーりょー。つか装飾合ってなさすぎ」
「えっ!? そうか!? すごくいいと思うんだけどなぁ」
「どう見てもそうじゃん。いつまでナマエちゃんの手握ってんの?」
そうして手袋に覆われたフロイド先輩の手が、私とカリムさんの手を離した。私も人のこと言えないけれど、なかなかの独占欲の強さだ。私のカイロが手から離れてしまった。残念。
カリムさんは私の頭上にいつもみたいに顎を乗っけたフロイド先輩を見上げて、ぽん、と手を鳴らした。それだけで黄金の装飾がじゃらじゃら、豪華絢爛すぎる。
「そういうことか! 悪い悪い」
「えっ、どういうこと?」
カリムさんは寮長たちみたいに裏表のないにこにこ笑顔でそう放つと、業者さんたちが改装していくのをまた眺めていた。ああ、アズール寮長がなんだか内装の変わり具合に複雑な表情をしている。というか、カリムさんのそういうことは本当にどういうこと? フロイド先輩は「そういうこと」なんて言っていたけれど。
それにしたって、モストロ・ラウンジのBGMに内装、それとこの修復されている箇所の種類が何もかも違っている。金色は入れるとしても一部で良いと思うんですけど……。それに、このキラキラの純金にも見えるこれは、元の素材よりきっと高い。これが金銭感覚の違いかあ。
「よし! こんなもんだな。結構いいんじゃないか? なあ、アズール」
「そうですね。修復作業、ありがとうございます。しかし、大変申し訳ないのですが……元に戻していただけませんか?」
「エッ!!」
よく言った寮長! カリムさんは嘘だろ!? と言いたげな顔をしているけれど、もちろんそうなるに決まっているだろう。黄金なら何でも良いってもんじゃないっていうのを知った方がいい。カリムさんのことをよく知らない私が言うのも、だけれど。カリムさんはくるっと私の方を向くと、あわあわと慌てた様子で口を開いた。
「なあナマエ! この装飾もあのタペストリーも派手でいいと思わないか?」
「確かに派手……ですけど、うちには合わないです。ごめんなさい、最低限の割れたガラスだけでいいので……」
「! そ、そうかぁ……」
本気だったのかあ。そのしょげっぷりから、悪気なんて一ミリもなかったことが見受けられて、何故だかこちら側が心を痛めなければいけない始末だった。なんだか、この学園では珍しいタイプすぎて調子が狂う。イソギンチャクとして使った人たちにスカラビア寮生が全然いなかったのも、この人の人柄あってのことなのだろうか。
しょんぼりと肩を落とすカリムさんに私の方が申し訳なくなってしまい、かろうじてのフォローを送ることにした。そう、まだ敷かれていなかった青と白の絨毯を手に取って。
「でも私、これ好きです。寮長、ラウンジにこれを使う予定は?」
「素敵なデザインですが、特に今は思い当たりませんね」
「じゃあ私が頂戴しても?」
よいしょ、と丸まった絨毯を抱え込むと、少し埃っぽい匂いと香辛料みたいな匂いが鼻についた。カリムさんの持ってきた中で一番かわいいと思った、寒色の絨毯。寮長は快く了承してくれたし、カリムさんは目を輝かせて喜んでいた。良かった、少し罪悪感が消えた。ただこちらを見てにこにこしているだけの副寮長よりは私の方が慈悲深いだろう。副寮長の性格もなかなかに良くて大好きなのだけれど。それにしてもこの匂いが部屋に充満するのは少し嫌悪感があるから、洗濯魔法ついでに消臭しておこう。
思っていたスタートとは少し違ったけれど、新学期も楽しくなりそう。ふふ、と息を洩らせば、少し離れたフロイド先輩もこちらを見て優しげに目を細めているように見えた。