香水のおかげか、当たり障りない一日を過ごせた。どうやら私の外見も、ポムフィオーレ寮ならば珍しくないのか、あまり触れられることはなかった。あの私と同じ異質の美少女は、なんと同じクラスだったので、今日は機会を逃してしまったけれど明日以降に話せれば良いだろう。クラスで一人ずつ回ってくる自己紹介だったけれど、彼女の名前は見事聞き逃してしまったし。女の子の声なら注目しやすいと思ったのだけれど。
「よく来てくれました、ミョウジさん」
「約束、なので」
昨日言われた通り、放課後になって一番に向かったのはあの美少女のもとでもなく、学園長室だった。なにやら学園長はお疲れの様子だったので、どうしたのかとさり気なく聞けば、新入生、なんでも昨日暴れた猫と魔法が使えない生徒がグレートセブンの像を黒焦げにし、大食堂のシャンデリアを壊してしまっただとか。昼食の際に目に入ったけれど、相当高そうなのに大丈夫だろうか。
さて、単純に考えれば今から学園長と話すのはおそらく性別のこと。何故女子の私がこの場にいるのか、ということだろう。もしかすると、やはり手違いで、編入なんかになってしまうのかもしれない。だとすれば、少しほっとする。あの寮で過ごす心配がなくなるのだから。
ゴホン、と咳払いをすると、学園長は仮面越しに真剣な面持ち、に見せかけた楽観的な面持ちを浮かべてまた、顎に手を添えて口を開いた。
「君をここに呼んだのは他でもない。君が何故ナイトレイブンカレッジに入学したのか、ということについてです」
「……はい」
「入学者名簿を確認したところ、やはり君の名前は入っていた。しかし性別は女性……」
だから、手違いではないと言いたいのだろうか。だとすれば異議を唱えたい。男子校に、女子が選ばれるのはどう考えても闇の鏡の選定ミスだと。ごにょごにょと、次第に学園長の語尾がぼやけていく。ついにはなんと言っているのかわからなくなってしまったので、学園長が落ち着くまでその場に立ったまま待っていると、ゆっくりと顔を上げた。まるで、何か結論が出たみたいに。
「うんうん、やっぱりこのまま在籍でいきましょう」
「はい……えっ!?」
てっきり今から飛んでくるのは、編入だとか退学だとか、手違いでした、なんて言葉だと思っていたから、まるで予想外すぎる言葉につい驚愕の声が学園長室に響き渡った。ナイトレイブンカレッジに来てから、女であることを隠していた分、ここに来て一番大きな声を出してしまっただろうか。仮面越しの学園長の金色の瞳はにこにこと笑っていて、まるで「何かおかしいことでも言いました?」とでも言いたげだ。
「あ、の! どう考えても手違いで、……ほら、編入とかになるんじゃ……」
「いいえ、闇の鏡に手違いなどありません! ……いえ、ないとは言いきれませんが……。とにかく! 君はナイトレイブンカレッジの一生徒として過ごすこと!」
駄目だ、この学園長。解決方法を考えるとか、こっちの意見も聞かないでゴリ押ししてくるタイプの人間だったか。もう頭を抱える気にもなれないし、学園長は名の通りこの学園で一番偉い人なのだから、きっと私に有無を言わさないだろう。しかし、どうしても無理なら自力で退学を申し出ればいいだろう。そう考えると、気持ちは楽になった、のだけれど。
「あの……私のこと女って知ってる人……少なくて。学園長のあの香水のおかげで」
「ええ、ええ。お役に立てたのなら何よりです」
うんうんと頷きにこにこと笑顔を向ける学園長。違う、今言いたいのはそんなお礼なんかではなくて、確かにお礼は必要かもしれないけれどそうではなくて。
「女ってこと、知られてもいいんでしょうか? 私も、だし。見るからにあのポムフィオーレの美少女もそうですよね?」
「ポムフィオーレの美少女……ああ、エペル・フェルミエくんのことでしょうか」
「エペル・フェルミエ…………くん?」
学園長がその、エペル・フェルミエという生徒を呼ぶ敬称に思わず疑問符を飛ばして、頭をフル回転させる。男女問わず“くん”をつけるのか、けれど確か私のことはミョウジ“さん”と呼んでいた。だったら、どうして?
私が頭を必死に働かせても結論が出ないでいると、学園長がその答えをくれた。あまり、聞きたくないものだった。
「彼、男子生徒ですよ」
「えっ! ええっ!?」
本日二度目。というより、高校生になって二度目。またしても大きな声が室内に響き渡り、私ってこんなに大きな声出せたんだ、なんて呑気にも思った。学園長も私に賛同するかのように頷いて、「彼、素晴らしい美貌を持っているでしょう」なんて感心している始末だ。確かにヴィル・シェーンハイトも女性的な美貌を持っていると思っていたけれど、それ以上に可憐なあの美少女が、男。驚いてまた、力が抜けそうに、腰が抜けそうになるのを、なんとか足に力を込めることで体勢を維持した。
「何はともあれ話は終わりです。明日から授業が始まるので遅刻などしないように――」
「ま、待ってください!」
「おや、まだ何かあるんですか。私今日はすっごく忙しいのですけれど」
私が止める声を聞いてから、わざとらしく机の上の書類を整理する、ふりをし始めたので、呆れてため息しか出なかった。ああ忙しい忙しい、なんて小言をおまけでつけながら、だ。寮の名前が出たときに頭によぎったことを、今からそのまま伝える。この学園でやっていくにはとても、無理があると二日目にして実感したからだ。
「あの……転寮、したいんですけど」
「転寮? ミョウジさんが? まだ二日目なのに何を言うんです」
「だって……オクタヴィネルってなんかこう……怖くて」
まだ確信的な証拠とか原因がなくて、私の心の中のもやもやに従ったままの発言だったから、こうも煮え切らない返事をしてしまったので、学園長も納得してくれないだろう。これ以上言葉が出てこないから、申し訳程度に「ポムフィオーレ寮とかが良かった」と呟いてみるけれど、学園長は困ったようにしてから、また怪しいにこにこ笑顔を浮かべてこちらへと歩み寄ってきた。
「しかし、オクタヴィネル寮はアーシェングロットくんを筆頭に優秀な生徒が多いので大丈夫でしょう」
「でも、」
「それに闇の鏡が君の本質を見抜いてオクタヴィネルに振り分けたのです。しばらく過ごしてみて、ど〜〜しても合わなければまた私に言ってください」
「…………はい」
そう言われてみれば、何とも言えなくなりただ従順に返事をするしかなくなった私を見て、よろしい、とひと言添えるとぽん、と私の肩に手を置いた。もう一週間、一ヶ月過ごしてみて、どうしても耐えられなくなったら相談しよう。それに、苦しいのはきっと私だけでなく、他の寮生たちもそうだろうから。下を向いたままぐっと拳に力を込めると、学園長が「ああそうだ」と何か思いついたようだった。
「自分の性別を公表するかどうかは君に委ねます。そうだ、せっかくだから女子生徒用の制服も発注しておきましょう! 私、優しいので!」
「あ、あなたは公表させる気満々なんですか!?」
◈◈◈
学園長と話をしていると、なんだかんだで一時間弱が経過してしまっていたらしく、そういえば今日の放課後は寮長から何か説明がある、とフロイド先輩が言っていたような気がするので、早足で寮に向かった。
すると寮の隣が、どうしたことか人で溢れかえりそうになっていたので、気になってそちらの建物を見に行ってみた。中を覗き込むと、バーのような、仄暗い深海を思わせる雰囲気で、クラゲのランプが可愛らしい。これが今朝フロイド先輩が言っていた、寮長が経営しているお店だろうか。中には他寮に留まらず、一般客まで来ているようで、それなりに栄えているらしかった。忙しなく働いているのは無論、オクタヴィネルの寮服を着ている生徒だ。
「三番テーブルと五番テーブルにドリンクを」
「フロイド先輩! エビのフリッターと海藻サラダの注文が入りました!」
やはり、バイトのような感じなのだろうか。そろっと入口から覗いていると、新人を指導していたのだろうか。寮長がこちらを向くと、いつも変わらない笑みを貼り付けたままこちらへとゆっくり、着実に向かってきた。やっぱり寮長だけ、寮服が違うんだなあ。杖というオプションまでついている。なんて、そう感心している場合なんて少しもなくて。
「おやナマエさん。遅かったですね。しかも寮服にも着替えないで」
「ご、ごめんなさい! あの、学園長に呼ばれていて」
「学園長に? なら仕方ない。寮服に着替えて再度、このモストロ・ラウンジに来てください」
あくまで笑顔を絶やさないで、もしかするとフロイド先輩のせいで先入観を持っているからかもしれないけれど、どうも最初から抱いていた胡散臭さが抜けない。一瞬だけその眼鏡を怪しげに光らせて、瞳も、一見優しい笑顔に見えて笑っていないような気もする。これがただの先入観、ならいいのだけれど。
また、私にぴったりなサイズ感の寮服を身に纏うと、モストロ・ラウンジと呼ばれた店へと向かった。それにしてもこの寮服、結構かわいいかも。もちろんパンツスタイルだけれど、帽子もあるし、他の寮と比べても相当かわいい方なのではないだろうか。露出も少ないし、女の私でも着やすい気がする。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって」
「ああ、待っていましたよ。他の新入生には先に説明しましたが……」
そうして、忙しそうに料理やドリンクをテーブルへと運ぶ新入生やそれを指導する副寮長なんかを横目に、寮長から説明を受ける。やはりバイトのような感じでシフト制。放課後になってすぐにこの店を開けて、休日も休業することなく回すそうだった。もちろん部活の時間は考慮しますよ、とのことだったので、しっかり人の心があることに安堵した。
「シフトはまた後日組みましょう。部活に入るまでは毎日来てください」
「毎日……」
「ええ。初めのうちはジェイドやフロイドに指導をさせるのでご安心を。もし欠勤の際は必ず理由を添えて事前にご連絡のほどお願いします」
やっぱり、何度見ても訝しいその笑顔をまた浮かべて、寮長は私を副寮長の方まで案内してくれた。部活、早く決めた方がいいかもしれない。というか、歓迎会のときにフロイド先輩が言っていた「いずれは料理を覚えることになる」というのはこのことだったのか。副寮長のもとに着くと、相変わらず背が高くて、見上げるだけで首がお亡くなりになりそうだった。副寮長もまた、一見優しそうな笑みを浮かべて、待っていましたよ、なんて言った。今の段階で、この寮長たちをこんなに疑っている新入生は私だけだろうか。それとも、もしかすると既に何人か気づいて――
「ぎゃあああああ!!!」
「おや」
「……」
何やらキッチンの方から、きっとうちの寮生であろう悲鳴が聞こえてきた。そんな声を聞いても表情を変えない副寮長は、キッチンの方に向かって、そちらを覗いてから、笑顔を保ったまま口を開く。けれど、いつもの笑顔とは少し違って、眉を八の字にして、明らかに怪しいマルチ商法とか詐欺とか、そういった類の微笑みだった。
「フロイド。またそんなことして。相手は先輩でしょう?」
「は? 先輩とか関係ねーし。言うこと聞かねぇからぁ、ちょっと絞めただけだけど?」
「この間話したでしょう。見せしめにはまだ早い、と」
「あぁ、そうだっけ」
フロイド先輩の姿はここからは見えないけれど、先程の悲鳴と、副寮長の慣れたような対応、ところどころ聞こえる物騒なワード。特に“絞める”、“見せしめ”という言葉に、慄きつつあった。やっぱり、とんでもない寮に入ってしまったのかもしれない、私。
後片付け、と呼ばれる何かが終わったらしく、フロイド先輩が何事もなかったかのように料理の指示をする声が聞こえてきて、周りの寮生たちも困惑や焦りを見せつつも返事をしていた。それから、この一連の騒動の前と同じ、まな板に包丁を叩きつける音やフライパンで炒める音がまた、奏でられた。
「さあ、気を取り直して。ナマエさんは今来たばかりなので、今日はホールをお願いします」
「……はい。あの、わ、自分、バイト経験とかなくて不安で……」
「そんなに心配しないで。丁寧に一から教えるのでご安心を」
白い手袋に包まれた、手袋を着けていてもフロイド先輩の指より細く見える指が揃えられた手を紳士のように胸に手を当てると、微笑、と呼ぶに相応しい笑みをまたそのままに、私を安心させるような言葉を向けた。一から教えてもらえるのはまあ、ありがたいのはありがたいのだけれど。
とにかく、今一度疑わしげな表情を消して、せめてもと安堵の色を見せるように副寮長に微笑みかけると、私にステンレスのトレーを渡してくれた。これに注文を乗せて運ぶ、のだろうけれど。それに紛れて、副寮長は私の耳元に唇を寄せると、低く落ち着いた声で何やらを囁いた。
「フロイドにも聞いたと思いますが……僕たちはあなたが女性だということはもう知っているので、無理に隠そうとしても無駄な努力ですよ」
「っ……」
わざわざ腰を屈めて私の高さに合わせるようにしている副寮長の方を、ゆっくり、ゼンマイ仕掛けのおもちゃのようにたどたどしく向けば、先程キッチンにいるフロイド先輩に向けていたのと同じ、決して優しくはない、何かを企てているような笑みをこちらに向けていた。どうしよう、やっぱり怖い。この距離では初めてなはずなのに、本日二度目のような間近に感じられる金色の瞳に捉えられて動けずにいると、滑らかな挙動で私から離れたジェイドさんは、一般的に見れば優しく柔らかいという印象を抱くであろう、何を考えているのかわからない笑みを浮かべた。
「さあ、まずはあのテーブルのオーダーを取りにいきましょうか」
「は、い」
「そんなに怯えなくて大丈夫。僕が後ろについていますから」
副寮長に、威圧感だけで背中を押される最中、私の脳裏にどこかで聞いた言葉が駆け巡った。
『どうせ使われるのには変わりねぇんだしさぁ』
フロイド先輩が今朝言っていたのって、もしかして、私が想像していた何倍も、何十倍も畏怖すべきもの、なのかもしれない。手を上げて私を呼ぶ他寮の生徒のもとに引き寄せられるように、というより、副寮長から見えない何かで押されるように、どこか重い足取りでそれを感じさせないよう、オーダーを取りに向かった。