「だ〜め」
「えー!」
ラウンジ開店前、いつも通り私の姿を視界に入れてはわかりやすく口角を上げるウツボさん。以前お客様の席の一つであるソファであれこれしていたときに支配人に注意を受けたことにより、今日はカウンター席でのヘアアレンジだ。フロイド先輩の細長い指が器用に三つ編みをつくっていて、後ろからは鼻歌が聞こえた。ココナッツがたくさんなっている、あの曲だ。
その上機嫌なメロディを途切れさせたのは、私がフロイド先輩に向けた質問のせいであった。
「逆になんでいけると思ってんの?」
「モラハラ」
「あ?」
「いだだだ」
「フロイドの言う通りですよ」
頬をぐにっと摘まれて、絶妙に痛いラインで引っ張られる。そんな私たちを他人事のようにくすくすと笑いながら見ているのは、二人目のウツボさんだ。
「小エビちゃんだってあんなナリでもオスなんだよ?」
「うっ」
「てか話聞く限り人間はカニちゃんとサバちゃんで足りてんじゃん」
「ううっ」
正論の矢がグサグサと胸に刺さってくる。溜息をつきながらそうして私を論破してくるフロイド先輩に項垂れていると、もちろん励ます様子もなく、三つ編みを作る手を再開させた。
こうなったのも、私がミッキー交信調査においてオンボロ寮への外泊許可を取ろうとしたことがきっかけである。初めのうちは「ミッキー? なにそれ、面白そうじゃん」といった反応をしていたフロイド先輩が、私がオンボロ寮に泊まるだの他の一年生もいるだの話を続けていくうちに、声色が変わっていったのだ。まあ、それはそう。
「オルトが、色んな種族がいればいるほどいいって」
「でもナマエちゃんは人間じゃん」
「でも一人だけ女――」
「人間じゃん」
ごもっともです。そもそも、異世界人である監督生がミッキーと何回も遭遇しているそうだから、もともとツイステッドワンダーランドの住人かつ女の私が参加したところで戦力になるとも思いがたい。それに、私がミッキー交信調査に参加したいのは、他でもない。お泊まり会がしたいからなのだ。お菓子を食べながら楽しく夜更かしがしたい!
ヘアアレンジが終わったらしく、その合図なのかぽんぽんと軽く頭を叩いたフロイド先輩を見るように振り向くと、「もちろん外泊は駄目」と言いたげな、いや、言っている、そんな表情をしている。目は口ほどになんとやら。
むっと口を突き出していると、カツカツと靴音が近づいてきたので、私とリーチ兄弟、揃って後ろを向くと、眼鏡が鈍く反射していた。
「お前たち、またこんなところで準備をサボって!」
「げ、バレた」
フロイド先輩や副寮長に比べて身長こそないものの、威圧的なオーラを放っていらっしゃる。まあそうだよねえ。今日はお昼から謎の土砂降りが続いているから、雨の日限定メニューのパフェの準備があるのだ。フロイド先輩がこうしていればたまったものではないし、私も準備段階やスイーツに関してはなるべくキッチンを手伝うようになったのだ。
「用が終わったなら早くキッチンへ!」
「はいはい」
「ただしその前にカウンター周りの清掃をすること」
「げぇ」
「おやおや、気の毒に」
「ジェイド、お前も連帯責任だ」
副寮長まで巻き添えだ。わかりやすく舌を出して眉を八の字にするフロイド先輩と、同じ八の字でも薄い唇からギザギザの歯を覗かせながら口角を上げる副寮長の表情は、どうしたって似つかない。フロイド先輩は見るからに人生エンジョイ勢だけれど、副寮長は別ベクトルでエンジョイ勢だ。
私の髪が落ちているかもしれないし、と溜息をつきながらカウンター裏に隠してあった箒でその場を掃除していると、フロイド先輩が雑に布巾をカウンターテーブルに滑らせた。副寮長は――そんな私たちを見ているだけだ。相変わらず良い性格してる。
どう見たって塵一つない床をざっ、ざっと掃いていると、フロイド先輩が飽きた様子で布巾を折り紙のようにしては、折りにくさから諦めたらしい。
「……フロイド先輩や副寮長は参加する気ないですか」
そう呟くと、視線がじっと集まった。参加とは、他でもないミッキー交信調査についてだ。フロイド先輩は諦めたように布巾を手の中で丸めると、副寮長の方が目を二、三回ぱちぱちさせた。
「おや、どうして僕たちが?」
「人魚だし。寮長でもいいと思います。皆監督生と仲良しだし」
まあ、寮長が協力するとはとても思えない。副寮長も同様だ。なんだかんだ、オクタヴィネル寮生でそういったことに協力するのは、「面白そう」で行動するフロイド先輩だけだと思う。しかし期待を込めながらフロイド先輩と副寮長を交互に見ると、フロイド先輩が長い脚でこちらに向かってきては、箒とちりとりを回収してくれた。ふわっと小さな風がこちらに吹いてきて、今日は香水ではなく柔軟剤の香りがした。
「まあ気が向けばね」
「……気が向いてくれることを祈ってます」
「そう落ち込まなくても、ナマエさんはモストロ・ラウンジでの仕事だってたくさんありますからね」
「むう、わかりました」
もとより勝率はゼロだったらしい。悔しい〜! 期待させてしまったオルトや監督生たちには後で謝罪のメッセージを送っておかないと。
綺麗に結われた三つ編みをぼこぼこと撫でると、手袋をはめ直して、副寮長の後を続くようにキッチンへと向かった。
◈◈◈
水はけが良くて、かつ昨日とは打って変わって雲ひとつない晴天となったおかげで、グラウンドのコンディションはばっちりだった。最高の馬術日和! こういった日はセベクはいつも意気揚々とテンペストを乗りこなす。今日も例外ではないらしい。しかし、シルバー先輩はというと、部室に来てからもずっと上の空のようで、溜息を何度もついていた。
「ええい、溜息を何度もつくな!」
「はっ、すまない」
このラリーを先程から繰り返しているようで、リドル先輩も遠くで呆れた表情を浮かべていた。シルバー先輩は時折眠そうにしていて、それによって上の空になることは度々確認できたけれど、今日はどうやらそういうわけでもないらしい。それを見たセベクはまた眉を吊り上げて、かと思えばううんと唸っては頭を押さえた。それから、今度はセベクが、ほんの少し開いた唇から細い息を洩らした。
「リリア様が中退なさるのは非常に残念だが……」
「……え?」
今、なんて? シルバー先輩とセベクを交互に見ると、二人とも伏し目がちにまた息をついた。リリアさんって、あのリリアさんだよね。そう確認するまでもなく、二人の表情がその通りだと物語っていた。
「リリアさん、中退するの?」
「ああ。ナマエには知れていなかったか」
知れていなかったも何も、そんな様子微塵もなかったのだから、口があんぐり開いたまま塞がらない。ふう、とひと息ついてから、どこか浮かない顔をしていたシルバー先輩がいつものように硬い表情に戻ったので、思わず背筋が伸びた。すると、またひとつ呼吸音が増え、ぐんと影が伸びてきたので、一斉にそちらを向くと、赤毛の美少年も、おそらく私と同じような表情を浮かべていた。
「ボクも初めて聞いたよ。正直、すごく驚いてる」
とても学園生活を楽しんでおられたようだからね。そう零したリドル先輩に頷いた。その通りだ。リリア先輩は、VDCに参加したり、軽音部での活動を満喫したり、同学年の生徒たちとの交流も深かったり……そんな印象が深い。なんなら、ディアソムニア寮生の中では誰よりも学園生活を楽しんでいたような。
「それは……そうなのだが」
マレウス・ドラコニアの護衛二人がごにょごにょと語尾を濁した。もしあのリリアさんがエンジョイしている様子が嘘だったならば、人間不信になるどころの話ではないけれど、二人のこの様子を見るに、またなにか別の理由があるのだろう。ディアソムニア寮の内情はあまりよくわからないが、この二人が納得いかない調子なので、きっと余程のことなのだろうな。あるいは、リリアさんのことだから、突拍子もない理由だったりして。
「昨日のお昼食堂で騒いでたのってもしかしてそれ?」
「騒いでなどいない!!!」
「ああ、迷惑をかけたな」
「あれなんでなんだろうって、今日聞こうと思ってたんだよね」
あの場で初めて知らされたのだとしたら、なるほど、セベクだったら大声を出しちゃうなあ。それを否定するような大声に、リドル先輩がぱっちりお目目をぎゅっと瞑らせた。私も、大声が出されるという予測を立てていなかったため、耳がぐわんぐわんとしてから、初めて手で押さえた。
「本当に元気がいいのだね……」
「大丈夫、耳から血出てないですよ」
「ナマエもね」
セベクの大声で、いつ鼓膜が破れるかわからない。ふん、と鼻を鳴らしてテンペストを練習場所まで連れていくセベクを横目にリドル先輩と苦笑を零した。シルバー先輩が今度はあの大きな妖精に向けて、小さな溜息に「すまないな」と言葉を載せた。
シルバー先輩は、ヘルメットを被ると、手袋をはめてセベクの後に続くように手入れを怠っていない、つやつやとした真っ白な毛並みのサムソンを引いた。
「じきにリリア先輩から、送別会の招待があるだろう」
送別会、かあ。
◈◈◈
どうやら後に聞いた話では、リリア先輩を送る送別会の規模とやらは、ディアソムニア寮生や軽音部、三年生だけに留まらず、全寮の生徒や職員を招く、相当大規模なものらしかった。招待状が届くのか、あるいはマジカメか何かで招集があるのかわからないけれど、それまでリリアさんに会わないのはどこか腑に落ちなかった。
そんな私がとった行動は、ディアソムニア寮に忍び込む……お邪魔することだった。いつも通りセベクやシルバー先輩と鏡舎で分かれて、オクタヴィネル寮に繋がる鏡に飛び込んだ。――と思わせて、数十秒経過してからまた鏡舎に戻って、ディアソムニア寮の鏡に飛び込むという奇行をとったのだ。
「ぎゃっ」
コウモリが頭上を羽ばたいていった。鏡に飛び込む前にも心臓がバクバクだったけれど、資料でしか見たことのなかったディアソムニア寮は、なんというか、お化け屋敷だ。何ここ、怖い。一人で来なければ良かった。
半泣きで寮の中へと早足になりながら向かうと、聞き馴染みのある声とシルエットが長い廊下に並んでいた。左がセベク、右がシルバー先輩、そして真ん中がリリアさん。凸凹だ。早くも寮服に着替えた様子で、両端はかっちりとしたシルエットだけれど、真ん中のメンダコちゃんは長いマントを引きずっていた。当然だけれど、寮によってまったく特色が異なるんだなあ。怪しげな緑の炎が揺らめいていた。
セベクや他の寮生に見つかる前に、なんとかリリアさんが一人になってくれないだろうか。柱の影から来るかわからないチャンスをじっと待っていると、一度静かになった廊下にまた声が響いた。
「シルバー、セベク。すまんが先に行っておいてくれ」
「どうかされたのですか」
「なに、軽音部で使っている教室に忘れ物をしただけじゃ」
「僕たちも一緒に!」
「それくらい一人で十分じゃ。二人で鍛錬でもしておれ」
何やら来るかわからなかったチャンスが到来したらしい。奇跡だ! リリアさんに会釈をしたセベクとシルバー先輩がまた廊下を歩き出したのを確認すると、今までの緊張が和らいだ反動でまた心臓が高鳴ってきた。それを落ち着かせるように一度目を閉じて、すう、と息を吸い込んだ。今だ。そう思って目を開けると、視界いっぱいにラズベリーのピンク色が広がっていた。状況が呑み込めず、思わず瞬きすると、長い睫毛がにこっと弧を描いた。
「何をしておるのだ?」
「ぎゃあ!」
デジャブ到来。またしても後ろによろけては尻もちをついてしまうかと思ったけれど、壁にぶつかって事なきを得た。さらに、声が廊下に響いてしまったので、あの二人に気づかれてしまったかもしれないと慌てて口を押さえるけれど、セベクの方がより大きな声を張り上げていて、ちょうど廊下を曲がったところであったので、どうやらその心配はなかったらしい。
けらけらと笑うリリアさんに恥ずかしくて顔を隠しながら、指の隙間からリリアさんの目をまた見つめ直した。
「いつから?」
「お主が鏡を抜けてきたところからじゃ。あの二人は気づいておらんようだったが」
まだまだ鍛錬が足りんのう、と肩を揺らして笑うリリアさんに恐怖した。鏡を抜けてきたところって、だいぶ序盤じゃん。きっと鳥肌が立っているであろう、両腕をさすった。
メンダコちゃん。確かに、言われてみればめちゃくちゃメンダコだ。そう思って、ディアソムニア寮の雰囲気にとても似合わないようなかわいらしい副寮長さんに見とれていると、薄く微笑んで妖艶な表情をしたので、唾を呑んだ。
「そうだ、えっと、リリアさん。中退するって聞いて」
「おお、あの二人から聞きよったのか。それでわざわざ……しかし送別会で会えるじゃろう」
「リリアさん人気だし、先に軽く挨拶でもと思って」
私がそう言うと、丸い瞳をさらに丸くして、目を見開いてもなお三白眼になることなく、きゅるきゅるの黒目が主張している。それから今度は、ふっと微笑むと、先程とは違った、どこか安心させるような表情になった。
「律儀な小娘じゃのう」
柔らかな声色が耳に届く。本当に不思議な人だ。まだ一年も過ごしていないこの学園生活で、関わることができて良かった。
「リリアさん、楽しかったです」
「なに、こちらのセリフじゃ。あの二人とも仲良くしてくれて、もう心残りはない」
「わわっ」
にっこり、また違ったかわいい笑顔を向けたリリア先輩が腕をこちらに伸ばしたかと思いきや、気がつけば私の身体はリリアさんの腕の中にすっぽりと収まっていた。香水や柔軟剤の香りはなく、むしろタンスから久しぶりに服を出した、そんな匂いがするけれど、それでも心地良かった。リリアさんが私の背中に腕を回しているのに応えるように、私もまたリリアさんの背に腕を回す。学年が一つ違うだけなのに、不思議だ、妙な安心感を覚えた。
数秒そうしてから顔を上げると、リリアさんの白い肌に、いつものピンク色と、妖しい緑がよく映えた。長い睫毛と、その瞼に載った強いアイシャドウだった。制服のときは見覚えがなかったから、きっと寮服の際のメイクなのだろう。ディアソムニアカラーの色をしたベースに銀色をしたラメが散らばっていて、綺麗だった。
「アイシャドウかわいい」
「そうじゃろ? ギラギラなんじゃよ」
「もっと話したかった」
「なんじゃそんなに甘えて」
中退するってわかっていたら、もっとお話を聞いたりしたのに。しかしそれは結果論だ。ぎゅう、と背中に回した腕の力を強めると、「おお」と声を洩らしたリリアさんの手が私の背をぽんぽんと叩いた。小さな子供をあやすみたいに、優しい手つきだ。
「そうじゃ。お主は確かオクタヴィネルの生徒だったな」
はっと思い出したようにそういうリリアさんからゆっくり離れては頷いた。なんだろう、オクタヴィネル寮だと何か送別会にあたって問題があるのかな。むーん、腕を組んで考えていると、そんな私の様子は知ったことがないらしく、きっぱりと口を開いた。
「送別会当日はモストロ・ラウンジの料理を手配しようと考えておるのだが……アズールたちに伝えておいてくれるか?」
なるほど! それはそれは嬉しいご依頼だ。つい「ぜひ!」と声を張り上げるとリリアさんはいつものように肩をすくめるように笑った。