限りなく春に近い

 遠くで声が聞こえる。ぼんやりした意識に記憶で、薄らと目を開けると、暗い。薄暗い。そして冷たい。硬い。床に手を這わせると、コンクリートのようなひんやりとした感触があった。
 次第に意識がはっきりして、目を閉じる。ここで易々と起き上がれば、すぐに会話をすることになってしまうだろうから。気がつかれない程度に、服をまさぐる。どうやら乱れはなさそうだ。気絶している間に、なんてことも考えたけれど、たった今その線はなくなった。

「……まだ起きねーのかよ」
「ちょっと強すぎたんじゃね?」

 おそらくクロロホルムを吸わされて、気絶だけで済んだのは良かった。クルーウェル先生が、あれだけ綺麗に眠るのはフィクションの中だけだって。本来は吐き気とか頭痛とか、そっちの作用の方が強いって言っていたから。
 マジカルペンも、当然のことながら最後に見た景色と同じ。マジカルペンさえあれば、ユニーク魔法で一発なのに。魔法石なしで魔法を使って、身体にブロットが溜まる方をとるわけにもいかない。それで相手が先に魔法から解放されてしまえば、圧倒的不利になるのだから。

「おい起きろって」
「無理やり叩いたら起きるだろ」

 声が近くなって、硬い足音もこちらに向かってきた。叩く、だから、身体が頬か。まあ、どっちでもいい。全然知らない人間に勝手に触らせたくないから、丁度相手が屈んだタイミング。ごく薄く目を開けて、私に影が被さった瞬間に、今起きました、というふうにゆっくりと瞼を持ち上げれば、視界がクリアになった。

「おっ。お目覚めか? プリンセス」
「……ふ、プリンセス、ねえ」

 まるで寝ぼけているみたいにそう呟くと、ゆっくりと上体を起こす。私とプリンセスって、対義語みたいなものじゃないの。この学園にプリンスみたいな人もいないし、じゃあ、私に相応しい言葉ってなんだろう。ああ、シルバー先輩なんかはプリンセスもプリンスもよく似合うと思う。
 仮に私がプリンセスだとして、こんなに冷たくて硬い床に寝かせておくのはどうかと思う。硬い地面に手をついて、完全に起き上がると、私の目の前にいたらしいサバナクロー寮生は一気に立ち上がった。うわあ、でか。

「教えてください。ここはどこですか?」
「そんなん教えるバカがいるかよ」
「じゃあ、時間は?」
「随分余裕だなァナマエちゃん」

 助けを待つだけのプリンセスに、それくらい教えてくれたっていいのに。まあ、ともあれ時間稼ぎだ。今のうちにスマホで録音をするか、それとも寮長あたりに通話を繋げようか。そう思ってジャケットのポケットに手を入れた。けれど、まさかの大誤算。スマホは鞄の中だし、その鞄は見渡す限りここにはない。廊下に落としてきた、あのままだ。結構抜かりないじゃん。
 急激に余裕がなくなった私は、唇をきゅっと結んでから、ふらつくようにその場に立った。あまり広くはない。薄暗いけれど、磨りガラスの高窓が多少のヒントだ。日が短い今の時期で、まだ夕焼け色。さっき意識を失ってから、そこまで時間は経っていないだろうから、距離としても学園内だ。寮か、また違う使われていない施設か。普段の行動範囲がそう広くない私にとって推測できるのはここまでだった。

「最近あの厄介なウツボといないからさぁ、今がチャンスだと思ってよ」
「何度も聞きましたって、それ」
「ナマエちゃんも正直我慢できねぇだろ? そんなにスカート短くしてさ」
「デフォルトですけど」

 こういうやつらの気持ち悪さは、計り知れたものではない。ロイヤルソードアカデミーの連中にも、確かに嫌悪感や吐き気は催すけれど、こういう脳が下半身に直結しているタイプの方が遥かに気持ち悪い。そういうお店に行けばいいのに、と思ったけれど、そういえば未成年か。うえ、と思わず言ってしまいそうになるのを、これ以上余計なことをわざわざするまでもないな、と考えて、スカートを膝が隠れる程度の、元の長さに戻していく。

「いいじゃんオレら三人くらい相手してくれてもさ。普段慣れてんだろ?」
「……」
「図星じゃん」
「そりゃあんだけ男と絡んでたらわかるって」
「実際のとこ何人?」

 大不正解。ギャハハ、と下品な笑いをする男三人の勝手な妄想に過ぎない。というか、もしかしたらもっと人が増えてるかもって可能性も懸念していたのだけれど、人数はちゃんと三人のままなんだ。
 それにしたって、なるほど、私は周りからそういうふうに見られているのか。まあ、わからないでもない。それは完全に調子に乗ってしまっている私のせいだし、むしろ今までこういうことがなかったのが奇跡というか。周りにどれだけ恵まれていたのかがわかる。

「これ、レオナさんにバレたらまずいんじゃないですか?」
「あ? バレる前に済ませちまえばいいだろ」
「……レオナさんもこんな寮生を持って可哀想」

 ラギーさんあたりにも、それからクラスメイトのハウルにもそれはそれは軽蔑した目線を送られるだろうに。なんなら、死ぬかも。偶然にも、他寮の生徒と交流が少なくなくて良かった。ああ、でもイグニハイドの友達をもう少しつくっていれば、居場所なんてすぐに突き止めてしまっていたかも。

「クルーウェル先生に、停学くらいにはしてもらいますか?」

 この埃臭い、部屋か小屋か。そこそこ強力な魔力の波動を感じる。おそらく防音魔法か、施錠魔法か、その類だ。なら、まだそういった魔法を使えない私たちと同じ一年生ではない。三年生はもう少し落ち着いているイメージだし、ならば二年生か。ジャミルさんが私の噂どうこうって言っていたけれど、まさかこういう話じゃないでしょうね。
 分析をどれだけしたって、ここから逃れる解は生み出されない。一度、目の前の男のマジカルペンを拝借させてもらおうか。

「……リドル先輩が知ったら、首が飛びますよ」
「別に魔法が一時的に使えなくなっても、女のお前よりは強いから困らねぇよ。なぁ?」
「――マレウス・ドラコニアが動いても?」
「なっ!!」

 なんて。たとえセベクやシルバー先輩が助けを乞うてくれても、マレウス・ドラコニアが見ず知らずの私のために動いてくれるとは思いがたい。ただ、もう私がこうして連れ去られてから三十分以上は経っているはずだ。そろそろリドル先輩あたりが不審に思ってくれているに違いない。だから私は、来るかどうかわからない助けを待つだけ。
 男の胸ポケットに入ったマジカルペンをにさり気なく手を伸ばして、マレウス・ドラコニアという言葉に怯んだ瞬間、素早い動きでそれを奪い取った。よし、今ならいける。

「『果てまで落ちて、水面に』――」
「チッ。おい! 早く押さえろ!」
「きゃっ!」

 ユニーク魔法をかけて、今すぐ逃げてやろう。その計画の成功が確信に変わった瞬間に、すぐさまその確信は、希望は、絶望に変わる。まだ未熟な私は、詠唱を省略すれば失敗する可能性がある。だけれど今回ばかりは、私のミスだった。

「手間かけさせやがって」
「っ……」

 マジカルペンを構えた方の手を手早く掴まれ、手を振ってみたり、暴れてみたりと試みるけれど、どうも男の力、それもサバナクロー寮生に敵うわけなかった。その様子を見ていた男は、「やっと余裕じゃなくなってきた感じだな」とけたけた笑う。うわあ、気持ち悪い。
 そろそろ一時間くらいは経ってる? 誰かが先生に言ってくれたりしているかしら。けれど、広すぎるナイトレイブンカレッジの敷地内で、こんなに小さな場所、それも魔法のかかった場所をピンポイントで当てるなんて、どれほど時間がかかるだろう。

「……触らないでよ」
「今更純情ぶる気かよ」
「純情の意味、辞書で調べた方がいいですよ」
「ハッ、いつまでそうやって舐めた口きけんだろうな」

 ぎり、と歯ぎしりをして、目の前の男を下から睨めつけるけれど、もちろん効果は手薄。別に、こんなことされたってあなたたちのことは怖くない。気持ち悪くて、馬鹿で、愚かってだけ。
 男が焼けた腕をこちらに伸ばして、私の首元に触れようとしたから、可動域が狭いながらもそれを避けると、男は舌打ちを鳴らした。それから、私のシャツの、襟の部分を掴む。

「そう怖い顔しなくても、酷くしねぇからさ」
「っ、……オクタヴィネル寮って、怖いんだよ」
「は?」
「その中でも、特に怖い双子と、寮長が私の後ろについてるの」

 寮長も、副寮長も、フロイド先輩も怖いんだから。私だって、オクタヴィネル寮生なんだから。敵に回したら、一生ついて回る。ふ、と笑えば、目の前の男は顔を歪めた。

「急に何言ってんだ気持ちわりぃ」
「おい、とっとと始めようぜ」
「そうだな。じゃあ――っ!?」

 これ以上私に触らせてたまるか。金的を狙う度胸とかはまだ存在しないけれど、自由に動かせる頭を、思いきり目の前の男の額にぶつけてやった。一度やってみたかったんだよねえ、頭突きってやつ。もちろんこんなことで解放されるようでは甘い。男はよろけて、体勢を立て直すと、鼻から鮮血を流していた。狙ったところとは違うけれど、クリーンヒットってところだろうか。初めてにしては上出来じゃん、私。
 私の華麗な頭突きを受けた目の前の男は、状況整理をするためにわなわなしてから、キッとこちらを睨んだ。

「テメェ! せっかく優しくしてやるっつってんのに舐めんのも大概にしろよ!」
「沸点低。生きづらいでしょ、先輩方」
「いちいち頭に来るメスだな! 他人に頼ることしかできないくせによ!」

 他力本願で、悪いですか? 私の人脈のそこそこな広さも、私の武器の一つでしょ。チンピラでも結構。頼る人が何人もいるっていう点では、私の方が強い。
 睨まれたって、こんなやつら、ちっとも怖くない。このまま暴れて、煽って、できる限りの時間を稼ごう。だって、私が今一番怖いのは――

「実際、その双子。フロイドの方に見放されてんのは事実だろ? こうして容易く連れ去られたんだからな」
「なっ、……そんな、こと」
「あれ? 急に威勢なくなったんじゃね?」
「こいつの弱点もあのウツボってわけか」

 トラッポラは、あんなことを言った。けれど、とうのフロイド先輩は、私が見ていたフロイド先輩は、私なんていてもいなくてもどっちでも良さそうで、むしろフロイド先輩がいないと寂しくて仕方ないのは私の方だ。今まで通りに、戻りたい。そもそも、私が距離を置くなんて決めなかったら、今まで通りフロイド先輩と近くにいて、時には情緒が乱されて。少なくとも、一人でいたところでこういうやつらに捕まったりはしなかっただろう。

「……」
「あーあ。黙っちゃった。かわいそー」
「大丈夫だって、オレらが慰めてやっから」

 汚い手で触らないでよ。そう思うけれど、反抗する意思は途絶えた。もしかしたらリドル先輩や馬術部の皆が助けに来てくれるかもって思ったけれど、そんな中で私は、ひそかに、心の奥底でフロイド先輩が来てくれることを期待していた。いつだって私の面倒を見てくれて、いざというときは助けてくれたであろうフロイド先輩が、今や来る確信なんて毛頭ない。
 抵抗をやめた私を見て、不快な笑みを浮かべたサバナクロー寮生は、ネクタイの結び目の部分を掴んだ。この間クルーウェル先生が触ってくれたのに、もう台無し。どうすることもできないのに、こんなやつらにこれ以上触られるのだけは絶対に嫌だ。
 結び目が解かれていくのを見て、精一杯に身体を捩るけれど、もちろん拘束から解放されることはない。ねえ、やっぱり私って他力本願しかできることないじゃん。

「やだ、助けて。助けてよ!」
「おっと。そんな声届きもしねぇよ」
「やぁっとそういう顔できるようになったみてぇだな」

 じたばたしても、相手は男三人。やっぱり勝てるわけないし、他力本願にも限度がある。そんなことわかってるけど、男子校に突然入れられた女子一人が、こんなに恵まれてきて、愛されてきた身体、絶対に触らせるわけにはいかない。お願いだから、助けてって。

「助けて、フロイド先輩!」

 ぎゅ、と目を瞑って、零れ落ちそうな涙を堪えて、絶対に来ないであろう名前を呼ぶ。私、昨日まであんなに心地が悪かったのに、フロイド先輩が海の匂いと全然違うって言ったあの香りに包まれたくてたまらない。いつもみたいにからかわれて、変に寿命を縮めて、あの日常が戻ってきてほしくて仕方ないの。寂しくて、仕方ないの。
 ネクタイがしゅる、と解かれて地面にはらりと落ち、クルーウェル先生にお前は閉めろと言われた第一ボタンに手をかけられた瞬間、小さな扉がバン! と音を立てて、開いた。それと同時に細かい埃が妖精の粉みたいに散って、それを沈みかけた夕陽が照らすことで鮮明になる。やっと、綺麗な景色。

「お待たせ、ナマエちゃん」

 逆光で、影のようになっているその人は、私が求めていた人。息を切らして、肩を揺らす。姿がはっきり見えなくてもわかる。その声に、その影。ピアスがちりんと揺れると、ぶわ、と溜め込んでいた涙が込み上げて、嗚咽を洩らす。この学園に王子なんて言葉がが似合うのは一人だけって言ったの、誰だっけ。
 すると、それと同時に私の目の前の男が声を上げた。

「てめっ、お、お前! なんで居場所がわかったんだ!?」
「あー、今そういうのどうでもいいわ」

 私の大好きなゴールドとオリーブは、私を見るときとは違う光り方がすると、首に手を押さえながらこちらへと一歩ずつ近寄ってくる。すると、サバナクロー寮生はわかりやすく声を震わせると、後ろに一歩ずつ下がった。ほら、だから怖いって言ったのに。
 そのままフロイド先輩は、容赦なくサバナクロー寮生を絞め上げた。

 ◈◈◈

 先に手を出してきたのは、あっちの方だ。なのに今は、その三人が床に転がっている。フロイド先輩は絞めるだけに足らず、そのまま何度も殴ろうとしていたけれど、意識はとっくになくなっていたので、私がフロイド先輩の腕を掴んで止めれば、すぐに腕を下ろしてくれた。

「……フロイド先輩」
「ナマエちゃ、……あー、」

 こんな真冬なのに汗かいて、息を切らして来てくれたのって、私のためでしょって思って、フロイド先輩の袖をくい、と引っ張ると、ゆっくりとこちらを向いた。それから、長い腕がこちらに伸びてくるものだから、撫でられるのか、殴られるのか、何をされるのだろうとわずかに身を引いた瞬間に、その腕の動きが止まって、腕が引っ込められた。それから、ポケットに入れていた、黒いインクの染み一つない、白い魔法石が輝く万年筆を取り出す。絞めたときに取り返してくれたのだろう。

「……ほら、ナマエちゃんのマジカルペン」
「……え」
「今度から取られないようにね」

 ねえ、私に腕を伸ばして何をしようとしたの。どうして、途中で止めちゃったの。ふい、と私から視線を外して、ただ大きな手のひらにマジカルペンを置いて、私と目を合わせようとしない。今、そんなマジカルペンなんていらない。そんなものいらないから。

「えっ。……ちょっ、は!?」
「ごめ、ごめんなさい。ごめんなさい、フロイド先輩」

 伸ばされた手を追いかけるみたいに、私がフロイド先輩の腕を掴んで、そのまま寄り縋って、大好きな香りで肺まで満たした。私が背中にぎゅっと力を込めれば、初めてこんなに狼狽えたフロイド先輩は、数秒後に、私とフロイド先輩の間に巻き込まれてしまった腕を抜くと、ぽん、と背中に回してくれた。すごく、すごく安心する。サバナクローの連中に触られた分、取り返して。

「う、フロイド先輩、ごめんなさ、うわぁ……」
「え、ちょっと、ねえ、なんで謝んの!? 謝らなきゃいけねーのオレの方だって。ねえ、ナマエちゃん」

 零れる涙を抑える余裕なんてないし、それによってアイメイクやらが崩れてフロイド先輩のシャツに染みを作ってしまうとか、そんな悠長なこと考えていられない。フロイド先輩は怒るわけでもなく、甘い声でもなく、ただただ困惑するように私の背中を、ぎこちなく撫でた。

「怖かったでしょ。触っても、大丈夫なの?」
「全然怖くなかった、ただ、フロイド先輩が来てくれて嬉しくて、……さ、触ってください。ごめ、なさい」
「ちょ、触ってくださいとか軽々しく言うなって。……はぁ」

 本当に、フロイド先輩だ。フロイド先輩が、あんなに酷くした私のために来てくれた。口から零れるのは、うわぁ、という子供みたいな泣き声ばかりで、埒が明かない。フロイド先輩は私の髪を一回、二回と梳いてから、一度私を引き剥がした。それから、手に持ったままのマジカルペンを胸ポケットに入れてくれて、地面に落ちていたネクタイも、いつの間にか拾っていたらしい。

「そんなにぐちゃぐちゃにして、稚魚ちゃんみたいだねぇ」
「う、ん。嬉しくて、私。フロイド先輩、フロイド先輩」
「そんなに呼ばなくても聞いてるって。わかってるから」

 フロイド先輩は私にネクタイをかけると、器用に結んでくれたので、普段はネクタイなんてしていないから、まさか結べると思わなくて。結べたの? という意味を込めて目を向けると、「目真っ赤じゃん」と笑った。

「オレだってネクタイくらい結べるし。なんならナマエちゃんより上手いから」
「うん。……うん」
「何もされてねぇ? 身体平気?」
「私、いっぱい時間稼いで、」
「ん。偉いねぇ。あいつの鼻もナマエちゃんがやったんでしょ? やっぱ強ぇわ、ナマエちゃん」
「……ん」

 ぐずぐずに濡れた目元を、フロイド先輩の親指が拭うと、今度はフロイド先輩が私のことを引き寄せた。私の、大好きな人たちのなかの一人。そのフロイド先輩の香りに包まれて、くらくらして、背中に回されたフロイド先輩の腕におずおずと手を添える。ごめんなさい。ごめんなさい。

「私、フロイド先輩に何もされてないし、嫌いにもなってないの」
「そっか。……そっか」
「むしろ、すごく、大好き。ねえ、フロイド先輩。助けに来てくれて、ありがとう」
「んーん。今回ばかりはマジで寿命縮まったけど、全部許したげる」

 そうして私の背中に、苦しいくらいに力を込めると、また何かがこみ上げてきそうになるから、奥歯を噛んで、ぎゅっと目を瞑って、これ以上溢れてこないようにする。なのに、抗えなくて、どうしても涙がぽろぽろ零れて、フロイド先輩のシャツに顔を押さえつけた。

「そろそろ行こっか。イシダイせんせぇに報告して、トド先輩にもね」
「うん、……うん」
「金魚ちゃんたちも心配してるから」
「うっ、……うん、うん」
「あーもう、そんな泣かないでって」

 フロイド先輩がまた優しく髪を梳いて、肩が震えて止まらない私の、びしょびしょでぐちゃぐちゃになった顔を、頬を両手で挟むと、無理やり上を向かせた。ぼやけた視界の中で、金色が揺れる。その瞬間だけ涙が止まると、優しい金色が細められて、それを見てまた涙がぶわっと出てくるものだから、フロイド先輩は慌てたように口を開いた。
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