空洞の錨

 あの子たちはクルーウェル先生のお説教の何を聞いていたんだ。しかし、この足もあり、それにもういなくなってしまったのなら今更どうすることもできない。まあ、大方寮長たちの救出に出向いたのだろうと予想することは安易だった。クルーウェル先生から、私やトラッポラ、スペードは無事にいるかと安否確認が届いたので、無事であることを伝えてもらいながら、今日はシンプルにアールグレイの紅茶を淹れてもらった。

「もう、ばかエペル」
「グッピーちゃんも度胸あんね。てか、ウミネコくんが行くの意外だわ」
「ウミネコ……」
「うん、ウミネコ」

 エペルに連絡を入れてみるけれど、もちろん返信はない。無事に生きて帰ってくればいいけど。そう思ってスマホの画面を閉じようとしたとき、“ウミネコ”のワードが気になって、しかしルークさんのことだろうというのは推測することができたので、ウミネコについて手早く検索をする。すると、てっきり、哺乳類系のかわいい猫みたいなのが出てくるのかと思えば、カモメのような鳥が一面に表示された。思っていたよりかわいくない。

「あ、これルークさんに似てる」
「あは、ほんとだ。目つきそっくりじゃん」
「結構的確だよね、フロイド先輩のつけるあだ名」
「見たまんま言ってるだけ」

 そう言ってスマホ画面を後ろに向かって提示すれば、ひょこ、と覗き込んでは笑った。ちょっと鋭い目つきをしているウミネコの方が、クリクリお目目のものよりルークさん感がある。そういえば、さっきから乾ききった髪をブラシで梳かしてくれているけれど、何をしているのかと後ろを振り向くと、「あとちょっと」と言った。初めて嗅ぐ優しい香りは、髪に馴染んでから時間が経っても慣れることなくふんわり、テンションが上がるいい匂い。

「何してるんですか?」
「かわいくしてる」
「ラウンジは?」
「そもそも本来平日は夕方から営業だし……多分学園の感じ見ても今日も来ないでしょ」

 ブラシが通されて綺麗にしてくれたのかと思えば、そのまま髪が引っ張られる感覚があったから、まあ、ヘアアレンジをしてくれているのだろう。何かな、編み込み? めちゃくちゃかわいくしてください、とだけ言えば、当たり前じゃん、と返された。
 それより、ラウンジだ。エペルが来てくれるって言ったのに、この騒動に加えてエペルまでどこかに行ってしまったのなら、また先延ばしになってしまう。もう、皆タイミングが悪い。

「エペルも馬術部の皆も来てくれない」
「イシダイせんせぇもね。ま、今年度は確かにちょっと変だわ」
「それクルーウェル先生も言ってました」

 これは、今年入学の私でも変だってわかる。もし私の読み通り、連れて行かれた人たちがオーバーブロット経験者なのだとすれば、半年経たずで連続でオーバーブロットが起こるのはおかしい。そもそも、オーバーブロットなんてほとんど都市伝説に近いとすら思っていたのに。それに加えて、私よりも監督生の存在もだ。魔法が使えないだけでなく、異世界から来ている。あとは……顔がいい人が私の周りにやたらと多いのもおかしいと思う。
 やや下を向いて、頭を動かせないから紅茶が冷めていくのを見守っていると、冷たい感触がまた項に触れて、今度は小さく声を出した。

「あっ、」
「あっ? ああ、首弱ぇの?」
「その聞き方やだ……冷たいからびっくりしたんです。ていうか、大半の人間は首弱いと思います」
「あー……うん。それはごめん」
「……素直」

 首とか脇とか、昔はよくくすぐられたりしたけれど、この歳になってめっきりなくなったから、久しぶりだとなかなかだ。項より前の方が効くけれど、ひんやりとした感触がなんとも、それを助長してしまった。この素直さ、フロイド先輩は多分、私のことを結構気遣っている。色々あった後だし、まだ少しだけ、距離感を考えてくれているような気がする。まあ、それでも近い方ではあるし、一番落ち着く距離といえばそうだ。
 フロイド先輩が項に触れたことが少々気まずさの原因になってしまったのか、それとも集中しているのか、無言の時間が流れている。とりあえず後ろも向けないし前も向けないしで、先程届いたメッセージの返信をしていないことに気がついて片手で軽く返信をした。

『また巻き込まれに行ってるじゃん』

 今頃あの二人は、監督生のことを一生懸命探しているのだろう。絶対に今、校内にはいないだろうに、あの二人は監督生のことが大切だから、それでも頑張って探しているはずだ。けれど、クルーウェル先生により牽制がが強くなっていると思う。

「トラッポラたち大丈夫かな」
「……そんな仲良かったっけ」
「普通に、授業一緒になることも多いし」

 すると、また気まずい空気が流れた。フロイド先輩の、純粋な疑問と威圧感が合わさったみたいな低い声。表情が見えないから、声色だけで推測することしかできないけれど、これは多分、嫉妬だ。わかりやすい。子供みたい。ふふ、と笑いつつ、トラッポラの更新された、キャピキャピ男子高校生! という感じのアイコンを眺める。三つの手と……この肉球はグリムだな。あの馬鹿四人が学園外で買ったのだろう。ほんと、仲良しだよねえ。

「なに、ナマエちゃん」

 アイコンを拡大して、ほんと仲良しだなあ、と閉じてからホーム画面を見ると、こちらはおしゃれなまま。微妙〜にマジカメ映えができているあたりが、腹が立つ。女子力が負けている気がして。

「ああ、トラッポラの――」
「オレがいるのに?」

 トラッポラの女子力に嫉妬してて、と言おうとしたのに、いつになく真面目そうなトーンがそれを制止した。思わずそちらを振り返りそうになったのに、頭を痛くない程度に固定されているせいで、首が数度、四分の一も回転せずに留まってしまった。いや、もう、嫉妬っていうかやっぱり、

「独占欲……つよ」
「……あ、いや、なんでもねぇ」
「……いえ、大丈夫。ただ、その、……あー」

 独占欲が強すぎる。私がもし二年生くらいになって、もう少しゴタゴタが収まったら、そういうことに興味が出てくるのかもしれないし、これを恋愛的な好意として捉えることは容易い。なんなら、ときめくことだってある。けれど、今のところは一旦、そういうのは置いておくことにしているので、もしフロイド先輩が私のことをそういう意味で好きだとしても、応えることは難しいし、けれど言葉を選ぶ必要だってある。いやあ、恋愛を置いて、面白さだけであれだけぶりっ子を続けたりする私、なかなかに良い性格。……まあ、興味がなくても直接伝えてくれたりしたら、考えなくもないけれど。なんて受け身なんだろう。そもそも、男子校だからこそ、お互いにフィルターがかかってしまっていることだってあると思うし。なんなら、この線が一番濃厚だと思う。

「なに? 濁すなって」
「……フロイド先輩怒るかも」
「怒んねーって。多分」
「……私と仲良い子を絞めるのは、駄目」

 多分、という言葉ほど怖いものはないと思う。けれど、フロイド先輩だって流石にそう悪い人じゃないし、今まで絞めてきた人の傾向を見ても、ルール違反か、明らかな悪人かで、そういう腹が立ったとかの衝動で絞めているところは、私は見たことがない。陰で、あるのかもしれないけれど。
 また無言が続いて、フロイド先輩からの返事にドキドキして、髪がまた引っ張られる感覚。それと同時に「もういいよ」といつもみたいな柔らかい声が向けられた。

「当たり前じゃん。オレ、ナマエちゃんが悲しむとこは見たくねぇし。嫌われたくもねぇし」
「や、ほんと?」
「ほんと。てかそんなんで怒ると思ってた? まだまだだね、ナマエちゃん」

 私が振り向くと、ほっとしたような、少しきゅんとするような。いつも通りの柔らかい笑顔を向けてくれて、細長くて白い指でくるくる、サイドに垂らした髪を弄ばれる。皮膚、白くて薄くて、綺麗。そのまま私のスマホをひょいと取り上げて、まあ、ロックをかけているから開けられることはないし、そもそも勝手に見るような人ではないし、見られて困るものも別にないけれど、なんだろう。

「写真撮ったげる。あっち向いて」
「わあ、嬉しい。かわいいですか?」
「めっちゃかわいい。ギブソンタックね」
「え、どこも行かないのに」
「気分上げんの、大事でしょ」

 言葉通り元通りの方向を向くと、かわいー、と小さく零しながら、シャッター音が二回鳴った。確かに、気分を上げるのはめちゃくちゃ大事だし、それにヘアアレンジをチョイスするフロイド先輩は女心をよくわかっていらっしゃる。それにしてもギブソンタックは、どこにも行かないにしては華やかだと思うけれど。
 撮ってもらったの、マジカメに上げたいなあ、と思いつつも、このタイミングは流石に空気が読めないから、鍵垢内でプチ炎上するかもしれない。また今度上げよう、と思ってスマホをフロイド先輩から取り返そうとまた後ろを振り向くと、ケロッとした表情で私のスマホを耳に当てていた。え?

「え?」
「ごめんオレ。ナマエちゃんね、待って、代わるわ」
「いやこっちが待って」
「今仲良くしてたとこ。かわいいの撮れたし後で送ってもらったら? ……うわうるせ。あー、わかった。ナマエちゃん」

 流れるように私の手元に返してくれたスマホの液晶には、『エース』の文字があって、ああ、なるほどね。写真を撮っているときに押しちゃったのか、それともすぐに出ないと申し訳ないから出てくれたのだろう。ありがとうございます、とお礼を言えば、ごめんね、どういたしまして、と二つの言葉が返ってきた。まあ、監督生関連だろう。

「もしもし、ごめんね」
『いや、……あのさ、クルーウェルとかトレイ先輩に厳しくされてて今寮から出れないんだけど、そっちは?』
「出てないよ。そもそも怪我してるって」

 声、近いな。フロイド先輩と通話を繋げたときも思ったけれど、トラッポラは普段近くで話すことがないから余計に、だと思う。スマホを隔てると、声もやっぱり変わるなあ。今頃どの寮も警戒体制になっているのだろうか。まあ、ディアソムニアは言わずもがな大変そうだし。はあ、と耳元で溜息が届くと、今度は息を吸う音。

『……だいじょーぶ?』
「うん。痛み止めも貰ったし、動かなかったら全然」
『そっか。――監督生たちがいなくなったのってさ』
「……多分、いや絶対、助けに行ってるんだと思う」
『はぁ〜……だよなぁ』

 こういうところに優しさが垣間見えるの、やっぱりトラッポラもよくできた人間だと思う。人たらし。だよなぁ。そう言ったトラッポラはまた、深すぎるほどの溜息をついて、それが止んだかと思えば、数秒後にまた小さな息を洩らしてから、小言を零した。

『……ったく。行くなら誘ってくれてもいいのに』
「……ふ、ふふふ」
『は? なに笑ってんの』
「なにナマエちゃん、ちょっと気味悪いわ」

 明らかに不貞腐れたような、それに加えて心配するような声色が電話越しでも伝わってきたので、この危機的状況に似合わない笑いが口から洩れてしまった。さらにそれに対する二人からの冷静な反応だ。口端をつり上げたまま、フロイド先輩の方を向いて笑顔を向けると、若干引いていたような顔がスっと真顔に戻った。口だけは、開いたまま。

「いや、トラッポラ。監督生のこと心配なんだなあって思って」
『はあ!? いや別に、そんなんじゃねーし……』
「ふふ、わかってる。グリムも監督生も大好きだもんね」
『いやだから! はぁ……』

 いつも結構、監督生にもグリムにも馬鹿にしたような発言をして、けれど肝心なときには一番に考えて、そういう愛情表現に関しては、不器用なのかもしれない。諦めたように溜息をまたつくと、電話口からくしゃくしゃと何かが擦れるような音が聞こえて、また少しの沈黙を挟んだ。

『……マブだって言うならオレのこともっと頼ってくれてもいいじゃん』

 寂しそうにぽつり、そう呟いたトラッポラの表情は、声色だけで推測することができそうだった。顔を少し赤くしているか、不貞腐れるように口を尖らしているか、そのまま寂しげに言っているのか。こういうトラッポラの面、初めてかもしれない。

「ふ、ちょっとかわいいね」
『……かわいいって、オレ?』
「うん。……私も今すぐに行きたい。けど今できるのは待つだけ、だから」
『馬鹿にすんなって。……まあそうね。オレはアイツと違って優等生だから、大人しく寮で待機してるわ』

 かわいい、という言葉にむくれた様子のトラッポラは、クルーウェル先生が厳しいのもあってか、それとも自分の意思かで、賢く寮に残る選択をした。私たちが寮長を信用しているように、トラッポラもリドル先輩や監督生を信用、しているのだと思う。
 じゃあそろそろ、と思ったところで、「そういえばさ」と何かを思い出したように続けた。

「ん、なに?」
『かわいい、で思い出したけど。……フロイド先輩と仲良くとか、かわいいの撮れたとかって……なに?』
「あ、そうそう。髪ね、かわいくしてもらったの。寮生以外に見せないのもだし、トラッポラに送るよ」
『あ〜……髪ね』

 本当はこういうの、馬術部の三人に見せたい。リドル先輩もシルバー先輩も褒めてくれるし、セベクも反応がかわいいし。あれ? 一年生、かわいい反応する子が思ったよりも多いな。髪、と聞いたトラッポラは、腑に落ちたように息をついてから、『楽しみにしてるわ』と言って、お開きになった。通話時間は五分そこらで、丁度いい感じだな。
 ふう、とスマホの画面を膝で軽く拭くと、「あ」と小さく背後から聞こえた。

「終わった?」
「はい」
「お疲れ。もっかいあっち向いて」
「ん?」
「オレのでも写真撮りたい。さっき勝手に出てごめん」
「何も悪いことされてないので大丈夫ですよ〜」

 フロイド先輩も傑作なのかなあ。まだ見れてないし、フロイド先輩が撮り終わったら見させてもらおう。そう思って背筋を伸ばして真っ直ぐ前を見たままでいると、後ろからカシャ、カシャ、カシャシャシャ、と音が聞こえた。ええ、連写しすぎでしょ。私のとき二回だったのに。

「あはっ、撮りすぎ、フロイド先輩」
「かわいくできたからいいの。ほら、早くカニちゃんに送ってあげな」
「はぁい」

 へら、と笑えば、フロイド先輩も優しくて甘い表情で画面を見ていた。いや、めちゃくちゃ好きじゃん。どれだけ上手くできたんだろう、と撮ってもらった写真を見ると、ただのギブソンタックじゃなくて、ところどころ三つ編みやらでアレンジがされていて、本当にパーティーに行くみたい。かわいい。どこから出てきたのか髪飾りは真珠みたいだし、これは、今後もヘアアレンジを任せたい。まあ、自分でするのが結局楽しいし、フロイド先輩の手ばかり煩わせるのも良くないけれど。

「かわいい」
「でしょ? またいつでもやったげる」
「やだ、女子力負け」
「ナマエちゃんが不器用なだけだって」
「あ、おこですよ」

 フロイド先輩が器用すぎるだけだって。そう反論しながらトラッポラに写真を送って、『かわいいでしょ』をつけると、すぐに既読がつくことはなかった。と思ったら、二十秒後くらいにぽん、と既読がついて、返信に悩んでいるのかまた間が空く。返信に悩むの、私にもフロイド先輩にも失礼だって。

「どうする? そろそろ部屋戻ってゆっくりする?」
「んー……まだ少し不安だし、今日は一人は嫌」
「りょーかい。じゃあオレも適当にジュース取ってくるから席空けて待ってて」
「はーい」

 せっかく髪もよくしてもらったし、部屋に戻っても寝るだけ、な気がするから、夜まで談話室コースだろうか。悪い夢は、シルバー先輩のおかげか、もう見ない気がするけれど。どことなく機嫌が良さそうなフロイド先輩の分を開けるためソファを詰めて、冷めた少し渋い紅茶を口に含んでいると、一分、二分経って、ようやくスマホが通知音を鳴らした。

『かわいい』
「ふはっ、」

 トラッポラ、この四文字を送るために二分も時間を要してたの、面白すぎるでしょ。案外トラッポラもウブ寄りなの? つい紅茶を噴き出しそうになって、噎せかけたのをどうにか咳払いで収めてから、その余韻に笑っていると、炭酸ジュースを持ったフロイド先輩がにこにことこちらを見て、「なんか面白いことあった?」と言った。
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