教室から出てきた生徒たちは、ドアの陰に隠れてしまっている私を見つけては「うおっ」と驚いた声を出した。紙袋がぶつかり合って、ガサガサと大きな音を立てるも、放課後の騒がしさにかき消されている。大体のものは紙袋に入ったけれど、それにしたって紙袋が二つにスクールバッグ、加えてリリアさんのホールケーキがあるので、大荷物には変わりない。不本意ながら、スクールバッグをリュックサックのように背負うちょいダサスタイルで教室を覗いていると、教室でもなお長い脚を組んで座っていた。うちの教室にはあんな先生用の椅子置いていないんだけれどなあ。
準備室に来い、と言われたけれど、クルーウェル先生が先に行かなければ準備室の鍵は開かないので、しましま模様のおじさんが教室から出てくるのをじっと待っていると、よく通る声が響いた。
「何をしているんだ、ナマエ」
ぱっと後ろを向くと、うわあ、相変わらず縦にも横にも大きい。この距離で見上げるのは首へのいじめだ、と思いながら、ほぼ真上にある上品なゴールドをした彼の目を見た。
「セベク」
相変わらずの下手くそなオールバックからはぴょんとひと房稲妻のような髪が溢れており、A組の教室の前で怪しげな挙動をとっている私に対して訝しげに眉をひそめ小首を傾げれば、その髪も小さく揺れた。ドラコニアンの中でも強烈なタイプのドラコニアンの彼の無理した髪型は、もちろん若様リスペクトらしく、癖の強い髪を一生懸命に固めていると聞いた。そういえば、下ろしたところを見たことがない。あれ、マレウス・ドラコニアってオールバックだったっけ?
ぼんやりと考える私に、目の前の男は私とは違った疑問をぽんと投げかけた。
「部活に行かないのか?」
「えっとねえ、クルーウェル先生に用があって。あっ、だからちょっと遅れるかも」
リドル先輩に言っておいて、とほとんど塞がっている両手を合わせると、私の手を塞いでいる荷物を見てカッと目を見開いた。それによって、もとより鋭い目つきは三白眼を超えた四白眼になってしまっていた。うーん、目力が強すぎる。
「すごい量の荷物だな」
「ちょっと色々貰ってね」
「先に部室に持って行っておいてやろうか?」
「ううん、重くはないし自分で持ってくよ」
私の荷物だし、と付け加えれば、そうか、と唸った。会話がひと通り終わったので、そろそろセベクも部活に向かうのだろうかと思ったけれど、悩むように頭に手を置いたままその場から動こうとしない。いつもクラスメイトと雑談なりをしてからゆっくりとグラウンドに向かう私とは対照的で、セベクは部活に一秒たりとも遅れたことがない。むしろ、一番か二番に着いているのに。
A組の教室の中に再度目を向けると、座っていたはずのクルーウェル先生が立っていた――どころではなく、私のすぐ目の前まで来ていたので、つい瞬きを五回ほどしてしまった。
「先生」
「邪魔したか」
「ううん、大丈夫です」
背の高い二人に挟まれて、周りから見れば私のことなんて見えないかもしれない。セベクのガタイの良さと、クルーウェル先生のもこもこコートで、二人ともかなり体積が大きいから。もうセベクも部活に向かうもんね、と言うと、元気よく返事をした。
「セベク、また後でね」
「ああ」
持ち手に腕を通してぶんぶんと手を振るけれど、セベクがもちろん手を振り返してくれるなんてことはなく、目を合わせてから大きな背中を向けた。今日は部活に乗り気じゃなかったのかな。それとも、私と話すのが余程楽しかったのか。ポジティブに後者の場合だと考えて、後でゆっくり話せるし、と一人頷いて完結した。
クルーウェル先生が視線だけで合図を送ってくれたので、先生が歩き出したのを確認すると、その三歩ほど後ろを着いていく。カツカツという品のある靴音と、ガサガサという品性も何もない音が交わる。その音が不快だったのか、先生はわずかに顔をこちらに向けては私の手元に目を遣り、くっと眉をひそめた。
「何をそんなに離れて歩いているんだ」
どうやらイシダイ先生は、残り香を追いかけるように歩く私が不満だったらしい。すう、と鼻腔に香りを充満させてから、ほんの少しだけ早足になって、先生にわずかながら追いついた。
「だってクルーウェル様だし。それに変な噂立つと嫌でしょ」
「ハァ……。貸せ、荷物を持ってやる」
目頭を押さえて小さく溜息を吐いた先生は、私が遠慮する間も与えずに、私の腕から紙袋を抜き取った。ええっ、彼氏代表すぎる。結局この後部活に行くし、そのときには自分で持つ羽目になるけれど、それにしたって、これはイケメンムーブだ。がら空きになった手を祈るように組んで、クルーウェル様と崇めるけれど、先生は当然という表情のまま、また息をついた。
◈◈◈
小さな木の箱。
「開けていいですか!!」
「騒ぐな」
直方体をした黒い木製の箱が目の前に差し出されたので、それを慎重な動作で受け取ると、先生は、それとは反対にすぐに丸椅子に腰かけた。いつの間にやら、隅っこでお湯が沸いている。
ひんやりと木の冷たさが手のひらに伝わり、特有のずっしりとした重みも感じる。もしかすると、本当に婚約指輪かもしれない。……というのは、実際に起こってしまうと大事件なので、当然ながら冗談だ。早く開けろと顎をこちらに向け、いつも通りの偉そうな視線に応えるように、銀色で結ばれた細紐を解いた。
箱を開けると、ワインレッドの布がクッションの役割をしており、ガラス製のバーム容器が置かれていた。外から眺めてもその正体がわからなかったので、蓋を開けて中身を確認することにした。蓋を開けた瞬間、ふんわりと花のような香りがした。
「香水だ。喜べ、ミョウジのために調合した」
「えっ!!」
こっくりとしたテクスチャのこれは、ただの香水ではなく、練り香水だろう。嬉しいー! 練り香水は優しい匂いのものが多いから、つけていてもあまり香水感がないんだよね。それにしたって、このイケメンで学園でも人気のデイヴィス・クルーウェル先生が、わざわざ私一人のために香水を作ってくれるなんて、やっぱりバレンタインってめちゃくちゃ良いイベントなんだな、と噛み締めるように目尻に涙を溜めた。
「先生大好き! ラブ! ありがとう!」
先生は呆れたように、それでもすっと目を細めて、椅子から立ち上がるとお湯をティーカップに注いだ。香水とは違った香りが準備室を満たせば、琥珀色の湯気が立ち上がる。薬品の香りと混ざって、心地良いとは言いがたい香りだ。お茶をすする音なんてもちろん立てるわけがなく、先生は少しだけハーブティーを口内に含む。
「その香水には多少の魔力が込めてある。ミョウジが危険にさらされたとき、もしかすると助けてくれるかもしれないな」
渾身の告白に返事が貰えなかったのは残念として、なるほど、魔法薬学の先生、それもナイトレイブンカレッジの教師ともなると、物質にそういう強力な魔法を込めることもできるんだ。私はまだ一年生だからと余裕綽々だけれど、手違いとはいえせっかく名門魔法学校に入学できたのだ。ゆくゆくはクルーウェル先生やレオナさん、アズール寮長みたいに上級魔法を使えるようになりたい。
サイドテーブルに置かれた私の荷物を手に取ると、じゃーん、と紙袋いっぱいに詰められたプレゼントを見せた。
「今日ね、いっぱいお返しもらえたんですよ」
「そのようだな」
「やっぱり種は蒔いておくべきですね」
うんうん、と腕組みをしながら自分の言葉に対して二回頷く。誕生日プレゼントも、バレンタインデーも、誰かにあげればあげるほど返ってくるのだから、そのときの出費さえ我慢すれば最高のイベントだ。
シンプルなティーカップに口をつけていたクルーウェル先生は、優雅な所作でソーサーにそれを置くと、似合う人が限られた黒蜉蝣のようなアイシャドウをきらめかせた。先生にしか出せない色気に、胸がきゅうとなる。
「ミョウジが手違いで入学してきたときはどうなるかと思ったが」
長い脚が組まれているけれど、それが揺れることはなく、それが綺麗な姿勢をよりいっそう際立たせていた。さら、と髪が揺れて、先生特有の大人っぽくもほんのりスパイシーな風が届いたような気がした。
「こうして周りの仔犬たちに愛されているなら俺からはもう何もない」
そう言って、ふ、と薄い唇を三日月の形にしたクルーウェル先生に、私も微笑み返した。
どういう手違いだって良い。今はもし、別の学校に転入するように言われたって、決してこの学園から出ることはないだろう。
◈◈◈
シレーヌがこの香りを気に入ったのか、はたまた込められた魔力が働いてなのか、走っているとき以外はずっと頭を擦り付けてきた。そのおかげもあり、今日一日はずっと好タイムだ。障害物だって難なく飛び越え、なんだったら、いつもの二倍近くの跳躍力だったような気がする。あくまで、気がするだけだ。
「いい子だったね、シレーヌ」
もう日が落ちようとしていたため、厩舎に移動しては、今日頑張ってくれた彼女にブラッシングをしてあげた。せっかくだからつやつやにしてあげないと。今日もありがとう、と撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
グラウンドを一周してから戻ってきたらしいリドル先輩が厩舎の中に入ってきたので、軽く会釈をすると、リドル先輩が長いまつ毛を揺らす。ぱっちりとしたお目目は、何度見ても羨ましい。
「ナマエ、今日は調子が良かったようだね」
「そうなんですよ。私の気分もいいからかな」
「彼女とも随分仲良くなったようだし、愛馬と親交を深めるのは良いことだよ」
ヴォーパルにブラッシングを始めたリドル先輩こそ、彼との信頼関係には目を見張るものがある。アイコンタクトだけで、二人の息はぴったりなのだ。ヴォーパルはもともと扱うのがとても難しい馬だったと、以前シルバー先輩が言っていた。乗りこなすにはどうしても十分な信頼関係を築く必要がある、と。
お先に失礼します、とほとんど私専用の更衣室のようになっている小部屋で着替えを済ませる。数ヶ月前は今にも凍えそうな寒さをしていたのに、暖かくなってくると、どうしてもあの冬が同じ世界にあるものだとは思えない。
手早く着替えて、ドアを三回ノックすると、数秒してから「どうぞ」と声がかかった。他の人がまだ着替えている可能性があるから、こうしてノックして確認しないといけないんだよねえ。
ネクタイをきゅっとリボンに結んだリドル先輩は、私の姿を確認すると、こちらに歩み寄っては、これまた上質そうな紙袋を差し出した。
「これ、バレンタインデーのお返し。気に入ってもらえると良いのだけれど」
「わあ、嬉しい! ありがとうございます!」
「ボクたちの行きつけのチョコレート屋さんのものだよ。トレイも舌を巻くほどなんだ」
紙袋の中には、長方形の箱が入っていた。赤い箱に、黒いリボンが結ばれていて、まるでハーツラビュル寮カラーだな、と息が洩れた。リドル先輩やトレイさんの行きつけ、しかもあのお菓子作りで有名なトレイさんが美味しいと言うならば、おそらく高級なチョコレートなのだろう。言い方が本当に悪いかもしれないけれど、ミドルスクールの頃から、男の子にバレンタインを渡すと、その労力や原価以上のものを返してもらえるんだよね。それくらい、男子にとってもバレンタインデーやホワイトデーは大きなイベントなのだ。
ありがとうございます、とにこにこすると、リドル先輩はこれまた長いまつ毛をほんの少し伏せて、その隙間から青みのかかったグレーを覗かせた。さらには、口をわずかに尖らせて、拗ねたみたいなかわいい表情だ。
「ボクもせっかくだから手作りを検討したのだけれど……」
ええ! リドル先輩の手作り! ハーツラビュル寮のお菓子担当といえばトレイさんがすぐさま連想されるので、リドル先輩がお菓子を作るイメージがまったくもって湧かない。驚いたように目を見開いている私を見てから、何やらぶつぶつと言い訳のようなものを並べ立てているようだ。お菓子作りが得意じゃないだの、トレイには劣るだの。けれど、自分のために選んでもらったり、手作りしてもらったっていう事実が嬉しいからなあ。
「じゃあ来年、期待してますよ」
「……そう言われるとプレッシャーだね」
楽しみだなあ、と左右に揺れる落ち着きのない私を見て苦笑を零したリドル先輩は、時計を見ては「大変だ」と声を上げた。
「今日は夕食前に今度のクロッケー大会の景品を決める会議があるんだ。お先に失礼するよ。お疲れ様」
なんじゃそりゃ。ハーツラビュル寮って、たくさんイベントやお茶会があって楽しそうだけれど、やっぱり私には向いていないのだろう。お疲れ様です、と手を振ると、右手を挙げたリドル先輩は、スタスタと更衣室を出て行ってしまった。
さて、これにて取り残されたのは私とシルバー先輩とセベクであるが、律儀な二人だから、今日がホワイトデーであることを忘れていなければ二人からもお返しがあるはずだ。ちらりと様子を窺うと、ごほんと咳払いをしたセベクがシルバー先輩に目を向け、シルバー先輩が不思議な色の目を控えめに輝かせると、丸い瓶のようなものを差し出した。銀色の繭のような細い髪がさらさら揺れて、私の香水とはまた別の香りがした。
「ナマエ、俺からもお返しを用意してきた」
「へへ、ありがとうございます」
「……僕からもだ」
「セベクもありがとう! 嬉しい」
シルバー先輩に続いてレースでできた包みを手渡したセベクにもお礼を言うと、それらを受け取る。シルバー先輩からは、ころんとしたカラフルなキャンディがたくさん詰まったガラス瓶だった。少しの振動でからからと音が鳴って、まるでおもちゃ箱みたいだ。セベクからは、あまり聞き馴染みのない銘柄の茶葉が入った缶と、あとは小さなアロマキャンドルが二つ。この見覚えのないお茶は、副寮長に聞けばわかるだろうか。それにしたって、やはりこういうところでもセベクの育ちが良いのが透けて見えた。
「かわいい」
今日一日で多くの人からお返しをもらったけれど、皆もれなくセンスが抜群だ。どこからどう見ても、「映え」案件。なのに眼前の二人はどこか自信がなさそうに、頭に手を添えている。
「どういったものが良いのかかなり悩んだのだが……」
シルバー先輩が目を逸らしながらこう言って、隣にいるセベクもほとんど同じような体勢をしていたから、もしやと思って首をひねった。
「二人で選んだんですか?」
「馬鹿なことを言うな!! シルバーとはもちろん別々だ!!!」
「セベク、音量を落とせ」
ただでさえよく通る声が、お得意の大音量になることで、更衣室内に響き渡り、思わず耳を塞ぎそうになったけれど、代わりにぎゅっと目を瞑った。こちらの大きな声も、何度聞いたって慣れることはなく、鼓膜が悲鳴を上げている。
セベクはふん、とシルバー先輩からそっぽを向いた。汗により、部活前はワックスで固まっていた髪が無造作に崩れかけている。シルバー先輩はやれやれと小さく溜息をついた。
「ありがとう二人とも、本当に嬉しい」
そう言うと、どこか落ち着きのなかった二人は安堵によってか、肩の力が抜けた。シルバー先輩は、それは良かったというわずかな微笑みを向け、セベクは当然だというように胸を張った。
そういえば、キャンディって、バレンタインだと意味があったよね。マシュマロなんかをもし贈られた際には、少しだけショックを受けるとともに、「ああ、意味を知らないんだな」で済むけれど、クッキーやチョコレートではなくキャンディを贈るのが、なんとなく引っかかった。シルバー先輩に限ってそんなことはないだろうなとは考えているけれど。
「……シルバー先輩って、キャンディを贈る意味知ってます?」
「なっ!!」
狼狽えたのはシルバー先輩ではなくセベクで、当のシルバー先輩は、まったくわからないと言いたげに眉をひそめた。
「知らないが、何か意味があるのか?」
うーん、やっぱりそうだよね。
「ううん、なんでもないです。忘れてください」
これで意味を知っていて渡した、なんて言われた方が、どういう反応をすれば良いのか困ったものなので、知らなくて良かったあ、と安堵する。それと同時に、未だに狼狽しているセベクをちょいちょいと手招きすれば、私に合わせて屈んでくれた。白くて丸い耳に、そっと耳打ちをする。
「セベクは知ってるんだね」
「そ、そういう本を読んだことがあるだけだ」
「博識〜」
結構ロマンチックな本も読むんだなあ、と思いながら、「セベクもキャンディくれたら良かったのに」と言うと、「何を言っているんだ!!!」と今にも鼓膜をぶち破ってきそうな大声を出されて、耳がキーンとする。それでも、アロマキャンドルと茶葉なんて、センスが良い。アロマキャンドルを炊く生活、憧れがあったんだよね。
「大切にいただきますね。キャンドルも夜寝るときに炊こうかな」
「早めに食べないと溶けてしまうと思うが」
「火事は起こすなよ」
ぎゅっとプレゼントを胸に抱きながらそう言うと、どこか的外れな返事をされた。わかってるよ、相変わらずだなあと笑うと、二人もまた先生と同じように私の荷物を持ってくれた。鏡舎までだが、と言ってくれて、ありがとうございます、とまたお礼を言う。
今までで一番楽しいホワイトデーだったから、来年も頑張ろう。リドル先輩は手作りしてくれるみたいだし。そう考えたところで、消えかけていた記憶がぽんと呼び覚まされた。手作り、といえば。
「そういえばリリアさんからケーキをいただいて」
メインストリートに向けて足を進めながら、歩幅を私に合わせてくれるセベクとシルバー先輩に並ぶ。外灯に照らされた道は、雪が降っていたあの日に比べて、はるかに明るいように見える。
「リリアさん」、「ケーキ」。おそらく最悪の組み合わせであろうこの言葉を聞いた二人は、ごくりと喉を鳴らした。それから、ほんの一瞬だけ、その場で足を止めた。
「……どうやって食べるのが正解?」
二人は食べ慣れているだろうし、と希望を抱きながら、口角を上げて左右を見れば、二人の頬に汗が伝っていた。セベクの表情が青ざめたまま固まってしまっている。それはシルバー先輩も同様で、あのポーカーフェイスのシルバー先輩が、珍しくも顔を青くしているのだ。
せっかく作っていただいたのだから、廃棄するなんていう考えはもちろんセベクからもシルバー先輩からも出ず、しかし、何分経っても解決策が出ないまま、あっという間に鏡舎へと到着してしまっていた。