今度は私が、エペルの白くて男の子にしては小さな手にガーゼを当てる。保健医の先生や、医術士の先生は、多くの怪我人――中にはまだ生気を吸い取られたままのリドル先輩だっているわけだし、予想外のことに呆れる暇もなく、せかせかと処置を続けていた。身体にも怪我はあるだろうけれど、素人の私が下手な真似をするわけにはいかないし、とりあえずは見えるところの処置だけ。さっきは無事なことに安堵していたけれど、戻ってきた皆、身体がボロボロだ。話を聞く前より、壮絶な戦いがあったことは容易に想像できた。
「ありがとう、ナマエ」
「ううん。どういたしまして。…………はぁ」
いつもと変わりない笑顔を向けてくるものだから、溜息だって出る。フロイド先輩たちがどれだけ私の気を紛らわせてくれたのか、そのありがたさも身に染みた。可憐な外見とは不釣り合いな、少し泥臭い匂いが飛び込むと、心の奥底にあったのであろう、安心感が押し寄せてきた。手を握ったままで、ぼふ、とエペルの小さな肩口に倒れ込むように顔を埋めると、小さく声が上がる。
「ど、どうしたの?」
「どうしたじゃないの……ほんと」
「……うん」
「ばかエペル」
「うん」
安心、した。周りの人たちのおかげで、寂しさも怖さも忘れていたけれど、私が一人で寂しくて怖かった保健室のベッドに、たくさん人がいる。深い溜息が、まだ少し静かな保健室に残って、痛いだろうに、そんなこと構わずぎゅっとエペルの手を握った。そして、より肩口に顔を押しつけた。泥臭さや柔軟剤とは違う、知らない匂いがした。
「……私にも声かけてよ」
「えっ」
「ただでさえ私だって寮長たちのこと心配だったのに、さらにエペルまで行き先告げずにいなくなるなんて」
細くて折れそうなのに、まったくその気がないのが、やっぱり男の子。ただ、私がエペルの肩口にもっともっと強く頭を押しつけると、清潔なシーツが敷かれたベッドがぎし、と音を立てる。私に声をかけてくれたって、万全な状態じゃないから行けなかったとは思うし、いくら心配でもクルーウェル先生の言いつけは守っていた、と思う。でも、メッセージでもいいから入れておいてほしかった。これ、あのハートと言ってること同じじゃん、と思って一度顔を上げてからその姿を捉えると、腹立たしいことに少しにやついてこちらを見ていた。
「それは……うん。ごめん」
「良かった、無事で」
「うん」
「……おかえり」
「ただいま」
トラッポラから顔を逸らすと、エペルの細い首に腕を回した。私の方が前傾姿勢になっているのもあって、私ばかりの一方的な図に見えるかもしれない。初めて見る人にとっては、美少女と純女の子のハグで美味しい光景にも見えるかもしれない。まあ、一方的なハグだけれど。そう思っていると、私と彼の間に浮いていたエペルの手が私の背中をぽんぽんと叩いて、すぐにさすった。
顔を上げて、澄んだ海みたいな目と合わせると、喉の奥から何かこみ上げてくるような感覚。涙が出そうなときって、目より喉や鼻から何かが来そうな感じがする。鼻がツンとして、痛い。
「ナマエちゃんね、すっげぇ心配してたから。アズールとか、金魚ちゃんとか?」
「いっ! ……わなくていいです」
「あら、照れることないじゃない」
エペルと離れると、椅子に座って手当てしていた私の頭に大きな手を添えてはぽん、ぽん、と変わらないテンポで軽く叩き続ける。もちろん、少しも痛くない。髪を介しても地肌にその冷たさは伝わるし、何より、心配していたとかどうとかは言わなくていいでしょ。フロイド先輩の手が私の頭から離れた瞬間を狙って、パシッと掴めば、その手は下に下ろされた。マレウス・ドラコニアに魔力を分けてもらったおかげで、この中でもトップクラスでピンピンしているヴィルさんが宥めるようにそう言うけれど、周りの、特にサバナクローのあの二人からの視線が嫌すぎる。
「なぁんだナマエちゃん、連絡してくれれば子守唄でも歌いに行ってやったのに」
「は?」
「おっと、冗談ッスよ」
「んん……過保護」
「思った以上……かな」
シシシッと笑いながらからかうラギーさんを間髪入れず威圧したのはフロイド先輩だ。冗談でも本気でも、ラギーさんの子守唄をねだるわけがないし、……リリアさんよりは可能性が高いのかも。しかしフロイド先輩が威圧したのは、ラギーさんが私を甘やかそうとしているのが気に食わなかったのか、男を部屋に招き入れることになるかだけれど、どちらにせよ過保護だし、相変わらず私の自意識過剰さといったら。エペルも何度かフロイド先輩が私に甘い様子は見てきただろうけれど、目を真ん丸にして驚いているようだった。
「――さて。『嘆きの島』であったことだけれど」
各々処置を受け、皆落ち着いたのかいつものように軽口を叩き合ったりをしていると、流石はヴィルさんといったところか、一声でその場をシンとさせた。リドル先輩は、もちろんすぐに回復することはなく、マレウス・ドラコニアの慈悲でリドル先輩にも魔力を分けてくれたって良かったのに、と思う。しかし、まだ軽傷らしいので、魔法医術士の技術で時間と正しい処方さえあれば治るらしい。
一同がヴィルさんの方を向くと、ひと息。この人数に、さらには男の人ばかりだから、保健室が狭く感じる。
「まず前提として、連れて行かれた私たちがオーバーブロットしたというのは知っているわよね」
「えっ」
「あれ、知らなかったっけ」
「いや……」
リドル先輩は、髪の色が抜けたまま。どうやら日々の服薬でどうにかなるらしいけれど、早く良くなってほしい。少し離れたところで魔術士の説明を受けているリドル先輩を遠目に見ていると、その導入は当然のように美しく艶のある唇から告げられ、思わず声が洩れた。エペルに小声で耳打ちされて、知らなかったかといえば、知っていたけれど。それを隠さない様子と、噂じゃなかったんだ、ということ。ヴィルさんがオーバーブロットしたなんてただの憶測でしかなかったから、こちらも当然のような顔をして告げられることに驚いた。
「そして、ブロットの研究のための被検体として選ばれたってわけ。S.T.Y.X.では、それはそれはもう丁重におもてなしをしてもらったわ」
「立派な食事も出てきたことだしなァ」
「しかし新聞一つ寄越してくれない」
「紅茶も」
ナイトレイブンカレッジ生らしく、嫌味ったらしい言葉が連なっていく。「立派な食事」なんてわざわざ第二王子が言うと思えないし、まあ、皮肉だろう。リドル先輩の言葉には、ハーツラビュル寮生一同眉根を寄せては「相っ変わらずだわ……」と思わず零すほどだった。察することしかできないけれど、こちらがいつもの過ごしやすい空間にいるのとは対照的に、相当酷い扱いを受けたのだろう。
「ヴィル、早くしろ。一刻も早く寮に帰って眠りたいんだ」
「あら。その割にはここにいてくれるってわけね。……いいわ」
既に保健室のベッドを一つ、悠々と占領してはくあ、と大きな欠伸をしたレオナさんは、白いシーツに皺を作るように長い脚を組み直した。ヴィルさんは呆れたような表情で怠惰の極みの王子に目配せしては溜息をついてから、「では簡潔に話します」と続けた。
「まずはそうね。さっきルークが言った通り、『冥府』の門が開かれ、世界中にファントムやブロットが放出されようとしていた――これがこの事態の全容よ」
「ああ。俺たちは本来、『ブロットの研究』のためだけに捕まった。本来はもっと綺麗な状態で、すぐに帰してもらえる予定だったらしいが」
「けれど、その事態のせいでアタシたちはこの有様ってわけ」
消毒液が痛むらしく、傷口にガーゼを押し当てられる度にわずかながら眉をひそめるジャミルさんに、カリムさんがそれこそ過保護な様子で心配する。ジャミルさんはそれも軽くはいはいと受け流していた。
ブロットやファントムと聞いても、私にとってはその姿すら想像することができない。何せ、寮長がオーバーブロットしている姿すら見ていないのだから。
「じゃあさ、ホタルイカ先輩とクリオネちゃんはなんでいないわけ?」
抽象的な、ファントムやブロットが世に撒き散らされるというイメージを頭の中でもやもや浮かべていると、私の後ろで髪を梳いていたフロイド先輩が、そういえば気になることをすっと口から出してくれた。後で説明する、と言ってくれたので、順を追ってだろうと思えば、ヴィルさんとリドル先輩と寮長が目を合わせて、説明を聞いていたジャミルさんも目を逸らす。目を瞑っていたレオナさんもサマーグリーンを覗かせた。なんだろう、ぞわぞわする。
寮長が何か言いかけたとき、ヴィルさんが綺麗な指先を揃えては寮長に向けて、「アタシが言う」と目を伏せた。
「イデアは……そうね。色々あった後だから、すぐには戻ってこない」
「色々……」
「ええ。でも必ず戻ってくるわ。ねえ?」
色々、は今回は彼のお家絡みだから、言葉通り何かしら、色々あるのだろう。ヴィルさんが攫われた人たちに目配せすれば、各々が無言で頷いた。
「当然です。S.T.Y.X.にめちゃくちゃにされた厩を早く戻して、謝ってもらわないと」
「植物園もめちゃくちゃにされたから、それもだな」
「あとは、何より僕とのゲームを邪魔されましたから……あの続きもしなければなりませんし」
うーん、身勝手。確かに全部S.T.Y.X.のせい……いや、厩は確実にリドル先輩のせいだ。それは口に出して言えないけれど、こういう思いやり以上に自分たちのことを考えるところ、本当、共感しかできない。特に寮長。赤字だったりゲームの邪魔だったり、利己的すぎて大好きだ。
ほんの少しピリついた空気が和らいだかと思いきや、ヴィルさんの笑みが、陶器のようなお顔から消えて、また背筋が伸びた。
「それから、オルトのことだけど――」
◈◈◈
学園が元通りになって、もう二週間くらいだろうか。騒動が収まったことに、学園中は安堵して、少しずついつもの生活が戻ってきた。オンボロがS.T.Y.X.のせいでさらにオンボロになったあのオンボロ寮も、着々と改修が進んでは、どうやら今日完成らしい。そんな噂を聞きつけただけだ。
「美味しくなーれ、萌え萌えきゅーん」
「あっ、ありがとう……! ……もしかして今日元気ない?」
「え、やだ、そう見える? でも慰めのオプションとかないんで」
「そっか。……む、むむ、無理しないで」
「ありがとうございます〜」
いつも来てくれるイグニハイド寮生は、飽きもせずオムライスを食べてくれる。まあ、美味しいから気持ちはわかる。早口で私を気遣ってくれる様子に、フロイド先輩の手が出る前に、私から注意をして、仕事を終えれば黙って引っ込んでいくだけだ。
いつも通りになったといっても、元気が出ないのは当然だ。トレーを胸に抱えたまま、溜息をついた。
『オルトは……冥府に取り込まれて、救出できなかったの』
あのときのヴィルさんの深刻な面持ちと、一同が息を呑む音が、忘れられずに脳裏に焼きついている。魔導ヒューマノイドだったとしても、ひとつの命が奪われたことに変わりない。私と、真っ当に勝負してくれたオルトが。けれど、その言葉にあまりにも現実味がなさすぎるからか、まだ処理できていないからか、オルトとの関係値がそう深くなかったからか、涙がこみ上げてくることはなかった。そんな自分のことも、よくわからない。ただ、あの男は。
『オルトも、必ず戻ってきます』
私よりもトラッポラよりもエペルよりもフロイド先輩よりも、誰よりあざといのってあの子じゃないの、監督生。戻ってくるなんて、状況は絶望的。なのに、あまりにも真っ直ぐな瞳で見てくるから、その場にいた誰もがその言葉に頷いた。あの子は、なんなんだろう。実際、今こうして涙が出ないのも、かろうじていつも通りの生活が送れているのも、あの子のおかげかもしれない。そりゃあ、皆に気に入られるわけだわ、あの小エビちゃんは。まあ、あの後監督生とエペルとルークさんは、まとめてクルーウェル先生に呼び出されて反省文を書かされていたけれど。
「おや、浮かない顔してますね」
「うわっっ!!!」
顰めっ面になっていたであろう、テーブルにクリームソーダを運んでから、壁にもたれかかっては周りの様子を窺っていると、一度瞬きをした瞬間に、そこには鴉のような、よく見慣れた不審者がいた。なに、もう、心臓に悪すぎる。思わず落としかけたトレーをフロイド先輩がキャッチしてくれて、目の前の不審者は仮面越しでもわかるくらいのにこにこ笑顔を向けていた。
「うーわ学園長。なんでいんの?」
「二人して、無事に戻ってきたのにおかえりもなしですか……」
「……」
「ミョウジさん! あなたなら言ってくれると思ったのに!」
笑顔からの落差がすごい。確かに、いつの間に戻ってきたのだろう、とは思ったけれど、この登場の仕方ではおかえりのひと言も言えないに決まっている。フロイド先輩が私の頭に腕を乗っけて、さらに頭を乗っけては、私に体重をずんとかけてくる。しくしくといい大人がみっともなく泣き喚く姿に冷ややかな視線を向けていると、騒ぎを見ていた副寮長と寮長もこちらに来た。
「何事ですか!」
「おや学園長。帰ってきていたのですね。何か注文していかれますか? 当店はワンドリンク制ですよ」
「この二人も……まったく、素直におかえりと言ってくれるのはアジームくんくらいです! きっと!」
断定しないということは、まだカリムさんにも会っていないのかしら。カリムさん、どうかおかえり回避してください。おいおい、と声を上げて泣く姿に、お客様も含めてドン引きだ。冷やかしなら帰ってほしいけれど、今までそうラウンジに姿を現さなかった学園長がわざわざ来たということは、学園長の復帰報告がメインなのだろうか。ならばますます帰ってほしいところだけれど。
「それで、本題は何なんです?」
「ああ、それですが。先日の件が落ち着いたので、報告をと思いまして」
皆が見ている中、つらつらと話が始まるので、寮長がこれは良くないと踏んだのか、VIPルームへと場所を移してくれた。私もいいんですか? と聞く前に、フロイド先輩にぐいぐいと押されてはVIPルームに連れられた。副寮長が学園長にだけでなく、私にも紅茶を淹れてくれて、相変わらず美味しい、と喉を鳴らす。この一瞬限りは、オムライスは販売中止だ。
そこからは、学園長が大変だったとか、大変だったとか、大変だったとか。何かと長い話にうんざりしてきて、フロイド先輩なんてまた私の髪を弄り始めた。ようやく一段落ついたとき、学園長が「さて」と話題転換をしてくれた。
「イデア・シュラウドくんのことですが……」
「あ、あの……もういいっすか」
「イデアさん!?」
学園長がイデアさんの名前を出すと、先程着いてきていたのだろう。VIPルームのドアの前に待機していたのか、ぎい、と音を立てながら、青い炎を揺らめかせた。誰よりも早く反応したのは、寮長だ。今日、復帰だったのだろうか。
「彼本人とご両親のご意向により、また今日から学園で過ごすことになりました」
「……よろしくお願いシマス」
「……おやイデアさん、いつもの威勢はどうしたんです?」
寮長の驚きようと、この煽り文句。相当、嬉しいのだろう。ご意向、ということは、元々は戻ってくる予定がなかったのだろう。それは、無理もない。オルトのこともあるだろうし、他にも色々問題があったそうだし。副寮長に指示されて、ソファの真ん中にどんと座った学園長を端に追いやり、イデアさんも反対側に座ると、居心地が悪そうに血色の悪い指を組んだりいじくったりしていた。
「……良ければ紅茶、どうぞ」
「ヒッ!? そ、そんな、ナマエ氏の手に渡った紅茶だなんて……しかもそれって間接キッス……」
「私じゃなくて学園長の。まだ口つけてないみたいだし」
「あ、結構です」
良かった、威勢がないかと思いきやいつも通りみたいだ。いつも通りと言われても、あまり関わりはなかったけれど、早口なイグニハイド寮生らしさにほっとする。目は、ちっとも合わないけれど。そんなことをしなくても、と副寮長が紅茶をイデアさんにも淹れると、受け取っては、どこか飲みづらそうにした。
「それから、もう一人皆さんに編入生を紹介したくて……」
「編入生?」
「おやおや、皆さん綺麗にハモって息ぴったりですねえ」
編入生というワードに疑問を持ったのは四人とも同じらしく、学園長の言った通り綺麗にハモってしまった。編入だなんて、珍しい。ナイトレイブンカレッジはそういう制度もあるのか。そんなのその編入生が入るクラスでだけ伝えればいいのに、とも思う。すると、皆VIPルームの外で待機していたのか、学園長が笑顔を崩さずに「入ってきてください」とドアに向けて放ったので、オクタヴィネル四人が一斉にそちらを向くと、ゆっくりとドアが開いた。
「皆さん、お久しぶりです!」
「う、わあ……」
先程見たのと同じように、揺らめく炎。見慣れた制服のようだけれど、少し違った。宙にわずかに浮いているから、少し背が高く感じる。声は、前と同じなはずなのに、どこか落ち着きがあった。
「今日から一年C組に編入することになりました……オルト・シュラウドです!」
寮長も、副寮長も、フロイド先輩も、私も、皆同じように目が丸くなっていたと思う。髪が少し引っ張られる感覚が消えた。息を呑む音も確かに聞こえた。まさか、いや、私は現場に立ち会っていないから知らないけれど、それでも確かに『冥府』に引きずり込まれたオルトが、前に一緒にチェスをしたオルトが、綺麗な姿で立っていた。
「え、オルト。オルト、C組、えっ、えっ」
「ナマエちゃん壊れたんだけど」
「落ち着いて、ナマエ・ミョウジさん!」
「ナマエさんは驚きすぎですが……当然こうもなりますよ」
現実味がまるでなかったのに、監督生が言った通りになっちゃった。白いボディは、私たちの制服と同じようなデザインになっていて、しかも、C組の生徒? 今日のこの一○分足らずだけで、こんなにも驚きの連鎖だ。ついらしくもなく、オルトの顔のマスク部分を包むように触れば、琥珀色は見開かれてから、くすぐったそうに目を細めた。
「やめてよナマエ・ミョウジさん」
「ご、ごめん」
「ううん。クラス、隣だね。今日からよろしく!」
もちろん温かさは感じないはずなのに、触れたところが熱くなるような心地がした。クラスが、隣。今日から。オルトが、同じように授業を受けるなんて、そんなの、面白いし楽しすぎるでしょ。ボードゲーム部のお手伝いをしたり、イデアさんの付き添いだった頃からは少しも想像できなかった。
「なに……一緒に錬金術の授業受けたりもできるってこと?」
「そうなるね! 楽しみだなあ」
「……なんか垢抜けた?」
「え、そうかな? わかんないや」
あまりの情報過多に、頭を押さえる。感動の涙なんて流れないけれど、まだまだ予想できない新しいことが待っているって感じて、胸が熱くなった。この学園に来て、たくさんの予想外を経験してきたけれど、魔導ヒューマノイド――冥府に吸い込まれた、さらに生徒じゃなかったイデアさんの弟が、生徒として当然のようにナイトレイブンカレッジに通うなんて、予想外のオンパレードすぎるでしょ。奇跡すぎるでしょ。この数日間で、どれだけすごい場面に遭遇すればいいの。
「……また一緒にチェスもできる?」
「うん! でもナマエさんとは勝負にならないかもね」
「あは、言ってくれるじゃん」
紅茶は冷めてしまっただろうか。皆を置いてけぼりにして、私ばかりがオルトと会話するなんて、申し訳ない。私が一番この中でオルトと関わりがないはずなのに。でも、何故だかこんなに嬉しくて、オルトに微笑みかければ、オルトの目も細められた。
「おかえり、オルト」
「おかえりなさい」
「おかえり、クリオネちゃん」
「おかえりなさい、オルトくん」
オクタヴィネル寮生だって、おかえりくらい言えるから。私たちが順にオルトに言葉をかければ、裏のなさそうな笑顔で「ただいま!」と言ってくれた。ちらりと見えたイデアさんの表情は柔らかくて、オルトと同じように目を細めた。