体温で溶かす背徳感

「えぇ〜、上手」
「ナマエちゃんが下手なだけでしょ」

 失礼なことを口にしながらまだ固まっていないバターを、くるくると綺麗にラップで巻きながら成形していく。固めたあとにラップの跡がついてなかなかに歪な形になりがちなのに、料理経験の差か、もともとの器用さか。答えは両方だろう。考案は私なのに、と頬を膨らませると、「そういうとこがいいんじゃん」という励ましをいただいた。あまり、というより、ちっとも嬉しくないけれど、ありがとうございます、と言いながらフロイド先輩が丸めてくれたバターたちをタッパーに並べていく。

「てかさ、レーズンバターなんて作んの。イシダイせんせぇのためでしょ?」
「そうです。私も嫌いじゃないし、あと先生にはお世話になってるから」
「めちゃくちゃ私情じゃん。ナマエちゃんのとこの担任泣くよ? ま、オレもイシダイせんせぇには色々してもらってっしいいけどさ」

 はい、と最後のレーズンバターが巻かれると、それを冷蔵庫に入れてからソファに座った。ラウンジの営業時間が終わってから、まだ眠くないという日はこうしてフロイド先輩と一緒にレーズンバターを作っている。関係も元通りになったし、フロイド先輩は器用で手際がいいしで私一人で頑張っていたときなんかより余程進みが良かった。
 思った以上に文化祭準備期間というのは長くて、フロイド先輩や副寮長はまた別でいくつかドリンクを考案しているらしい。

「レーズンバターって手にとってもらいにくいし、文化祭で出すんじゃ厳しいかもよ?」
「やっぱり? んー……ラウンジで出すしかないかあ」
「そうなる可能性の方が高いってこと。オレらはホットジンジャーアップルドリンク作ってるから、時期的にもそっちの方が売れると思うし」
「あぁ、あの結構甘いやつ……」

 確かにフロイド先輩の言う通り、レーズンバターサンドクラッカーにしたとしても手に取ってもらいにくいのはあるかもしれない。個包装にして売れば、なんていう考えもあるので、また今度支配人に提案してみよう。ホットジンジャーアップルドリンクはフロイド先輩に「はい、味見」と口に流し込まれて舌を火傷してしまったのでよく覚えているけれど、喉がピリピリして甘いんだよねえ。喉風邪にはよく効きそうだ。火傷をさせたフロイド先輩は寮長に「危ないでしょう!」と注意されていた。

「あのドリンク、確か底に林檎入れてました?」
「うん、入れてたけど。ドライフルーツのやつね」
「……エペルのところから林檎買ったら、使います?」
「え、マジ? めちゃくちゃ使うけど……」

 エペルにもらった林檎ジュースは、それはもうポムフィオーレ寮生やミーハーな生徒たちからめちゃくちゃに人気で、あっという間に売り切れになってしまったほど。かさ増しのためのやたら分厚いグラス一杯にでもひと瓶分入るので、当然ともいえる。エペルには感謝してもしきれない! とクーポンを馬術部員より多めに渡せば、「今は忙しいから文化祭が終わったらお邪魔させてもらおうかな」と笑顔で言ってくれたので、嬉しいことこの上ない。

「ふふふ」
「なに急に笑い出して。怖ぇんだけど」
「エペルが来てくれるのが楽しみで」
「ふぅん」
「あとはセベクとシルバー先輩と……リドル先輩も来てくれるかなあ」
「金魚ちゃん来んの? ちょーおもしれーじゃん」

 えへへ〜、と口角がゆるみっぱなしの私の頬を摘んでぐにぐに回される。頬がめちゃくちゃ柔らかいわけではないので、普通に痛くて、いつも離された後は少し赤くなっていたりする。他にも、トラッポラも結構仲は良い、のかもしれないので、勧誘だけでもしておこう。以前のオムライスのときといい、なんとなく癪に障るときがあるので、クーポンはあげない。

「クルーウェル先生にも来てほしいけど……クーポンは」
「いらないでしょ」
「ですよね。いっぱい食べてもらいましょうか」
「高そうなコート着てるし、財布空っぽにしてやろうぜ」

 そうそう。移動販売でレーズンバターを買ってもらって、それから興味を持ってもらえれば直接ラウンジに勧誘してドリンクからフードから片っ端から頼んでもらおう。にひひ、と口角が上がると、フロイド先輩も「あ、悪い顔してる」と同じように口角を上げた。
 文化祭に向けてまたネイルでもしようかしら、とラウンジで働くようになってからこまめに切るようになった爪を眺めていると、フロイド先輩が私を見てから声をけかけてきた。

「またイシダイせんせぇにネイルしてもらうの?」
「先生に暇があれば……」
「ナマエちゃん塗るの下手だもんねぇ」
「えっ! そう思ってたんですか!?」
「うん。でもナマエちゃんルンルンだしいいかなーって思って」
「良くない! 恥ずかしいじゃないですか……」

 にこにこ、無邪気に笑ってこちらを見るフロイド先輩から飛び出したのは、私も同じようににこにこできる内容ではなかった。あのときはかわいいね、なんて言ってくれたのに! まさか内心では塗るの下手だなあ、なんて思われていたとは。これがイグニハイド寮生ならSNSで書き込まれていたかもしれない。うう、とソファに足を上げて膝に顔を埋め、指先も丸めると、わずかに覗いているであろう頬を面白そうにつついた。

「だからオレがやってあげるって」
「え!! ほんとに!?」
「はい元気なったね。いいって言ってんじゃん」
「罠とかでは?」
「なに、オレのことそんな信用ならねぇ?」
「……場合によりけり」

 フロイド先輩のオレがやってあげる発言にガバッと音が立つほどに顔をあげると、計画通りみたいな、若干胡散臭い笑顔をするものだからまた疑う。確かにクルーウェル先生も、リーチ弟にやってもらえば的なことは言っていたけれど、変なのにされる可能性だってあるし。フロイド先輩は寮長や副寮長と違って、常時胡散臭いわけではないのでこういうところの見分けをつけるのが難しい。喜んだのも束の間、眉をひそめて疑いにかかれば、表情をすとんと落としてからデコピンを食らわせた。痛い!

「うぅー……あ、でも待って」
「あ?」
「いや、めちゃくちゃしてほしいんですけど……馬術部の大会があるのでそれが終わるまでネイルはできないかも」
「大会? ナマエちゃん出ないでしょ?」

 フロイド先輩の言う通り、私は馬術部の大会には出場できない。だって、イレギュラーな女子生徒だから。平日のラウンジはナイトレイブンカレッジの生徒しか来ないから普通に働いているけれど、外部から女性のお客様が来たときなんかは「親戚の子です」とかで通していたりもする。こういう理由で大会に出場できないのは悔しい。しかし、馬術部の練習には参加しているので、馬の手入れやらで傷つく危険性があるネイルはしないでおきたい。

「へぇ、そうなんだ」
「はい。でも最近、やっと皆の練習相手になるようになってきたんです」
「良かったじゃん。ナマエちゃんが走ってるとこ見たいなぁ」
「機会があれば」
「楽しみにしとくわ。なんならラウンジで馬乗り回す?」
「寮長がキレますよ……」

 はぁ、と溜息をつきながら、まだバターが固まるにはそれなりの時間を要しそうだし、副寮長にもらったメモを見ながら紅茶でも淹れようと考えてその場を立った。「何がいいですか?」と聞けば、「ナマエちゃんと同じやつ」なんてバーの客みたいなことを言った。どちらにしようかな、と一つ一つの缶指をさしてルーレットで決めることにして、規則性のあるそれに任せれば、ドアーズになったので、ロイヤルミルクティーを淹れることに決定した。

 ◈◈◈

 エペルに林檎をご実家に頼みたいんだけど、と手を合わせてお願いをすれば、「僕の部屋に仕送りでもらった林檎がたくさんあるんだ」と言ったので、それをいただくことにした。そちらは仕送りでかつ、エペルのご厚意だから、売上の分はご実家には送らなくてもいいそう。林檎なんていつでも言えば送ってもらえるから、と言ってくれたけれど、そんなにあのクオリティの林檎が採れるんだなあ。
 ところでその林檎がダンボール二箱分、宅配のゴーストが届けてくれたときは、三人ともまあ驚いていた。「ドリンク何杯分だよ」「消費するのも大変そうだ」「いっそ林檎屋さんでも始める?」といった具合に。ラギーさんに値切りのコツを教えてもらったり、サムさんも「同郷のよしみでね」とウインクをして値引きをしてくれたり、いやあ、恵まれている。ラウンジへの貢献度は群を抜いて高いのではないだろうか。驚いている寮長に、「私がオクタヴィネル寮生で良かったですね」と言えば、「ええ、本当に……」と感謝をされてしまった。

「むー……」
「今日はなんだか不機嫌だね」
「……ラウンジ限定になった」

 授業開始数分前、魔法史の教科書に載った偉人の顔に、幼稚すぎる落描きをぐるぐるとしていると、隣のエペルの教科書はもっと酷かった。眠いし落描きくらいしかすることがないのは全生徒共通なのだろうか。

「レーズンバター?」
「そう。良さげになってきたのに、去年もドリンクの移動販売をしたからそちらで進めますーって支配人が」
「へえ、あれからさらに良くなったんだ。食べてみたい、かも」
「また今度ね。もう、うちの寮長ったら慈悲深い!!」

 今回ばかりは少々お怒りだ。あんなに笑顔で楽しみにしてますよ、と言ってくれたのに、あっさりと「文化祭はドリンクのみですが」なんて。まあ、フロイド先輩が事前に予告をしてくれたから傷は浅い。皮肉にも無慈悲〜、と言いたいところを、慈悲深いと言い換えたことにより、クラスメイトが「逆だろ……」とざわざわする。あっ、うちの寮長の悪口は許しませんよ!

「でもラウンジには文化祭後から採用してくれるらしいし……クーポン勢にはぜひ食べてもらわなきゃ」
「うん、楽しみにしてるよ」
「ありがと〜」

 そうそう、文化祭では駄目でも今後のモストロ・ラウンジでは提供させてもらえるわけだし、その点は本当にありがたい。ただ、クルーウェル先生との約束を破ってしまうことになるだけで。クルーウェル先生には放課後に少し時間を借りて謝罪させてもらおう。やっぱり直接来店してもらって、レーズンバター以外のものも食べてほしいし。

「そっちこそ、VDCはどんな感じ?」
「まあまあ、かな。でもやっぱり初めのときより皆仲良くなって、楽しくやってるよ」
「エペルが楽しいのが一番だよ」

 VDCのオーディション前や、メンバーが決まったときはあんなにあからさまに落ち込んでいたのに、今は心から楽しんでいるらしい。特に相手にロイヤルソードアカデミーもいるし、ぜひともナイトレイブンカレッジには頑張ってほしい。
 レーズンバターの恨みなんて忘れてふふ、と微笑んでいると、エペルが急に何か重要なことを思い出したようにアクアブルーの瞳をまん丸に、薔薇色の小さな唇を開けて、「あっ!」と言った。

「ナマエはマジカルホイール乗ったことある?」
「めっちゃ急だね。乗ったことないよ。そもそも免許も持ってないし……」
「じゃあ今度後ろに乗せてあげる」
「ええ!?」

 マジカルホイールって、二人乗りできる構造じゃなくない? エペルは前に一度メインストリートを乗り回していたらしいのが一時的にポムフィオーレ寮生に話題になったっけ。マジカルホイールの二人乗りをしている構図が思い浮かばず、目線を上に上げて「んん……?」と頭を悩ませていると、笑顔のエペルが口を開いた。

「この間、デュースクンに後ろに乗せてもらったんだけど、たげ爽快だったんだ! ナマエにも体験してほしくて」
「情報量! いや、興味はあるけど……わかった。また乗せてね」
「任せろ! 振り落どされねように気つけねばいげねけれど……」
「……やっぱり怖いかも」

 ふふん、と得意げにするエペルに対して、色々脳内の処理が追いつかないでいる私。いや、スペードってマジカルホイール乗り回すタイプなの? エペルはなんとなく付き合っていれば想像つかないこともないけれど、こう、第一印象とのギャップが激しい。エペルの方言が久しぶりに炸裂しながら、まだ翻訳できるやつだなあ、と思っていると、不細工な猫の声が聞こえた。

 ◈◈◈

 帰りのホームルームが終わり、A組の教室の前で待機する。このクラスも比較的ホームルームやらが手短に済むから、そう待たなくて良さそう。
 間もなく扉の向こうでガタガタと音が鳴り始めたので、ホームルームが終わったのだろう。扉が開くと、掃除係が箒を手にしている。それから、「魔法で楽しようとするなよ」というクルーウェル先生の声。そもそも私たちはまだ掃除に応用できるような魔法を習っていないから、使おうものなら失敗するリスクが高いだろうに。

「あれ、ナマエちゃん。なんか用?」
「トラッポラじゃないよ。先生に」
「ちぇーっ。わかってたよ」

 トラッポラがスペードと監督生、グリムと一緒に教室から出てきて、そのまま待機していた私に声をかける。トラッポラってクラスも違うし部活も違う、授業が一つ被っているだけなのにやたら絡むよねえ、と思いながら掃除の様子まで丁寧に指導しているクルーウェル先生のご尊顔を眺めていた。まあ、これだけ指導するのも今日の掃除当番にサバナクロー寮生が多そうだし納得だ。

「何? もしかしてナマエちゃんとクルーウェルってデキてんの?」
「……だったらどうする?」
「……マジ? それだったら結構普通に嫌なんだけど」
「ふ、そんなわけないでしょ」
「は〜、安心したわ。ちょっとマジな感じやめろよな」

 冗談めいた様子で「ナマエちゃんってナイトレイブンカレッジの華だし?」と言う、やはりどこか鼻につくトラッポラをはいはいと流しながら、久しぶりのスペードと監督生とグリムに軽く会釈をする。久しぶりで距離感がわからない。グリムと監督生はマネージャーか何かだっけ。この二人、何かと関わることが多いよね。ホリデーのときもスカラビア寮にお邪魔していたみたいだし、やはり巻き込まれ体質なのだろう。

「じゃあね、練習頑張って」
「ああ、ありがとう」
「さんきゅー」

 ばいばい、と手を振ると、ちらちら扉の方からクルーウェル先生の様子を覗き見て、まだかまだかと念を送っていると、突如バチッと銀のような光沢を感じるそれと目が合った。ファンサービスだ。
 それでもやはりその場から動かない私を見て、不思議に思ったのかクルーウェル先生がこちらに歩いてきた。完璧なモデルウォーキングだ。

「また何かあったのか」
「えへ。いや、大したことじゃないんですけど……」
「今日はこの後サイエンス部の様子を見に行かなくてはならないからな。大したことじゃないなら手短に済ませろよ」

 私が大したことじゃない、と言うと、ほんの少し強ばらせていた表情をわずかにゆるめてからそう言った。そういえばサイエンス部はサイエンス部で何か催し物をするとか言っていたなあ。どの文化部も、そして私たちも文化祭に向けて本格的に動き始めているのを実感すると、わくわくしてきた。今度は私が口元をゆるめていると、クルーウェル先生がふ、と少し微笑んでから、「それでどうした?」と聞いてきた。

「あっ、そうそう。……実は、文化祭でレーズンバターを売るのはなしになってしまって」
「そうか。それは残念だな」
「でも、文化祭以降ラウンジで提供するので、ぜひそのときは先生に来てほしいなあって」

 きらきらとアイメイクがお上手な先生を見上げながら、こうして先生を勧誘するのは初めてだなあ、と手を後ろで組みながらお誘いすれば、先生は「モストロ・ラウンジか……」と小さく呟いた。

「開店したばかりのときは一度見に行ったことがあるが、あれ以降は行っていないからな。また邪魔させてもらおうか」
「わーい、ありがとうございます」
「仔犬もよく働いていると聞いている。学業に支障が出ない程度にしろよ」
「ふふん、任せてください」

 クルーウェル先生がオムライスのことを知ったらどういう反応をするのかなあ、と思いつつ、今はその話は出さない。先生もお急ぎみたいだし、わざわざ宣伝するまでもないだろう。先生にも頭を下げて、お時間取らせてしまってごめんなさい、と後ろに下がれば、先生がきらきらの瞼を伏せてからこちらを見た。

「ネイルはもういいのか?」
「! それ、先生はお忙しそうだから今度フロイド先輩にしてもらいます」
「それは安心だな」

 先生はまた、どちらかといえばきつい顔つきの割には優しい笑みを浮かべると、出席簿やらを持って職員室に足を向けた。だからといって、大好きなネイリストのクルーウェル先生にまた頼まないわけにはいかないから、「先生にもまた頼みますよ」と言えば、「忙しくないときならやってやる」とこちらを振り向かずに言った。
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