蜜の詰まった毒林檎

 朝のホームルームが始まる前なのに、私はというと机に突っ伏していた。昨日のモストロ・ラウンジでの労働が、そこまで忙しいだとか大変だとかそういうわけではなかったのだけれど、バイト経験がない私には少々ハードだっただけである。しかも昨日は授業がまだ始まっていなかったからいいものの、今日からは授業が始まるのだ。体力がついていくのか、心配であった。大変でないのも、フロイド先輩のあの言葉を思い出すと、まだ“見せしめ”をする段階ではなく、私たちを油断させているからなのかもしれない。
 しかし、オクタヴィネル寮で過ごしていくのが億劫と思う反面、少し生活すれば学園長に訴えることができるという希望を持っており、言うなれば躁鬱状態であったりもする。とりあえずは一ヶ月間、頑張れれば良いけど。もしかすると一ヶ月のうちにこの生活が身に染みてしまって、なんてこともあるかもしれないけれど。

「ねえ」
「ん……?」

 今日のモストロ・ラウンジも客が少なかったらいいな、とかとてもうちの寮長に貢献しないようなことを考えていると、どこからか声が聞こえてきた。というか、さっきから何度か聞こえていて、まさか私に向けられたものだと思わなくて無視を続けていた所存だったのだけれど、何度も私の近くで聞こえるものだから、その透き通った声につられるように上を向くと、美少女がいた。おっと、美少女じゃなくて、美少年、だったか。彼は確か、

「エペル・フェルミエ……?」
「えっ……僕の名前、自己紹介から覚えていてくれたの?」
「え? あ、ああ。うん」

 声は透き通っているけれど、私がわざと低く出したものより低い。声の綺麗さのおかげで中性的ともいえるのかもしれないけれど。ふわふわの柔らかそうな薄い紫色の髪に、長い睫毛。雪のように白い肌に、アクセントになるのはやはり血色の良い薔薇色の唇。制服もネクタイをリボンにしているし、ブラウスにもフリルがついている。やっぱり、どこからどう見ても美少女にしか見えないのだけれど、自分のことを“僕”と言うのも、僕っ娘……ではないだろうし、それから声と、学園長の話からするに、やっぱり彼は男子、なんだ。

「何か、用?」
「えっと……君、体調が悪そうにしていたから……」
「体調悪いんじゃなくて、疲れてて」

 教室で声をかけられたのなんて初めてかもしれない。その記念すべき一人目がしかも、入学式から気になっていたポムフィオーレの美少年だなんて、今この瞬間だけは運が良いのかもしれない。寮分けはさておき、クラスが一年B組で良かった。といっても、このエペル・フェルミエ以外にこれといった印象を持つ人は……あのサバナクローの狼みたいな人くらいか。あの人もなかなか背が高いんだよね。

「声かけてくれてありがとう。エペル、くん」
「エペルでいいよ。えっと……」
「ナマエ。ナマエ・ミョウジです」
「ナマエ、サン」

 慣れていないような、取ってつけたような敬称に、私も呼び捨てでいいよ、と言おうとしたのを呑み込んだのは、自分のことを“私”と言ってしまっても良いのかということと、ホームルーム開始を告げるチャイムどちらもの影響だった。エペルは「隣座ってもいい……かな」と見た目通り控えめに聞いてきたので、身体が重いながらも頭だけを上げて快く了承した。

 ◈◈◈

 今日から始まった授業だけれど、感想としてはまあ、どの先生も癖が強い。魔法史の先生は変な鳴き声のあまり可愛くない猫を連れていて、それでいて授業態度から評価される厳しい先生だった。先生の単調な喋りと、合いの手のような猫の鳴き声のバランスが絶妙で、眠気を誘った。
 次の魔法薬学の授業も、犬の毛皮のようなコートを着た白と黒と赤、という感じの顔の整った先生だったのだけれど、こちらも癖が大変強い。私たち生徒のことを仔犬と呼び、指導をしてくれるそうな。しかしまあ、トレイン先生もクルーウェル先生も指導者としてはまともだし、私たちを贔屓目なしに見てくれる、のだろうけれど。

「疲れた……」
「うん。僕も少し疲れた……かも」
「お腹空いたね、ご飯行こうか」

 なんというか、やはり昨日のモストロ・ラウンジでの疲れも相まって、まだ初日だというのにこうも疲れてしまっている。しかし、大食堂のゴーストたちは今日から特に気合いを入れるらしく、なんでもビュッフェ方式なんて噂も耳にした。
 席から立ち上がって伸びを軽くすると、エペルの方を向いたのだけれど、その端正な顔立ちに惹き込まれそうになりつつも、彼はぽかんとした表情を浮かべていた。

「え、わ、……何か変なこと言った……?」
「ううん、そうじゃなくて。……ナマエサンは同じ寮の人たちと食べたりしないのかなって」
「えっ……? もしかしてエペルは寮の人たちと? だったらごめんね」

 そうか、まだ入学して三日目だけれど、寮に友達がいないのは私くらいなのかもしれない。コミュ力云々とかでなくて、私が自ら距離を置いてしまっているせいで。クラスで初めて話せたのもエペルだし、勝手にエペルのこともそう思っていたのだけれど、流石に失礼だっただろうか。エペルは、私とは違うのだから。
 まともに会話ができたのが嬉しくて、つい当然のように舞い上がってしまったことに耳まで熱くなってしまった私は、足早にその場から立ち去ろうとすると、それは制止された。

「違う。確かに食べる人がいなかったらおいでって言われたけど……ナマエサンは僕と一緒でいいのかなって」

 これは、気を遣われているのか、遠回しにやめろと言われているのか、それとも単純な疑問か。私の脳内には様々な可能性が、その中にはひねくれたものも提示されていくのだけれど、とにかく深く考えることは今一度やめて、率直な気持ちを伝える方に口が勝手に動いていた。

「エペルと食べたいんだ、私は」
「……! うん、じゃあ行こうか」

 私が女のことを隠すかどうかとかもどうでも良くて、エペルに笑いかけると、エペルも綺麗ではあるが破顔させて、席を立った。

 ◈◈◈

 大食堂では、本当にゴーストがシェフのような服を着て、本当に調理をして、本当にビュフェッサーバーに次々と補充をしていた。カルボナーラもミートパスタも何もかも美味しそうだったのだけれど、私は安定ともいえるオムライスとりんごジュースとその他を細々お皿に盛り合わせて、端の方の席に着いた。寮長の姿が目に入ったから、遠ざかるように。そこは偶然ポムフィオーレ寮生たちの溜まり場のようになっていたのだけれど。

「エペルもりんごジュース?」
「うん。えっと……どんな味なのかなって」
「へぇ……」

 好きだから、とかでなくて、どんな味なのかっていう理由なのが、なんとなく面白い。珍しい理由だと思う。りんごジュースを飲んだことがないわけではないだろうし。
 二人揃うと手を合わせて、料理に手をつけ始める。オムライスってやっぱり外れがないから、と思いながら食べ進めるのだけれど、ミドルスクールまでの生活でこんなにふわふわのオムライスが当然のように出てきたことはなくて、思わず口元を手で押さえた。その感動のままに横目にエペルのトレーに乗った料理を見ると、やっぱり見た目通り。クラムチャウダーと鮭のムニエル。へえ、魚介ばっかり。

「午後は体力育成だね」
「あっ、そうだった……。ちょっと憂鬱かも」
「そうなんだ。僕はちょっと楽しみ……かな」

 ああ、だから少しそわそわしているのだろうか。食べるペースが上がっている、というか。私は運動がそんなに得意じゃないというか、もともとは人並みなのだけれども、男子校の中では特に身体のつくりとしても並ぶことはできないだろう、といった理由で憂鬱に陥っているのだ。
 それから、エペルと話しているうちに、私が思っている以上の男の子、らしい。好きな食べ物はマカロンと焼肉で、それからサバナクローの寮長がかっこいいだとか、同じクラスのジャック・ハウルと仲良くなりたいとか。ジャック・ハウルがいまいち誰だかわからないけれど。話を聞けば聞くほど男らしいというか、そういう憧れが垣間見えた。これは、先日の自己紹介で彼を聞き流してしまったのも納得かもしれない。

 オムライスで膨れたお腹をりんごジュースで更に満たし、おかわりにまた別の飲み物でも汲んでこようかと思ったとき、先程までなかった気配が目の前にあった。

「ボンジュール!」
「わあっ!」

 今の今まで誰も座っていなかったのに、私たちの向かい側には羽のついた帽子を被った、腕章を見るにエペルと同じポムフィオーレ寮の男の人がいた。気配がいきなり現れるのが、あの双子や寮長と違ったベクトルで恐さを与えてきた。

「ルーク、サン。こんにちは」
「やあ、ムシュー・姫林檎。そちらはエペルくんのお友達かな?」
「ムシュー……? あ、えっと、そうです。同じクラスの」

 金髪に、特徴的な帽子。それから話し方。途端にこの場だけミュージカルでも始まってしまったのかと思った。この人が先輩なのか、エペルは。奇想天外で楽しそうだけれど、少し疲れそうだ。それか、もしかするとポムフィオーレ寮って全寮生がこのような感じだったり、するのだろうか。すると目の前のミュージカル俳優さんは、わっと手を広げて驚いたように見せた後、目を閉じて感心するように頭を横に振った。

「流石だよムシュー・姫林檎……。入学してすぐに友達を作ってしまうなんて」
「は、はあ……」
「おっと。二人の優雅なランチタイムを邪魔してしまったかな。私はこれにて失礼するよ」

 それだけ言うと、どこかに消えていってしまったようだ。要件なんて本当になかったように。絡みたがりのように。確かに私たちの向かいに座っただけで料理も何も持っていなかったけれど、気まぐれで私たちに話しかけただけなのだろうか。なんだか、よくわからない。オクタヴィネル寮に留まらず、ナイトレイブンカレッジが怖くなってきた。

「エペル、今のは……?」
「ポムフィオーレの副寮長、ルーク・ハントサン。……少し、変わってるんだ」
「少しというかだいぶ……」

 だいぶ変わっているような、と言おうとしたのを呑み込んで、咳払いをして誤魔化した。エペルの直属の先輩だし、失礼なことは言えない。それにしても、そのルークさんがこの学園で一番変わっているといわれても驚かないのだけれど。あの双子とは違った意味で。ルーク・ハントさん。インパクトが強いからもう覚えてしまった。
 ルークさんが去る直前、ハーツラビュル寮の生徒が明らかにこちらを見て何やらを言っていたのが、なんというか性悪で、とても気になったりはしたのだけれど、気を取り直して、エペルの方を向き直って、私から話を始めた。内容は、反芻するようなものだったのだけれど。

「体力育成、頑張ろうね」
「うん!」
「……でも、午後の授業一発目が体力育成って……その後モストロ・ラウンジでの仕事もあ――」

 昼食をとってすぐの授業で体力育成をするなんて、飲み込んだものがすべて出てきてもおかしくない。頑張ろうと意気込んだかと思いきや、すぐにネガティブ発言をして、この情緒不安定さにエペルはさぞイライラしているだろう。更にモストロ・ラウンジでの仕事もあるし、と愚痴を零そうとしたとき、ぬっと長い長い影が私を覆った。この微妙に香る爽やかな香水の匂いは、覚えがある。つい最近の記憶で、私の脳裏にしっかりと焼き付いていた。そのまま首を後ろに曲げ、見上げるようにすると、やっぱり、予感は的中だった。

「モストロ・ラウンジでの仕事が。で、続きは?」
「フ、ロイド先輩」
「あはっ。稚魚ちゃんのこと見つけたからぁ、来ちゃった」

 不気味に光る金色の瞳が、私を捉えた。瞳だけでなく、フロイド先輩の白くて大きな手が私の顎を押さえて、目を逸らせないようにして。この双子と話すときはいつも見上げて痛い首が、この角度だとよりいっそう、何倍も何倍も痛く感じた。片割れの方はどこにいるのかと思いきや、フロイド先輩から数歩離れた場所に立っていた。そのまま視線だけを動かすと、あれ、さっきまでもっと賑わっていたはずなのに、こんなに人少なかったっけ。

「稚魚ちゃん、隈すごいよ? チョウハンみたい。寝不足? 寝れないの? オレが話聞いてあげよっか」
「こらフロイド。いきなり話しかけるからナマエさんが驚いているでしょう」

 驚いているのではなくて、怯えているし怖がっていることを知っているくせに、副寮長はそんなことを言うのだ。油断していたゆえに、あ、とかう、とかいった言葉しか発することができなくなって、まるで赤ちゃんに戻ったみたいだ。そんな私を見て、フロイド先輩はあからさまに口角を上げた。またその笑顔が、私の背筋を伸ばすのだ。

「今日の稚魚ちゃんの仕事はキッチンね。オレが手取り足取り一から教えてあげる」
「う、……お願い、します」
「ふふ、ナマエさんは素直ですね」

 どうにかしてこの状況から抜けるべく、あくまで従順に、寮長たちの言いなりであると受け入れるような姿勢を見せると、顎を押さえつけられていた手から解放された。相変わらず、冷たい手だった。初日ではあんなに、フロイド先輩に安心感すら覚えていたのが嘘みたいだ。二人が完全に私たちの前から消えたのを確認すると、静まり返っていたあたりが次第に喧騒を取り戻していった。まるで、あの双子が魔法でも使っていたかのように。

「ナマエサン、大丈夫?」
「ん……ありがとう。大丈夫、だよ」

 どこか痛む首の後ろを押さえながら、逃れられないオクタヴィネルのしがらみに耐えるように、エペルに笑顔を向けたのだけれど、彼は決して笑顔は見せなかった。

 ◈◈◈

 疲れた。まだ、終わらない。まさかここまでとは。

「どうしたミョウジ! 動きが遅いぞ!」

 そりゃそうですよ。私と他の人たちじゃ筋肉量から何からが違いすぎる。エペルが話してみたいと言っていた見るからに体育会系なジャック・ハウルだけでなく、エペルにまで周回差をつけられてしまうとは思わなかった。食後云々以前にグラウンド二十周って、鬼でしょ。確かにある程度筋力がなければ魔法も拙いものになるというのはわかる。わかるけれど、初回でここまでしなくても良くないですか。そんな愚痴は頭の中だけに、どんどん私を置いていくクラスメイトたちを見ながら、息を切らしながら、ただただ足を動かす。口々に「おっそ」なんて言われているような気がするのはきっと、気のせいではない。

「ナマエサン、大丈夫?」
「エペルっ、……むり、かも」

 普段よりは速い息遣いだけど、凛とした表情でまた周回差をつけたエペルが私のペースに合わせてくれる。そんな、気なんて遣わなくていいのに。でも、駄目だ。吐きそうっていうか、死にそう。こんなに走ったことがないから、ペース配分とかわからない。口元を押さえ始めた私を見かねてか、エペルは私の肩に手を置くと、細くて白い腕を高く上げた。

「バルガス先生。ナマエサン、気分が悪いみたいだから……保健室に連れていってもいいですか?」
「エペル……」
「何? 体調不良は見過ごせないな。いいだろう。フェルミエ、同行してやれ」
「ありがとうございます。行こう」


 そうしてエペルに腕を控えめに引かれて連れて来られたのは、保健室ではなくて、中庭のベンチだった、林檎の木の下、丁度木陰になっているベンチに座らせられる。なんだか、林檎と縁がある気がするなあ。

「……保健室じゃないの?」
「うん。自然の近くの方が良くなると思って。それにここ、前に最高のサボり場所だって教えてもらったんだ」
「サボり場所って……エペル、あんなに楽しみにしてたのに」

 たった私一人の体調で申し訳ないことをしてしまったので、精一杯のお詫びの気持ちを込めて頭を下げる。するとエペルは私の横に腰かけると、首を横に振った。やっぱり、何度見ても、綺麗な顔だ。よく見ると、長い睫毛に縁取られた瞳の色も、綺麗。天からの贈り物のようだ。

「確かに楽しみだったけど……ナマエサンの方が心配だったから、いいんだ」
「……ありがとう。ナマエで、いいよ」
「……! うん。わかった、ナマエ」

 成り行きと、体調の優れなさから変な発言をしてしまっただろうかと思ったけれど、エペルは私のことをあのぎこちない呼び方でなく、呼び捨てで呼んでくれた。やっぱり、こっちの方が自然に聞こえる。それに、ちょっと打ち解けたような、そんな気がして嬉しいのだ。私だけがいい思いをするそれだけれど。
 それにしても、疲れたなあ。この後はモストロ・ラウンジで仕事して、明日の朝は起きれるだろうか。エペルが心配そうに覗いているのに気づいていながらそちらには視線を向けず、枝にぶら下がった林檎をぼんやり眺めた。

 そうこうして数分後、私の体調が少しずつ回復してきたのを境に、終業のチャイムが鳴った。バルガス先生、怒っていないだろうか。そんな思いが脳裏によぎったのと同時くらいに、木陰に被さった私の上に、また影が伸びてきた。爽やかな香りとかでなくて、もっときらびやかな――

「あらエペルじゃない。こんなところでサボりかしら」
「ヴィルサン……! そう、じゃなくて。友達が体調を悪そうにしていたから、休憩に……」
「ふうん……まあ、アタシには関係ないけど」

 きらびやかでありつつも、花の香りが混ざったような、それでいて癖のない香水の匂いの正体はどうやら、ポムフィオーレ寮寮長のヴィル・シェーンハイトだったらしい。エペルもだけど、やっぱりヴィル・シェーンハイトの顔は国宝級に綺麗だし、メイクもすごく上手い。髪も、艶やかで綺麗だ。
 そうして見惚れていると、ヴィル・シェーンハイト――長いからヴィルさんと呼ばせてもらおう。ヴィルさんの視線はエペルから私へと移った。そんな、有名人に見られるとエペルから見られるのとは違った恥ずかしさが込み上げてきてしまう。なんて、呑気に考えていたのも束の間だった。

「アナタ……」
「は、はい!」
「エペルと並んでも可愛らしい顔をしていると思えば、女の子なのね」
「……!!」
「ヴィルサン……!」

 まさか、いや、予感は少しだけ、ほんの少しだけはしていたけれど、またこうして指摘をされると身体が強ばった。エペルもやっぱり知っていて言わなかったのか、ヴィルさんの言葉を聞いて制止するように声を上げた。そんな張本人、ヴィルさんはいうと、けろっとした顔で、まるで私たちがおかしいかのような目を向けるのだ。

「何よ。まさか隠してました、とでも言うつもり?」
「……っ」
「はっ、無理があるわ。だってアンタ、隠す気がまったくないじゃない」

 ヴィルさんは私を鼻で笑うと、フロイド先輩や副寮長と違って、決して顔を近づけてくるわけではなく、見下ろしたままなのだけれど、あの二人よりも圧、というか説得力があった。なんの、説得力だろう。ヴィルさんから目を逸らしてはいけない気がするし、逸らせないけれど、きっとエペルは反応に困っているのだろうな。ヴィルさんは、さらに言葉を続けた。

「髪はまだ良いとして、しっかりとメイクまでしている。メイク自体はこの高校でも珍しくないけれど、センスが完全に男のそれじゃないわ。それにそのオドオドした態度に雰囲気。すべてがとても隠そうとしているなんて思えない」
「……それは」
「アンタ、オクタヴィネルなのね。アズールやあの双子には当然気づかれているでしょうけど……きっと他の生徒たちにも気づかれているわよ、それ」

 周りから触れられないから、何も声をかけられないから、もしかすると人付き合いが悪い生徒としか思われていないのかもしれない、と思っていたけれど、どうして気がつかなかったんだろう、私。エペルだって実際気がついた上で触れなかったのだし、むしろ女だからどの生徒も私に声をかけなかった、のだろうか。それから、ヴィルさんの正論すぎる正論につい、頭を下げてしまう。そんなことお構いなしと言うように、まだまだヴィルさんは言葉を紡いでいく。

「いいこと? どういう経緯なのかは知らないけど、男として過ごす選択をするのなら中途半端にしてないで演じなさい。それができないなら、自分の心のままに堂々と生きること」
「心の、まま」
「ええ。そうじゃないとアンタ、いつか心が壊れるわよ」

 ヴィルさんは、テレビで見るような外向きの顔なんかでなく、私に対して真摯に向き合って、つくらない表情のままそう告げた。その表情は、私が女を隠していることに関してではなく、私がどっちつかずの中途半端な状態で生きていたからだ。私自身、これには心の片隅で違和感を抱いていたと思う。だから、このタイミングで気づかせてくれたヴィルさんには、何も返す言葉がない。
 自分自身を責めるような気持ちで、運動着の裾をぎゅっと握ると、ヴィルさんの方を見上げ直した。

「ヴィルさん、」
「……」
「私、自分に正直に生きます」

 きゅっと口を結んでから、満を持してそう吐き出せば、ヴィルさんの表情は笑顔へと変わった。以前雑誌で見た、ふんわり花が咲くような笑顔ではなくて、凛々しくて、真っ直ぐ私を見てくれる。そんな笑顔を向けてくれたのだ。それと同時に、私の隣からも息が洩れる音が聞こえた。

 ◈◈◈

 発注しておきましょう、と言われた次の日にはもう、男子校のはずのナイトレイブンカレッジの制服のデザインのままのスカートが私の部屋に届いていた。すぐさまクローゼットに隠して、使わないと思っていたのだけれど、まさかこんなに早く。

「心のまま、かあ……」

『心のままに堂々と生きること』

 私が入りたかった寮の、しかも寮長であるヴィルさんの言葉が、声が、あの瞬間から頭の中で響いたままだ。

 私は女優じゃない。

 ダンボールに入ったままの、金色のラインが入ったスカートを思いきって穿くと、スカートの代わりに香水を中に入れた。そして、昨日までよりも丁寧に髪を整えて、メイクを施して、学園の校舎へと向かったのだった。
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