同じように回るだけじゃない

 シルバー先輩とひと通り話すと、彼は最優先の護衛のためにディアソムニア寮に戻っていった。やっぱり歳上のお兄さんたちは、心配するな、なんて言って私を励ましてくれる。彼は頭を撫でたり、再度手を握ったりすることはなかったけれど、いつも通りの落ち着いた起伏のない声のトーンが、より落ち着く気分にさせてくれて、眠る前もクルーウェル先生の手で落ち着いたけれど、それよりも落ち着いたような気がする。

「いつから見てたの?」
「見てないけど?」
「揚げ足を取らないで」

 ところで、クルーウェル先生はいったいどこに行ってしまったのか、一時的な離席か、用事か、よく考えられるようになった頭を回転させると、そういえば、と思い出したことがある。確か先生は、二人の――トラッポラとスペードの目が覚めるまではいる、と言っていた。そこまで気づけば答えがでたようなものだ。ハッとして、隣のベッドとしっかり仕切られたカーテンをゆっくりと、しかし確信めいたものがあったので、その後思いきり開けると、光がいつもより少ないチェリーレッドがあった。第一声は、目が覚めたことの安堵より、責めるようなものになってしまったけれど。「見ていない」のは本当だろう。この男が言いたいのは、「聞いていたけど」ということだろうから。

「いや〜、それにしてもシルバー先輩、だっけ? マジイケメンだね」
「それは同意しかできない。イケメンっていうか美人? あれで馬も乗りこなすものだから……ね」
「そりゃナマエちゃんがあれだけデレるのもわかるわ」
「デレ……てはなくない?」

 誤魔化すように話題を転換するのに、いつだって余裕があるように見えるのはトラッポラの特技だろうか。ポーカーフェイスというのか、それとも本当に飄々としているだけなのかはわからないけれど。すっかり起き上がって、元気になったのか、ベッドに腰かけているトラッポラはうーんと伸びをしながらそう言うものだから、自身の姿を見つめ直してみるけれど、割といつものことなのでわからない。
 デレてるじゃん、とじーっとこっちを見ながら、どこか不貞腐れたように言うトラッポラに苦笑いをする。よいしょ、と私も起き上がると、痛み止めが切れているのか、足のわずかな捻りですら痛くて顔を顰めた。

「あーあ、無理すんなって」
「……氷だけ変えてくれない?」
「りょーかい。まだ夜は冷えるし風邪ひかないようにね」
「ありがと。……ところでスペードは……狸寝入り?」
「っ!? な、なんでわかったんだ!」

 どこか心配そうにこちらを見ると、ベッドから下りたトラッポラに我儘を聞いてもらうことにした。トラッポラもなんというか、結構優しい。私が塩対応をきめてしまうのが時折すごく申し訳なくなるくらい。氷をせっせと用意してくれる、制服がボロボロなだけできっと痺れは取れたのだろうトラッポラを眺めていると、そういえばともう一度ベッドの方を見る。ベッドを一つ挟んだそこにはスペードが未だ目を瞑って寝ており、しかしカーテンの仕切りがないことを不思議に思って問いかければ案の定だった。

「いや、カーテン開いてるし……」
「デュースね、さっきのナマエちゃんとシルバー先輩のやり取り聞いてなーんか恥ずかしくなったっぽい。デュースくんはウブなんで」
「なっ……! 違う! ……とは言いきれないが……」
「正直だねえ。恥ずかしくなるとこあった? ……あった?」
「ガチ疑問じゃん」

 古い氷が捨てられて、新しい氷が袋に詰められていく音がする。私も今ならラウンジでのドリンク提供に慣れているから、氷を零すことはなさそうだなあ。スペードは私に抗議するように布団から起き上がると、すぐに自信なさげにその場に留まったので、この素直さはトラッポラとは違うところだ。
 もっとトラッポラを見習って嘘ついてもいいのに、とスペードに言っているところで、寝ていたために暗くなっていた電気がパチンとつくと、「それどういうこと?」と言いながらこちらにハートの男が近づいてきた。

「要領いいって言ってるんだよ」
「ふぅん。……足触るけどいい?」
「ん。後でちゃんと手洗ってね」
「おっけ、痛かったら言って。それにしても派手にやられたね」
「ありがとう。ただの捻挫。変に抵抗しちゃったから」

 えへへ、とまた笑うと、トラッポラは眉を八の字にして、「仕方ねぇやつだなあ」とでも言いたげな表情で一度私を見てからまた足に視線を戻した。スペードも、トラッポラも……それから他の先輩たちも、マイナスなことはあまり言わない。私よりずっと大人だ。
 トラッポラは、手袋をしている方で私の踵を支えて、もう片方で氷を固定する。すこしくすぐったいような気がして足を震わせると、驚いたように肩を少し揺らしてからこちらを見た。

「ごめん、痛かった?」
「いや、くすぐったいだけ。……トラッポラって、案外優しいよね」
「案外、は余計な」
「ふ、そうかもね。ありがとう」

 私に対する触れ方が、決して傷つかせないというように、それこそ壊れ物を扱うようなものだから、そこはかとなくギャップのようなものを感じる。私にこうして触れてくれる人は、この学園にそれなりにいると思う。それだけ愛されているのかも、なんて自惚れる要素としては小さいけれど、それでも心が満たされていくような感じがした。

「はい、でーきた。……なに、にやにやして」
「ん、ふふ。や、トラッポラ、私のこと好き?」
「……はっ!? いきなり何言ってんの!?」
「や、ごめん。ふふ、忘れて。多分そっちじゃない」

 唯一の女子生徒だから優しい、という線もほんの一瞬考えたけれど、今更そういったものはないと思う。トラッポラに聞いた“好き”は、ややこしくなるから恋愛要素は一旦置いて、友達や家族に向ける方のもの。私は思っている以上に皆のことが好きだったし、こうして皆が優しいのもそうであったらいいな、なんて思ったから聞いただけだ。

「……あー、友達として、とかの方?」
「えー、蒸し返さなくていいよ」
「もやもやすんじゃん。……うん、まあ、好き」
「ふふ、そっか」

 忘れてって言ったのに、まさか忘れてくれないなんて思わなくて、私の足首を痛くないくらいに包帯で氷と一緒にきゅっと縛ってくれたトラッポラは、私のくだらない質問に返事をくれた。しかも、語尾がだんだん小さくなりながら。あ、照れてる、なんて思って、また笑いが零れると、彼はムッとしたような表情をした。包帯は、クルーウェル先生よりはもちろん拙いけれど、なかなかに綺麗に巻けている。

「ありがとう、助かった」
「どういたしまして。オレらはぼちぼち回復したから寮戻るわ。行こうぜデュース」
「そうだな。ミョウジも安静にしておけよ」
「うん、ありがと。二人も無理しないで」

 トラッポラが椅子から立ち上がると、スペードの方をちら、と後ろ目に見て、それからスペードもベッドから下りた。あ、今のスペードの立ち上がり方、脚開いて膝の上に手置いて、なんか、悪そう。お腹も空いてきたし、副寮長にそろそろ連絡しなくちゃ、とベッドサイドに置いていたスマホを取り出すと、まだ保健室の端から影が消えないでいたので、見送ってほしいのかな? と思って手を振ると、唇をきゅっと結んだトラッポラがこちらに近づいてきた。

「あのさ。なんかあったらオレにできることあったら相談してほしいっつーか。……悪い夢でも聞くくらいならできるし」

 そんな予想外にも真っ直ぐな言葉を向けてくるトラッポラの真っ赤な瞳も、驚くくらいに真っ直ぐにこちらを見てきて、いつになく吸い込まれそうだ。何より、そうだなあ。

「……思ってる以上に優しくてびっくりしてる」
「そればっかじゃん」

 オレはずっと親切ですけどー? と言うトラッポラに対して、スペードは微妙な表情をしていた。出会いが最悪で、きっとお互いにあまり良い印象は抱いていなかった――私はひたすら馬鹿にしていたし、トラッポラだってきっと私のことは嫌いだっただろうに。なのにいつの間にかこうして、良好な関係になれたのは、すごく、なんていうか、いいと思う。少しだけ照れくさいのを隠すように、にひひ、と口角を上げて笑えば、トラッポラは目をわずかに丸くしてから、同じように笑った。

「ありがと。トラッポラもなんか悪い夢見たりしたら言ってよ」
「ま、悪い夢は割と見るけどね。さんきゅ。内容によっては言うわ」
「なにそれ、言えないのがあるの? あ、えっちなやつでしょ」
「こら、あんまそういうこと言うなって」

 途端に眉をひそめてから、頬をぷくーっと膨らませて怒られるものだから、またからかいたくなっちゃった。男子高校生だし仕方ないだろう、と思いつつも、けれどそれは悪い夢に分類されないから、悪い夢で私に言えないものがあるという解釈で良いのだろうか。だとすれば、相当情けない夢とか、そういうのしか思い当たらないけれど。私は結構夢を見たらどんなに変なものでも怖いものでも聞いてほしがるタイプだから、微妙に相容れない感情だ。

「じゃーね。足お大事にー」
「うん、二人ともありがと。ばいばい」
「ああ。早く良くなるといいな」

 今度こそ、二人が保健室から去っていくのを送り出すと、ふう、とひと息ついてからぼふんとベッドに沈み込んだ。お腹空いたなあ。そう思って、副寮長にメッセージを入れさせてもらった。

『お腹空きました』
『ご飯系が良いです』
『それとバニラアイス』

 ちょっとわがままかなあ。自業自得で自滅した稚魚の分際で、食事を運んでもらうだけでなくメニューまで指摘してしまう始末である。送信取り消しをしようか迷ったけれど、あの人のことだし消しても消さなくてもすぐに見てるでしょ、と思ったら、本当にすぐに見ていたようで、瞬く間に返信があった。

『我儘ですね』

 やっぱりかあ、とそれから返信がないのを見ては、ベッドに身を放り投げた。それでもまあ、何かしらは届けてくれるはずだ。ラウンジの残りだろうか。いや、それにしたって今日のラウンジは残りどころか売上も全然ないはずだし、大変な事態になったなあ。ぎゅるるとお腹が一人きりの保健室に響き渡って、何かキャンディで繋ごうかしら、とポケットや鞄の中を探るけれど、悲しいことに三限あたりの休み時間で食べきっちゃうんだよねえ。
 寂しい部屋に、時計の秒針がまるで主役かのように鳴り響いて、虚無の時間がやってきたけれど、やがて我に返れば空腹感も戻ってきた。ぎゅるる、また音が鳴る。

「お腹空いた……」
「なんて我儘な稚魚なのでしょう」
「! わあ、副寮長!」

 この微妙に鼻につく感じは、とガバッと起き上がると、足首にわずかな刺激を与えてしまったらしく、また痛みが走った。その姿を見て少し目を細めてから、にこにこと笑顔を貼りつけてはこちらに寄ってきた。箱に入っているのと、小さなクーラーボックスに入っているので、出前形式だ。

「このメッセージ画面を一緒に見ていたフロイドがドリアを作ってくれたから良かったものの……ただでさえ今日の彼はあまり機嫌が良くないのですから」
「……私のせいですか?」
「ないとは言いきれませんね」
「うう……」

 無茶をして、フロイド先輩にもクルーウェル先生にも叱られて、感情のままに行動して、私は本当にまだまだ稚魚なんだ、と下をまた向くことになると、それを横目に副寮長はドリアを取り出せば、湯気がもくもく立っていた。「まあ、彼なりに心配してるんですよ」と言ってはスプーンと軽いドリンクも一緒に用意してくれた。

「……だと良いんですけど」
「ええ。ナマエさんも人の心配をするより、怪我を治すことを優先してください」
「ありがとう、ございます」

 やっぱり、お兄さん方はこう言ってくれる。なんてことない表情に見えるけれど、副寮長も副寮長なりに心配してくれているのかなあ、と思えば、心が伸びるような気持ちになった。

「そういえば、しばらくの間は休校になるそうです」
「えっ、そうこうしている間にテストなのに?」
「どうやらS.T.Y.X.による侵入で、学園中が派手に壊されてしまったようで……」
「S.T.Y.X.って……あの鎧の?」
「はい」

 S.T.Y.X.というのは、初めて聞いた。部外者が口を突っ込んでも良いのだろうか、と思っているだけで、副寮長は副寮長らしく、それ以上詳しくは言わなかった。まあ、そのうちわかる、そうクルーウェル先生は言ってくれたし。私こそ、もやもやは消えないけれど、副寮長がスプーンでドリアを掬う姿をただただ見守って――ん?

「あれ? 何してるんですか?」
「稚魚は一人で食べられないでしょう?」
「えっ!? いや、いやいやいや……馬鹿に、しすぎですから!!」

 口元に熱々のドリアを運ばれて、見るからにきのこ、きのこ、きのこ。いや、これをどういう気持ちであのフロイド先輩は作っていたのだろう、という疑問も生まれるけれど。所謂あーん、というやつでは? せめて冷ましてよ、と思いながらスプーンを奪い取ると、悲しそうな顔を見せた。それも、わざとらしい方の。

「悲しいですねえ……。フロイドのだったら食べたでしょうに」
「……そうでもないと思います! あ、でも美味しい」
「それは嬉しいですね。寮生たち、最近は誰もきのこを食べてくれないものですから」

 フロイド先輩があーんってしてくれたら……まあ、そのときの雰囲気とお互いの気分次第だと思う。今回のドリアはめちゃくちゃ熱そうだし。確かにきのこには飽き飽きしているけれど、嫌いで見たくもない! というフロイド先輩ほどではないし、副寮長セレクトなだけあり美味しい。そういえばシルバー先輩もきのこが好きとかどうとか言っていたから、ますますラウンジに来てもらわないと。

「ラウンジは?」
「今日の客の出入りはゼロでした。まあ、仕方ないです」
「……へへ、寮長に怒られますね」
「ええ。それはもうカンカンでしょうね」

 寮長の、大赤字だと大騒ぎする様子が目に浮かぶ。ドリアを食べながらそうして笑うと、副寮長も目を細めて笑った。

 ◈◈◈

「一人で入れる? 大丈夫?」

 白いふわふわのバスタオルを持って私の後ろを心配そうにくっついてくるのは、紛れもなくフロイド先輩だ。まだ腫れは引いていないけれど、痛いのは外じゃなくて中だし、何より今は先生にもらった痛み止めが結構効いていて、余裕がある。着替え諸々を持って浴室に向かっているのを着いてこられるのは、恥ずかしいことこの上ない。

「やだ、入れますよ。絶対来ないで」
「わかってるけどさあ……心配だし」
「終わったら声かけますから! 恥ずかしいの、来ないで……」

 スタスタ、早歩きを試みるも長い脚のフロイド先輩には効かないようで、撒くことはできなかった。確かに面倒を見るとは言ったけれど、こうもべったりだと不便だ。ちら、と見てみると、それそれはもう心配そうに眉を下げて、私の様子を窺うように後方でオロオロとしているようだった。オロオロしたいのはこっちです。
 一度足を止めて、恥ずかしいですよ、とアピールするように声を小さくすれば、フロイド先輩もその場に止まってくれた。成功かな。

「……わかった。気をつけてね、あ、今の時間誰もいないから安心して。近づくやついたら絞めるし」
「大丈夫ですって。この寮は皆優しいですし」
「そうとも限らないんだって! ……はぁ、とりあえずゆっくりしてきて」
「ふふ、ありがとうございます」

 むう、とまた不機嫌に、しかしやばい方の不機嫌ではなくて、子供みたいな不機嫌だから安心だ。ぎゅーっていうのには、この空間と気恥ずかしさと、あとはお風呂に入っていなくて臭うかも、というので、とりあえず、冷たくて大きな手に軽く触れてみると、項垂れていたフロイド先輩はハッと顔を上げて、ぎゅうっと握った。あ、やっぱりこれはこれで、よく考えたら恥ずかしいなあ。

「なに、かわいいじゃん」
「……き、気分です。じゃあ、入ってくるので」
「ん、いってらっしゃい」
「……機嫌良くなった?」
「別にぃ」

 明らかに機嫌良くなってる、と思ったら、本当に本当に機嫌が直ったらしく、私の目線の高さに合わせて屈むと、頭を撫でてくれた。昨日の砂埃のせいで髪はギシギシだったり、さらにそれで洗っていないからベタベタだと思うけれど、フロイド先輩は平気でこういうことをしてくる。申し訳ないような、やっぱり照れくさいようなを誤魔化すように笑うと、ようやくそれが合図に収集がついて、一度解散、ということになった。

 歩くときに感じる痛みは仕方なし! と次第に慣れてきたので、ゆっくり温まることができた。入浴剤なんかを入れたくなるけれど、それができないのが寮生活の欠点だ。せっかく銭湯っぽくて楽しいのに。
 お言葉通りゆーっくり時間をかけてお風呂に入って、上がったら紅茶でもいただこうと、タオルで髪を拭きながらバスルームを出ると、談話室の方からフロイド先輩がやって来たところだった。

「あ、上がった?」
「えへへ、ゆっくりしてきました」
「良かった。おいで、今談話室人少ないし、乾かしたげる」

 フロイド先輩がちょいちょいと手招きするけれど、乾かしてあげる、かあ。部屋にもドライヤーはあるし、そもそも不自由なのは足の方だから、髪は自分でできるんだけど。しかし、甘やかしたいフロイド先輩のわがまま、なのかもしれない。念のために抗議しておくことにした。

「え、手は自由ですよ……割と」
「バレてるって。軽くやってるでしょ」
「いや、本当に痛みはなくて」
「我儘言わないの。おいで、綺麗にしたげる」

 そういえば軽く手も打った気がしたけれど、それにしたって軽すぎる、捻挫未満だと思う。いつ見抜かれたんだろう、と思いつつも、招かれるままにあっさりと談話室に吸い込まれていけば、「ゆっくりでいいよ」と言われながらもソファに腰かけさせられた。足には柔らかいクッションを敷いてくれているという心遣い付きだ。我儘は、どっちだろう。

「なんか、髪濡れてるナマエちゃん初めてかも」
「そうでしたっけ? お風呂上がりとか、雨に降られちゃったときとかなかったかな……」
「オレが覚えてないだけ? まあいいや、かわいいし」
「どこが。かわいいの安売りは駄目ですよ」
「安売りじゃねーし」

 前に珊瑚の海に行ったときも不思議なことに全然濡れなかったからなあ。寮生はこれを当然のようにちらりと見ては、すぐに目を逸らして自身の作業に移るものだから不思議だ。私はまだ、結構恥ずかしい。濡れた髪に、フロイド先輩の使っているものだろうか、それとも開発したもの? ぺたぺたとヘアオイルをつけてくれて、「メンズだから軽いかもしんねぇけど」と言った。ふんわり香る、人工的ではある花のような香りが心地良い。メンズにしては、女性受けする香りだと思う。時折項に触れる長い指先は、火照った身体には冷たすぎるくらいで、くすぐったさから笑みを零せば、後ろからも息だけの笑いが聞こえた。

「熱かったら言って」
「はぁい。ありがとうございます」
「いいよ、楽しいし」

 やっぱりフロイド先輩がやりたいだけじゃない、と口元がゆるくなるも、前を向いているおかげで見えていないと思う。髪を軽く拭くと、その流れのままカチッと音がすると同時に、そこそこの強さの風が吹いてきて、丁寧に乾かしてくれる。フロイド先輩、髪は割とぼさぼさだけど、特に傷んでいるわけではないし、柔らかいし、ケアは適切なのだと思う。長い時間、心地の良い、丁度いい温度の風に吹かれていると、徐々に髪がはらはらと散った。私の使っているのと遜色ないか、それ以上に良いやつかもしれない。
 やがてブラシが軽く通されて、その後にフロイド先輩が確かめるように直接細い指を私の髪に通した。あ、また少しだけくすぐったい。それから、乾いてからよりヘアオイルのいい匂いがする。癖になりそう。

「今日はお揃い。でもなんかもっといい匂いすんね」
「嬉しそうですね。あ、でも普段からシャンプーやらはお揃いじゃないですか?」
「あー、……うわ、急に嫌になってきた。専用の違うシャンプー置こうかな」
「あは、独占欲つよ」
「ナマエちゃんも結構自信家だよね」

 確かに、これで独占欲に結びつけてしまう私は自信家なのかもしれない。バレました? というように振り向いて笑いかければ、金色と、ピアスが揺れる微かな音が思った以上に近いものだから、息が詰まった。背もたれに腕をつくようにして、頬杖をついていたらしい。驚いて口を開くことすらできずにいると、ふふん、と笑っては私の頬をむに、と摘んだ。

「うるせぇ口」
「いひゃい」
「あは、間抜け面」

 至近距離を保ったまま、毛穴のないフロイド先輩をじーっと見つめているとまたさらに頬を摘まれて、あ、もう。フロイド先輩と違って人間は簡単に荒れるんだからと手を引き剥がせば、丁度膝の上に乗っていたスマホが揺れた。フロイド先輩の手を片手で、後ろ手に押さえたまま片手でスマホを見ると、通知でその正体は明らかだった。

「トラッポラだ」
「え、カニちゃん? 普段からそんな仲良かったっけ」
「メッセージは久しぶりかも」

 トラッポラはいつも、食堂か選択授業で会えることが多いから、メッセージのやり取りをすることは少ない。といっても、この学園で関わりのある大多数は、直接話すことが多いのだけれど。トラッポラとの用事なんて特に、クルーウェル先生の隠し撮りと、トラッポラがテスト範囲がわからないときに教えるくらいだ。このタイミングで、なんだろう。フロイド先輩に見えないように、スマホを体勢をやや斜めにして通知を開くと、二つのメッセージが表示された。

『監督生がいなくなった』
『エペルとルーク先輩もらしい』

 それだけで、異常事態なのはわかる。ルークさんとエペル、それから監督生、か。いや、監督生が噛んでいる時点で確定だろう。私はそっとフロイド先輩にスマホ画面を見せると、彼は眉根をぐっと寄せた。きっと、私も同じような顔をしていると思う。

「……またなんかやってますよ、小エビちゃんは」
「あー、なんつーか、相変わらずだね」

 顔を合わせて、小さく溜息をつくと、その後私たちの口からは同時に苦笑が洩れ出た。
prev next
back
top