「ナマエさんは今までとてもこの店に貢献してくれていたので一週間程度なら大丈夫ですが……それにしても不自然だ」
「どうしてです?」
「部活の日は固定ですが、他にも出勤できる日はあるはず」
ぎく、と肩が跳ねそうになったけれど、もうここに来て四ヶ月は経つ。そうわかりやすいようでは寮長や副寮長の手の内でしかないので、不自然、という言葉に疑問を持つように小首を傾げた。普通に考えても、このシフト表ならどう見てもフロイド先輩を避けたようになっている。実際、そうだから。声だってもう震えないし、一見心理戦みたいに見えるこれもお遊びのようなものだ。
「不自然って?」
「いえ、こちらの話です。VDCオーディション、頑張ってくださいね」
「…………はい!」
何も知らない、不自然なんて言われても意識しようがない、というふうに尋ね返したのに、その寮長といえばあっさりその話題を流してしまったものだから、つい驚きの声が零れそうだったのを抑える。こういうところでも、下手な動きはできないから。
フロイド先輩を完全に避けることは難しい。レーズンバターを作っているときに限らず、寮が同じだと鉢合わせてしまうどころではないし、第一ラウンジでの仕事も被る。となると、クルーウェル先生に宣言したものはほとんど無効だけれど、登校のときや校内での接触を避けるだけでも大きな変化のように感じられた。きっと、お互いに。
今まで通りでも何ら問題はないし、むしろフロイド先輩は私に安心感すら与えてくれる。それがフロイド先輩のせいで、変になって、いつかフロイド先輩なしでは駄目な身体になってしまったらどうしようって思ったから、やっぱりこの策は今のところは正解、だと思う。自身の頭の整理のためにもだ。
「うーん……」
寮長がVIPルームから出ていって、ぐぐっと伸びをする。フロイド先輩との接触を避けることが、もう若干つらいだなんてとても言えない。断じて言えるのは、こればかりは恋愛的な意味の“つらい”ではなくて、今まで当たり前のように毎日話していたから、その当たり前を封じているかたちが地味な拷問みたいでつらいのだ。
◈◈◈
練習をできる空間は、主に二つ。自室か体育館か。自室は、本来二人部屋のものを一人部屋としてもらっているおかげで、広いスペースがある。今思い返せば、部屋が振り分けられた段階で女だと見破られていたのがどうも怖いけれど。体育館は、やっぱり動きやすさなんかは飛び抜けているのだけれど、どうも他のオーディション参加者に見られると思うと落ち着かない。エペルと練習できれば理想、だけれど、切羽詰まってるみたいだし、私自身受けることも言っていない。明日になったら一度誘ってみようかなあ。
ここ最近、というか新学期になってから、積もるほどの雪は降らない。しかし、一月はやっぱり、気温が低くて冷えるので、暖かなインナーをしっかりと身につけた状態が常だ。課題曲を小さく口ずさみながら、愛馬のシレーヌを厩舍から移動させていると、大きくて綺麗な瞳をわずかに細めたリドル先輩がこちらへ向かってきた。
「ナマエ、今日は随分ご機嫌だね」
「おはようございます。ご機嫌、というか……VDCの課題曲で」
「VDCって……ああ、先日寮長会議でも話題になったよ。キミはオーディションを受けるの?」
「そのつもりです」
シレーヌをブラシでグルーミングしながら、捻れたリズムで踊った方がいいのかなあ、なんて動画で見た振り付けを頭の中に思い浮かべていると、リドル先輩がへえ、と感心したように頷いた。リドル先輩はオーディション、受けなさそうだなあ。何より寮長の仕事もあるし、ハーツラビュル寮って法律とかが大変みたいだし、VDCどころではなさそうだ。
「
「ケイト……ああ、あのパリピの」
寮対抗マジフト大会のときにも見たし、秋学期最終日に鏡の間でリドル先輩やフロイド先輩たちと一緒にいるのも見た。あのポンパの人だよね。確かに、あの人が受けるのはいかにも、といった感じだ。
週に数回、毎日の餌やりなんかは当番制で、ブラッシングは乗る前と乗った後だけだから、結構絡まりなんかは激しい。引きちぎらないように、優しくブラッシングを施していると、また別の馬を連れた王子様がこちらに来た。
「ナマエもオーディションを受けるのか?」
「わ……いつ見てもかっこいいですね。はい、この間申し込みに行きました」
「ディアソムニアからはリリア先輩がオーディションを受けられる」
「リリア、先輩」
銀髪を西へ沈んでいく太陽の光が照らしてきらきら反射させ、その中でもオーロラがこちらを見ていた。何度見ても飽きが来ない、端正なお顔立ち。リドル先輩もシルバー先輩もやっぱりとんでも美形で、馬術部って顔面偏差値が高いんだなあ、なんて、ううんと唸った。かっこいいと言われ慣れているのか、それとも今はそちらには焦点を当てるべきではないと思ったのか、シルバー先輩は私からのかっこいい、を華麗に無視して、オーディションの話を続けた。
リリアさんも、知っている。セベクから、マレウス・ドラコニアとシルバー先輩に並ぶくらいには出てくる名前で、かつ入学式でもお見かけしたことがある。あのかわいらしいお顔の妖精族の三年生。あ、それと、新入生歓迎会。気分が沈んでいた私でも、覚えているのは、あのデスボイスだ。え、もしかしてオーディションもあの歌声で?
「シルバー先輩は出ないんですか?」
「ああ。どうも歌や踊りというのを進んでしようとは思わなくてな」
「ぽいですね」
「ナマエも頑張ってきてくれ」
「ありが――」
「リリア様が選ばれるに決まっているがな!!!!」
シルバー先輩にお礼を言うのを綺麗に遮ったのはセベクのキンとする大声だった。ミュージカルでもすれば、主役なんかにも抜擢されそうな声量だ。慣れた私たちはセベクの声が聞こえた瞬間に耳を塞いだり、目を思わず塞いだり、各々の対応だった。フン、と自分のことのように屈託のない、絶妙な笑顔を向けながら馬を連れているのはまあ、護衛らしくて様になっている。馬術部って、馬との信頼関係も大切なわけだし、セベクがこんなに馬と仲良くなったのはセベクの元の優しさや素直さがあってこそだよね。
「セベクは受けないの?」
「何故僕が受けると?」
「声がよく通るし、ぴったりだと思って」
「ディアソムニアからはリリア先輩だけで十分だ!!」
「うーん、そっかあ」
「それに僕たちはマレウス様の護衛で忙しいからな」
皆で練習できれば楽しいと思ったんだけどなあ。しかしディアソムニア寮生たるもの、マレウス・ドラコニアの護衛やなんやらで忙しいのはわかりきっていたことだ。残念だけれど、一人かエペルと練習するしかない。エペルはこんな私と違ってもっと切羽詰まった状況らしいし、トラッポラが言うには、ヴィルさんが厳しいのなんのって話だったけれど。
セベクからのリリアさん、マレウス・ドラコニア自慢を受けつつも明日からの練習場所なんかを考えていると、リドル先輩が皆の中心で手を二回叩くことで注目を集めた。
「さあ、おしゃべりはこのあたりにして、そろそろ部活動を始めよう」
「はい!」
リドル先輩の司令に、一同息を揃えて返事をすると、準備運動としてひと走りするために、スタートラインへと向かった。
◈◈◈
外灯がちかちかと点くと、辺りはすっかりと暗がりになっていて、校舎の明かりがとても幻想的に見える時間になっていたようだ。それを合図に練習を切り上げれば、冷たい風が通り抜けていった。うう、寒い。
「雪降りそうな寒さですね……」
「ああ。何かある前に早く着替えて帰ろう」
「同感だ。またナマエが風邪を引いては困るからな」
「う、いつの話……。あの節はありがとうね」
セベクが嫌味たらしく、ではなく、純粋に心配してくれたのかそう言った。申し訳なさが少し募って、代わりにはあ、と息を吐けば、ほんのり暗い中でもはっきりと白い息が上るのが見えたので、さっさと着替えてしまおうと部室の小部屋へと向かった。
寒さで体操着を脱ぐのも億劫だったけれど、どうにか耐えて魔法でぱぱっと着替えた。しかし制服が冷たくてどうしようもない。私のために小部屋にもストーブを置いていてくれるのは、馬術部員の優しさだ。
マフラーをかわいく巻きながら部室から出ると、厩舍にいるシレーヌに挨拶をして帰路に着こうとしたところで、外灯の下に三つの影が見えた。
「待っててくれたんですか?」
「うん。こんなに暗いと一人では危ないからね」
「早く帰るぞ」
「ありがとうございます」
私が頷けば、リドル先輩が先頭に、後ろがシルバー先輩、そして間に挟まれた私はセベクと隣合うかたちになって鏡舍を目指した。寒いから早く帰る、と言いつつも、ゆったりとした足取りを揃えているのは、この空間がお互いに心地良いからかもしれない。手袋で包み込んだにもかかわらず、やっぱり冷える指先を擦り合わせて、息を吐いて、どうにか温めていると、隣にいるセベクも外灯の光だけでわかるくらいに、耳を赤らめている。相当寒そう。鼻先まで赤くして、寒さに弱いのだろうか。
「……セベク、寒がりなの?」
「……寒さに強くはない」
「お前は昔からそうだったな」
「余計なことを言うなシルバー!!!」
後ろから透き通った声で投げられると、ほぼ脊髄反射で後ろを向いて、白く曇る息を吐きながら声を響かせた。そんなセベクはコートを着てマフラーも巻いて、元より手袋をしているし、防寒対策としては完璧だったけれど、どうも思った以上に寒がりらしい。前を歩くリドル先輩も、線が細いから寒さには弱そうだなあ。この部活で一番寒さに強いのはきっと、シルバー先輩だろう。
「寒いねえ。セベク、くっついて歩く?」
「なっ……なんて破廉恥なやつだ!!!」
「酷い言いよう」
えい、とくっつくように右を歩くセベクに寄ってみると、わかりやすく私を避けて手を払い除けようとした。セベクの破廉恥の基準、面白すぎるなあ。
寒いなあ、と思っていると、また冷たい風が吹き抜けて、つい目を細めてからくしゃみをすれば、リドル先輩がこちらを振り向いた。
「ナマエ、寒いのならそうやって脚を出すのは感心しないね」
「俺もそう思う。運動着を下に履いたらどうだ?」
「でも素足の方がかわいくないですか?」
「そ、そうかい?」
「かわいいとかはよくわからないが、無理をしてはいけない」
生真面目先輩たちから地味なお叱りを受けつつ、タイツも検討しようかなあ、と頭の中で葛藤を繰り広げながら、また息を吐いた。冬に白く曇る息って、なんだかわざと吐きたくなってしまう。そんな子供みたいなことをしているのは、四人の中でも私だけだったけれど。
するとまた、最初より少し後ろに下がってきているように見えるリドル先輩が、何かを思い出したように「あ」と言うと、私の方を振り向いた。
「そういえばVDCって、ネージュ・リュバンシェが参加するようだね。……ボクはそう詳しくないけれど」
「えっ、あのネージュ・リュバンシェ?」
「ああ。確かロイヤルソードアカデミーの生徒だって?」
「……私、あまりあそこの学校好きじゃないんですよね」
詳しくない、というのを付け足すみたいに小声で言うリドル先輩が気になったけれど、今やメディアで見ない日はない、ネージュ・リュバンシェ。
ネージュといえば、同年代のインフルエンサーでヴィルさんと肩を並べるくらいには有名だ。白い雪のような肌に、天然の赤い頬と唇。何より愛らしさで売っていて、裏表がない。そういうのが私は嫌いだし、どうせなら副寮長くらいの性格をしていてくれればもっと好感度は高かったけれど。何にせよ、整った外見というのは評価せざるを得ない。
「僕も詳しくはないが、あの学園はどこか気に入らないところはあるな」
「だよねえ。なんか綺麗事と絵空事の塊っていうか……」
「ボクはあそこに知り合いがいるけれど、色々な人がいるように感じるよ。……少なくとも、大半はこの学園の生徒とは馬が合わないだろうね」
ネージュは確か、ヴィルさんとの共演も多かったはずだ。決まってネージュが主役で、ヴィルさんがヴィラン。どちらも見事なハマり役。まあ、私はヴィルさんの方が好感度が高かったりはするのだけれど、ネージュの持つ才能というか美しさというか、それは本物だ。
これ以上この話を掘り下げても、ロイヤルソードアカデミーへのヘイトが溜まるだけだと思ったので、まずはセベクに向けて、それからリドル先輩やシルバー先輩にも向けて口を開いた。
「セベク、またラウンジに来ない? 前の、その……風邪のときのお礼も兼ねて割引にするし。リドル先輩やシルバー先輩もどうですか?」
「なに? モストロ・ラウンジに?」
「そう。仲良しだから来てほしくて。……駄目?」
「駄目なわけがないだろう。第一モストロ・ラウンジには少し興味がある」
セベクのことだから、護衛で忙しいとか、他寮に行っている暇はないとか言われるかと思ったけれど、決してそうではないらしく、よし、と小さくガッツポーズを作った。七寮あるなかで、ずば抜けて来店者が少ないのはどうもディアソムニア寮だ。セベクとシルバー先輩を常連にしたら、芋づる式に来店者数がアップしたりしないかなあ。
「俺もまた機会があれば行かせてもらおう」
「ボクは以前ドリンクを買わせてもらったね。またラウンジにもお邪魔したいのだけれど……」
「……フロイド先輩?」
「そう。ボクがラウンジに行けば何かと絡まれることになるだろうからね……。できればジェイドも避けたい」
「ふ、よくわかってますね」
フロイド先輩を避けたい理由はまあ、わかる。私はその理由とは別の理由で避けているけれど。しかしジェイド副寮長は表面上はあれだけ穏やかで、問題視されているのは大体フロイド先輩の方。リドル先輩とはクラスが同じらしいけれど、だとすれば副寮長のやばさに気がつくのも頷ける。嫌なことに、私はこの寮にはとうに慣れてしまったのだけれど。
「オムライスとか人気なんですよ。フロイド先輩監修」
「へえ。モストロ・ラウンジの料理には定評があるからね。ぜひとも食べてみたいものだよ」
「ふふ。私がケチャップかけて萌え萌えきゅんってやるんです」
そういえば、不在続きとなるとそちらの売れ行きが悪くなるせいで売上が下がっているかもしれない。こうなることなら代打で別の人でも置いておけば良かったなあ。それか、私の数少ない出勤日にやたらとお客様が多くなるか……。
萌え萌えきゅん、をジェスチャーでハートをつくって示して、それからこうしてラウンジの売れ行きのことを考えていると、途端に音が途切れたので、パッとリドル先輩、セベク、シルバー先輩と順に見ると、目を丸くしていた。えっ、なに?
「……モストロ・ラウンジってそういう店なのか?」
「えっ。ああ、違いますよ。オムライスだけ」
「ナマエ、アズールに何か言われているのなら気兼ねなくハーツラビュル寮長であるボクに相談してくれてかまわないからね」
「いや、そんな。私自身結構楽しかったりするし……」
「少し気が引けてきたぞ……」
「なんで!」
どうも私のちょっとした発言を引き金に、せっかくのお客様を三人逃す羽目になりそうで、焦って訂正をする。イグニハイド寮生にはあんなに好評だし、割とリドル先輩のところの寮生からの注文も多いんだけどなあ。
むう、と頬を片方だけ膨らませていると、気のせいか、ただでさえ冷たい鼻先がまた数度下がったような感覚がした。わかりやすく言うなら、雨が降ってきた、みたいな。
「……わ、雪だ」
「久しぶりだな」
白い粉砂糖が数粒固まったみたいなものが、はらはらと不規則に降りてくる。メインストリートの石畳に落ちては、ゆっくりと染みを作る。コートにも一時的だけれど結晶が付着して、触れればすぐに溶けた。寒いのは好きじゃないけれど、冬の夜のこうした雪が降るような寒さっていうのは、どこかテンションが上がる。思いきり走りたくなるような、そんな感じ。けれどそれではただいきなり奇行に出るような人間、になってしまうので、当然心の内に秘めておいた。
「この様子なら積もらなそうだ。けれど体調を崩してはいけないよ」
「わ、いいんですか? ありがとうございます」
ずず、と風邪ではなく冷えて粘膜が刺激されたことによる鼻水をすすると、リドル先輩がポケットからカイロを取り出して渡してくれた。手袋越しに温かくて、そういえばセベクの方が寒そうだなあ、とチラ見すると、羨ましそうにこちらを見ていた。リドル先輩に断りを入れてから、自身の冷えた頬に当てて軽く温めると、セベクにカイロを手渡した。一瞬だけ狼狽えたみたいだけれど、受け取っては手先を温める。
「雪が酷くなる前に寮に戻ろう。鏡舍はもうそこだ」
「はい!」
脚はいつも通り感覚がないから、寮に戻ったらそれはもう、お風呂がめちゃくちゃ熱かったりするんだろうな。また身震いすれば、セベクが私の頬にカイロを軽く当てた。明日から耳あてがいるかもね、と言えば、セベクは口端を歪ませてから、そうだな、と頷いた。寒さに弱いセベク、ちょっとかわいいな。
控えめに降る雪の隙間を縫うみたいに、目を細めて先程よりもやや早足になると、鏡舍の明かりを目指した。今だけでもスカラビア寮生になりたいね、なんて言えば、セベクは眉をやや下げてほんの少し口端を上げた。