どちらも愛しか籠っていない

 もう、死ぬかと思った。

 バレンタインは毎年それなりのものを作っていたから、お菓子作りが苦手なわけではない。フロイド先輩みたいに器用ではないけれど、大問題というほど不器用でもないし。要因は失敗というより、ほとんどが完璧を求めてしまったがゆえだ。ツヤが足りない、ガナッシュやブランデーが少しはみ出した、空気が入って転写シートが剥げている場所がある。そういうもの。何より、テンパリングに手こずらされたかもしれない。

「無理無理……今日の授業無理……」

 冷やす時間もあるし、その間に新しく作ったりでもう寝不足。材料を大量に買ったからできたことで、レオナさんのお財布に心から感謝だ。型も念のため二つずつ買っておいて良かった。クラスと部活全員に余裕で配れる程になってしまったので、箱を持て余すわけにもいかないから、失敗作までしっかりラッピングした。流石に寮生にまで手は回らなかったから、そちらは一人一つずつになってしまうけれど。関わりの少ない人には、綺麗さは妥協してもらおう。
 眠すぎてもはや覚醒状態に入ってしまった私は、メイクも髪もしっかりセットして、服を買ったときの大きい紙袋にきっちりとチョコレートを詰めていく。綺麗にできたものをあげる人は、もちろんなんとなく決まってるんだよねえ。一人だけ、仕方なしの人もいないことはないけれど。
 フロイド先輩たちに渡すのが、同じ寮だから一番早いはず。しかし、どうも一番は照れくさいので、いつもより早めに寮を出た。

 ◈◈◈

「えっ、チョコレート? 僕にくれるの?」
「うん。いつもありがとう……みたいな」

 腕に筋肉がつきそうだ。両手に大きな紙袋を持って、メインストリートを闊歩した。眠気を紛らせるために目薬を差してみたりして。そんな私が最初にあげるのは、もちろんエペル。早すぎず遅すぎずの彼の登校をそわそわしながら待って、いつも通り私の視界端で見切れるラベンダーがあれば、足元に置いていた、上手くできた方の紙袋から長方形の箱を取り出した。それを受け取ったときの、エペルの表情といったら。相変わらずの綺麗なお顔の中で小ぶりな口を大きめに開けて、目も丸くした。そして、その状態で、いち、に、さん。三秒フリーズだ。

「エペル?」
「……あ、ごめん。びっくりしちゃって。バレンタインって、ばっちゃ……おばあちゃんとお母さんに貰ったことしかなくて。同年代の女の子に貰うのって、初めてで」
「そっかあ。綺麗にできた、し……多分、美味しいから食べて」
「本当にありがとう。見てもいい?」

 そういえばエペルのところも茨の谷同様同年代が少ないんだっけ。エペル、顔綺麗だし、うちの地元なんかじゃ絶対大人気だっただろうに。エペルが私に尋ねたのを、もちろん、と頷くと、それと同時にワッと私とエペルの周りに人が集まった。いやあ、皆気になるんだねえ。エペルが箱を開けて、クラスメイトもそれを覗き込むと、ありえないほど盛り上がった。真っ赤なハートのものと、正方形のものと、ドーム型の。計三つだけれど、いや、自分でもドン引きするくらいツヤツヤだ。商品? それも、こうなるまで頑張ったから、だけれど。

「と、とんでもねぇ……」
「いや、私も今見て想像より上手くてびっくりした」
「ナマエ! 俺には? 俺には?」
「俺も俺も!」
「あるよ〜、クラス全員分ある。私、優しいので」
「優しい〜!!!!」

 皆そわそわしすぎ。もう少し控えめにアピールすればいいのに、と思いながら、重い方の紙袋から一人ずつにチョコレートを渡していく。皆あからさまに喜んでいて、質はもちろんエペルのものより劣るし、材料も多少の違いがあったり、テンパリングができなすぎて角に思いきり型を叩きつけてどうにか抜き取ったものもあるけれど、まあ、バレないでしょ。その場にいた多くがまるで私を胴上げするのではないかというくらいの盛り上がりを見せて、指笛が鳴り響いた。いやあ、面白すぎる。自主的に貰いに来た強欲な者たちに配り終えると、席で待機する照れ屋なイグニハイド寮生や腕を組んでいるハウルの元にも向かった。

「はい、どうぞ」
「えっ、い、いいの?」
「なんで駄目だと思ってるの。お返し待ってるね〜」

 まあ、言うなれば失敗作だし、お返しもそんなに求めないけれど。材料費は全部レオナさんだし。イグニハイド寮生、多くが結構同じ反応をするよね。ほんとにほんとに眠すぎて、今までで一番学校をサボりたいまであるけれど、こんなに喜んでもらえるなら失敗作でも作って良かった。あと、綺麗にできたのも嬉しいし。最後に見た目の通り一匹狼なハウルの元に向かって、はい、と手渡しするのを迷ったのは、やはりこれだ。

「……チョコ食べられる?」
「なんだ? 別にくれねぇならそれでいい」
「いや私そんなに意地悪じゃないし。……あー、でも他のサバナクローの人は貰ってたな。じゃあいけるか」

 獣人族って、人なのか獣なのか微妙だ。しかし、チョコレートが駄目なのは猫や犬だから、狼やライオンはいけるのだろう。ブツブツ独り言を言っていると、何を言っているんだという目を向けられたので、それじゃあ、とハウルに手渡すと、一瞬迷ってから受け取った。そうそう、それが正解。人様のご厚意はありがたく受け取らないと。

「……サンキュ」
「いーえ。なんだかんだお世話になってるし。お返しは別にいいからね」

 大きな耳をぴく、と動かして、私から目を逸らして、というか、顔ごと逸らしてお礼を言った。ツンデレが多いなあ、うちの学年は。さあ、この中の何人がお返しをくれるだろう。……ナイトレイブンカレッジ生のことだから、利益だけ得て何も返してくれないっていうのも大いにありうるな。まあ、それでも怒らないけれど。多分、本命の方を渡している人たちは何かしら返してくれるだろうし、なんて淡い期待を抱いて。

「市販のやつで悪いな! まさか貰えると思ってなくて」
「え、逆になんで持ってるの? ありがとう〜」
「男子校だから貰えると思ってなくて慰めの交換会をしようとしてたんだよ」
「貰えて良かったねえ」

 男子校あるあるなのだろうか。数人のクラスメイトが固まっていたから、その人数分配ると、広げられていたお菓子を配ったチョコレートと交換にたくさん私の手のひらに降らせてくれた。わあ、まさかホワイトデーじゃないのに貰えると思わなかったな。ありがとう、とピースを向けながら配る用の紙袋に貰ったものも一緒にバサーっと入れると、私にお菓子をくれた数人もピースを返してくれた。
 無事配り終えて、気持ち程度脳が活性化されたから、残り数分で始まるホームルームのために席に戻ると、エペルが私を見てから蓋を閉じると、鞄にそっとしまってくれた。

「本当に嬉しい、ありがとう」
「ううん、どういたしまして」
「器用なんだね、ナマエは」
「やだ嫌味? エペルには負けるよ」
「あはは、そうでもないよ」

 フロイド先輩とエペルと、あとはクルーウェル先生あたりに「器用」なんて言われてもとても信用できない。むう、と口を尖らせると、謙遜するかのように笑った。証拠はばっちり林檎細工で掴んでいますとも。

「……モストロ・ラウンジ、まだ行けてなくてごめんね。明日か明後日、行こうと思ってるんだ」
「え、ほんと? 待ってる!」
「僕も、楽しみにしてる」
「後でシフト表送っとくね」

 えっ、律儀すぎない? 楽しみにしてるのはこっちだし。明日か明後日、という今まで抽象的だったものが具体的になって、完全に目が覚めた。わあ、エペルがモストロ・ラウンジに。うきうきしながら、私かラギーさんがいた方が良いだろうから、とホームルームが終わったらシフト表を送ることにした。VDCも終わったし、エペルを思う存分労わないと。

 ◈◈◈

 やっぱり無理。無理だ。眠すぎる。さっきの時間の魔法史が要因だろう。テスト期間ならギリ耐えられたけれど、一日はきついって。しかもこの状態でたくさん計算をしなくてはいけないの、今日ばかりはお昼前の魔法解析学を恨ませていただきたい。

「あー……」
「うわ、倒れてる」
「……」

 机に伏せたまま、どことなく体調が悪いような、でも眠気は我慢できそうで、変なエナジードリンクを飲んだときのような感覚にすらなってきて、低い声で唸っていると、机が小さく揺れてから、どん、と柔らかそうで硬い音がした。それから、調子に乗った声。それが耳障りになったから、一瞬無視をすると、「え、保健室行く?」と本当に心配そうな声色で言ってくれたから、渋々起き上がった。いや、体調は悪いといえばそうだけれど、少し違う。

「んーん、大丈夫。心配してくれてありがと」
「そ? 無理はすんなよ」
「大丈夫大丈夫。……計算困ったら助けて」
「……珍しいじゃん。了解」
「ありがと。……ところで、トラッポラはこの席がデフォルトになったの? 他にも友達いるでしょ?」

 お、意外と頭、回るかも。んー、と言いながら上に伸びて、肩を回すと、当然のように固定席みたいになってしまっているトラッポラに純粋に投げかけた。秋学期の頃は別々、近くても斜め後ろ、くらいだったのに、今学期はずっと隣にいるような気がする。まあ、私もこの授業では話すのは彼くらいだから、ありがたいこともあるけれど。するとトラッポラは少し考えてから、チェリーレッドを光らせて、頬杖をつきながら真っ直ぐに私を見る。

「……ナマエちゃんの隣で受けたいから、じゃ駄目?」
「……は?」

 思わず眉をぴくぴくさせて、かわいくない返事を洩らすと、真剣な顔をしていたトラッポラは笑顔を取り戻した。あ、そっちの方がいい。変にあらたまって言われると、私も変になるから。

「あざと」
「それ、アンタが言う?」
「いやあ、それほどでも」

 要領が良いトラッポラのことだ。私がこういうのに弱いっていうのを知って、こうしてからかっているのだろう。次からもう少し対策を練らないとなあ、と思いながら、不本意ではあるけれど、赤いハートといえば、だし。かわいくラッピングされた――といっても箱に入れただけのチョコレートを手に持ってから、また少し悩んだ。トラッポラたちは、それどころじゃないかも、なんて思ったから。

「……グリム、どう?」
「あー。……まだ話させてもらえないっぽいんだよね。意識を失ったままっつーか……」
「……そっか」
「アイツ、うるさいけど。いざいなくなったらやっぱり、ちょっと寂しい……みたいな?」
「早く、一緒に授業受けられるようになればいいのにね」

 ざっくりと、暴走した、ということしか聞いていない。それを掘り下げるつもりはさらさらないけれど、私だってそれなりに関わりがあった。私だけでなく、あの問題児のことだから、学年の多くが関わったことがあると思う。だから、深く事情を知らない誰しもが心配、だと思うし、多少は気になる。こんな状態で渡すのは申し訳ないけれど、そういう日だから、仕方ない。

「……こんなときにごめん。トラッポラ、これ」
「……え。チョコ? くれんの?」
「ん。これのせいで、今日ちょっと寝不足」
「……あー、そういうことね」

 トラッポラも、まあ、かなりお世話になってると思う。だから、本命の方。本命といえば複数人いるから語弊があるけれど、とりあえず脳内では本命と言うことにしておこう。私の顔とチョコレートを交互に見てから、納得した様子で、「さんきゅ」と言って受け取った。それから良からぬことを考えるみたいな笑顔を向けてきた。最高にトラッポラって感じの、レオナさんとは違うにやけ顔。

「なに、本命?」
「んー、かもね。あ、待って、セベクに渡してくる」
「だろうと思ったわ。ぜってー違うじゃん」
「何も言ってないじゃん。今日部活ないから」
「はいはい。てかマジで仲良いんだね」

 おちょくっているのか、それとも本気かは知りたいわけではないから、トラッポラをものの一秒だけ期待させて、トラッポラに渡したのと同じものを手に持った。ラッピングは都合上、少しだけ違う。
 セベクって、結構甘いのは好きだった気がする。トラッポラに早く行ってこいと急かされながら、手に持った箱を開けると、やっぱりめちゃくちゃ綺麗。売り物と並べても、本当に遜色ないと思う。セベク、喜んでくれるかな。最前列、教卓の前に立てば、授業が始まるのを待っていたセベクの視界に入ることは容易かった。

「セベク」
「ん? ナマエか。珍しいな。何かあったのか?」
「うん、渡したいものあって。これ、どうぞ」

 そうして手に持っていた、チョコレートを両手で渡すと、大きなセベクの後ろにいる同じ選択授業の生徒たちと目が合って、少し気まずい。もう見ないでおこうと、セベクにだけ視線を預ければ、セベクはそれを受け取らずに、しかし何も言わずに、首を傾げた。あれ、もしかして。

「……セベク、バレンタイン知らない?」
「なっ……、ば、馬鹿に、しているのか?」
「ううん。思っただけ」
「母や姉に貰ったことがある。……それから、リリア様にどういうものか教わったことも」
「そっかあ」

 セベク、お姉さんいるんだ。セベクって、若様の話ばかりで、あまり家のことを話してくれないから、たった今知れて少し嬉しい。けれど、やっぱりそういう習慣とか、バレンタイン特有のそわそわは体験したことなかったのだろう。珍しく静かなセベクは、私から目を逸らしながら、そう言った。きっと、正規の意味しか知らないんだろうなあ。まあ、本命には変わりないけれど。

「いつもありがとうって意味もね、あるから。ぜひ、食べてほしい」
「あ、ああ。受け取ろう」
「うん。ありがとう。手作りだから、早めに食べて」
「てっ、……わかった」
「うん」

 セベクの声が小さい。これは、照れているな? そう思って、今度は私がトラッポラみたいににやにや。口角が上に上に上がるのを隠すことなんてせずに、片手でそっと受け取ってくれたセベクの顔を下から覗き込むと、手の甲で口元を覆ってから、「じろじろ見るな!!!」と大声を上げてきた。わ、近かったから、寝不足の頭によく響く。それから、周囲の視線も一気に集まった。

「ごめんごめん。元気そうで何よりだ。じゃあ戻るね」
「ナマエ、その……」

 セベクのいた机の前でしゃがんでいたのを、よいしょと立ち上がると、あ、もう授業が始まりそう。後ろの方にとってある席に目を向けて、トラッポラと目が合って、逸らしてからセベクに挨拶をすると、離れかけたときにセベクのよく通る声が、か細く聞こえた。か細いけれど、確実に耳に届く声だ。セベクがこうして呼び止めてくるのは、何か知っている。
 なに? って、口に出さずに、視線だけでセベクに聞くと、数秒置いて、まだうるさい教室に微かな息を吸う音が聞こえた。

「……ありがとう」
「……ふふ。うん、どういたしまして」

 今日は控えめなセベクは、案の定律儀で、素直に私にお礼を言ってくれた。心做しか、丸まった耳が赤いように見えて、喜んでもらえたのかわからないけれど、良かった。自然と表情筋がゆるむのが、自分でもわかった。

 あと二分もすれば始まる、と慌てて席に戻ると、トラッポラが驚いたようにこちらを見ていて、どうしたのかと眉を歪めながら席に着くと、はぁ、と溜息をついた。

「ナマエちゃんのああいう表情さ……」
「どういう?」
「あー、やっぱなんでもねぇわ」
「そっか」

 どういう表情がどうしたんだ、と謎が生まれたまま、それを放置したトラッポラにすっきりしないままで前回の続きのノートを開けたとき、そういえば、と思い出した。

「あとで監督生とかスペードとか、グリムの分も持ってくけど……いつならいる?」
「ん? あー、昼からも移動はないしいつでもいるけど」
「わかった」

 グリムは、お話できるようになったら監督生に渡しておいてもらおう。あれこそ猫みたいな面をしているけれど、モンスターという括りだし、ハーツラビュル寮のパーティーにも参加したりしているそうなので、何ら問題はなさそうだ。とりあえず、空いた時間に行こうかなあ。
 ペンを顎に当てて、今日は誰に、どれだけ効率良く配れるか考えていると、隣から半ば声みたいな、「はぁ〜」という溜息が聞こえたので、そちらを見る。すると、後ろの机にもたれながら両手をテラコッタの後ろに回して、少し遠くを見ている様子だった。なんだ、今のわざとらしい溜息は。どうしたのかとトラッポラの方をじっと見ていると、彼は乾燥していない、水気を含んだ唇を開くと、ぼそっとひとつ、呟いた。

「……やっぱ誰にでも配ってんじゃん」

 そのひと言で、なるほど、納得した。トラッポラは所謂嫉妬というか、スペードたちに女子に貰ったマウントを取りたかったのかもしれない。結構かわいいじゃん、と思いながら、あざといなんて言われたからには最後までそうさせてもらおう。そう決めた。

「……でも、トラッポラのは、スペードたちのと違うやつだよ」

 私も同じように遠くを見てから、ちら、と横目でトラッポラに視線を向ければ、なんて言われるだろう。そういうのはいいから、なんて言うか、マジ? ラッキー、か。こういうときの私の予測は、ことごとく外れる。トラッポラは時間差で、頬を少しだけ赤くして、熟れたチェリーを揺らした。それから、口を半開きにしてからぱくぱくさせて、きゅっと結んだかと思うと、今度は息だけを吐いた。

「ほんっと……そういうとこがあざといんだよな」
「ん〜? どういうとこが?」

 予想外の反応だったけれど、わざとらしく、何もわかってません、というド天然あざと女を演出してみると、トラッポラは今度は顔を引きつらせて、「お前な……」と言った。どういうところがあざといんだろう。さあ、私にはさっぱりわかんない。お返し待ってるね、と薄らと微笑んで言えば、また溜息をついて、それを遮るかのように始業のチャイムが鳴った。
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