トロイメライにいざなう

 ベッドを占領するのも悪いし、そろそろ寮に戻らせてもらおうかと思ったのだけれど、余程捻り方が悪かったのか足首の色が大変なことになっていて、クルーウェル先生に「せめて明日まではじっとしていろ」と言ってきた。帰りたい気持ちは山々だけれど、変に口答えするわけにもいかないし、お風呂にだって入りたいけれど、仕方なし。明日寮に戻って即行入ることにしよう。

「……目、覚まさないですね」
「ああ。余程大量に食らわされたのだろう。馬鹿共が、無茶しやがって」

 軽い痺れを受けていた生徒は他にもいたけれど、徐々に回復しては保健室を去っているようだった。にもかかわらず、私の隣にいるトランプ兵たちは、未だに目を伏せたままだ。ふう、と息をつきながらも先生はそれぞれのベッドの横に置かれたスクリーンで仕切りを作る。クルーウェル先生は、どうやらこの二人の目が覚めるまではいてくれるらしい。それにしても、エペルはかなり早くに目が覚めたのに、やっぱりエペルが言っていた通り、グリムのため、というのが要因として大きいのだろう。

「先生的にはあとどれくらいだと思う?」
「あと数時間もしないうちに目は覚ますだろう。こうして見れば、お前の症状はかなり軽い。麻痺に限って、だが」
「手加減?」
「さあな。俺はその場に立ち会っていないからわからない」

 気を失っているものの、呼吸はある。布団も上下しているし、眠っているのと何ら変わりはないように見える。私は気絶するほど強い電流は流されなかったし、その上で一体の鎧にしっかりと固定までされていた。捕まっていたから、そこまで強い魔法を使われなかったのだろうが。養護教諭の先生が二人の脈を測っては異常はないと伝えてくれたので、ほっとした。

「ハァ……厄介事続きだな、最近は」
「……珍しいですか? 今まで先生やってきた中でもこういうことは」
「珍しいどころか初めてのことばかりだ。俺たち教師でもわからないことだらけだよ」

 私の隣に置かれた椅子に座って、これまたいつもと変わらない長い脚を組んだクルーウェル先生は、やっぱり苦労してくれているのだと思う。はっきりとした赤色を額の方に持っていくと、目を伏せて、長い睫毛に下を向かせたまま、細い息を追い出した。それを見て、上半身を起こしてシーツに皺を作りながら、先生の座っている方に足を動かさないようなんとか寄った。ラインストーンが剥がれたり、自爪の色に戻ってきているネイルが施された指を伸ばすと、先生の、この角度では白の方がはっきりして見える、これだけ色を抜いても艶のある髪に手を軽く乗せた。

「先生もちゃんと休んでくださいね」
「……偉くなったもんだな」
「お疲れでしょう。騒動が収まったら、紅茶を飲みにいらしてください」
「ああ。そのつもりだ」

 すぐに払い除けられるかと思った私の手は、まだ先生の頭に乗っかったままで、崩さない程度に撫でてやると、また息を洩らす音が聞こえた。先生の好きな紅茶も、リサーチしておかないと。ふんわり香る高そうなフレグランスの香りは落ち着くけれど、どこか大人の男性の匂いはまだ少し落ち着かない。

「いつもありがとう、先生。大好き。もっとお礼ができればいいんだけど」
「十分貰ってるつもりだよ。……ミョウジこそ、身体だけでなく心もしっかり休ませることだな」

 そこまで言うと私の手を除けた先生は、こちらを向くと、銀のように光沢のある瞳を一回、ゆっくり瞬きさせた。心のケア? 私、最近は特に悩みもなくて、今も、この危機的状況に置かれているにもかかわらず、他人よりも余裕を持っているはずなのだけれど。口を半開きにさせたまま、先生の頭に乗っていた手を宙に浮かせていると、先生がその手を布団の中にしまい込んでくれた。

「無意識下で、何かを抱えていることだってある」
「……検討もつかないです」
「それは普段お前が思っている無意識が意識の範囲内だからだろうな」
「ん〜…………わかんない」
「無理に考える必要はない」

 言わんとしていることはわかるけれど、それこそ無意識だからだろう。もし今の私に心のケアが必要なら、何を抱えているかを推測しなければならないのかもしれない。しかしまあ、無理なものは無理! そう思っていると先生も同じ解を出してくれたので、とりあえず何か進展があるまでは先生たちに任せて、回復に努めよう。
 すると、静かになっていた廊下から、上履きが擦れる音が近づいてきたので、また負傷者かしらと一斉にそちらを向くと、扉をガラッと開けて現れたのは、少しばかり予想と違う人だったと思う。

「失礼しまぁす」

 この若干の間延びした話し方と、少し面倒くさそうな声のトーン。それから、保健室の扉の高さスレスレでその場に留まる、ターコイズブルーの彼。色違いの髪はJじゃないし、ピアスも目の色も副寮長とは正反対。紛れもなく、フロイド先輩だった。
 フロイド先輩は保健室の扉を大きな手で押さえながら、左の方から保健室を一周するように首を動かした。

「リーチ弟か。どうした」
「弟じゃねえし。ジェイドにオクタヴィネルの奴が怪我してねぇか見て来いって言われ……て」

 フロイド先輩の姿を認識したクルーウェル先生が間髪入れずに声をかけると、丁度視線が半周したところで白と黒が視界に入ったのだろう。リーチ弟と呼ぶ先生に少しの犯行を見せながらも、どうやらハウルと同じように怪我人がいないかを見に来たらしく、不服そうに眉をひそめてどこか子供みたいな不貞腐れた表情をしていた。しかし、それもクルーウェル先生から視線を右に滑らせて、私とばっちり目が合った瞬間に、口も目も徐々に開いて、寄っていた眉も上がった。

「え、ナマエちゃん。は、その怪我どうしたの」
「へへ、自業自得……みたいな」
「笑い事じゃねぇし。すっげぇ腫れてんじゃん。なに。やられたの? 自業自得じゃわかんねぇ。早く説明して」
「うう……」

 私の姿を認識するや否やすぐに布団から出た足を見て、次に私の顔、それからまた足首に視線を転々とさせると、私を心配する声をかけてくれたので、笑って安心させるはずだったのに、逆効果だった。薄々そうなるんじゃないかとは思っていたけれど。背の高くて、見下ろされているようで威圧感のあるフロイド先輩がこちらに遠慮なく近づいてくるものだから、当然他のベッドの生徒は息を呑むし、私も布団で顔を隠すようにそれを上げた。

「こらリーチ。あまり詰めるな。……ミョウジ」
「……はい。……リドル先輩が連れて行かれるのが嫌で……ちょっと」
「はぁ〜〜……」
「大した怪我じゃないです。捻挫だし……いっ……た!!」

 クルーウェル先生が双方の間に立ち、二人の視線を受けながら促されるままに事実を述べれば、頭が後ろにぐわんと揺れた。え? 額がヒリヒリ熱を持って、今まで色々な人にされてきたけれど、過去一の痛さを誇っている。デコピンの痛さではない。うう、と今度は違う意味で額を押さえながらうずくまるけれど、クルーウェル先生もフロイド先輩も、決して表情を崩さなかった。

「馬鹿はどっちだよ……下手すれば命がなくなってたかもしんねぇんだよ、わかってる?」
「……ごめんなさい」
「リーチ。もうミョウジたちのことは十分に叱った。……しかし、お前の言う通りだ」

 久しぶりに見たような気すらする。真剣に、フロイド先輩の双眸がこちらを真っ直ぐと逸らすことを知らずに見ている。責められているような、叱るようなその真っ直ぐな黄金色に涙がこみ上げてきて、どうにか止めなきゃ、どうにか零れ落ちないようにしなきゃと口をぎゅっと固く結んで、唾を呑んで我慢する。この姿を見ても、今回は、頭を撫でたり、背中をさすったり、まして抱きしめることはしない。代わりに、さっき私がしたみたいに、クルーウェル先生が私とフロイド先輩の頭にそれぞれ手を置いた。

「ミョウジもこう見えて反省しているはずだ。捻挫で済んで本当に良かった」
「……はい」
「リーチ。ミョウジは今日一日はここで面倒を見る。痛み止めの薬は出すが、寮に戻ったときはリーチも面倒を見てやれ」
「……言われなくてもそうするっての」
「Good」

 各々に声をかけてから、ぐっと頭を抑える力を強くすると、それで私とフロイド先輩の頭が少し沈んだ。フロイド先輩は今度は私ともクルーウェル先生とも目を合わせずにしていたから、代わりに私が上を向くと、クルーウェル先生と目が合って、誰もが敬い羨むイケメン先生は、眼光はどこか鋭いながらもふ、と優しげに笑った。

「……フロイド先輩。寮長は、」
「ん。連れてかれた。でもオレたちには今はどーにもできねぇから……」
「大人たちの対応を待つ、ですよね」
「そ。また襲来があって命を狙われる可能性だって低くねぇから、個人個人が自分を守るように下手に動くなってさ」
「保健室周りも見張りなどを置いて強化する。大丈夫だ」

 クルーウェル先生が座っていた方でない、養護教諭用だった丸椅子にガッと音を立てて座ったフロイド先輩は、何も言わずに私の手を握りながら、淡々と話してくれる。なるほど、そういう話が出ているのか。自分で“寮長”というワードを出したくせに、寮長たちのことが、今になって心配になってきてしまった。下を向いて、唇を少し震わせると、フロイド先輩が力を込める手を強くした。

「心配なのはわかるけど、今はとりあえず自分のこと考えて。ナマエちゃんまで連れてかれたら許さねぇから」
「……はい」
「大丈夫。アズールならピンピンして戻ってくるから」

 ぎゅう、と二回、三回と心地がよく冷たい手に強く握られると、親指の付け根のあたりを、フロイド先輩の親指の腹で撫でられた。それから下に視線を落として、つむじを見せていたフロイド先輩の目がこちらを向いて、上目遣いをされるような状態になったかと思えば、また強く握られて、それを合図に立ち上がった。

「せんせぇ、じゃあオレは寮に戻るわ」
「わかった。くれぐれも気をつけることだな」
「はいはい。ナマエちゃんをよろしく」
「わかっている」

 それだけ言って扉に向かうと、私たちに背を向けながらも一瞬だけ私に目配せして、先生に向けてだろう、右手を上げては保健室から出ていった。それにしたって、フロイド先輩の安心感のすごさといったら。ひと息ついて、ベッドに横たわると、先生が誰もいなくなった扉の方を見てから、私を見下ろした。

「愛されているな、お前は」
「それ、この歳になってようやく実感しました」
「これだけ早くに気づけるのは大したものだ」
「……私、ナイトレイブンカレッジここに来て良かった」

 布団を口元まで上げて、その体勢を保ったまま、先生のキラキラした目をじっと見ながらそう言うと、赤色が今度は眼前に落ちてきた。レザーなのに、不思議なことに上手く私の肌を滑る。指の背で髪をはらうように撫でつけられると、眠気が襲ってきた。そりゃあ、バレンタインで十分に睡眠がとれていない上にこの騒動だ。無理もない。

「せんせ、私ちょっと寝るね」
「ああ。おやすみ」
「ふふ、おやすみ」

 最後に、瞼の際を二回撫でられたところで、あっという間にその瞼は自然と落ちて、まだわずかに感触があったのに、数秒経たないうちに優しい感触は忘れてしまった。

 ◈◈◈

 寮長と、リドル先輩が、いない。どこを探したっていなくて、植物園に行ったってレオナさんはいなくて、部屋に置いてある雑誌からもヴィルさんの姿は消えてしまった。あのとき連れ去られたのを私は目撃していたのに、他の皆は綺麗さっぱり彼らのことを忘れてしまったみたいで、私だけが行方を追っている。完全に、存在ごと消えちゃって、なのに、それが当然かのように皆が普通に過ごしている。
 なに、これ。どうして、私しか覚えていないの。

『ナマエ』

 誰かの声が聞こえる。遠いようで近くて、よく知っているような声、だと思う。校舎にいたはずなのに、いつの間にか辺り一面が真っ白になって、眩しいくらいで――

『ナマエ』

 また、聞こえる。ぐるりと見回しても、その声の主らしき人は現れない。ただ、私がよく知っている声、だと思う。声が聞こえて辺りが晴れてから、私が一人だという孤独感がどこかに消えてしまって、ただただ声の主を探す。すると、意識がどこかに持っていかれそうになって、ああ、ここで終わりだ。寸前になって、ようやく気がついた。


「ん…………」

 自分の姿を認識するより、自分の掠れ声を認識する方が先だったと思う。それに合わせるように、自然と瞼が上がると、目が慣れない。室内は仄暗くなっていて、かろうじて明かりを感じる扉の方を向こうとすれば、カーテンで完全に遮られていた。クルーウェル先生が閉めてくれたのだろうか。もう、夜だ。
 起き上がろうとしたところで、違和感が二つ、あった。一つ目は、この顔のやたら湿ったような感覚。触れてみようと、顔に手を伸ばそうとしたところで、もう一つの違和感に気がついた。その伸ばそうとした手が、布団の上で固定されていたこと。ぼんやりした頭で、扉側じゃない、右側にゆっくり目を向けると、すう、すう、と静かに呼吸する、暗がりでもわかるほどの美形な王子様がいた。

「シルバー、先輩」

 声をかけたわけでなく、姿を認識したから自然と声が出た。もちろん、目が覚めることはなく、背もたれの硬い椅子で、綺麗な顔を保ったままに寝ていた。どういうわけだか、私の手を握ったまま眠っているらしくて、本当にどういうわけだかわからない。眠っているのを見るのは、久しぶりだ。なんとか掴まれた手を片方だけ抜け出させて、一つ目の違和感の正体にありつくために顔に少し湿った手を滑らせると、そんな手よりも余程湿っていて、ああ、泣いてたんだ。覚えていないけれど、きっと、何か怖い夢でも見ていたのだろう。
 思い出せるかな、そう思って、途切れ途切れの記憶を繋ぎ合わせる。確か学校にいて、それで――

「ん……ナマエ」

 これまた掠れているのに透明感のある声が私を呼んだから、思い出せそうで思い出せない夢の内容を考えることは一度放棄してから、パッと右隣を見る。寝言とも捉えることができたけれど、そちらを見てみれば、綺麗なオーロラ色が暗がりで光っているので、息が詰まるような感覚がした。

「……シルバー先輩」
「……目が覚めたか」

 私の、先程よりもはっきりとした声が彼の名前を呼ぶと、じっと私を見てから安心したように息をついた。それから、先輩の空いている方の手が私の頬にゆっくり伸びると、目尻の方を人差し指で軽く触れる。目が覚めたか、というのは、どちらかといえば私のセリフだ。黒い手袋が、水気を吸わずにてらてらと光っている。

「怖い夢を、見ていたか」
「……多分、そうなんだと思います。覚えていないけれど」

 覚えていないから、思い出す努力はまだ続けている。鮮明には覚えていないけれど、いくつか思い浮かぶ顔があったから、きっと、彼ら関連だ。

「寮長や、リドル先輩が出てきたような気がする。……きっと、……怖いんだと思う。あの人たちの、行方が」
「そうか。それも仕方ない。ナマエは優しいからな」
「……優しい、とは多分違うと思います」

 私に純粋な優しさはきっと、備わっていない。優しいというのはシルバー先輩のような人のことをいうのだと思う。
 未だに握られた手に力を込められることはないけれど、手袋越しの温もりの中で、クルーウェル先生の言葉を思い出した。夢に出てきたのは、きっと、潜在的な意識の方。思っている何倍も、彼らが連れ去られたことが堪えたのだろう。なんとか手を解放されようと動かせば、柔く置かれていたシルバー先輩のものはあっさりと離れてくれて、けれど、それを追いかけるように今度は私が上になって手を重ねる。

「もう、大丈夫なのか」
「……わからない。けど、自分に大丈夫だって言い聞かせてるのかも」
「……助けになればと思ったが、俺はまだ未熟だった、かもしれない」
「……? どういうことですか」

 彼らの安否が確認できるまでは、どう考えても不安は収まらないだろうに。なのに、私はそんなに重く考えていないから、とか、彼らなら大丈夫だから、と自分に言い聞かせて、正当化しようとしても心のどこかでは信じきれなくて、結果的に夢に見た。するとシルバー先輩はこんなことを言うものだから、わからなくて首を傾げた。

「……悪い夢を見ているようだったから、どうにかして悪い夢から覚ましてやろうと思った。けれど、」
「……あっ」
「? どうかしたか」
「……や、ごめんなさい。遮っちゃって」
「かまわない」

 シルバー先輩が、重苦しく、何故か誰よりも他責されているような表情をしていて、しかしそのタイミングであることを思い出した。そういえば、夢の中で真っ白な空間に放り出された気がする。孤独には変わりないのに、もやもやはなかった、と思う。

「……目が覚める直前でしょうか。どこかで声が、聞こえて。すごく安心しました」

 言い終わると、シルバー先輩が息を呑むような、呼吸を自ら止めるような反応を見せて、綺麗な色をした目を見開く。けれど数秒後にはいつも通りの、悪いようにいえば無表情に戻り、しかし瞳がいつもと違って揺れていた。

「……そのおかげかも。目覚めにそこまで、怖い夢を見たときみたいな不快感はなかったから、大丈夫だと思います」

 あの声は誰の声だったのだろう。これ以上思い出すことは困難だ。ふと、日常で思い出すこともあるだろうと心の奥にしまい込もうとすれば、空いている方のシルバー先輩の手が私の胸の前まで伸びてきて、え、なに。驚いて目をぱちぱちしてから、その手とシルバー先輩の顔を往復するように見ると、ハッとしたように伸ばしていた手を止めては引っ込める。バツが悪そうに、その手を柔らかそうな銀色の髪に添えた。

「……そうか。それなら、良かった」
「? ……はい。へへ、シルバー先輩が近くにいてくれたおかげかも」

 一連のシルバー先輩の動きに疑問をもちつつも、このどこか花のような香りがする王子様のおかげかも、と笑えば、シルバー先輩も、珍しく眉を下げて微笑んだ。この表情には、いつだってドキッとする。まるで笑い慣れていないような笑顔だけれど、それがまた彼らしいというか、うん、レアな表情だ。
 すると、花の香りが、雰囲気によるものでなくて、確かにどこかで感じることに気がついて、仕切りにより狭くなった空間を見回すと、サイドテーブルに花が置いてあった。

「ん? 花? ……そういえば、シルバー先輩はどうしてここに」
「ああ。マレウス様のご無事が確認できて、今はセベクや他の寮生が寮の警戒を強くして見張ってくれているから、そういえばと思って様子を見に来た」
「あっ、そういえば……。マレウスさん、ご無事で良かったです」

 確かに、シルバー先輩は後からまた私の様子を見に来ると言ってくれていて、本当に果たされるとは思わなかった。セベクはどうやらマレウス・ドラコニアの部屋を十分おきに見回りに行っているらしく、めちゃくちゃ迷惑じゃん、と言えば、シルバー先輩も溜息をついた。

「そこにナマエの鞄と制服もある。部室に置いたままだったから、取ってきた」
「わ、ありがとうございます。……なんか恥ずかしいな」
「すまない、そういうつもりはなかったのだが」
「ふふ、わかってますよ」
「大丈夫だとは思うが、鞄の中身も念のため確認しておいてくれ」

 シルバー先輩には悪いことしちゃったな、という気持ちと、制服を運んでくれたシルバー先輩、面白すぎでしょ、という気持ちが拮抗しながらも、反対側の丸椅子の上に置かれた鞄を見ると、財布もあるし、スマホもある。暗い中で通知を確認すれば、副寮長から、「お腹が空いたら連絡してください」とあったので、夕食を運んでくれるのかもしれない。後で連絡しよう、と一度画面を暗くして鞄をしまうと、シルバー先輩に笑いかけて大丈夫だと示した。

「それで、このお花は? 生花、でしょう?」
「ああ、これは……」

 サイドテーブルに置かれた、ガラスの花瓶にささった数本の、パステルカラーの花は、この暗さでははっきりとしないけれど、明るい中で見れば確かに綺麗だろうな、というかわいらしい花だった。

「ナマエの荷物を取りに行ったとき、中庭で小鳥やリスたちがこの花を渡してくれたんだ。ナマエの見舞いになるかもしれないと思って持ってきたが……」
「へっ? うわ、王子様だ……メルヘン……」
「俺が王子様?」
「あなたが王子様……むしろお姫様かも」

 なに、動物たちが花を摘んで渡してくれるって。確かに前に動物と戯れているところは目にしたけれど、まささこうも好かれている……というか、絵本でしか見たことがないようなことが起こっているだなんて。シルバー先輩のことだから、こんなにくだらない冗談を言うわけではあるまいし、以前アレを見ているから本当だとは思うけれど、それにしたって、ねえ。

「褒め言葉だろうか」
「ええ、とっても……」
「そうか。ありがとう」

 嫌味が、本当にない。周りがふわふわしているような気がする。この人とカリムさんは特に、この学園では珍しいタイプだ。変な黒い感じのオーラは決してない。いやあ、それにしても王子様すぎるし、それにお見舞いの品が摘んできた生花だなんて、面白いというかなんというか。

「ふふ。私、そんなに長期入院するわけじゃないのに。明日には帰れますよ」
「そうか、なら良かった」
「ふ、そうでしょ。良かったです」

 このド天然プリンセス、面白すぎる。あくまで真剣な面持ちでそう言うものだから、半笑いで返答すれば、シルバー先輩は眉をほんの少し、気のせいかもしれないという程度に曲げては首も傾げた。
prev next
back
top