スウィート・スウィート

 有効活用するならお昼休みだ、と思い、今日はなんと麓の町からベーカリーが来ていたので、早くに並んでは適当にかっさらって、紙袋を片手に黙々と食べた。エペルには、チョコレートを配り歩くから一緒に食べられない、と言って、するとエペルはトラッポラたちと食べることにしたらしい。スペードと監督生にも会えたから、ついでに渡せて良かった。
 それにしても、よくよく考えれば皆お昼ご飯を食べるだろうし、ゆっくり食べてからの方が良かっただろうか。うーん、張り切りすぎて失敗だ。そう思っていると、見覚えのありすぎる姿が現れた。

「あれ、ナマエちゃん。パン買ってるの珍しいッスね」

 私が抜けてきたところで、丁度パンを両手いっぱいに抱えて現れたのは、ハウルとレオナさんの中間くらいの大きさのお耳を持ったラギーさんだった。そういえばラギーさんはいつもベーカリーが来たとき、パンをたくさん狙っているとかなんとか。レオナさんのおつかいだったり、そうでなかったり。

「気分……というか、さくっと食べられるものが良くて」
「ふぅん。……って、なんか今日顔色悪いじゃないスか。寝不足?」
「へへ、まあ」
「……アンタねぇ」

 どうやら相当疲れた顔をしているらしい。隈はそこまで酷くないはずだし、コンシーラーで隠してきているはず。それでもラギーさんは含め上級生には目ざとい人が多いので、誤魔化すみたいに笑えば、呆れたようにジト目を向けられた。それから、ラギーさんが持っていた焼きそばパンが、私の口に放り込まれる。ええ、私の手にもパンオショコラがあるのに。

「どうせアンタのことだから、保健室で休んだりサボったりしないでしょ」
「今日は迷うところだけれど、午後から魔法薬学があるので」
「ハァ……愛のチカラは偉大ッスねぇ」

 ひと口いただくと、そのまま私のパンを持った手に押しつけてくるので、なんとか指を工夫して使うことで二つのパンを持った。食にもがめついラギーさんが、私にパンをくれるなんて。ラギーさんは片手に大量のパン、それからもう片方の腕にもバケットを抱えながらスマホを触って、器用に拡大をしたりしていた。

「今日のシフト、代わってあげたいッスけど……今日は盛況しそうッスもんね」
「そう、ですね」
「決して無理はしないこと。わかった?」
「もう、わかってますよ。ありがとうございます」

 ラギーさんも、まあまあ過保護だ。ラギーさんの言う通り、今日はバレンタインデー当日。昨日一昨日よりもラウンジが盛況する、と思う。特に今日は、ほとんどの人員が出勤なのもあって、だ。そんな私を見て、呆れたようにか安心したようにか、溜息をついてから、すっと自然に私の提げていた紙袋に目を向けた。

「で、オレにもくれるんスよね。どうせ寝不足の原因はこれでしょ?」
「わ、よくわかりましたね」
「そりゃあ、こんだけ美味そうな匂いプンプンさせてたらねぇ」

 先程からいっぺん変わって、にやにやして、眉を八の字に曲げながらこちらを見てくる。この学園の人、にやにやするの好きだなあ。そういえば、獣人族の方は鼻が良いんだった。もちろん、元からラギーさんの分は用意してある。本命、の方で。ラギーさんにも普段からお世話になっているし、励ましてくれたりもするし、こうして過保護なお兄さんでもいてくれるから。
 ラギーさんはスマホをしまってから、空いた手を私の前に差し出した。あまりにも潔くてつい笑ってしまいそうになる。私は一度紙袋を地面に置いて、箱を取り出した。

「はい。ケチらず早めに食べてくださいね」
「あざーッス! いやあ、得した得した」
「ラギーさんのは綺麗にできてる方なので」
「楽しみにしてるッス。それにしても、こんなに大量に一晩で作ったんスか? いやあ、女の子って大変ッスねえ」
「レオナさんみたいなこと言いますね。……そりゃあ、見ればわかるでしょ、大変でした」

 にこにこ、無邪気な笑顔。「ドーナツじゃなくてごめんなさい」と言えば、「貰えればなんでも嬉しいッス」という百点の解答をいただけた。パンを腕いっぱいに抱え込んで、先程までスマホを持っていた方の手に箱を収める。

「お返しは期待しないでほしいッス」
「ええ、別に大丈夫ですよ。まあ、貰えるならめちゃくちゃ欲しいけど」
「正直でよろしい。まあ、オレなりに何か用意するんで。んじゃ、午後ぶっ倒れねぇように気をつけるんスよ」

 お返しのことを自主的に言ってくれたのは、初めてだ。ラギーさんのことだから、貰うだけ貰って何も返さない代表かと思っていたのに。彼がパンを両手に抱えたまま、食堂の空いている席をキョロキョロと探し始めたのを見て、焼きそばパンをまたひと口食べると、食堂を後にした。

 ◈◈◈

 それにしたって、大半がやはり食堂で昼食をとっているので、二年生の教室を覗くとガラッとしていた。昼休みに回るのは誤算だったかあ、と肩を落としていると、リドル先輩だけはハートの女王の法律により、早くに昼食から帰ってきていたそうで、二年E組の教室にいらっしゃった。
 確か、副寮長と同じクラスだったと思うけれど、オクタヴィネルの三人には後でゆっくり渡したいから、どうにかかち合いませんように、と心の中で唱えて、教室に失礼した。

「リドル先輩、こんにちは」
「あれ、珍しいね。教室まで来るなんて初めてじゃないか。何かあったの?」

 相変わらずの美少年が、次の授業に向けて教科書を開いていたのを邪魔させていただくと、小さく驚いたようにこちらを見てから、教科書を閉じた。そんな、すぐ終わるからご丁寧にしてくれなくてもいいのに。じっと整ったお顔がこちらを見つめてくるので、変に緊張してしまいながらも、こちらも綺麗にできた、本命のものを取り出す。本命、といいつつ、やはり一度あたりに作ることができる量がそこそこなので、本命用も多くなってしまっているなあ。まあ、普段から良くしてくれている人は問答無用でこちらだけれど。

「今日はバレンタインだから、リドル先輩に」
「ボクに? キミの手作りかい?」
「はい。結構綺麗にできたので……トレイさんの作るものには劣るだろうけれど」

 ハーツラビュル寮の人に渡すのも、そこそこハードルが高かったかもしれない。トラッポラのマジカメで見たことがあるけれど、トレイさんの作るタルトは売り物以上の見た目をしていた。もう既に何人かに渡してしまったので、手遅れだけれど。
 リドル先輩は私が差し出した小さな箱を、私の言葉を聞いてクスッと笑うと、男性にしては小さな手で受け取ってくれた。

「ありがとう。喜んで頂戴するよ」
「わあ、ありがとうございます」
「ううん。お礼を言うのはボクの方だ。早速、今日帰ったら紅茶と一緒にいただくことにしよう」

 上品な所作でチョコレートをしまうと、リドル先輩まで身を乗り出して紙袋を覗き込んだ。なんだか、恥ずかしい。それから驚いたように小さな口を開けて、紙袋の中身を覗き込んだまま、言葉を紡いだ。

「ナマエ、まさかこれ全部一晩で?」
「へへ……でも、失敗したりで勿体なくてってだけです」
「大変だったんだね……本当にありがとう。そういえばボクのと他のものは箱が違うようだけれど……」
「ああ、リドル先輩のはめちゃくちゃ上手くできたやつです。本命っていうのかな」

 皆、すごく褒めてくれる。まあ、眠気と戦いながら作ったことに変わりないし、この量はパッと見驚くのも当然か。目ざとく箱の違いに気がついてしまったリドル先輩は、本命、という言葉に驚いたのか、意味を確かめるように「本命……」と呟いた。それから頬を少し紅潮させて、口を半開きにしたままにしていたので、変に誤解を招くと悪いなあ、と取ってつけたように訂正した。

「いつもありがとうってことです。本当に、お世話になってます」
「そんなにあらたまって言われると照れくさいね……。こちらこそいつもありがとう、ナマエ」
「やだ、こっちが照れくさいったら」

 えへへ、と微笑み合っているうちに、数分が経ってしまっていて、その数分がお昼休みの今では命取りだ。それに、副寮長が帰ってきてしまえば「おやおや、どうしたんです」と絡まれるのを避けることは難しい。ちら、と後方の扉を確認して、ぐるりと教室を見回して、まだ副寮長の姿がないことに安堵していると、「ジェイドを探しているの?」なんて言われたので、慌てて首を横に振った。

「まさか。他にも渡す人がいるのでこのあたりで失礼しますね」
「そっか、大変だね。ボクは何もできないけれど、応援しているよ」
「ありがとうございます、それじゃあ」

 ハーツラビュル寮の寮長がお好みであろう、スカートの両端を持ち上げてお礼を言うと、それを台無しにするかのように手を振って教室を出た。リドル先輩は優しく微笑んで、控えめではあるけれど同じように手を振って私を見送ってくれた。

 ◈◈◈

 二年生はあとはシルバー先輩だなあとA組に向かう道中、すれ違う部員にチョコレートを配る。サバナクロー寮生なんて、あからさまに雄叫びを上げて受け取ってくれるので、嬉しいけれど、今までのバレンタインデーはどうやって過ごしてきたのかが気になるところだ。
 オクタヴィネルの厄介三人組に関わらないよう、早歩きで一番遠いA組に向かうと、運良くあの三人には出会わなかった。良かった〜! 寮長や副寮長に「おや、そんなに大量の荷物を持ってどうしたんです」と言われるか、フロイド先輩に「オレにもちょーだい」と言われるかでドキドキしながら歩いた数十メートル、何も起こらなかったのが救いだった。

「お、ナマエー!!」
「声、おっき……」

 A組の教室を覗いて、シルバー先輩はいらっしゃるかしら、と教室を見回せば、見事にぱちっと不思議なオーロラと目が合ったので、お互いに一旦会釈をする。それに気づいたらしいカリムさんがこちらを見て、大声で私に呼びかけてきたというわけだ。カリムさんがいつものごとくブンブンと手を振ってくるので、カリムさんのおかげですごく目立ちながらもお二人の方へと行く。シルバー先輩、起きてて良かった。

「どうした、何かあったのか」
「ううん。シルバー先輩に渡したいものがあったので」
「俺に?」

 いそいそと箱を取り出して、「これです」と言いながらシルバー先輩に差し出すと、セベクとおおよそ似た反応。首を傾げて、なんだこれは、と言いたげだったので、それを汲み取って私から説明させてもらうことにしよう。

「今日、バレンタインでしょ? チョコレート作ったので、どうぞ」
「バレンタイン……」
「あ、まさかシルバー先輩、ご存知ない……?」
「いや、親……リリア先輩から聞いたことがある。……それに、よくリリア先輩にもいただいていた。……あまり、いい思い出はない」

 セベク同様、バレンタインのことは知っているらしい。茨の谷の護衛コンビは、本当にリリアさんにお世話になっているんだなあ。それにしても、シルバー先輩の表情が曇っているというか、気まずそうというか、少し目を逸らしてそんなことを言うものだから、過去に恋愛絡みで何かあったのだろうか。だとすれば、申し訳ないなあ。

「ごめんなさい、深く考えないで。美味しく……作れたと思うので」
「いや、感謝する。こうして貰えることは嬉しい。見てもいいか?」
「!! ぜひぜひ!」

 不安になって下を向いてそう言うと、ハッとしたようにこちらを見てから感謝を伝えてくれた。真っ直ぐ〜。それから、二年生で見てくれる人はシルバー先輩が初めてだったので、思いのほか大きな声で了承をしてしまうと、薄らと微笑んでから箱を開けてくれた。もう、何回見ても自画自賛したくなる。奇跡だったと思う。一回限りの。

「……これを、作ったのか?」
「ふふ、上手でしょ」
「すげえ! 売り物みたいだぜ!」
「頑張りました」
「だから今日は心做しか疲れた顔をしているのか」
「やだ、皆にバレてる」

 シルバー先輩も横にいたカリムさんも、感心したように口を開けて、それから褒めてくれた。もう、こういうのが一番嬉しい。えへへ、と得意げに笑っていると、シルバー先輩が私を心配してそう声をかけてくれたので、カリムさんも私の顔をぐい、と覗き込んできた。わ、照れる照れる。
 そうなんですよ、と笑いながら言うと、シルバー先輩が手袋越しに私の目の下をすーっと親指で撫でてくるものだから、驚いて思わず身を引いて、椅子をガタンと鳴らしてしまった。

「びっ……くりした」
「すまない、驚かせたか。寝不足は良くないから、今日はゆっくり休むといい」
「……うう、ありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざありがとう」

 天然でやってるのが怖いんだよね、この人。思わず溜息が零れてしまう。その美貌と、天然さのバランスに。皆そんなに心配してくれなくても、テスト期間はザラにあることだし、一日そこらで倒れるほどやわではない。シルバー先輩にお礼を言って、そうだ、ともう一つ、本命でない方の箱を取り出すと、カリムさんに差し出した。

「カリムさんも、良ければどうぞ」
「オレに? うーん、悪い。受け取れないんだ」
「えっ」
「ごめんな、オレ、ジャミルの作ったモンしか食えなくてさ」

 一番喜んで受け取ってくれそうな人に拒否されて、今正直ものすごくショックを受けた。ジャミルさんの作ったものだけって、かなりの偏食? しかし拒否されたものは仕方がないので、「わかりました」とあからさまにショックな態度で箱を紙袋に戻すと、カリムさんが慌てたように手を振った。あからさまな態度を見せた私の方が悪いっていうのに。いや、ショックなのは本当だけれど。

「違うんだよ! ナマエのことが嫌いとかじゃなくてさ、そういう約束なんだ」
「大丈夫ですよ、それなら仕方ないから」
「ほんっっっとうに悪い!! でも、気持ちだけ受け取っとく。ありがとう」

 心から謝ってくれるカリムさんを許さないわけなんてなく、いいんですよ、とまた返す。約束ってなんだろう。まあ、掘り下げるのもなんだし、と身を引けば、それと同時に頭をわしゃわしゃ、乱雑にかき混ぜられた。カリムさんなりのお礼の仕方なのだろうか。私の方が、絨毯を貰ったり、素敵なステージを見せてもらったりでお礼をしたかったのにな。私の頭を撫でて、なんの嫌味もない笑顔を見せると、私もつられるように笑顔になった。この安心感、なんていうか、

「お兄ちゃんみたい」
「そうか? へへ、なんか照れるなあ。オレもナマエのことは、かわいい妹みたいだと思ってるぜ」
「えへへ、そんなに喋ったことないのに」

 まだ数回、数えられる程度しか接触がないのに、スカラビア寮寮長の妹という立場に昇格してしまった。なんだ、このふわふわ空間は。私までふわふわなってきてしまって、にこにこと微笑み合っていると時間なんて忘れてしまいそうになった。ハッとして時計を見たときには、お昼休みも半分過ぎてしまっていて、慌ててカリムさんとシルバー先輩から離れた。

「ごめんなさい、お時間いただいて。他の人のところも回るので、これで!」
「こちらこそすまない。時間をとらせてしまったか」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあなナマエ! 頑張れよ!」

 扉に近づく私に元気に手を振るカリムさんと、ただただ見送ってくれるシルバー先輩。というかあの二人、仲良いんだ。意外だなあ、と思いつつ、二人に控えめに手を振りながら教室を後にした。そういえば、教室を出た瞬間から、私を取り巻いていた謎のふわふわがなくなった気がする。
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