黙って、アルタム・エンゼル

「へえ。あの二人が……」
「そう、なんだ」

 オーディションの後、終わった者から現地解散。もちろんポムフィオーレ寮生であり、これからだというエペルと話すことなく、トラッポラなんかに「やけに活き活きしてんじゃん」なんて声をかけられながら寮に戻った。アズール寮長には後日シフトを提出します、と言って、ヴィルさんに褒められたという余韻にひたすら浸った。
 そして翌日になり、朝のホームルームが終わったところでエペルが私に耳打ちをした。内容は、『僕たち三人とカリムサンにジャミルサン。それから……エースクン、デュースクンがVDCのメンバーに選ばれたんだ』という、今日の午後までは公表しないらしい内容だった。

「へえ……スカラビアの二人は納得だけど、あのおバカ二人はちょっと意外」
「僕もそう思ったけど、ヴィルサンが……決めたんだ」
「よっぽど良かったのかなあ」

 うーん。トラッポラはまだしも、スペードって結構ドジというか、そういうのに関してはいまいちって印象だったけれど、案外それは私の偏見だったりするのかもしれない。あのヴィルさんが選ぶくらいだし、そもそも同じ土俵にすら上がれなかった私がとやかく言う資格はないよねえ。次にセベクに会ったときにはまあ、どういう反応をするのだか。

「……ナマエはなんだか、すっきりした顔をしてるね」
「えっ、そう見える?」
「うん。初めて話したときはすごくひど……落ち込んでたし、その後明るくなったけど、さらに明るくなってるっていうか」
「そっかあ。じゃあオーディションのおかげかも」

 エペルが言っているのはきっと、私が入学して数週間のあのオドオド具合と、ヴィルさんに出会って、寮に馴染んでからやっと私らしさを出せるようになったこと。それから、ヴィルさんにやっと数ヶ月越しのお礼を言えて、さらには認めてくれたようなあの言葉を受けた今。そりゃあ、嬉しいやらなんやらでこうもなる。
 えへ、と笑ってエペルの方を見ると、「オーディションのおかげ」という言葉に怪訝な表情を浮かべているようだった。どういう、表情だろう。

「エペル?」
「……ナマエと一緒に、舞台に立てないのか」
「残念だけど私って女、だし。仕方ないよ」

 エペルは確認するみたいにそう言うと、小さな溜息を零した。残念といえば残念だけれど、五百万マドルの山分け以上の価値がある言葉をもらったような気がする――もらったから、私は少しも後悔していなかった。
 ね? と言ってから、新学期になってようやく薬草やらを取り扱うようになった魔法薬学のために実験着を準備していると、隣から小さく吸着音のようなものが聞こえた。え? と思ってエペルの方を見たけど、エペルも私に倣って実験着やゴーグルの準備をしていたから、気のせいだったのかとペンケースを手に持った。

 ◈◈◈

 久しぶりのラウンジ出勤――ではなく、久しぶりにフロイド先輩と出勤日が被ってしまう日が今日だったので、それはそれは緊張する。寮で会う機会も自然と減ってしまっていたし、ここまで関わっていないと逆に彼に対してどういう経緯で避けることになっていたのかもわからなくなってしまっていた。だからもう、こうしてわざと避けるのもやめた方が良いだろうかと考えながらラウンジに入ったところで、フロアを準備していた猫みたいな彼がこちらを向いた。

「あれ、ナマエちゃんじゃないッスか。久しぶりッスねぇ」
「わあ。昨日ぶり……だけどラウンジではお久しぶりです」
「来てくれて良かったッス。じゃあ今日からオムライスの販売再開に変えときますね」

 いやあ、ナマエちゃんのおかげで今日は儲かるなあ。そう言ったラギーさんが各テーブルのメニュー表に貼られた『temporarily unavailable』のシールを剥がしていく。それなら、ここ最近の流れでラウンジに来ない人もいるかもしれない、と思ってラウンジのマジカメアカウントでお知らせをしようと考えたのだけれど、既に支配人がお知らせしてくれていたようだった。

「じゃあ、今日も頑張りましょ」
「はい!」
「はい、いいお返事。元気なのはいいことッスよ」

 ぽん、と頭に軽く手が置かれて、まるで子供扱いをされてしまったのは少し不服だけれど、ラギーさんが私にこうするのって珍しい。お日様みたいな匂いがふんわり私を包むなか、私も用意をしなきゃ、と腕まくりをしてキッチンの方へと向かったところで、カランと扉が開いた。

「今日も早いねぇコバンザメちゃん」

 その言葉を聞いて、どくんと心臓が鳴る。いや、これは絶対恋とかじゃなくて、緊張とか、緊迫とかそういう類の。いや、何に緊張してるの? だけど久しぶりに同じ空間で聞くその声に、喉がひゅっと鳴るような感覚になった。

「シシシッ。当たり前じゃないッスか。フロイドくんは今日はちゃんと来たんスね」
「まあ、気分っつーか…………あっ」

「あっ」じゃない。キッチンに向かった私の足が止まってしまっていて、それに反して背後からは足音が近づいてくる。いや、普通にすればいいじゃん。何を緊張しているのだろう。自分の気持ちを確かめる、とか以前に、もうどういう感情をもともと抱いていたかとかもわからなくて、私が何をきっかけに避けているかなんてもってのほか。ただの、意地かもしれない。
 後ろを向くことなんてせずに、ただその場でどうしようと目を泳がせていると、私の肩に長い腕が二本ずつ下りてきた。

「ナマエちゃん。久しぶりだねぇ」
「フロイド先輩。……お久しぶり、です」
「最近話しかけようとしても滅多にタイミング合わねぇし、なんかVDCのオーディションでラウンジにも来ないし」

 フロイド先輩は至っていつも通り。というか、むしろ甘い。甘ったるい。このまま煮詰めればキャラメルにでもなるんじゃないの? 久しぶりの香水の匂いは、間違いなく初めて会ったときと同じなのに、まるで初めて嗅いだような心地がした。私だけが変に意識して、何を意識していたのかもわからなくて、また翻弄されている。普段どうやって接してたっけ? そう考えていると、白い手袋に包まれた指が私の顎を掴んで、徐々に上を向かせていった。あっ、絶対に今、すごい顔してる。頬のあたりがぴくぴくしているのが、自分でもわかるし、手が添えられたことで余計に感じてしまっている。

「心配、おかけしてごめんなさい」
「別に心配はしてねーけど。でも今日はいつもよりやる気出てきたかも」
「やっぱナマエちゃん絡みだったんスね……」

 はあ、と溜息をついているらしいラギーさんを見るに、フロイド先輩がピリピリしていたとか、「今日は来た」発言はこういうことだったのかと納得した。それが余計に私を混乱させた。私はフロイド先輩のご機嫌取りの道具に過ぎないと思えれば良かったのだけれど、変に「距離を取ります」なんて言ってしまったゆえにこういうことになっているのだ。
 とんでもなく面倒な女になっているのは自覚済みだけれど、今まで通り接します、となれば、それはやはり意識してしまうから、どうすべきだろうと頭を悩ませるしかなかった。

「……つーかその顔、」
「さあ、皆さん。間もなく開店の時間ですよ。フロイドもいつまでもくっついていないで、早く下準備に取りかかりなさい」
「はいはい」

 フロイド先輩が私に何か言いかけたところで、よく響く支配人の声がホール全体に届くや否や、看板を『open』に変えてはフロイド先輩に注意をした。それと同時に、私から名残惜しそうに手を離すとキッチンの方に向かっていったフロイド先輩に、深く息をついて安堵を示す。するとラギーさんがモップを片付けるついでに、私の方へと近寄ってきた。

「……なんかあった?」

 面白そうにではなくて、気にかけるみたいな表情でモップの柄に手を乗せ、その手の甲に顎を乗せながら私の顔を覗き込んだ。お耳がピクピクと動いていて、周囲の音を拾っているのだろう。ハイエナの生体事情に詳しくない私にはわからないけれど。

「いえ。ラギーさん、今日はオムライスのオーダー以外でもどんどん私のこと使ってください」
「……まあ、深くは聞かないでおくッス。了解。そう言われたらジャンジャン頼むッスよ」
「ありがとうございます」
「なんかあったら遠慮なく言ってください。お代は取るけどね」
「相変わらずですね、ラギーさん」

 シシシッと笑うラギーさんに、ふふ、と笑い返すと、慣れたように準備を始めた。ラウンジに関しては、ラギーさんの方が先輩だから本当に頼りにしてるんだよね。
 早速カランカランと音が鳴ると、早くもオムライス常連だった、比較的明るめなイグニハイド寮生が来店してくれたので、「いらっしゃいませ」の声かけをして席まで案内した。

 オムライス効果か偶然か、今日は来店者数がなかなかに多くて、いつもなら合間合間にフロイド先輩が声をかけてくるものだけれど、ラギーさんの協力もあって事務的な話のみとなった。それはそれで、やっぱり少し寂しい気はするけれど、私が始めたことだから、今更引くことはできないし。変なプライドの高さというかなんというかが発動してしまうのは、我ながら良くないことだとわかっているけれど。

 ◈◈◈

 今日はフロイド先輩が部活だそうで被っていないけれど、明日はまたフロイド先輩と一緒かあ、とスマホでシフト表を確認する。できればラギーさんと同じ日が良いけれど、それも私のわがままだ。はあ、と溜息をつくのだけれど、私の隣にはそんな私よりも暗い顔をしている姫林檎がいた。

「……エペル、大丈夫?」
「えっと……うん。少し疲れてるだけ」
「疲れてる……ああ、合宿中か」

 確かエペルは、昨日の帰り際に「今日からオンボロ寮で合宿なんだ」と鏡舍の方でなく、メインストリートから外れた場所へと帰っていったような。……あのオンボロ寮で合宿だなんて、あれだけきらびやかなポムフィオーレ寮で暮らしているならばこうも暗い顔になるのも納得だ。
 今日はC組との合同授業らしい錬金術のために教科書を胸の前に抱えて実験室へ向かう。一年生は今期から始まった錬金術だけれど、これは日替わりで一緒に行うクラスが変わるそう。時には二年生や三年生のクラスの人と組むこともあるから、結構楽しみではある。初回はA組との合同授業だったけれど、まああの四人組のうるさいことといったら。
 ただでさえ授業に関心がないエペルなのに、今日は一段と気が滅入っている様子で、どう声をかけたら良いのかわからずに、必死で話題を繋いだ。

「オンボロ寮って本当に中もあんな感じなの?」
「うん。監督生サンはだいぶマシになったって言ってたけど……。外からの隙間風は入るし、シャワーも水が出るし……」
「う、うわあ……。監督生、苦労してるんだね……」

 この雪が降る時期に隙間風だなんて、たまったものではない。エペルがいうには暖房も暖炉しかないから、夜は危なくてつけられないし、だそうだ。そりゃあ、オンボロ寮以外の設備が整っている寮で暮らす生徒がいきなりそんな空間で暮らすなんてなれば、気も滅入る。

「風邪ひかないように気をつけてね」
「大丈夫だよ。僕は寒いのには慣れっこだから」
「ふふ、それなら良かった」

 確かエペルの地元は、輝石の国でもかなり北の方だったはず。テレビで見たことがあるけれど、年間の積雪量がツイステッドワンダーランドではトップクラスだった。そんな地にいれば寒さに強い、なんて堂々と言えるのにも頷ける。どこかのドラコニアンとは大違いだ、と自然と笑みが零れた。

「エペル、頑張ってね。……でも頑張りすぎないで」
「う、うん……。心配、ありがとう」
「ううん。頑張りすぎは色々溜まるから……発散、ね」

 イグニハイド寮生ならコロッといっちゃうような笑顔をエペルに向けると、また「ありがとう」と言って少し微笑んでは溜息をついた。ここ最近のエペルは、溜息が多い。秋学期のときから時折溜息を零す姿は見ていたけれど、それとは比べ物にならないほどに。

 心配だけれど、私が首を突っ込んでいいことなのだろうかと、多少の気遣う言葉をかけるだけで精一杯だ。はぁ、と今度は私が溜息をついて、曲がり角を曲がったところで、その姿を見てしまった。ターコイズブルーの、後ろ姿。素早く脳を回転させ、あれはやばい方のリーチなのか、それとももう一人のやばい方のリーチなのかと必死に考える。その答えはすぐにわかった。しゃらん、と揺れた右耳のピアスが、私が避けている方の、やばい方のリーチだとわかって、思わずその場に留まった。そうだ、静かに、気がつく前に通り抜けよう。そう、思って足を動かそうとした。動かそうとしたのに。

「ナマエ?」
「ばっ、」
「――あっ」

 当然ながら、突如足を止めた私を不審に思って眉を八の字にしたエペルが私の名前を呼んだせいで、フロイド先輩の耳はその声を拾ってしまったらしい。エペルに対して馬鹿、なんて言う前にフロイド先輩がゆっくりとこちらを振り向くものだから、本当に久しぶりに、ゴールドの瞳と視線がかち合った。
 フロイド先輩がどんな表情をしているか、といえば、いつも通り。私を見つけたときの表情。目を細めて、教室の出入口を塞いでいた手を離すと、ゆっくりとこちらに近づいてくるものだから、何を考えたのか、考える前に私はダッと地面を蹴って、もと来た道を走っていた。

「ナマエ、授業――」
「ごめ、先行ってて」
「は? おい待てよ!」

 本当に、何をしているんだ私は。フロイド先輩の長い脚に抜群の運動神経。そんなものに勝てるはずはないけれど、教科書を抱えたままひたすら廊下を走る、走る。

「待てってナマエ!!」
「ひっ、」

 これは、かなりやばい。私が逃げてしまったから、この滅多に私に向けられない声色に、いつもする呼び捨てとは違う、怒っているであろう呼び捨て。馬鹿は私だ。逃げずにさり気なく挨拶して、なんなら今日から避けるのをやめる、なんていう選択肢もあった。完全に私のミスだ。
 はあ、はあ、息を切らしながら、必死に足を動かす。駄目だ、これは絞められる。そう思いながらまた曲がり角を曲がった瞬間、ぼふん、と何かに当たって、数秒遅れで甘くてスパイシーな香りがぶわっと飛び込んできた。

「おい駄犬。廊下を走るんじゃ――」
「せんせ、はぁ、ちょっと、隠して」
「は?」

 偶然私とぶつかってくれたのは、運が良かったのか、今日もかっこいいクルーウェル先生だった。間もなくドタドタと足音が近づいてくると、私は先生の後ろにすっと隠れる。隠れる、なんてできるわけがなくて、きっと角度によっては丸見えだ。先生のコートをぎゅ、と掴むと、状況を理解したらしい先生が大きすぎる溜息をついた。私や、エペルがつくものより大きい溜息だ。
 間もなくゆっくりになった足音がこちらを向くと、先生の前でピタッと止まる。

「イシダイせんせぇ、ナマエ知らね?」
「ミョウジならあっちに走っていったが」
「ふぅん。それにしてはこの辺り、ナマエちゃんの匂いすごいけど」
「匂いくらい残るだろう」

 先生、ナイスすぎる。けれど、こんなのただの時間稼ぎにしかならない。ぎゅっとコートを掴んで、どうかバレませんように、と目を固く閉じていると、不審がったのか、フロイド先輩の大きな足から、また靴音が奏でられた。これは流石に無理がある。観念して、もこもこコートを強く強く握っていると、先生の背後を覗き込んできたフロイド先輩と目が合った。あっ、絞められる。そう思って息を詰めると、フロイド先輩はクルーウェル先生の真正面にすっと戻った。

「ったく、……どこ行ったんだよ」
「!」

 フロイド先輩もまた、大きく溜息をついてから舌打ちをすると、この場から離れようとした。今日は溜息デー、なのかもしれない。幸せが逃げていく日。それにしたって、明らかに目が合ったのにどうして? そう思って、コートを持つ手を緩めると、立ち去ろうとしていたフロイド先輩の背中に先生が声をかけた。

「何かあったのか?」
「いや別に。……ただ見かけたから話そうとしたら逃げられたっつーか」

 フロイド先輩の、怒りと、どこか哀しみを孕んだみたいな声色に胸がぎゅっと締めつけられた。クルーウェル先生が「そうか」と小さく零せば、フロイド先輩は「あー……」と弱々しい声を洩らしながら教室へと戻っていったようだ。
 それから、恐る恐る先生のコートを掴んだままに、先生の真正面に移動すると、先生は二度目の、今日一番大きな溜息をついた、

「おいミョウジ……。距離を置くといっても限度があるだろう」
「うっ」
「露骨に避けすぎだ。ミョウジの『距離を置く』という考えはいいと思ったが、まさかこうとはな。これじゃ逆効果に決まっているだろう」

 私の胸元、ネクタイの結び目をぽん、と指で触れると、私の周りをきらきらとした、妖精の鱗粉のようなものが舞った。どうやらつい今までの私は魔法がかかった状態にあったらしく、おかげで難を逃れることができたらしい。ありがとうございます、とお礼を言えば、クルーウェル先生は真剣な顔をして私の方をじっと見つめた。

「まさかリーチ弟に同情することになるとは思わなかった」
「う、……だって、なんか。……避けるって決めたらこう、自分のこともよくわからなくなって」
「そういうところが逆効果だと言っているんだよ」

 先生のド正論にぐうの音も出ない。私だってわかってる。そんなのわかってるけど、こんなの初めてだし、どうすれば良いのかわからないから。
 自身の行動に対する反省や、フロイド先輩への罪悪感。それら全部に、先生のコートの袖の部分を掴んだまま下を向くと、また先生は溜息をついた。

「とりあえずもう授業が始まるから実験室に行くぞ。……リーチ弟とのことは、もう少し考えるんだな」
「……はい」

 肩を落として返事をすると、クルーウェル先生はコートを掴んでいた手をさり気なく剥がした。それから、実験室へ向かう私の歩幅に合わせて隣を歩いてくれた。
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