ラウンジに寄らず、談話室に直行すれば、まだ営業中なのに副寮長と寮長がいた。副寮長が私とフロイド先輩を見て、ぱちぱち、と二回瞬きをすると、「アズール」と呼んで私たちの存在を気づかせた。ラウンジが栄えるのは週末と部活動がない日、それから休日なので、そもそも今日は客数が少なかったのかもしれない。
「ナマエさん。……ハァ。無事に戻ったようで何よりです」
「ただいまです。どうしたんですか、溜息ついて」
「どうしたんですかじゃないですよ! あなたはまたそうやって心配かけて!」
寮長は私を見るや否や溜息をついたので、まあなんと失礼な、と思ってムッとしながら尋ねれば、寮長の代わりに後ろにいたフロイド先輩が私を窘めるみたいに頬をぐにゅうと摘んだ。冗談、冗談です。離して、とフロイド先輩の手を剥がして、凸凹した身長差の二人に頭を下げる。
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「まったく……クルーウェル先生から事情は聞いています」
「すみませんでした……」
「僕たちはナマエさんに迷惑をかけられなかったことなんてないので、今更謝られてもどうもしませんよ。そもそも今回の事件でのナマエさんの非はほんの一部なのですから」
深々と頭を下げると、寮長からの心配の声と、副寮長からの少し馬鹿にするみたいなお言葉。確かに今まで迷惑ばかりかけてきたし、今回なんて特にフロイド先輩にまで影響を及ぼしてしまったり、拉致されたことによって複数人をパニックにさせてしまったりと否定できないので返す言葉もない。ほんの一部、はフロイド先輩と私の仲違いのようなあれだろう。
寮長はいつも案外表面に感情が顕になるけれど、副寮長は変わらぬ営業スマイルで、けれど三件ほど間隔を空けて入っていた不在着信が、私のことを心配してくれていたかも、なんて考えに至らせた。やっぱり、私って思っている以上に、私が皆のことを好きなのと同じくらいには愛されている。
「う、うぅ……」
「おや、どうしたんです? いきなり唸り始めて」
「ナマエちゃんね、今アズールとジェイドに抱きつきたくて仕方ないんだよ」
「稚魚なのか?」
「稚魚ですね……」
「なんか今日はそういう日っぽい。面白いよねぇ」
脳内で、いきなり男の人に抱きつくのはいかがなものかと思うも、けれどもうフロイド先輩にはやってしまったし、エペルにもしたことがあるし、という思いがよぎる。いや、こんな現場傍から見られたらそれこそ倫理観的にどうなんだろうって考えて、ああ、でも、オクタヴィネル寮が好きだ。
手を広げてわなわな震えて、くっと奥歯を噛むことでどうにかこの衝動を抑えると、後ろからどん、と衝撃があって、そのまま長い腕に包み込まれた。
「おわっ」
「なっ」
「普通にこうすりゃいいじゃん」
フロイド先輩が私と寮長と副寮長をまとめて抱きしめると、各々が小さく声を上げる。小さいときによくしたグループハグ。体温の低い三人に挟まれるけれど、やはり人肌だ。しっかり温かい。本当に稚魚ちゃんかもってまた思いながら目を閉じた。稚魚なんて言い回し、普段はしないのに。私が満足する手前くらいで三人に回されていた手が離れる。
そこからはまあ、何もなかったかのように寮長がずれた眼鏡をくい、と調節すると、私の方を見た。
「そういえば、ポムフィオーレ寮のエペルさんからナマエさん宛に林檎ジュースが届いたのですが……あれって今マジカメで話題のものですよね? どうしたんです?」
「あっ、そうそう。あれ、エペルが良かったらラウンジで出してくださいって。売上向上も見込めるからどうかなって――」
「本当ですか!?」
おおう、食い気味。途端に目をキラキラではなくギラギラに輝かせた寮長に、「ただし売上はエベルのご実家にですよ」と言えば、「当然じゃありませんか」と言ったので、まあ、良かった。これがラギーさんならくすねていたところだろうけれど。エペルが直接重い段ボールを運んできてくれたようで、いつもなら私宛の荷物は自室の前に置いておいてもらうのだけれど、今回は大荷物だったのもあり、一旦談話室に置いてもらっているみたい。
後ろからいつもみたいにフロイド先輩が私の頭に顎を乗せると、「オレも知ってるよ」と言った。
「ベタちゃん先輩がマジカメに載せてから、売り切れ御免ってニュースになってたよ。あれ、ナマエちゃんの友達の実家からなんだ」
「そうそう。エペル、知ってますよね?」
「ああ、あのいつもナマエちゃんといるグッピーちゃんね」
ベタちゃん先輩にグッピーちゃん。ヴィルさんとエペルかあ、と考えると妙に納得した。二人とも綺麗だもんねえ、わかる。ルークさんもフロイド先輩も他人にあだ名をつけるタイプという点では同じだけれど、なんとなくフロイド先輩の方が凝っているような気がしないでもない。海育ちから見れば、当然の観点なのかもしれないけれど。
フロイド先輩の腕を持ってはくぐり抜けて、二つ置かれたダンボールの元に屈むと、瓶を一つ取り出した。日持ちは短いはずだから、数日限定になるだろうけれど、早いうちに売りさばなくては。今日は色々ありすぎた日だし、水分も抜けてしまったので、一杯いただくこととしよう。一応所有しているのは私だし、ひと瓶くらいならいいでしょ。
「寮長たちも飲みます? これ、美味しいんですよ」
「すごく魅力的ですが、本日の摂取カロリーが……」
「これ、砂糖も不使用だし添加物も入ってないので、ぜひ飲んでほしいな〜って」
「なっ! そんな素晴らしい商品が何故売れ残っていたんです!?」
「お、ちょろい」
商売ごととなると、寮長は結構ちょろい。といっても、所々に見える穴などは考えたうえで、だけれど。フロイド先輩と副寮長と寮長にひと瓶ずつ渡して、丁度その場にいた寮生にあげないのはなあ、と思っても数には限りがあるから私と半分こをして、疲れすぎた身体に優しい甘さの林檎ジュースを染み渡らせた。
「これは……」
「うん。美味しいじゃん」
「でしょ?」
「どうしてナマエさんが得意げなのでしょう」
どうやらお気に召したそうで、安堵しながら他の人より半分少ない林檎ジュースをちびちびと飲む。エペルが前に林檎を剥いていたときもいただいたけれど、本当にみずみずしくて美味しくて、またホリデーにでもお邪魔させてもらおうかしら。
「あっ、そうだ」
「どうかしました?」
そういえば、と思い出してはぽん、と手を鳴らしたので、我ながら漫画でしか見ない動きだなあ、とは思う。エペルや馬術部の皆にモストロ・ラウンジに来てほしいのだけれど、今日のことや日頃の感謝を込めて、割引とかを適用してもらえないだろうか。
「お願いしまぁす」
期待を込めてうるうると全力ぶりっ子を繰り出すものの、寮長どころかこの三人相手では効かないことはわかりきっているのでダメ元だ。すると寮長はあっさり「いいでしょう」と言ったので、わかりやすく瞬きを五回ほど高速でした。
「そうあらたまってお願いしなくとも聞きますよ。普段ならナマエさんの給料から割引分を差し引くところですが、このジュースを手に入れてくれたので今回はなしとしましょう」
「えっ! いいんですか? 売上は入らないから功績としては上がるけどお金はそんなに入らないのに」
「ええ。そもそもうちはワンドリンク制なので、そちらのジュースを宣伝すればお客様はジュースを頼み、ついでに他のメニューも注文してくれる。当然のことです」
つまり集客さえできれば十分に黒字であると。それに、私が誘おうと思っている人たちはほとんどラウンジに来たことがないので、そちらに関してもむしろありがたいとのいうことだ。早速明日からお客様に提供するらしいので、寮長がマジカメ用にもう一つ瓶を取り出すと、ついでに割引用のクーポンを私にくれた。普段クーポンを使う人、あまり見ないから一ヶ月に二日間ある感謝デーでしか割引制度はないと思っていた。
「さあ、集客よろしくお願いしますね」
「レーズンバターの方も、宣言した以上は進めてください」
「わかりました。……フロイド先輩」
「だと思った。いいよ、一緒に作ろっか」
ダブルのお得意営業スマイルを食らって、二人分だとまあまあの圧力だなあ、と思いながら私も営業スマイルを向けた。それから数歩下がって、林檎ジュースの空き瓶の口の方を持っていたフロイド先輩の袖をくいくいと引っ張ると、ふ、と息を洩らすように笑った。
やっぱり、フロイド先輩に頼りすぎなのかも、なんて考えていたら、「ありがとね」って言って私の頭を二回叩くと、私の分の空き瓶も回収してしまった。お礼を言うのはこっちですって。
◈◈◈
過保護にも、ちゃんと行ける? って聞かれながら、こんなに元気ですよってアピールして、薬を飲んでは舌を出す。昨日の夜にも飲んだけれど、まあ苦いこと苦いこと。口直しに何十本も林檎ジュースをとっておくべきだったかしら、と思いつつ、それではエペルの意向に反してしまうので、自分で淹れた紅茶でなんとか誤魔化した。それでも、茶渋のせいでまた違った苦さに襲われながら。
「あ、ちょっといい?」
今まで通り、わざわざ時間を合わせてでははく、偶然に出会ったから一緒に登校する。今日は、フロイド先輩だけ。周りの目が気になるかと思ったけれど、大事になってしまったと思っていたものは、ナイトレイブンカレッジ全体に知れ渡ったことではなかったらしい。フロイド先輩と私が二人一緒に登校しているのを見ても、「久しぶりに見た」か、いつも通りだと流すかの二択らしかった。
朝のホームルームが終わった十分休憩がチャンス。私では袖が余るコートを手に持って、おそらく移動教室ではなかったはずのD組の教室を覗き込んだ。彼はいつも、ホームルームまでの時間とか昼休憩とか、少し長い休み時間は若様――マレウス・ドラコニアと一緒にいることが多いから。
「わざわざ教室においでとは珍しいね。何か用かい、ナマエ嬢」
「昨日はミーティングなくしちゃってごめんね」
「いいのさ。君が無事で何よりだよ」
黒い手袋を着けて、中世を思わせる話し口調を向けるのは同じ馬術部のポムフィオーレ寮生。偶然に教室から出てきたところをとっ捕まえてやった。やっぱり思春期だから、ポムフィオーレ寮生だとしても肌荒れはしているらしく、コンシーラーやらで隠しているのは相変わらずだ。誰よりも紳士的に心配してくれる様子にふふ、と小さく笑ってから、本来の用件をこそっと伝えた。
「セベク、呼んできてほしいの」
「セベクくんかい? 了解したよ」
彼は教室を覗き込んで、「セベクくん! ナマエ嬢がお呼びだよ!」なんて大声でセベクを呼ぶことはせずに、直接セベクの席まで行って呼んできてくれているらしかった。これは、すごく助かる。うちの寮生とポムフィオーレ寮生とイグニハイド寮生に頼めば間違いないのだけれど、結構トラッポラに呼ばれたときなんかはざわざわしてしまうから。そういう思考に至るのもわかるけれど。
セベクはいきなりこちらをパッと振り向いたから、ドアの陰から手を控えめに降れば、ずんずんとこちらへ近づいてきた。
「朝から何の用だ、人間!!!」
「朝から声大きい〜。おはよう」
「……ああ、おはよう」
朝から元気だなあ、と思っていると、突然目の前の大きな男がくしゅん、と体格に見合わないかわいらしいくしゃみをしたので、わっと驚いてしまった。もしかしてセベク、私にコートを貸してくれていたから、上着なしで登校してきたのかもしれない。だとすれば申し訳なくて眉尻を下げれば、「なんだその表情は」と逆に眉尻を上げた。
「セベク、コートありがとう」
「ん? ああ、わざわざすまない」
「ごめんね。洗うとかの気は回らなかったから、そのままで」
「そ、そうか……」
はい、と両手に抱えていたコートを手渡せば、どうしてだかたどたどしい動きでそれを小脇に収納していくと、また小さくくしゃみを一回、二回とするものだから、慌ててポケットの中をごそごそした。
「ご、ごめん。朝も寒かったよね。風邪ひいちゃったよね」
「僕は人間と違ってそう脆弱ではない!!!」
「いや寒がりって言ってたし……良ければもらって」
「若様の護衛たるもの、人間の手を煩わせてたまるか!!」
もう、うるさい! 絶対に風邪をひいてしまっているのは事実だし、風邪でなくても風邪気味だろうし。百パーセント私のせいだからと、学校に着いてから開封したカイロをセベクに差し出した。なのにセベクは若様若様って聞かないから、無理にセベクに押しつけるみたいなかたちをとる。
「もう! 若様の護衛としてセベクが素晴らしいのはわかってるから使って!」
「しかし――」
「しかしじゃないの。これで寝込んだりしたら若様の護衛失格でしょ?」
「……た、確かに。それは……そうだが」
「ね?」
うるさいセベクも、若様の話題を出せば一発だ。セベクを扱うコツもわかってきたし、トラッポラは若様若様うるさいって言っていたけれど、セベクの長所だとは思うんだよねえ。いきすぎているだけで。
ぐ、とセベクの大きな手のひらにすっぽり収まるカイロを押しつけると、渋々受け取ってはにぎにぎとして、それからスラックスのポケットに押し込んだ。「ちゃんと温めるんだよ」って言ったら、「体温は高い」とまあまあ噛み合っていそうで噛み合っていないことを言われてまた笑う。手は冷たかったけれど、代謝の影響なのか、案外子供体温なのかもしれない。
「あ、あとこれ。部活のときに渡そうと思ってたんだけど」
「なんだ?」
カイロを出したときに一緒についてきた、ラウンジのクーポン。なんとまあ、我ながらガサツだと思うけれど、確かこれはすぐにエペルに渡そうとしていたものだ。馬術部の皆にはファイルに綴じて避けてあったし、エペルは朝に会うから、とポケットに移したのに、今日はセベクの方が先に会ってしまったし。エペルはどうやら朝練が長引いたのか、ギリギリになって教室に滑り込んできていた。
「ラウンジのクーポン。皆に来てほしくて。それで、セベクには先に渡しとくね」
「クーポンだと? 何故そんなものをわざわざ僕にくれるのだ」
「前に倒れたときのお礼とか、昨日も迷惑かけたし……普段のお礼っていうか。私にできることって、今はとりあえずこれかなあって」
少ししわくちゃになった黄色のクーポンを手渡すと、「乱雑だな」と言った。それは、ごめんなさい。セベクはそれを受け取ると、畳むことなく指先で持つ。嵩張るから折って胸ポケットにでも入れればいいのに、無効になるとでも思っているのだろうか。私がこんなにしわくちゃにしたのに。
「いつもありがとう、セベク」
「あ、ああ……」
あらためて、しかも同級生に言うのはなんだか恥ずかしくて下を向いたままお礼を言うと、歯切れの悪い返事が聞こえた。それにつられるようにゆっくり上を向くと、私なんかより余程照れた、頬を染めていたセベクがいたので、つい素っ頓狂な声を洩らす。ピュアというか、なんだろう、この子は。
「えっ、えっ、いま私そんなにセベクが恥ずかしくなるようなこと言ってないよ」
「僕が恥ずかしくなっている……だと!? ふざけたことを!!!」
「わっ、ごめんって」
今日はやたら人間に対しての当たりが強い。ごめんごめんと謝りながら、そういえばセベクのことだから、ラウンジにマレウス・ドラコニアやリリアさんは連れてこないのかなあ、と思って、そのまま聞く。すると、「連れてさしあげたい気持ちは山々だが、その前に護衛である僕が一度訪問させてもらおう」だそう。なるほど、パッチテストというか、そういう護衛試験にクリアしなければならないのね。
するとわらわらと教室の外に出ていた生徒たちが教室に戻り始めたので、D組の教室を覗き込んで時計を見れば、残り二分を指し示していた。
「もうこんな時間か」
「わあほんと。ごめんね、休み時間奪って」
「気にするな。移動教室ではないし、予習も済ませてある」
「流石セベク」
「ふん、当然だろう?」
コートを小脇に、クーポンをしわくちゃのまま折り畳まずに持つ、荷物がたくさんのセベクはそのまま腕を組むと、いつもの得意げな顔をした。セベクがドヤ顔してもあまり嫌な感じがしないのは、まあまあ仲が良いからかもしれない。「やっぱり預かって部活のときに渡そうか?」「折ってもいいよ」と言えば、「いや、時期にしまうからこのままで大丈夫だ」と言った。
「じゃあねセベク」
「ああ。……」
そろそろ戻らないと、割とB組までは距離があるので走らなくてはいけないことになるかも、と軽く手を振りながら後退すると、セベクがまだ何か言いたげに斜め下を向いていたから、教室に戻れずにその場に立ち止まった。
「色々、その、……」
「ん?」
「……ありがとう」
やたら溜めたのに、言いたかったのはそれだけかあ。声もいつもからは想像のつかないくらい小さくて、なのによく通る。セベクらしくて、柄にもなくあはは、なんて笑えば、何がおかしいって怒られて。いや、だって、「色々ありがとう」なんて、こっちのセリフなんだよ。