私が落ち着いた頃には、まずはリドル先輩やシルバー先輩、それからセベクが息を切らして立っていて、もう日もとっくに沈んでいた。
「ナイトレイブンカレッジ生たるもの、なんて恥晒しなやつらだ。ナマエ、怪我はない?」
「すごく、元気です」
「……本当に良かった。ミーティングはまた後日改めて行うから、今日は安心してゆっくりお休み」
「ありがとう、ございます」
フロイド先輩がすぐにクルーウェル先生を呼んでくれて、ご到着まで目を覚ましたサバナクロー寮生の三人は冷たい床で正座をさせられているところだった。リドル先輩が私の、それはもうひどい顔を見て、けれど身体にどこも変わった様子はないことを確認すると、安堵の息を洩らしてくれた。嬉しいなあ。嬉しいけど、申し訳ない気持ちもある。
「ナマエ。フロイドから預かっていた。廊下に落ちていたらしい」
「あ、……良かった。ありがとうございます」
「ああ。無事で良かった」
シルバー先輩はいつもと変わらない表情で、けれど汗で前髪が張り付いていて、必死になってここまで来てくれたんだと思うと、もう、本当に、嬉しくて仕方ない。シルバー先輩が、鞄を渡してくれると、軽さは同じ。週明けの軽さだ、と開けてスマホを取り出すと、何件もの不在着信通知があった。リドル先輩にシルバー先輩に、セベクとフロイド先輩と副寮長、寮長、とんでもない数だ。
胸の内の方が温かくなって、けれど日が落ちたせいもあって肌寒くて、そういえばコートは教室に置いてきたかしらと思えば、ふぁさ、と音を立てて私の身体を何かが包んだ。
「……セベク」
「なんて顔をしているんだ。それに、そんな薄着では風邪をひくだろう」
「セベク、寒がりなのに」
それはどうやら寒がりセベクが手に持っていたもので、寒がりのセベクがコートを着ていないの。彼も、必死になってここに来てくれて、暑かったのだろうか。もう、どうしよう。皆まとめて大好きすぎて、ああ、これは確かに変な噂が立ってしまうのも納得といえば納得だ。
私の、セベクを逆に気にかけるような言葉を聞いたワニさんは、くっと眉根を寄せると、私の頬を片手で挟んできた。いたい、いたい。
「こっちは心配してやってるのだぞ!! あんなに慌てたのは久しぶりだ!!!」
「……うん。ありがとう」
「……ふん、わかればいい。それに寒がりなのは貴様も大して変わらないだろう」
セベクがわざわざ慌てただなんて言うの、本当に素直だよ。変な顔にさせられたままお礼を言うと無事に解放され、セベクにかけてもらったコートに腕を通すと、わあ、大きい。萌え袖どころではなく、ぶかぶかで、キョンシーごっこができそうなくらい。セベクも、私のこと大好きじゃん。リドル先輩も、シルバー先輩も。私を見たセベクが、珍しく、小さな溜息を零すと、額のあたりを押さえた。
どうやら、もちろんクルーウェル先生だけでなく、バルガス先生やトレイン先生、学園長も直々にいらっしゃるらしくて、まあ、なんて
「どうか、されました?」
「……いや。気のせいか? 脚の出ている面積がいつもより狭いように見える。やはり寒かったのか」
「……ああ、」
「破廉恥だぞ、シルバー!」
「! すまない」
私も、かわいいからという理由でスカートを折っているとはいえ、男子校にいるからには、そういう危険性も考えていた。周りからの視線がそういうものに変わったとき、自然と元の長さに戻すようにしているのだけれど。特に、今回の件でその危険性は身に染みてわかった。だから、もうあまりそういう、女を全開にするのは良くないかなあ、なんて思ったりもするのだ。そういえば、オクタヴィネル寮や馬術部、クラスにいるときはそういうことをしたことがないなあ。
「短いと、やっぱり危ないみたいで」
「そうなのか」
「まあ、それもわかるけど……今ナマエちゃんのことそういう目で見るやつがこの場にいたら速攻絞めるから、別に短くしてもいいよ?」
「う、うん……」
フロイド先輩に言われるがまま、スカートを一回、二回と折る。折っている最中、フロイド先輩はいつものごとく私に背後から絡んだまま見下ろしているみたいだったけれど、セベクとリドル先輩は初々しい反応というのか、目線を斜め上にして待っているようだった。シルバー先輩、スカートの長さと寒さは、ちょっとしか比例しないの。そうして襞を整えると、いつも通りの長さ。いつもは意識せず、当たり前のように跡になった部分を追うように折っていたけれど、
「やっぱ、こっちの方がいいや」
ヴィルさんだって、こっちを望むはず。私が、こっちを望んでいるから。スカートの裾を持ってはたいて、そうやって笑顔で言えば、リドル先輩とセベクも、同意するように笑って、指摘をしたシルバー先輩も、笑みを息だけで零した。
「前にナマエが素足の方がかわいいと言っていて、よくわからなかったが」
「? はい」
突然あのときの、リドル先輩とシルバー先輩からの正論指摘トークを掘り返されて、やっぱり寒そうだから下にジャージを履くべきだ、とか、寒くないのか? といった類のことを言われるのだろうな、と思って、シルバー先輩を見たのに。オーロラ色の光が、暗がりの、ほんのわずかな外灯の光しかない今でも曇りなく輝いていて、すぐさま私の予想を裏切る光になるのだ。
「確かに、俺もさっきの長いのよりそっちの方がかわいいと思う」
「なっ……!!!」
「ふ、不意打ち……」
「うーわ。クラゲちゃん、そんなキラーフレーズ言うのかよ」
薄い唇が、まるで何も大したことを言っていないとでも言うように淡々とそう告げるもので、理解するまで多少の時間を要した。脳がその言葉を処理している間に、セベクが一番大きな声で驚いて、その数秒後にぼっと顔が赤くなった。いや、だって、こんな綺麗な顔の人に、私自身のことじゃないにしてもかわいいと言われるなんて。何より、普段そういうこと言わないから。
はわわ、と漫画みたいに口をぱくぱくさせていると、セベクは顔を顰めて、フロイド先輩は「ナマエちゃんオーバーヒートしてんじゃん」と私の顔をむにむにしていた。
「すまない。気を悪くしただろうか」
「や、その、違う。違います」
「待たせたな、仔犬共。……無事か?」
「! 無事です」
シルバー先輩のド天然口説き文句に顔の火照りが冷めないで、あわあわと顔を背けるだけにしていると、複数の足音と、バサバサという羽音が立って、私たち五人が一斉にそちらを向くと同時に、クルーウェル先生が私たち仔犬に言葉を投げた。予告の通り、バルガス先生に、トレイン先生、それから学園長まで。私が頷くと、「そうか」とだけ零したクルーウェル先生に続き、バルガス先生はずかずかと室内に入ってきたかと思うと、あのサバナクロー寮生に物申してくれるらしかった。
「あの、……ごめんなさい。こんなに大事にして」
「謝ることはない。ミョウジは何も悪くないだろう」
「でも、そのもともとの原因って、」
「そうやって自分を責めるな。それに、生徒の一大事に教師が動けなくてどうする」
クルーウェル先生が私の前に靴音を静かに響かせて立つと、馬術部の三人は自然と避けて、フロイド先輩だけは私から離れずにしていた。やっぱり、あいつらに触られるのと違って、少しも嫌悪感なんてない。クルーウェル先生の言葉に、学園長は深く頷き、トレイン先生も、それからルチウスも不細工な鳴き声を披露して同意を表した。それに対して、私も無言で頷けば、「いい子だ」と声が降りてきた。
「君たちもご苦労だった。後の措置はバルガス先生とクルーウェル先生に任せて、寮に戻るといい」
「わかりました。キミたち、トレイン先生のおっしゃる通りにするよ」
「承知した! シルバー、早く若様の護衛のために寮に戻るぞ!!!」
「わかった」
リドル先輩は先生方にお礼を丁寧にして、セベクも失礼する、と潔く礼をした。すると、セベクは一目散に大好きな若様のために寮へと走っていくものだから、つい笑ってしまった。二人とも、若様が大好きだよねえ。マレウス・ドラコニアも、あんなに素敵な騎士二人がいるなんて、誇らしいでしょうに。
シルバー先輩も続いて走っていくと、この場に残されたのは、説教を受けているサバナクロー寮生と先生方、それからフロイド先輩と私になった。
「リーチ、お前も寮に戻っていいぞ。ミョウジは少し処置をしよう。保健医の先生はもう勤務を終えたが、俺も多少なら診れなくもない」
「はい。ありがとう、ございます」
「せんせぇ、オレも行く。どうせナマエちゃんと帰るとこ一緒なんだしさ」
「……いいだろう」
フロイド先輩が私の肩にぶらんと腕を垂らしたまま、私の方を見ながらそう言うと、クルーウェル先生はパッと一瞬、ものの一瞬だけ目を見開いて、了承した。ここには、色々な香りと色が混ざっている。
◈◈◈
「クロロホルムだと思います。先生に聞いたことがあったから、あまり吸わないようにしました」
「まさかあのとき話をしていたのが役に立ったとはな……。しかしよくやった。おかげで酷い中毒症状も出ていないようだな。これを朝と晩に飲むといい」
「ありがとうございます」
借りたコートを畳んで、ベッドに腰かけた私の前に丸椅子を置いた先生は、先生が調合してくれた粉末の薬を一つ一つ、一回あたりの量ごとに個包装にすると、まとめて瓶に入れてくれた。相当苦いらしいけれど、魔法薬のような特有の不味さはしないらしいから、その点では安心だ。先生は目頭を押さえて大きく溜息をつくと、「確かに容器の位置が少し変わっていると思ったが」と零した。
「本当に、何もされなかったか。この一件で、ミョウジが俺たち男に恐怖やトラウマを抱くものなら、治療やカウンセリングも考えた方がいいだろう。記憶を消す薬をやることもできるが……」
「触らせないようにしました。少し掴まれたくらいで、他は何もされていません。怖くもなかったし、今も怖くないよ」
「……まあ、それは見たままのようだな。ミョウジは強い」
抱いたのは、気持ち悪い、愚か。その二つだけで、怖いなんて微塵も思わなかった。私があの瞬間最も怯えていたものは、今や嘘みたいに怖くなくて、隣で私の手の甲を上から包んでくれている。記憶を消すと言っても、きっと限定されたものではないだろうし、それで記憶が消えてしまえば、今私が抱いているものもすべて台無しになってしまうだろう。クルーウェル先生は、私たちの手にすっと視線を移してから、私のことを真っ直ぐと見て、瓶を手渡ししてくれた。こうして見ると、結構な量だ。
「あの馬鹿な駄犬共は停学処分くらいは簡単に下るだろう。ミョウジに対する強姦未遂、それから準備室から許可なく物を持ち出したのだからな。その点は安心するといい」
「そう、ですか」
「ああ。それとキングスカラーにも強く指導するように話はいっているだろうな」
「……レオナさんに申し訳ないなあ」
「寮長である以上仕方のないことだ」
レオナさん自体はこういうことをする人じゃないから、監督の不行き届きだとしても申し訳ない。レオナさんがどれくらい指導してくれるかわからないけれど、それでもサバナクロー寮生の素行がマシになればいいなあ。迷惑をかけてしまって申し訳ない、と今一度言えば、先生は「お前たち二人の関係がどうであれ、元より馬鹿な考えを持っていた駄犬がいたことには変わりない」と脚を組み直した。
「……さて。ミョウジ、他に何かアフターケアを望むか?」
「いえ、大丈夫――」
「せんせぇ、オレがやる」
「……フロイド先輩?」
もう十分に話は聞いてもらったし、薬も出してもらった。だからもう、先生に望むことは特にないし、カウンセラーの先生の手を煩わせるわけにはいかないと首を横に振ったのだけれど、それを遮ったのは、私の隣にいる人魚だった。ヒレのように足をばたばた、ベッドからぶら下げて動かすと、その動きを止めてから私の手に込める力を強くした。
「ナマエちゃんと、二人で話させて」
「フロイド、先輩」
「大丈夫。ナマエちゃんが嫌がったりしたら、すぐにイシダイせんせぇのこと呼びに行くから」
そう言って、フロイド先輩がクルーウェル先生のことをじっと見ると、クルーウェル先生は丸椅子から立ち上がって「わかった」とだけ言った。二人で、何を話すんだろう。話したいことは山ほどあるのに、いざこういう場面に立たされると、言葉が詰まるに違いない。そうして下を向く私に、クルーウェル先生は何も言わないから、きっと、フロイド先輩にすべて任せて大丈夫だと判断したのだろう。
「明日の学校は休んでもかまわない。仔犬の担任に話はつけておこう」
「多分、大丈夫だと思います」
「そうか。俺はしばらく職員室に残っている。遅くなりすぎないように」
「はぁい」
「出るときは電気を消し忘れないようにな」
先生はこちらを振り向くことなく、コートの尻尾のような部分を揺らしながら、保健室を後にした。
それから、数秒間の沈黙。私の手を包んだままのフロイド先輩の顔を、下を向いたときに垂れた髪の隙間から盗み見る。フロイド先輩は、私と同じようにわずかに下を見ているけれど、口端をきゅっと結んで、何か言いたげにしていた。それでも私から話を振ることはできずに、そのままでいると、不意にフロイド先輩の親指が手の甲をなぞったので、肩がびくんと跳ねた。それを見たフロイド先輩が慌てて私から手を離したから、びっくりしただけ、と小指を追いかける。
「ごめっ、…………あのさぁ」
「……はい」
「……オレのこと、呼ぶ声が聞こえた気がすんだよね」
「…………え」
驚いて咄嗟に右を見ると、フロイド先輩は私の方をちら、と見てから、目を合わせずにまた下の方を見て、ただ私の手を柔く何度も握る。口端はほんの少しつり上げたまま、何かに思いを馳せるみたいな表情をして、何故だか胸がきゅっと圧迫されるような心地になった。
「知ってると思うけど、オレら鼻がいいんだよね。獣人族にも引けを取らないくらい」
「……はい」
「けど、鼻がいいっていっても範囲的には三メートルくらいが限界。人より嗅覚が敏感ってだけで、ナマエちゃんを見つけるのには全然役に立たなかったし」
フロイド先輩は、下を向いて、髪をひと房垂らすと、悔しそうなのにほんのり笑いながら、自身の右手を開いたり閉じたりするのを見つめた。
「廊下歩いてたら落ちてる鞄見つけて、そしたら金魚ちゃんにナマエちゃんが部活に来ないって言われてさ。無断で休むなんて今までなかったし、マジでヤバいやつかもって思って」
「……」
「オレのせいかもって思って、必死でさ」
「ちがっ! ……フロイド先輩のせいじゃ、ない」
ねえ、どうして自分を責めるの。私は来てくれてこんなに嬉しかったし、フロイド先輩は微塵も悪くないのに。咄嗟にもう一つの手も掴んで、フロイド先輩のことを見上げると、驚いたように目をぱちぱちとさせた。今日は、滅多に見れないフロイド先輩ばかり。私が、何を言おうかと口をぱくぱくさせて、クルーウェル先生にけを乞いたくて、そんな私を見てフロイド先輩は困ったみたいに頬を撫でるから、またさらに胸が締め付けられる。
「ナマエちゃんがオレを見る目がさ、オクタヴィネルに来たときみてぇになってて。前まではそれがおもしれぇって思ってたのに、今は怖がってるみたいな
「それは、」
「うん。一旦、話させて。それなのにいつの間にかコバンザメちゃんと仲良くなってるしさ。そっちには笑顔向けてて、もう、オレの何がダメなのかわかんなくなった」
フロイド先輩が哀しげな表情でそう言うから、もう、見ていられない。何も駄目じゃない。フロイド先輩が頬に添えた手を、フロイド先輩のものより小さな私の手で包むと、また驚いたみたいに、小さく口を開けた。オレはジェイドと違ってあんまり良くできるタイプじゃねぇし。弱気にもそう言うフロイド先輩に、色々なものが溜め込まれた私は、満を持して口を開いた。
「馬鹿。大馬鹿。副寮長とフロイド先輩じゃ、全然違うに決まってるでしょ」
「……えっ」
今度は私がフロイド先輩に重ねた手と、重ねられた手でフロイド先輩の頬を挟むと、やっぱりつやつやしていて、思春期ならば嫉妬をする肌の綺麗さをしていた。ぎゅ、と一際強く挟んでから手を離すと、驚いた顔のまま。眉間に皺が寄る感覚はあったけれど、それでもふ、と笑うと、今度は私の番。
「……私、よくわからなくなった。フロイド先輩が私のことをどう思ってて、私がフロイド先輩のことをどう思ってるかって」
「……えっ!? オレ、ナマエちゃんのこと好きだって――」
「それ、です。それがちょっと、問題だったの」
私らしくもない、フロイド先輩のひんやりとして心地良い手に縋るみたいに頬に当てると、目を丸くして、口もあんぐり開けていたかと思うと、少しずつ朱色が差していった。後から思い返せば私の方がその顔をしたくなるだろうに、私は両手でびくともしなくなった先輩の手を掴むだけ。
「……好き、がわからなくて。距離を置いたら、フロイド先輩が私に向けるのとか、色々、整理がつくかもって」
「えぇ!? そんな、わざわざ……何やってんの?」
「……急にガチトーンやめてください。それで、いざ距離置いてみたらもっとわからなくなって、それどころか寂しくなって、」
「……」
「すぐ、後悔しちゃった」
ここまで言って、恥ずかしくなって、フロイド先輩の首筋に顔を埋めるみたいに抱きついて顔を隠す。これがもっと恥ずかしいことだなんて気がつかずに、絞める勢いでぎゅっと力を込めると、一瞬後ろに体勢を崩しかけたフロイド先輩は、手を後ろにつくことでなんとか耐えたらしい。
「……来てくれて、ありがとう。私、フロイド先輩が来てくれるんじゃないかって思ったから少しも怖くなかった」
ぐぐっとさらに力を込めれば、小さく呻くみたいな声が一瞬聞こえたような気がして、焦って力をゆるめた。するとフロイド先輩の金色がこちらを見ていたから、また、もう一度フロイド先輩の香りを肺に充満させるみたいにぎゅっと力を込める。
結局、答えを出すのは今の私には難しかったけれど、意味にこだわらないとすれば、私も、
「本当に、大好き。……大好き」
「……ん」
「フロイド先輩も、寮長も副寮長も、私の周りにいてくれる人、皆大好き。離れたくない」
「ふ、やっぱ稚魚ちゃんじゃん」
ぎゅうっとさらに力を込めると、フロイド先輩も私の背中に手を伸ばして、抱きしめ返してくれるかと思ったのに、そのままフロイド先輩はベッドに倒れてしまって、私も全体重をフロイド先輩にかけるみたいな形になった。驚いてパッと顔を離して目を見開くと、フロイド先輩はいつもみたいに甘い表情をして私の頬を撫でていたかと思いきや、大声で笑った。
「あはは! そんなくだらない理由でオレのこと避けてたの? バッカみてぇ」
「わ、私も、そう思うけど……!」
「はあ。ほんっとバカだねぇ、ナマエちゃん」
重力に従ってはらりと落ちた髪をフロイド先輩が私の耳にかけてくれると、私はそれを無駄にするみたいにフロイド先輩の首筋にまた顔を埋めれば、背中をとんとんとされた。まるで、稚魚扱い。
「なんか、久しぶり、ナマエちゃん。って感じ」
「……お久しぶりです、フロイド先輩」
「うん。あとね、ナマエちゃんは、『ごめん』より『ありがとう』の方がいいよ」
「……ありがとう」
「あはっ。そうそう」
何日分の、フロイド先輩だろう。ぎゅうぎゅうとしつこいくらいに、抱きしめられるのも抱きつくのも初めてだって気がつかないままフロイド先輩を堪能していると、突然「あ〜……」という声が聞こえて、少ししてからひょいと私ごと状態を起こした。唐突すぎることに驚いて、額に皺が寄るくらいに目を開けていると、フロイド先輩が私の肩に両手を置いてほんの少し引き剥がした。急にどうしたのだろう、とフロイド先輩を見ていると、彼は眉根を寄せて、口角をぴくぴくさせて、気まずそうに目を逸らしてから真っ直ぐ私を捉えた。
「オレも一応男だし、耐えるもんとかあるからさ」
「……?」
「……イシダイせんせぇ呼ばなきゃいけなくなるかも、だし。そろそろ、」
「!! 離れます!!」
意味に気がついて、うわあ、と頭がぐらぐらするくらいに一気に顔中が熱を持って、ベッドの上で後退すれば、フロイド先輩はふう、と息をついてからおかしそうに笑った。こういうところが、私の悪いところだと思う。いつもはからかいがてらやるのに、どうしてこうなったかなあ。すると、「そういうとこがナマエちゃんだよねぇ」と余裕そうに笑われたので、安堵感が生まれた。フロイド先輩も、紳士だ。私って、やっぱり恵まれている。
「……こういうとこが私でも、やっぱりこれから気をつけます」
「はいはい、そうしてください。そういえばアズールとジェイドがさぁ、なんか大量の林檎ジュース届いたって言ってたけど、ナマエちゃん知らねぇ?」
「! そうだった! エペルがくれたの。説明するので、早く帰りましょ」
「引っ張んなって。コート忘れてきたんじゃないの?」
ベッドから下りて靴を履いて、セベクに借りたコートを小脇に抱え、先生にもらった薬を手に持つと、白いシーツの上で長い脚を折り曲げたままのフロイド先輩の腕を引っ張る。時計を見ると、夕食に丁度良さそうな時間だし、ラウンジも忙しいだろう。
「アズールもジェイドも心配してるから、早く帰ろ」
「はい!」
フロイド先輩の腕を後ろ手で引っ張りながら保健室を出ると、背後でカチッという音が聞こえるとともに、ふ、と視界が霞んだ。