与えられたり与えたり

 一人五分、一人五分。頭の中で唱えながら三年生の教室が並ぶ廊下を歩く。なんと、A組を覗けばいつものようにレオナさんはいなかったので、植物園にいるのだろう。次の移動、魔法薬学室だからめちゃくちゃ遠いんだけど。まあ、植物園と隣り合っているのが救いだ。もし植物園にいないとして、放課後に呑気にレオナさんを探すほど、余裕はない。
 すると、角を曲がればグッドタイミング。背筋をピンと伸ばして、軸がまったくブレない、きらびやかな香りをまとったヴィル・シェーンハイトが廊下でポムフィオーレ寮生と談笑しているようだった。ゆっくりゆっくり近づくと、それに気づいたらしいお向かいのポムフィオーレ寮生が私を見て、さらにそれを見たヴィルさんがこちらを振り向いた。わあ、造形美。

「あら、何か用?」
「えっと、今日――」
「やだ! 何よその顔。それと髪」
「髪?」
「ボサボサじゃない」

 今日バレンタインだから、とチョコレートを取り出そうとするとそれを阻止したのはヴィルさんの突然の悲鳴だった。待って待って、私、そんなに酷い顔? 髪はきっと、カリムさんにぐちゃぐちゃにされたときのものだろう。あれ、整えたはずなんだけどなあ。上を見ながら髪をどうにか整えようとすると、ヴィルさん直々に私の髪を整えてくれた。

「分け目が変よ。それに、文化祭のときのメイクは幻覚だったのかしら。コンシーラーを塗りすぎ」
「わあ、それは私のミスだ」
「それだけじゃない。他にも雑さが目立つけれど……それは文化祭のときと比べるからかしら?」

 酷いのは疲れの方でなくて、メイクの方だったらしい。確かに時間がなくて、まあそこそこ適当でもいいかあ、と隈隠しに専念したけれど、ヴィルさんと会うのだからどうやら失敗だったみたい。何気なくグサグサとくる攻撃に項垂れていると、それを見たヴィルさんは、はぁ、と小さく溜息をついてから腕を組んだ。

「それで? そんなに大きな紙袋を提げて、何の用? まさかアタシにダメ出しされるためだけに来たわけじゃないでしょう?」
「! もちろん! ヴィルさんに、チョコレート渡したくて。……あ、美容の観点的には駄目でした?」

 優しい! よくぞ聞いてくれました、というふうにヴィルさんにチョコを渡そうと紙袋をガサガサしてから、そういえば合宿中の食事がかなり厳しかっただとかをVDC組から聞いていたので、取り出した箱をすっと自分の後ろに隠すと、顔を顰められてしまった。そんな顔も美しい、なんて。

「何よ。確かに来週雑誌の撮影があるけれど、少しのチョコレートごときで左右されるほどじゃないわ」
「やったあ! じゃあ、どうぞ。いつもお世話になってます」
「ありがとう。見てもいいかしら」
「許可なんていらないですよ〜」

 世界的スターに直接チョコレートを渡せるなんて、世の女性ファンは羨むことだろうなあ、と優越感に浸りながら、ヴィルさんが箱を開ける様子を見ていると、ひょこっとリリアさんが現れた。やだ私、急に運が良すぎる。それに気がついてかどうか、ヴィルさんは箱を開けると、「まあ」と声を洩らした。

「よくできているじゃない。流石、モストロ・ラウンジで働くだけあるわね」
「おお、今日はバレンタインか。これをナマエが作ったのか?」
「ふふ、作りました」

 さりげなくリリアさんが会話に入ってきて、背伸びしてヴィルさんの手にあるチョコレートを覗き見た。ヴィルさんに褒められるの、本当に嬉しいかも。ヴィルさんが綺麗に笑ってから箱を閉じたので、丁度良かった、とリリアさんにもチョコレートを渡す。こちらも元々渡す予定だったし、こうしてお二人が同時に私の前に現れてくれたのは本当に運が良い。

「なんと、わしにもくれるのか?」
「どうぞ。リリアさんにもお世話になってるので」
「いやあ、わしもまだまだモテモテじゃのう。そうじゃ、ホワイトデーは特製チョコレートケーキを作って返すことにしよう」

 リリアさんの、十八歳なのにこの達観した物言いはなんだ。まあ、それはさておき、リリアさんもお菓子作りをするタイプの男の人なんだ。それは楽しみだなあ、とにこにこしながら、リリアさんがポケットに私のチョコレートをしまうのを見ていると、ヴィルさんが何やら小さく声を洩らした。

「リリアさん、お菓子作りするんですね」
「うむ。毎年バレンタインにはシルバーやセベク、それからマレウスに振舞っていたぞ。今年も作ってやらねばならんな」
「わあ、お返しが楽しみ」
「くふふ、そう言ってもらえると腕が鳴るわい」

 シルバー先輩だけでなく、セベクもリリアさんに貰ってたんだ。それどころか、あのマレウス・ドラコニアまで。それも毎年、ともなるとかなりお上手なのではなかろうか。リリアさんからのケーキのお返しが確定したことにルンルンしていると、ヴィルさんは今までで一番引いているみたいな顔を見せた。そんなに変な喜び方はしていないと思うんですけれど。
 そろそろ良い時間だから、レオナさんを探しがてら魔法薬学室に向かおうかと、お二人に念のため質問をする。

「レオナさん、知りません?」
「この時間はいつも見ないけれど……まさかナマエ、レオナにもチョコレートを?」
「約束したので……」
「まさか脅しじゃないでしょうね。あの男は所詮顔だけだから、騙されないように気をつけなさい」

 顔だけ、なのが面白い。ヴィルさんがわざわざ言うってことはヴィルさん目線にしても余程の顔整いなのだろう。まあ、私はそんな顔の良い男たちに弱いので、誤魔化すみたいに笑えば、「だろうと思ったわ」と呆れたように言われた。そもそも私の関わりがある人の顔整い率が高いんですって。
 一歩、二歩、ずるずる下がると、察しの良いお二人はそれを見てから私の顔を見た。

「あら、もう行くのね。ご苦労様。チョコレート、ありがたくいただくわ」
「礼を言うぞ、ナマエ。帰って食べるのが楽しみじゃ」
「良かったです。お時間ちょうだいしてすみません。それでは」

 そう言って会釈をしてから手を振ると、ヴィルさんは相も変わらずお上品に、指先まで揃えて手を振ってくれた。隣のリリアさんも、見た目通りかわいらしく、なんてことはなく、どちらかといえばヴィルさんに近しい。片腕に肘を乗せるかたちで、上品に、大人っぽく手を振ってくれた。やっぱり、十八歳だとは思えない。

 ◈◈◈

 魔法薬学の準備も一緒に紙袋に入れてしまって、今年一番の早歩きで植物園に向かう。あてが外れてしまえばもうどうしようもない。今日は少し暖かくて、過ごしやすいけれど、植物園の中はもっと暖かいんだよねえ。夏場は暑いまであるけれど。
 魔法薬学室にしろ、植物園にしろ、本校舎から離れているのはどうにかしていると思う。サムさんに渡している時間もないから、そちらは帰り道に。ドーム型の植物園は、私の作ったチョコレートみたい。そう思いながら、植物園との距離を詰めて詰めて、ようやくたどり着いたときには残り十分。まあ、なんとかなりそうだ。

 前にいたのは、植物園に入って、奥の方。サイエンス部が育てているらしい植物の陰になっているところだった。今回もそちらを覗けば、長い脚が組まれていて、尻尾がピロピロと動いていた。

「……ナマエか」
「うわあ! な、なんでわかったんですか」

 起こさないように、そーっと、そーっとレオナさんに近づくと、目を閉じたままのレオナさんの低いお声が飛んできたので、驚いて大きな声を出した。誰だってそうなるでしょ、普通。長い睫毛を自慢するかのように目を閉じていたレオナさんは、私の声を拾うように耳を動かしてから、喉を鳴らしてこちらを睨みつけた。やだ、怖い。獲物を捉えた獣みたいに、緑色を光らせた。

「そんな甘い匂いさせてんのはお前くらいだ。今日はおまけもあるみたいだがな」
「やだ、匂いが把握されている。フェチですか?」
「余程俺を馬鹿にしたいみてぇだなァ」
「まさかまさか」

 レオナさんが寝転んでいる、温まった床に膝をつくと、随分中身が減ってしまった紙袋を覗き見る。それを見たレオナさんは、あからさまに口角を上げると、「随分遅かったじゃねえか」と言ってきた。いや、きちんと用意してきたことを褒めてほしいです。
 もう、と息をついて、レオナさんにかわいいラッピングがされた箱を手渡しする。あ、今日渡した中でトップクラスに不似合いかもしれない。くす、と小さく笑えば眉をひそめられてしまったので、咳払いをして誤魔化した。

「あ」
「あ?」
「せっかく頑張って作ってきてくれたんだ。食わせろって言ってるんだよ」

 箱を眺めていたレオナさんは、流れ作業みたいに私に箱を返してきたかと思うと、口を開けて尖った犬歯を見せつけた。あ、ルークさんが言っていた犬歯、これか。しかし、第二王子の願いといえ、私にも拒否する権利くらいある。ヴィルさんにも騙されないように、と言われたところだし、レオナさんに箱をそのまま返して「嫌です」と言えば、「いつそんなに生意気になったんだ?」と言われた。そんなの、ずっと生意気でぶりっ子ですけれど。

「頑張って作ったんですよ。お返し待ってますから」
「あーわかったわかった」

 むう、と頬を膨らませながらそう言うと、頭を掻いてから長方形の、リボンがかわいい箱を受け取ってくれた。それからまた、流れるみたいに蓋を開ければ、綺麗なチョコレートが並んでいたものだから、いつも半端に映ったサマーグリーンを一瞬丸くした。あ、もしかしなくても、あまりの出来に驚いているな?

「草食動物にしては上出来ってところだな」
「ふふふ、もっと褒めて」
「はいはい、上手上手」
「子供扱いやめてください」

 ふ、と笑って、それから気だるげに私の頭に手を伸ばしてきたので、やめて、と払い除けると、そんな私を鼻で笑った。それを見て、私は口から息を洩らすように笑う。そんなことをしているうちに、五分前を告げる予鈴がなったので、ガバッと勢いよく立ち上がると、「忙しないやつだな」とまた眉をひそめてきた。

「授業始まりますよ、早く行かないと。レオナさんはまたサボりですか? もう」
「あー、気が変わった。今日は俺もかったるい魔法史に出席するとするか」
「あ、それは確かにかったるい」

 午後の魔法史って、一番しんどいじゃん。床に置いた紙袋を拾うと、それと同時にレオナさんも長い脚でご起立なさった。くあ、と大きく欠伸をすると、また先導するように歩く。ライオンさんもいつでも眠そうだな、と私にまで欠伸が移ると、レオナさんが丁度そのタイミングでこちらを見ていて、私の欠伸をした間抜けな顔を捉えてしまったようだった。そして、数秒置いて鼻で笑ってくる始末だ。

「え、ひどーい」
「なんのことだか。今日は気分がいいから生意気なお嬢さんを魔法薬学室まで送ってやるよ」
「私も仕方ないから植物園の出口まで一緒に行ってあげます」
「うるせぇ」
「むぐぐ」

 魔法薬学室って、すぐそこじゃん。レオナさんに欠伸を見られてしまった上に馬鹿にされたから、私もお返しをすれば、さらにお返しで頬を挟まれてしまった。ああ、疲れと手抜きメイクで酷い顔がさらに酷くなってしまう。すみません、と不自由な口で何回か謝れば、また鼻で笑ってから解放された。魔法薬学室の前で、「それでは」と言うと、私と違って恥ずかしげもなく欠伸をしてから、メインストリートの方を向いてひらひらと手を振る。欠伸しても顔が崩れないの、ずるい、と思う。
 そんな彼を羨んでは早足で魔法薬学室に向かう私と対照的に、気ままなライオンさんはゆっくりのんびり本校舎へと向かった。

 ◈◈◈

 魔法薬の精製、初歩的なものだけれどやっぱり楽しい〜。こういう実験って、料理とは違うけれどお菓子作りと似たようなところがあると思う。半日前までお菓子作りをしていた私には、分量通りに測りとることなんておちゃのこさいさいだった。

「じゃあエペル、先帰ってていいよ」
「全然待てるけど……お邪魔なら帰るね」
「全然邪魔じゃないけど、待たせるの悪いし」
「そう? わかった。じゃあ後でね」

 魔法薬学の実験が無事に終わり、各々のグループが洗ったビーカーやフラスコを先生が棚に戻しているのを見ながら、待ってもらうのが申し訳ないからとエペルに先に教室に戻ってもらうことにして、かわいい本命用の箱を手に持って先生のところにじわじわと近づいていった。

「クルーウェル先生、これ良かったら……いや、受け取ってください」
「ん? ああ、今日はバレンタインデーだったな。だからこのクラスの仔犬たちはテンションが高かったのか」
「えへ、そうかも」

 クルーウェル先生は一度フラスコたちを机に置くと、私のチョコレートを「ありがとう」と言ってひょいと受け取ってくれた。手馴れてる〜。確かに今日はやたら皆テンションが高くて、ブランデーで酔わせちゃったのか? と思っていたけれど、純粋に嬉しいだけ、らしかった。ありがたい話だ。

「例年は市販のものを貰うが、生徒から手作りを貰うのは久しぶりだな」
「あ、慰めのバレンタインですか?」
「ああ。今年もうちのクラスの仔犬たちにいくつか貰ったな」

 全クラス共通なんだ、男子同士のチョコレート交換会。手作りは久しぶり、ということは、手作りをする男子生徒も少なからずいるということだろう。慰めのバレンタインの一種かしら。大方、そうして手作りを渡すのはオクタヴィネル寮生だろう。それか、トレイさんか。

「ごめんなさい、ラムレーズン系のチョコはなくて」
「気を遣うな。男っていうのはどんなものでも貰えるというだけで嬉しいっていうものだ。男は思ってるより単純だからな」
「……先生、モテるでしょ」
「さあ、どうだろうな」

 余裕が違うもん、先生。まあ、良い年齢だし、この美貌と性格の良さ、モテない方がおかしい。つくづく先生が男子校の生徒で良かったし、私がイレギュラーで良かったと実感する。先生も、手作りが大丈夫そうで良かった。
 一度私のチョコをよけると、フラスコやらを片付けるのを再開したので、私もお手伝いさせていただくことにした。内申点アップとかは別に、寮長じゃあるまいし狙っていない。

「早く行かないと次の授業遅れるぞ」
「遅れたことないので大丈夫です」
「ならいいが。……モストロ・ラウンジに行くと言っていたのに行けていなくて悪いな」

 今日は、やたらと謝罪をされる。モストロ・ラウンジ関連で。確かにレーズンバターの提供を始めたし、大人舌のお客様には好評でハッピーだけれど、肝心なクルーウェル先生は来てくれていなかった。まあ、それも教師という忙しい職に就いているからには仕方ないことだと割り切っているけれど。

「ううん、いつでも大丈夫です」
「そうか。どうも、少しゴタゴタが収まるまでは行けなそうでな」

 ふ、と微笑んだ後に、これまた眉をひそめて深刻な面持ちを端正なお顔に映した。ゴタゴタ、ねえ。

「…………グリムですか?」
「……知っているのか」
「そりゃ……情報くらい入ってきますよ。学生舐めてちゃ駄目ですよ、先生」

 詳しくは知らないけれど、と心の中で呟くと、先生はハァ、と溜息をついた。グリム、もしかして私が思っている以上で大変なのかもしれない。それに先生も、お疲れみたい。そりゃあ、一年A組の担任っていうだけで疲れるだろう、と考えると、肩たたき券も付ければ良かったかしらと冗談めいたことを悩むことになった。すると、先生は棚に器具を戻すと、そんな私の頭を軽く、そよ風みたいに撫でる。

「ミョウジが気にすることじゃない。大丈夫だ」
「……わかった」
「いい子だ」
「先生、疲れてそうだからゆっくり休んでくださいね」
「ああ、ミョウジもゆっくり休めよ」

 クルーウェル先生が私を子供扱いするのは、当然だし、不快感もまるでない。そもそも、年齢が倍も違うんだから。そんな先生を労うような言葉をかければ、またしてもお見通しだったようで、先生からも労るような言葉がかかってきて、愛想笑いをした。どれだけ疲れが顔に出ているんだ、私は。ラウンジではそうもいかないから、ポーカーフェイスで乗り切らないと。
 紙袋を持って、「それじゃあ先生」と手を振ると、棚と向き合ったまま、視線だけをこちらに流して、ひと言、嬉しいことを言ってくれた。

「今日の薬品精製、よくできていた」

 さらに口角を上げて、ふ、と笑うものだから、ありがとうございます、とお礼を言う前に、「先生、やっぱりモテますね……」と確信めいた言葉を零すしかなかった。
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