眠くて開かない目を擦りたい衝動に駆られつつ、睫毛もバッチリ上げてきらきらアイシャドウで仕上げたから、とてもできたことではない。いつか街中でどデカ広告を飾っていたヴィルさんのコラボ商品の発色抜群のリップも、落ちにくいようにしてきたし。こういうイベントのときはメイクも髪も気合いが入ってしまうのは、男女問わずだとは思うけれど、女は特に、だと思う。あとは、誰にも見られないのに無駄にかわいい下着を着けたり。
「おはようございまーす」
「おはようナマエ。眠いの?」
「すぐに覚めますよ。んー、乾いてるだけかも」
一般客の開場時間は十一時。普段の始業時間と何ら変わりない時間にこうして集まっているので、特段早起きというわけでもないけれど、うーん、目が乾く。ぱちぱちと何度か瞬きをしても治りそうになく、よくこの状態で完璧なメイクができたなあ、と思うけれど、オクタヴィネル寮は比較的湿度が高いからなのかもしれない。
困っている私を見かねて、リドル先輩があたりに薄い水の膜のような、霧のようなものを張っては湿度を上げてくれた。
「わっ、ありがとうございます」
「どういたしまして。万全な状態で臨んでほしいからね」
「その爪はマジカメに上げていたものか?」
「ええ、見てくださったんですね」
マジカメで繋がっている人は、ごく少ない。高校用に新たにアカウントを作って、ホリデーまでの間はヴィルさんのお仕事用アカウントだけのフォロー。その後はラウンジと、オクタヴィネル寮と、馬術部とエペル。と、トラッポラ。それくらいは連絡も取るからと繋がらせてもらったのだけれど、馬術部の三人は連絡用のみ! というイメージは抱いている。投稿とかもしないし。
リドル先輩とシルバー先輩とセベク、一人ずつに見せるように手の甲を向ける。
「かわいいでしょ?」
「うん、かわいらしいと思うよ。キミは前もネイルをしていたけれど……今回もクルーウェル先生に?」
「今回はフロイド先輩です」
「え!? あのフロイドかい!?」
「フロイドは器用なんだな」
メンションしたのに、さてはリドル先輩は見ていないな? なんて思ったけれど、確かに写真をタップしないとメンション先は表示されないから、それを知らない可能性だってある。感心したように覗き込む若様の護衛二人に、かわいいでしょ〜、と見せると、シルバー先輩がむ、と眉間に皺を寄せた。
「綺麗に着色されている。それに表面がボコボコしているな」
「これ、人魚の鱗ネイルですよ」
「鱗というより尾びれじゃないか?」
「魚では駄目だったのだろうか」
「そういうものなの!」
難癖ではなく、おそらく率直に疑問を投げてくるセベクとシルバー先輩に急に面倒になった私は声を張り上げては質問を止めさせてもらった。シルバー先輩は「そういうものなのか、すまない」と謝ってくれたのに、セベクは「急に大きな声を出すな!!」と怒鳴ってくる始末である。いや、謝ってほしいわけではないのだけれど、やっぱり声の大きい人は自分の声が大きいことに気がつかない傾向があるのかもしれない。
それにしたって、その後のセベクも興味深そうに私の指先を軽く持ってはまじまじと見てくるものだから、たいそう興味がおありのようだ。
「セベク、手」
「!! すまない!!!」
「あ、そっちは謝るのね。セベクもおそろいにしてもらう? ……あ、でもフロイド先輩はやってくれないかも」
「む……興味はあるが……」
セベクがここまで興味ありげなのが珍しくて、しかし何かと不便があるので離してくれるように言えば、慌てて手を離してくれた。セベクもものによっては似合うと思うけれど、少なくとも私と同じようなネイルは似合わなそう。かわいいけど。
「さあ、開場まで二時間を切った。各々で役割確認をしておいて。ボクは運営委員の仕事があるから、そろそろ見回りに行ってくるからね」
「はい!」
「後は頼んだよ、シルバー」
「任せておけ」
シルバー先輩が頼られていることに不服そうに唸っているセベクを横目に、スタッフ用のジャンパーを羽織る。他の部員たちと違って、これも防寒に使えてラッキーだ。男女兼用サイズのLなので、袖は余るけれど、萌え袖みたいでかわいいかもしれない。そう思うと同時に、コートを貸してもらったときを思い出して、セベクって男子にしても相当大きいんだなあ、とも感じた。
「場所一緒でしたよね」
「ああ。コロシアム裏での待機列の形成だったな」
「この後はどうするんですか?」
「僕たちは馬術部での仕事が終わったらリリア様の軽音部のパフォーマンスを拝見しに行く!! それから若様からVDCの関係者チケットもいただいたから、若様の護衛のために行くつもりだ!!!」
「わあ、ほとんど私と動きが一緒だ。あと声大きい」
若様関連になると声が大きくなるのかなあ。私も軽音部には行きたいと思っていたし、VDCももちろん見に行くからほとんど動きが同じになるかもしれない。合間合間でドリンク販売だったりボドゲ部に行ったりはあるけれど。というか、マレウス・ドラコニアがVDCに招待されたの? マレウス・ドラコニアと関わりのある人物なんて、この二人とリリアさんくらいしか思い浮かばないけれど……。もしかするとカリムさんあたりが各寮長たちに配り歩いたのかもしれない。
「ね、サイエンス部のカフェとか興味ない?」
「僕は若様の護衛で忙しい。若様から離れるわけにはいかない!」
「うーん、そっかあ」
「セベク。リリア様もマレウス様も好きに回っていいとおっしゃっていただろう。四六時中一緒にいても迷惑かもしれない」
「偉そうな口をきくな!!」
セベクとシルバー先輩さえ良ければ一緒に回ろうかと思ったのに残念。今日はエペルも空いていないし、フロイド先輩も移動販売のシフトがしっかり入っているし、一人で虚しく回るしかないのかなあ。私もマレウス・ドラコニアの護衛として一緒に回るという線もあるけれど、そんな面白すぎる絵面、私が我慢できない。完全にアウェイだし。
「……ねえ、ガーゴイル研究会って何?」
文化部の展示と教室一覧を見ていると、異色な部活名が一つあった。部活というか、同好会? 副寮長の山を愛する会と同じような匂いがする。ただ、同好会だからなのか、どちらも人の興味をひくものだとは思う。
「『ガーゴイル研究会って何?』だと……? それは偉大なる若様の所属なさっている部活動だ!! 貴様、世間知らずにも程があるぞ!!」
「えぇ! ごめんね」
「セベク、声が大きい」
「世間知らずな方が悪い!」
「もう、今日のセベク怖い」
「怖いだと? そんなわけ……そんな……そうか」
「……急にしおらしい」
セベクは若様至上主義、ディアソムニア寮以外は視野に入らん! なスタンスではあると思うのだけれど、それはそれとして馬術部のリドル先輩のことは尊敬しているし、私にも優しい方だとは思う。トラッポラの話を聞く感じには。
◈◈◈
小一時間ほど雑談を交わしつつ、各部員が持ち場に向かうと、私もよいしょ、と誘導のためのプラカードを持つ。万が一突進されたりすれば、フィジカル的に一番吹っ飛びやすいだろうから、私はセベクとシルバー先輩が列を形成している間に横で誘導する役割にあたった。まだ開場まで一時間以上あるのに、既に数人の女性客が見えた。
「わ、早いね」
「ああ。やはり文化祭自体にVDC目的で来る者が多そうだな」
「メインイベントですからね」
「今日限りの辛抱だ」
大変になりそうだなあ、と呑気に考えながら客人の流れを眺めていられたのも束の間。あっという間にサイドストリートは屋台の前にも一般客がぎゅうぎゅうに押し寄せており、ひしめき合っていた。開場前でこんなの、開場したら大変なのでは……。
「開場後は押さないで、歩いて入場してくださいねー!」
ざわざわした中で、まるでテーマパークのキャストにでもなったつもりで一般客にプラカードを高く上げながら、声も張り上げる。聞いているかは微妙なところだ。どの一般客もVDCやらマジカメやらでそれどころではないらしい。そんな中で、一番最前をキープしていた、大学生か、それとも高校生かのお姉さんがワッ! と声を上げた。
「何このイケメンくん! 芸能人!?」
「うっそすごく綺麗……ヴィル様と引けを取らないくらいはちゃめちゃに美しい……」
「連絡先交換しない?」
「あらら……」
一人のお姉様の声で、その周りにいたお姉様方もざわざわといっそう騒ぎ出した。リドル先輩ったら、この危険性を懸念しておいた方が良かっただろうに。シルバー先輩はこの学園で一番、といえば言いすぎだけれど、トップクラスの顔整い、ド美形なので、確実に人目につくこの役割を避けておいた方が良かっただろう。まあ、これが予測できなかった私も私だけれど……。
「ねえ、名前なんていうの?」
「ほんっとにイケメン……どこかの事務所に所属してたりするのかしら」
「このお仕事終わったら一緒に回らない?」
「静かにしろ人間!!!」
セベクの偉そうな言葉なんて届かないくらい、開場まで張ったままのロープを乗り越えてきそうな勢いでキャーキャー騒ぐ女性たち。わかるけれど、私は比較的初めてシルバー先輩を見たときは冷静、だったのかもしれない。というか、普段からクルーウェル先生やシルバー先輩や、とにかくイケメンと関わりすぎているからだろうか。
「ロープを飛び越えようとするのはやめてください。開場まで落ち着いて、列を守って待機してください」
「ねえ、連絡先!!」
「せめて写真だけでも!!」
「埒が明かない!!」
シルバー先輩のよく透き通る声を見事に無視したり、その綺麗な声にすら歓声のような悲鳴なものが上がって、もう有名人じゃないの、シルバー先輩。頑張って、と念を送っていると、慣れていないのか、珍しく焦った様子のシルバー先輩とバチッと目が合ってから、ハッとしたように目を丸くした。ん? なんだろう。
「すみません、俺には、えっと……恋人がいるので」
「えっ!」
「なっ!!?」
シルバー先輩ってそういうタイプの機転が利くタイプだったのか、と思わず声を上げると、セベクも同じように驚いて声を上げていた。まさか、シルバー先輩にこういうアドリブが使えるなんて思いもしなくて。その声にもなかなか折れないのか、それとも推しポイントに昇格してしまったのか、女性客たちはキャア! と声を上げた。
「恋人だって! かーわいい!」
「ねえ、写真ないの!?」
「めちゃくちゃ善良なファンじゃん……」
お姉様がきゃっきゃする中、シルバー先輩は写真か、と呟いてスマホを取り出した。えっ! 本当に彼女さんいたの!? シルバー先輩が何故か悔しそうにくっと歯を噛み締めて深刻そうな重々しい表情をしながらスマホを客人に向けようとしたので、私も興味津々になってそちらを見ていると、セベクが咄嗟にシルバー先輩のスマホの液晶を大きな手で覆った。それにまたハッとしたようにオーロラ色を光らせると、スマホをポケットにしまう。あれ?
「申し訳ないが、その……好きすぎて見せたくない」
「わぁ……」
「えー! かわいい!!!」
「推せる」
「推し変かも」
お姉様方の歓声が止まない。咽び泣いているオタクまでいる。すごく気になるから、後でシルバー先輩に後輩特権で、その好きで好きで仕方ない彼女さんとやらを見せてもらおう。
◈◈◈
なんとか騒ぎが収まり、開場二分前。またしても、今度はヴィルさんやネージュの話で持ち切りになったあたりがざわざわする。すると、見覚えのある赤い頭と、猫とその飼い主、それからあまり関わったことのない、その中でも背の高い眼鏡の先輩がやってきた。確か、トレイさんだっけ。トラッポラやリドル先輩が、お菓子作りが上手いっていつも言っている、ハーツラビュル寮の副寮長。こうして近くで見るのは初めてかもしれない。
『皆様、大変お待たせいたしました。ただいまより全国魔法士養成学校総合文化祭を開催いたします』
手元の時計が十一時丁度を指したとき、校内アナウンスが響き渡る。それによって待機していた一般客はどっと盛り上がり、ロープが地に落ちたと同時にコロシアムの方に駆け始めた。ちょっと、注意のプラカード持ってたのに!
「ロープに躓かないよう歩いて入場お願いしまーす!」
「おい人間!!! 走るな!!! そして歩きスマホをするな!!!」
「当日券の抽選は、先着順ではありません。スタッフの指示に従い、落ち着いて並んでください」
こういうときにセベクのよく通る、というか、大きな声は助かる。ただ、一般客たちがその指示を聞くかといえばまた別であるが。バタバタと走る一般客に紛れて、先程遠くに見えていた四人――三人と一匹の姿が現れた。どうやら、実行委員の見回りで様子を見に来てくれたらしい。
「リドル、様子を見に来てくれたのか? 予定通り、コロシアム裏に待機列の形成を開始した」
「他の部活のスタッフが結構動いてくれて助かってます」
「そうか、ありがとう」
人の波はすごいけれど、コロシアムの方に向かう、主に女性客は、馬術部を中心とした、他の運動部から派遣されてきたスタッフが列を形成してくれている。拡声器を使って何度も何度も注意事項を言っていて、大変そうではあるが。
しかしセベクは、こめかみのあたりをぴく、と動かしてから顔を顰めた。もう、怖い顔。
「なんなのだ、この混雑は! 捌いても捌いても、うじゃうじゃと湧いてくる! 人間共め!」
「セベク、いつも言っているけれど、その『人間』という呼び方はやめないか。学園の品位に関わる」
「リドルの言う通りだ。第一、お前だって半分はそうだろう。お前の無礼な発言は、マレウス様やリリア様にもご迷惑をかける。重々気をつけろ」
「なっ……偉そうなことを言うなシルバー!!!!!」
ああもう、安定。セベクは一般客にすら容赦なく人間! 人間! と、それはもう、リドル先輩やシルバー先輩の言う方が正しい。グリムは初めてセベクを見たのか、声の大きさに驚いているようだったし。
「ね、セベク。今日と明日だけだから。外部の人に人間なんて言わないの」
「うるさいぞ人間!!」
「私はいいけども」
はあ、と溜息をついたのは、私とシルバー先輩とリドル先輩同時だった。普段学園の生徒に放つ分には、良くはないけど、まだマシだ。今回ばかりはマジカメなんかで晒される場合もあるし、もう少し気をつけた方がいいと思う。「晒されたら若様やリリア様に迷惑がかかるでしょ」とシルバー先輩の言ったことを復唱すれば、ぐっと堪えたような表情をした。
「混雑を見越して、ボクが意思疎通のしやすい馬術部を中心に、多めのスタッフを配置したつもりだったけれど……」
「その判断は正しかったな。だが開場直後でこの賑わい……今の人員では心もとないかもしれない」
「収まりそうにないですもんね」
これではやはり人員不足に感じた私たちは、手の空いた運動部たちをこちらに回すことにした。マジフト部や陸上部は早くからステージの設営をしていたはずだし、リドル先輩がレオナさんに連絡を入れてくれるそう。……レオナさんの連絡先、知ってるんだ。
それから、リドル先輩は運営委員として東校舎の方、メインストリートの方を見回りに行くらしくて、なるほど、トレイさんと監督生も運営委員なのか。ん? 監督生も運営委員なの?
「じゃあ、ナマエも頼んだよ」
「はい!」
リドル先輩がにこっと笑って流れに逆らい、東校舎の方に向かうのを見送ると、再び一般客たちを捌き始めた。
◈◈◈
「ふう……」
「やっと落ち着いたな……」
「ナマエにセベク、飲み物を貰ってきた」
何十分も人を捌いて捌いて、ようやくサイドストリートは屋台目当ての一般客だけとなった。シルバー先輩からミネラルウォーターを受け取ると、ごくごくと喉を鳴らしながら流し込む。ジャンパーは防寒対策だって言ったけれど、動けば暑くなるなあ。セベクも制服に風を送るように襟元を持ってパタパタして、シルバー先輩は不思議にも涼しい顔をしていた。
「とりあえず一旦休憩、だな」
「はい……」
「怪我人は出なかったか?」
「なんとか、魔法で浮かせたり色々です」
ロープを回収する間もなく忙しなく入場してくるものだから、足元に気がつかず何人もがそれに躓いて転びかけたのを、軽い浮遊魔法でサポートしたりした。これで転んでしまってもあっちの自業自得になるのになあ、とペットボトルのキャップを閉めていると、そういえばと思い出したことがあった。
「シルバー先輩。彼女さん、いたんですね?」
「! それは――」
「シルバーに彼女などいない!!!」
「声大きい! 嘘でもシルバー先輩可哀想でしょ」
しっ、とセベクのお口をチャックさせると、シルバー先輩は気まずそうに私から目を逸らした。何がそんなに気まずいのか、と首を傾げれば、シルバー先輩は観念したように私に目を合わせてから、「正直に言おう。謝らせてほしい」とスマホの画面を提示した。
「何か見せることができるものはないかと探したら、これが出てきてだな……」
「わあ……」
傷一つない画面には、ホリデー前に調子に乗って撮った、私とシルバー先輩のツーショットが写っていた。シルバー先輩の写真慣れしていないのに盛れすぎているお顔と、私の無加工無修正顔。なるほど、私を恋人に仕立てようとしたというわけか。気まずそうに目を逸らすものだから、「大丈夫ですよ」と言えば、「本当に申し訳ない」と頭を下げた。
「後でナマエには謝ろうと思って、しかしこれが運動着だと気がついて……」
「ああ、うちに女子生徒がいるってバレるから……」
「その通りだ。しかし、罪悪感の方が大きい。こんな真似をしようとしたことを誠心誠意をもって謝罪したい」
「ええ! 別にいいのに! ……というか、リリアさんを見せたら万事解決だったのでは」
「確かにそうだな……。そこまで頭が回らなかった」
「正論だな」
むしろシルバー先輩が考えたとは思えない作戦で感心しているまである。有名人の画像を拾うわけにはいかないし、一般人っぽさが丁度良いとは思う。あのお姉様方が納得するとは思えないけれど。くっと辛そうに奥歯を噛み締めながら私を見るその表情に、むしろこっちの方が罪悪感まみれになってしまった。……というか、
「……いや、だとしたらあの『好きすぎて』発言は効きますね」
「! 忘れてくれ」
「あ、それはそれで酷い」
「あんな発言は忘れるんだナマエ!!」
「人間は脳内にしっかり刻んでしまった……」
こんなとんでもイケメンが「好きすぎて見せられない」かあ。いや、私までファンサービスを浴びた気分ですよ。余韻に浸ってしまうような私に、セベクが何度も声をかけてくるけれど、せめてあと五分は脳内リピートをしたいかもしれない。