アンデッド・コニー

「あー、負けた」

 私が先攻だったのに、あっさりとチェックメイト。いくら前のが魔導ヒューマノイド相手だったとしても、弱すぎる。負けたにもかかわらずにこにこして、私の使わなかった角砂糖を一つ、シュガーポットから摘んでは口の中に放り込んだ。これでも前のドリンクよりは甘くないそうだから、不思議だ。

「ナマエちゃん強いねぇ」
「ええ。フロイドを簡単に負かし――」
「いやいやいや」

 テーブルの上で、空になったペットボトルで容易にペットボトルフリップを繰り広げるフロイド先輩が、いくら気分屋とはいえ私なんかにあっさり負けるわけがないでしょ。私なんかとは頭の出来が根本から違っているというのに。私が何を言っているんだ、というように眉をひそめながらそう言って黒いキングを持とうとした片手を横にぶんぶん振ると、左右対称の二人が同じ方向に首を傾けた。

「いや、手抜いたでしょ」
「は?」
「おやおや。ナマエさんにはフロイドの手がそのように見えたそうですよ」

 舐められたものですねぇ、とギザギザ鋭い歯を覗かせては不敵な――胡散臭い笑みを浮かべて口元に指を添える副寮長だけれど、そりゃそうでしょ。フロイド先輩だけでなく、寮長や副寮長ももちろん私に負けるわけがないのに、結果はこれだ。盤面に黒の駒はほとんどなかった。あからさますぎる。
 むう、とフロイド先輩を見ていると、少しの沈黙が挟まって、真顔でこちらをじっと見つめていたフロイド先輩が、白いプレートにばらまかれたチョコレートをひとつ手に取る。それから包みを剥がして、こちらに差し出した。

「怖い顔しなーい。はい、あーん」
「……誤魔化してます?」
「なんのこと? ほら早く」

 私が顔を顰めているのをそのまま映したみたいな顔をしたフロイド先輩の、ブロック型をしたチョコレートを摘んだ細い指がこちらにぐいぐいと伸びてくるので、なんなんだいったいと思いながら渋々口を開けると、ばっちり副寮長と目が合ってしまって、脳内に彼の声が駆け巡った。

『フロイドのだったら食べたでしょうに』

 ひゅ、と喉が鳴って、にこにこしながらこちらに手を伸ばすフロイド先輩と副寮長を交互に見ると、副寮長の口元がややつり上がったので、誰が思うつぼになるかと口をすかさず閉じるとチョコレートをガードした。のだけれど、フロイド先輩の持っていたチョコレートが弾かれることがなく、私と同じくハッとした様子のフロイド先輩も手を止めて、私の開いた手のひらにぽん、と乗せた。

「おや、どうしたんです二人とも」
「……さあ。気分じゃね?」
「まあ……気分ですね」

 フロイド先輩がどうしたのかわからないけれど、二人の気が変わったので仕方ない。受け取ったチョコレートを口に放り込むと、今度は副寮長が私たちを交互に見てから、何か面白そうに笑った。私が笑われている理由はとても心当たりしかないけれど。
 ふい、とそっぽを向いていたフロイド先輩が、癖になったのか、また角砂糖を摘んだところで、「あ」と声を出した。

「マンカラ。二人ともやったことないでしょ」
「あ、気になってました。私はしたことないけど……」
「僕も生憎あの場にいなかったのでまだしたことはないですね」
「おっけー。アズールが買ってたから取ってくるわ」

 マンカラ。ボードゲーム部の展示に行ったときに実物を見たし、調べたこともあるけれど、カラフルな石がかわいいんだよね。寮長がボードゲーム部にも買ったうえに寮にも買ったということは、かなり気に入ったのか、勝つ戦略を練るためかのどちらかだろう。フロイド先輩が談話室の奥にあるやたら整備された物置に向かったのを見ていると、副寮長が椅子をテーブルの横に持ってきて、それに座った。

「……悪趣味ですよね、副寮長」
「ふふふ、なんのことでしょう」
「私は好きです、それ」
「奇遇ですね」
「何が?」

 副寮長や寮長の性格は好きだ。そもそもこの学園にあまり嫌いな、合わない性格の人はいないけれど。奇遇ですね、はもしかすると、両想いということなのかもしれない。私もまあ、そこそこ良い性格をしている自覚はあるから、五ヶ月前では想像がつかないけれど、この寮がなかなかに適正だとは思う。とはいえ、郷に入れば郷に従えというように、どの寮でもそれなりに染まったのかもしれない。

「何笑い合ってんの?」
「おやフロイド、戻りましたか」
「うん、戻った。じゃあルール教えるけど……やっぱめんどいから二人で読んで」

 気ままだなあ。手渡された付属の説明書を副寮長と一緒に読むけれど、副寮長だってもちろん気遣いができるなあ、と思うのはひょんなことだ。私が読み終わるまで様子を窺ってページを捲らないだとか、まあ、当たり前といえばそうなのだけれど、とてもサバナクロー寮生にはできそうじゃないもんねえ。それにしても、これ。

「ルール……多くないですか?」
「ええ。説明書もやたら分厚いですし」
「うんそう。オレもウミヘビくんに教わったのは二つだけだし、オーソドックスなやつからやろうぜ。これ。一番上のやつね」

 指さされたご丁寧に図が描かれたルールをじーっと読むと、まあ、そう難しいものではなさそうだった。フロイド先輩がシュガーポットを避けて木の板のようなものを広げると、宝石みたいな石が窪みにカラカラと落ちる。マジカメ映えしそう〜と思いながら、石が少しずつ落ちる様子をすかさずパシャパシャ撮って、画角の問題で上手く撮れなくて、まあいっか、と消すと、副寮長が小馬鹿にするような笑みを向けた。

「あ、それ腹立ちますね」
「そんな……僕はただナマエさんに同情をして」
「いらないいらない」
「なんか今日仲いいじゃん。用意できたから二人でやってみて」
「ありがとうございます」

 各々の陣地のひとつの窪みに半分ずつに分けられた石が入っているのを確認すると、副寮長が先攻か後攻かを選ばせてくれたので、何かと有利な後攻を選ばせてもらうと、もちろん最初は必然的にこう。副寮長が自分の陣地の石を掬い取ると、窪みひとつひとつに落としていった。

 ◈◈◈

「……弱くね?」
「ええ。……はっきり言って」
「気のせいです!」

 五回やって、一回勝った。ついでにフロイド先輩とも一回だけして、完敗だった。副寮長が強いだけで、きっと一般人とやれば私だっていい勝負をすると思う。別に、頭が致命的に悪いわけじゃないし。フロイド先輩も副寮長もきっと地頭が良くて柔らかいから、こういうのが得意なんだと思う。私も苦手じゃないはずなんだけど。ムキになって、副寮長がすべてポケットに入れてしまった石をまた回収すると、二人とも笑った。

「すみません。僕はフロイドとは違って手加減ができないので」
「うるさいです」
「まあ、ナマエちゃんのは先読みしやすいのばっかだよねえ」
「やっぱりさっきのチェスも手抜いてたんじゃないですか」

 フロイド先輩との勝負なんて、チェスが嘘のように先読みに先読みを繰り返されて、こちらの陣地にばかり石を残してはほぼ最短で上がったのではないかってくらい。私が下手なわけでは断じてない! と思うのだけれど。

「……フロイド先輩、私弱くてつまらなかったんじゃないですか?」
「んー、まあゲームとしてはそうかも。ナマエちゃんとやってたから、面白かったけど」
「出た」
「何が?」

 ナチュラルな口説きは、ほとんど慣れた。私をときめかせるにはもっと頻度を落とさないと、と思うけれど、本人にそういう意図はまったくないことを知っているから、その点ではこの人もタチが悪い。一番酷いのは、シルバー先輩だけれど。私がもっと恋愛脳で、男に飢えてて、そういった時期ならコロッといっている。そういう人ばかりだ、私の周りは。

「お二人はしなくていいんですか?」
「んー、部屋一緒だしいつでもできるから別に」
「そっかあ」

 同室に人がいるのも結構楽しそうで、時折羨ましくなる。ハーツラビュルの一年生なんて、四人部屋らしいし、毎日楽しくトランプをしたりだそう。私は一人部屋の分広々使えるし、今後引越しもないけれど、うーん、少し羨ましい。気が知れている人ならお邪魔してもいいかなあ、と思ったので、ちらちらフロイド先輩の方を見ると、ん? と小首を傾げられた。

「……複数人、いいなあって思って。またお邪魔しても?」
「あー……」
「やめた方がいいですね」
「副寮長が即答」

 フロイド先輩も言葉に詰まっているし、少しだけ予想外だった。あっさり「いいよ、いつでもおいで」と言われるのを予想していたりしたので、地味にショックだ。それも仕方なし。オンボロ寮ならありかもしれない。また知り合い誘って合宿でも提案しようかなあ。ティーポットに入っているおかげでまだ温かい紅茶をティーカップに注ぐと、口に含んだ。あ、味変わってる。

「男と密室はダメって、ナマエちゃんもそれくらいわかってるでしょ」
「……はい。でも仲がいいからいいかなって」
「ダメ〜。ちなみにグッピーちゃんでもダメね」

 ええ! 私の一番の安全圏が! ということはヴィルさんでも駄目なんだろうな。丁度いい温度の紅茶を少しずつ飲みながら、確かに今までは密室じゃなかったり、他の目があったりしたもんなあ、と納得をした。あれ?

「クルーウェル先生とよく二人になります。密室」
「あれはちょっと別でしょ」
「まあ……お父さんとか親戚のおじさんみたいな感じ」
「あは、それイシダイせんせぇ聞いたら結構怒るよ」
「……親戚のお兄さん?」

 お兄さん、ではないんだよねえ。かといってお父さんにしてはイケメンすぎるし、親戚のおじさんくらいが一番しっくりくるかもしれない。まあ、お互いにそういう感情を抱くことは今後一切ないだろうから、フロイド先輩の言う“別”はその通りだ。

「ちなみに部屋に呼ぶのもダメ。……どっちも関係性にもよるけどさあ」
「前フロイド先輩と二人になったけど……」
「あれは看病だし仕方なくね?」

 すべてフロイド先輩が正しい。ゼロから百まで全部正しい。まあ、私もそのへんの分別はある方ではある、と思うし、フロイド先輩の思うようなことにはならないと思う。今後はよりいっそう。他力本願を貫くなら、私は周りに恵まれているから、その人たちに全力で頼れば、四年間は平穏、だと思う。うん、きっとそう。

「……これからもよろしくお願いします」
「え、なに急に」
「ううん。不意に思っただけ」

 自立はしてるけど、まだ子供だから完全には難しい。周りの人に迷惑をかけないようにしなきゃ、なんて完全に綺麗事。そんないい子ちゃんじゃないから、ずっと周りに迷惑だってかけるし、頼りだってする。それくらいがかわいげがあっていいじゃない。そう思っていると、副寮長が薄らと微笑んだ。気のせいか、営業スマイル、ではない方だったと思う。

「てかナマエちゃん弱ぇから手伝ったげようか」
「駄目です」
「言うと思った。でももう時間だし終わりね」
「あ、もうこんな時間」

 もう一戦だけ! と思って、盤上の石を手に取ったら、時計はラウンジの開店時間を指していた。私は今日はシフトに入っていなかったはずだけれど、確か二人は入っていたはずだし、一人でお留守番かあ。小袋に石をまとめて片付けていると、フロイド先輩が頬杖をついてこちらをじっと見た。タイミング良く、ふんわりと優しい香りが漂う。それから連動するようにピアスがしゃらんと揺れると、ゆっくり瞬きをした。

「ナマエちゃんもラウンジ来るでしょ」
「え、いいの?」
「逆になんで良くないの? 髪せっかくかわいくしたし、もし客が来たら見せたいかと思って」
「う、確かに……」

 副寮長が立ち上がって椅子を元の位置に戻すと、帽子を被り直しては私のティーカップを運んでくれた。なに、優しい。珍しく優しい。それから次いで立ち上がったフロイド先輩は手袋をポケットから出しては身につけて、見下ろすかたちだけれど、にっこり笑った。顔立ちは、優しいんだよね。背が高くて威圧感があるだけで。

「別に部屋戻ってもいいけど……どうせナマエちゃん、今日は寂しいでしょ」
「えっ」
「暇つぶしにしても、こうして談話室に入り浸っているのは珍しいですから」
「……」

 二人の言う通りだ。一人になったら、寮長たちのことを考えて、また落ちてしまうかもしれないから。それを紛れさせるにはうってつけだった。本当は、今日の夜だって一人になりたくない。皆同じような心境かもしれないけれど、私がずば抜けて、影響を受けやすいと思う。ぐ、とジャケットの裾を握って、何も言えないでいれば、頭上から息が洩れる音。それから、

「う、わあっ!」
「ラウンジへレッツゴー」
「歩ける、歩けるから!」
「今日くらい甘えとけって」
「フロイド、ナマエさんはいつでも甘えん坊ですよ」
「あはっ、そうそう」

 誰が甘えん坊だ! ソファに座っていたのに、軽々ひょい、と持ち上げられて、細いのに筋肉があるんだ。ていうか、またお姫様抱っこ。昨日体験したばかりなのに、またか。部屋は駄目なのにこれはいいの? 痛い足をばたばたさせて、降ろして降ろしてとアピールすれば、不貞腐れたフロイド先輩が一度私を地に降ろしてくれたので、ほっとした。というのも束の間で、まるで私の脳内を見透かしたように、お姫様抱っこからおんぶへのチェンジだ。

「えっ」
「こっちのがいいのかと思って」
「確かにいいけど! 歩けるって!」
「はいはい、暴れない」

 フロイド先輩は偏見でお姫様抱っこの方が好きかと思ったから、意外だった。おんぶの方が、人目的にはもちろんいい。今更この寮で、いや、この学園で人目どうこうを気にしている場合ではない気もするけれど。でも、確かに、今日は思いきり甘えたい気分だし、人肌も恋しい。大人しくフロイド先輩の首を絞めないようにぎゅ、と抱きつくと、私の脚を抱え直した。

「痛くねぇ?」
「うん」
「やっぱ寂しいんじゃん」
「……人肌恋しくて」

 すると間もなく心地の良いリズムで揺れ始めて、眠気さえ感じるけれど、流石に夜までの間に寝ようとは思わない。フロイド先輩の首は、手よりは温かい。ちゃんと人間って感じの体温。匂いはより濃く届くし、小さなな呼吸音まで届く距離だ。

「お腹空いてるでしょ。スフレパンケーキ焼いてあげる」
「えっ、嬉しい」
「どうせ誰も来ないでしょ。アズールもいないし」
「バレたら怒られますって」

 それでもこの二人は、寮長と長い付き合いだけあって怒られるとかペナルティとかをまったく気にせずに、割と好き勝手やっている。ゆらゆら揺れる中、ふわふわのパンケーキを想像するだけで涎が垂れそうなものだけれど、せっかく好き勝手するなら苺もクリームも増し増しにしてもらおう。

「怒られてたのナマエちゃんじゃん」
「えっ」
「前パンケーキ作ったとき、初心者なのにフライパンでやろうとするから丸焦げで卵二つだけど無駄にしてさあ」

 そういえばそんなこともあったなあって。スフレパンケーキの作り方を、フロイド先輩に教えてもらいながら、ホットプレートでやればって言われたのに聞かずにフライパンでやって、案外簡単じゃんって思ったら真っ黒になって、中はふわふわというより生焼け。寮長がそれはそれはもう、『卵は今高いんですから!』『お客様にお出しするなら確実にできるようになってから!!』とご丁寧に卵二個分の給料が引かれたっけ。砂糖や牛乳代引かれなかったのは、まあ、面倒だったんだろうな。

「なんなら今日教えてあげる。ホットプレートでね」
「フライパン……」
「ふふ、ナマエさんには絶対できませんよ」

 もう、副寮長ったら酷い。今回も、寮長が帰ってきたら卵代は三人の給料から引かれるんだろうな。連帯責任だ、と笑ってから、フロイド先輩の項に鼻先、それから額をくっつけると、ふんわりした香りと、男の人の匂いが共存していて、また寄せる。あ、落ち着くかも。それからぎゅう、ともう少しだけ力を込めると、心地のよい揺れがガクッと崩れた。

「……そーいうのはダメだわ」
「ん、なにが……」
「んー、なんでもねぇ」

 わずかな眠気と、それからパンケーキに支配された頭では、フロイド先輩の反応の意味は、わかるようでわからなくて、一度目を閉じると、数秒後にまた、気持ちの良い揺れが再開された。
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