大釜から小さな緑色の煙がぽふんと上がる。うーん、また失敗だ。
「金を作れとは言っていない。別の金属ができればいい」
今月始まったばかりでなかなかコツが掴めない錬金術を、この優等生もどきと試行錯誤する。実のところ、もっと頼りになると思っていた。あまり関わりがない立場から見れば誰だってそう思うだろうけれど、よく考えれば毎シーズン何かの面倒事に関わっているあたり、期待しない方が良かったのかもしれない。
「はい、今度は亜鉛」
「すまないな……」
「いいよいいよ。どこの組もこんな感じだし」
誰よりも申し訳なさそうにするのは、少しばかりガタガタのスートを右目の方に施した優等生くん。いやあ、それにしてもデュース・スペードの名前の覚えやすさといったら。スペードと呼ぶとややこしいけれど、まだ名前を呼べるような仲ではないからスペードと呼ばせてもらっている。
そろそろ三年生なんかと交流を持てるかなあ、とうきうきしていたのに、今日の錬金術もA組との合同だ。それも、別クラスの人と組むのが鉄則になっているので、今回はスペードを選ばせてもらった。エペルはグリムと監督生、トラッポラはハウルと組んでおり、どこも苦戦している様子だ。特にエペルのところが。
「時間内に終わるかなあ」
「終わらなかったら宿題になってしまうからな……なるべくそれは避けたい」
「特にスペードとか、今忙しそうだもんね」
「ああ……マシになってきたとはいえ、他の皆より遅れているから置いていかれないようにしねぇと」
しかし、錬金術の授業ではそこそこに好成績を収めてきた私と組めるのはスペード的にはラッキーだろう。錬金術と同じように今期から実験も主になってきた魔法薬学でも、それなりの評価をいただいている。真っ先にトラッポラに「オレと組まねぇ?」と言われたけれど、前回も一緒だったために真新しさがなかったので、交流を兼ねてスペードを指名させていただいた。トラッポラが私を口説いている間にエペルと監督生たちのペアが完成しており、それを見かねたハウルが親切にもトラッポラを誘って、このペアができあがったというわけだ。
「スペードってVDCではどういう立ち位置なの?」
「僕やエースはサブボーカルだ。メインボーカルはシェーンハイト先輩とエペルとバイパー先輩で……」
「えっ! ジャミルさんが?」
「そこ! 私語は慎め」
「す、すんません……」
「ごめんなさい」
スペードの立ち位置を聞いたのにまさか他の人のポジションまで教えてくれるとは。エペルがメインボーカルなのはオーディションの時点で聞かされていたし、ヴィルさんも想像の通りなのだけれど、えぇ、まさかジャミルさんが。驚いて声を上げてしまうのも当然だろうに、クルーウェル先生に軽い注意を受けては軽く謝る。スペードは結構重々しく謝っていたが。座学ならすごく注目を集めるところだけれど、各々が真剣に錬金術に取り組んでおり、他人の目を集めることはほとんどなかった。いや、それにしても、ジャミルさんがねえ。
「めっちゃ意外……なんかそんなに表に出るようなイメージじゃないから」
「僕もそう思っていたが、バイパー先輩のダンスは特にすごい」
「へえ〜、楽しみ増えちゃった」
私語を慎むなんて無理無理。なるべく小声で話しかければ、スペードも同じように小声で返してくれる。
粉末の銅と塊の亜鉛を同じ重さ分入れて、どうにか黄銅を作ろうと試みた。最初の方だし、教科書に載っている易しめのものを作っても非はないだろう。これがグリムなんかと組んでいれば、「もっと派手なやつが作りたいんだゾ!」なんて駄々をこねられていたかもしれないけれど。ああ、考えただけで面倒な。今だって、「どうせなら金になるのを作ってツナ缶富豪になってやるんだゾ!」という声が聞こえるものだから、二人で揃って溜息をついた。
「……グリムのやつ、VDCの優勝賞金でツナ缶富豪になるって言ってたのに」
「ツナ缶が手に入ればなんでもいいんでしょ。……あ、ラウンジでツナ缶出そうか。原価プラス手数料で」
「監督生が金欠になるからやめてやってくれ」
そもそもグリム以外に誰が買うんだよ、と冷静につっこまれると、確かに……と納得をしてしまった。ただでさえオンボロ寮に住んでいて仕送りもなし、ラウンジのバイトに来てくれるわけでもないのにこれ以上お金を搾り取るのは、確かに可哀想だ。またバイトにでも誘ってみよう。彼だけドタバタ四人組のなかでもイソギンチャクにはなっておらず、うちでのバイト経験もないけれど、案外真面目に働いてくれるかもしれないし。
「よし、今度こそ……」
スペードが大釜に向かって念を送り、私がかき混ぜる。すると間もなく、小さな紫色の煙が上がったから、確かこれは成功のときに出るものだったような気がする。
スペードと顔を見合わせて頷き、錬成できたはずの黄銅を掬いあげると、あ〜、惜しい。まだわずかに亜鉛の要素が残っており、完璧な黄銅にはなっていないようだった。
「……まだ時間あるから完璧にする?」
「望むところだ。万一時間が来てしまったときにこれを提出しよう」
一応出された課題では、一部分だけでも他の金属に変えることができれば成功だから、もうチャイムが鳴るのを待つだけ――でも良いのだけれど、何せやるなら完璧にしたい。その意見が見事にスペードと合ってしまったので、二人でゴーグル越しに目を合わせて口角を上げた。
パラパラと生徒たちが後片付けに入るのを見ながら、まあ、この後は昼休憩で授業もないから焦らずにやろう、と言って今日一番の集中力を発揮する。今度は力仕事はスペードに任せて、私が魔力を込めた念を送れば、今までに見たことない紫煙が高く上る。ぼふんっ、というよりは、どかん! という感じに近かった。
「わあっ!」
辺り一帯が紫色の靄に包まれてしまい、驚いてぴょん、とその場から退いたら、どん、と何かを押し倒してしまってドミノ倒しみたいになった。ああもう、変に完璧を求めてしまったせいでそれなりに大きな失敗をしてしまったのではないだろうか。
クルーウェル先生に怒られちゃう、と思いながらやけに甘い匂いの煙を手で払うようにすると、次第に視界が開けてくる。それから、周りの生徒たちもざわめき出した。まあ、それはそうだよねえ、と私に注目する生徒たちから視線をゆっくりと動かして、丁度下に移せば――
「うわっ」
「ミョウジ、は、はは、離れて、くれないか」
それはそれは、お怒りのときのリドル先輩に匹敵するほどに顔全体を真っ赤っかにしたスペードがいて、私が覆い被さるみたいな形になっている。これは、事案すぎる。スペードがあまりにも酷だし、また変な噂を流す訳にはいかないから、反射的にスペードの上から退くと、遠くからトラッポラが声をかけてきた。
「ナマエちゃーん、デュースはそういうの慣れてないから勘弁してやってって」
「めちゃくちゃ偶然だけど次から気をつける〜」
トラッポラのひと言で、笑いがどっと起こった。あー、本当に可哀想、スペード。私も、至近距離で見たことによって存外スペードの顔が整っていることに気がついてしまって、まあ、こちらも予想外なのだけれど。彼はもっと予想外どころか想定外だったんだろうな。
「ごめんね、庇ってくれてありがとう」
「い、いや、ななななんてことない」
「あー、スペードのこともちょっとわかってきたかも」
セベクよりもウブというか、きっと女の子と絡んだことないタイプだ。こんなにテンプレ的なキョドり方ある? ウブで優等生になりきれなくてマジカルホイールを乗り回すイケメンくん。こっちはこっちで面白いけれど、結構冗談にならないくらいのように見えるので、今度からは気をつけよう。
クルーウェル先生が「怪我はないか」と私とスペードを交互に見て、「平気です」と言えば安堵した様子だった。特に実験器具も割れていないし、本当に煙が上がっただけ、なのかもしれない。
「先生、今のは――」
どういう失敗の仕方をしているのだろう、と大釜を覗き込んでいる先生の向かいで同じように大釜を覗き込むと、さっき錬金できた黄銅とは違う。金色の粒がきらきらと、曇りなく光っていたので、これにはクルーウェル先生も、私以上に口を開けたままでいるしかなかったらしい。
◈◈◈
馬術部での大会は団体優勝に終わり、気がつけば文化祭まであと一週間となった。相手かロイヤルソードアカデミーじゃなかったから、リドル先輩筆頭に大活躍で大圧勝! という結果を残してくれたのだ。いやあ、ロイヤルソードアカデミーで一度練習をしたことがあるけれど、やたら派手なオーラをまとって、やたら王子様みたいにかっこよく、というか、ナルシストに乗りこなす部員が多かった記憶がある。王子様みたいに乗って許されるのはシルバー先輩だけなのに。
「ナマエ、これ」
「んー? 関係者席チケット? ……って、私がもらっていいの?」
関係者席チケットの関係者って、どういう括りになるんだろう。なんとなく偉い人が来るのかと思ったけれど、開催校がナイトレイブンカレッジなのもあって「お友達に渡しても良い」的な感じなのだろうか。
黒い、明らかにプレミアム会員です、みたいな色のチケットを受け取ると、エペルが控えめに頷いた。
「うん。学園長が練習の様子を見に来たときに、家族やお友達にって言って何枚か貰ったんだ」
「わあ〜、ありがとう」
「きっと本番はすごく混むし、席をとるのも難しいだろうから」
「本当に助かる……もう日程出てる?」
「出てるよ」
見に行くと言っていたのに、確かに席のことは全然考えていなかったからこの制度はありがたい。上手く移動販売のシフトと、それから馬術部であたっている仕事の調整もしなければ。エペルにスマホでVDCの大まかなプログラムを見せてもらいながら、スケジュール帳に書き込んでいく。延期になったミーティングの内容は、予想していた通り、混雑緩和のための待機列の形成。私は制服や寮服だと一般客の混乱を招きかねないため、スタッフ用のジャンパーを身につけて、と指示を受けた。VDCは文化祭開場後すぐに始まるわけではなさそうだし、午前中はそちらを手伝いつつ、収まり次第移動販売、それからVDCの後に文化祭を回ったり、またシフトに入ったり、という感じになるだろうか。充実した二日間になりそうだ。
「僕たち、絶対にロイヤルソードアカデミーには負けられない」
「うん。本当に応援してる」
「ありがとう。……それに、僕の家族も呼んだから、いいところを見てもらうんだ」
「そっか。頑張って、エペル」
「任せとけ!」
エペルが家族の話をするときの表情が好きだ。本当に、家族のことが大好きなのが伝わるから。柔らかく可憐に笑う目の前の彼に、心の底から頑張れ、と思って、そういえばこうして本気で応援するのは久々だって気がついた。
◈◈◈
トラッポラは案の定私を誘ってくれたけど、もうエペルに貰ってるよ、と言えば、わざとらしく悔しそうに「先越されたか〜」と言って私の隣にドン、と座っていた。どうやらリドル先輩にもチケットを渡したらしく、そのあたりも鑑みて調整に入らなくては。セベクやシルバー先輩はきっと見に来ないだろうけれど、リリアさんあたりはカリムさん経由で来たりする可能性もある。
「とりあえずこれで」
「了解しました。……おや、珍しく空きが多いんですね」
「駄目でした? 初めてだし、色々な展示も見て回りたいなあって思っていて」
「駄目ではありませんよ。ぜひたくさん楽しんできてください」
文化祭当日のシフトの希望時間帯を支配人に提出すると、彼は色々な展示を見て回りたい欲に負けてしまい思いのほかすかすかになってしまったそれを見て目を丸くした。セベクが「VDCよりリリア様の軽音部での演奏を応援するぞ!!」と言っていたのでそちらも気になるし、あとはクルーウェル先生のところ。サイエンス部は植物園でカフェをするらしく、日当たりが良さそうで楽しみだ。そんなカフェに我々モストロ・ラウンジも負けてはいられないが。
「支配人は? ボードゲーム部の展示は何をするんです?」
「普段僕たちがやっているボードゲームを展示しているだけです。好きに遊んでくださって結構ですよ」
「思ったより適当」
「僕もイデアさんも忙しいんです。僕は基本はいますが、席を外さざるを得ないときもあります。イデアさんは研究発表がありますし……お手伝いにイデアさんがオルトさんを置いてくれるそうですから、僕が不在のときは彼の指示に従ってください」
「わかりました」
ボードゲーム部も本当に一瞬だけ検討していたから、ぜひお邪魔させてもらおう。ボードゲームは結構好きだし、得意かといわれるとそういう領域ではないのだけれど、話を聞くには色々な国のボードゲームがあるそう。それこそ、熱砂の国に伝わるマンカラとか、カタンとか。あ、あと確か……
「アズールっていうのありましたよね」
「ありますし、イデアさんにもいつもいじられますが……アズールという名前である以上、僕は負けていられない。なので、僕のとても得意なゲームだ。ナマエさんも一緒にしますか?」
「熱量が……また教えてください」
「お任せください」
「あ、お代は安めで……」
一瞬だけ、寮長のイグニハイド適性が見えたような気がする。アズール、調べたことはあるけれど、見た目がかわいい! という印象だけだったので、ぜひ文化祭で教えてもらおう。オルト、だっけ。彼はイデアさんとよく行動をしているけれど、VDCのオーディションでも見かけたし、しかしどこのクラスにも在籍していない。それに、見るからに……。謎に包まれているけれど、興味はあるから一度くらいは話しておきたいかもしれない。
すると、半分開いていた背後のドアが音を立て、支配人は私の肩を通して何かを見ていたので、そちらを向けば、フロイド先輩が隙間からひょこっと顔を出していた。
「ねー、そろそろナマエちゃん借りていい?」
「はい、もう用件は済みましたので」
「長かったからなんか揉めてんのかと思った。じゃ、行こっかナマエちゃん」
「揉めるわけないじゃないですか」
「行くって?」
「とりあえず談話室ね」
フロイド先輩に袖の上から腕を痛くない程度に掴まれると、支配人の方を顧みずに私を談話室まで先導した。レーズンバターの方は完成に近しいし、そもそも急ぎではないし、もしかして何かラウンジでのミスがあったかしら、と途端に不安になっては血の気が引く。しかし、フロイド先輩は鼻歌を歌ってご機嫌そうなので、マイナスなことではないだろう。
いつ見ても私の好きなデザインの、かわいい談話室に到着すると、ソファの方まで誘導された。
「はい、おすわり」
「……わん?」
「誰も犬になれなんて言ってねぇじゃん。ま、かわいいけど」
座るだけでいいんだけど、と言われたので、その通りソファに腰かけると、テーブルに置かれたマニキュアの数々が目に入った。あれ、しかも何種類かのネイルファイルも置かれてある。なんだろう、と推測するまでもなく、約束通りネイルをしてくれるのだろう。もう文化祭まで一週間を切っているし、丁度いい頃合かもしれない。
「オレねー、ナマエちゃんに絶対似合うってやつ、いっぱい調べたんだぁ」
「ほんとに? わざわざありがとうございます」
「どういたしまして」
私の手をとったフロイド先輩は、エタノールを含ませたコットンで表面を消毒する。思ったより本格的に用意をしてくれていて、甘皮処理とかは普段からしておいて良かった。機嫌良さげなフロイド先輩は、「ナマエちゃんが気に入らなくてもそのままね」なんて言ってきたけれど、フロイド先輩はセンスが良いから大丈夫だと思う。
「ナマエちゃんに似合ってて、そんでもってオレも結構好きなやつにしてあげる」
筆はクルーウェル先生のみたいに専用のではなく、付属のものだったけれど、それでもムラなく綺麗に塗ってくれるので、やっぱり器用なんだと思う。普段のボタンを留めない、ネクタイをしない、シャツは外に出しただらしない姿からは想像もつかないものだ。丁寧に何色かのグラデーションに着色して、ホイルを乗せて、乾く前に跡をつけて、また上から重ねて……。もう、何をしているのかはわからない。ただ、クルーウェル先生と同じように真剣な表情。顔つきは違うのに、最中の目つきはまったく同じものだった。
「これって……」
「黙って」
乾く前に、ピンセットでストーンを爪の根元に置いていったり、錬金術のときに見たような、もっと細かい金色の粉をまぶしたり。やっとここにきてフロイド先輩が何をしていたのかがわかって、つい真剣な先輩を邪魔してしまった。ごめんなさい、と謝るより先に口を噤むと、そんな私を一瞬見上げてからまた手先に視線を戻す。料理をしてるときなんかと同じように、こうして口をしっかり閉じて、真剣な目つきをしている。
ライトは流石に準備できなかったらしいので、魔法で硬化されると、あっという間に完成――でなく、それなりの時間は要した。
「はい、人魚の鱗ネイル〜。かわいいでしょ」
「! やっぱり!」
「うん、やっぱ似合ってるじゃん」
「めちゃくちゃかわいい! フロイド先輩すごい!」
「でしょ? もっと言って」
グラデーションとか、尾びれみたいにぼこぼこした感じとか、そういうネイルチップをつけたみたい。まさか、このクオリティのものをできる人がこんなに身近にいるなんて。すごい、かわいい、すごい、と何回も繰り返して言えば、フロイド先輩は穏やかな笑顔で「わかったわかった」「そんなに褒めてもなんも出ねぇけど」なんて。いや、褒める前から出てるんですって。ネイルサロンに行く何百倍もコスパが良いし、フロイド先輩とクルーウェル先生でネイルサロンを開いた方が良いと思う。
さっそくマジカメにアップしようと、手を組んで、それをフロイド先輩に撮ってもらって。
「上げちゃいました」
「あ、通知来たわ。あー、オレのことメンションしたんだ」
「駄目でした?」
「ダメじゃないけど?」
瞬く間にいいねがたくさん押されて、鍵垢にしては上々の反応。いいねが一番早かったのは、言うまでもなくフロイド先輩だった。投稿ついでに移動販売の宣伝もしておけば、「絶対に買いに行く」なんてコメントも次々についていった。