夢の幽閉

「たこ焼き」
「やめてください」

 私の頬に輪っかにした指を置いてはぷにぷにと飽きる様子なく何度も突いてくるのは、色違いの左右の目を細めた大きな人魚だ。もちろん、気まぐれな方の。あの場から離れた勢いでお皿に大量のポテトを盛っては空いている椅子にドカッと座ったのだけれど、流石はフロイド先輩、私を見つける速さはプロ級だった。
 ようやく厄介者から解放されたらしい、リドル先輩はそんな私たちを見ながらこちらに近づいてきた。

「そんなに膨れてどうしたの?」
「セベクとケンカしました」
「え〜、ワニちゃんと? ナマエちゃんもケンカとかすんだね」
「激おこです」

 セベクが人間を馬鹿にしていたのは知っていた。その場面だって何度も見たことある。その中でも、私は違うと思っていた。そう思ってしまっていた。けれど、それは私の思い上がりだったのかもしれない。あんなに仲良くしていたのに、していたつもりなのに、セベクに向けられた態度やリリアさんの表情に、どうしたって悲しくなってしまった。
 わかりやすく眉をひそめたままポテトを食べる私に、リドル先輩はため息をついては薄目でこちらを見た。

「まったくキミたちは。このような場でケンカなんて、感心しないね」
「だって〜」

 だって! 私は悪くない! リドル先輩に真意を伝えようとすると、私の口は虚しくも塞がれてしまった。口内に塩味が広がる。その正体は私がお皿にてんこ盛りにしたポテトだった。フロイド先輩が私の口にポテトを突っ込んできたらしい。口を動かせば、満足げに笑みを浮かべる。飲み込んだ瞬間、また一本。逃げ場がない。やめられない、止まらない。
 この様子を見ては顔を見合わせると、ハーツラビュル寮の先輩たちは三人揃って呆れ笑いをした。

「仲直りできるといいな」
「……セベクにその気があれば」

 トレイさんのお兄ちゃん発言につい絆されそうになってしまったところで、ふと我に返る。いや、だって私は悪くないし。セベクが改心してくれたら、話でも別なのだけれど。しかし仲直りするに越したことはない。これからまだまだ何度も顔を合わせるのだから、ギスギスしたままでは学園生活もやりづらい。
 当のセベクはどうしているだろうか、少しでも反省してくれているだろうか。その願望を胸に、先ほどまで私がいた場に視線を移すと、ばっちりセベクと目が合った。お互いに一瞬だけ目を見開いて、先にそっぽを向いたのはセベクだ。私もそれを見て、すぐに視線を逸らした。

「頑固者」
「キミもだろう」

 いや、私は頑固ではないでしょ。その思いを込めて、フロイド先輩からリドル先輩、ケイトさん、トレイさんと順に視線を移すと、否定も肯定もしないような、けれど優しい。そんな表情をしていた。

「私悪くないし……」

 半ば自分に言い聞かせるように言った。私はセベクのことを自分で思っているよりわかっていなかったのかもしれない。セベクに対しても、もう少し言い方があったのかもしれない。ぐるぐる、もやもや頭の中に色々な後悔の念が募る。もしかしたら、言わなければ良かったかも。そんな言葉ばかり、後から浮かんでくる。フロイド先輩はそんな私を見て、帽子越しに頭を優しくぽんぽんと撫でてくれた。下を向いていてその表情を見ることはできなかったから、からかわれているのか、はたまた慰めてくれているのかはわからなかったけれど。

 その場の空気がわずかに弛緩した――刹那。空気がひび割れた。びゅう、と強い風が吹き抜けていき、思わず目を瞑る。それは私だけでなく、他の人たちもそうだった。ただの風というにはあまりにも強くて、怖い。
 すると次の瞬間、広い談話室の中央で炎が上がった。それもただの炎ではなく、ディアソムニア寮に相応しい鮮やかな緑色。ついその場から立ち上がると、椅子が鈍い音を鳴らす。眩しい。ぼやけた視界がはっきりすると、炎の中には彼がいた。

「これはこれは……随分華やかなパーティーだ。生徒も教員も……みなお揃いで」

 黒い寮服に身を包み、艶やかな黒髪をなびかせる。その頭からは立派な竜の角。他の誰でもない、マレウス・ドラコニアだった。

「ウミウシ先輩、今頃来たのかよ」
「いや……それにしては変だ」

 今日はディアソムニア寮副寮長であるリリアさんの送別会だ。マレウス・ドラコニアがここにいること自体、何ら不思議なことではない。むしろ、初めからいるべき人物だったのではないか。こんなに終盤に来るなんて。けれどどうしてだか、上級生たちの顔が強ばった。まるでこれから何か良くないことが起きるかのように。
 よく見るとマレウス・ドラコニアの頭や肩口には雪が積もっており――雪?

「ねえ、もう春ですよね?」
「ああ、そのはず……なんだが」
「流石に異常気象にも程があるでしょ……」

 窓の外を見ると、吹雪だった。ここ最近、天候がよく変わる。天気予報なんて微塵も当てにならない。けれど、そんな中でも雪が降るなんて誰が予想しただろうか?
 ケイトさんやトレイさんの頬に汗が伝う。先ほどまでの賑やかなムードが一変して、空気がピンと張りつめた。すると、同じようにまた緑色の炎が上がり、今度はその中からシルバー先輩が現れた。

「シルバーくんまで!?」

 徐々に何事かと群衆ができており、何が起こっているのか、状況を整理するには視界が狭い。しかし、マレウス・ドラコニアの気迫のおかげか、やはりディアソムニア寮生のオーラなのか、中心を囲うように輪になっていた人だかりは少しずつ後ろに下がり、やがて視界が開けた。
 マレウス・ドラコニアと同じように雪を被ったシルバー先輩と、その頬に触れるリリアさん。それからマレウス・ドラコニアと、驚いた表情のままのセベク。とてもリリアさんに別れの挨拶をしに来たような雰囲気ではなかった。その悪い想像は的中したのか、皆の視線を集めていたマレウス・ドラコニアは、その薄くてほんの少し血色の悪い唇で弧を描いた。

「よく聞くがいい、皆の者!」

 ざわついていた談話室がしんと静まり返る。低く深みのある声がよく響いた。

「お前たちに、素晴らしい贈り物を授けよう。もう別れを惜しんで涙を流す必要はない」

 目の前にいる男は、ツイステッドワンダーランドの中でも指折りの魔法士だ。彼が言う「贈り物」が決していいものではないということは、未熟な私でもわかった。背筋がぞくりと震える。

「今日祝うべきは別れおわりではなく、誕生はじまりだ!」

 あのドラゴンが、一体何を言っているのかわからなかった。それは私だけではないだろう。皆が状況を把握していないながらも、固唾を呑む。広い空間にまたしても静寂が流れ、マレウス・ドラコニアの息遣いが聞こえた。

「お前たちは今日、新しく生まれなおす」
「どういうこと……?」
「わかんねぇけど――」

 新しく、生まれなおす? その解を求めるように、私の右隣にいたフロイド先輩をゆっくりと見上げると、いつもと違う表情をしていた。ギザギザの鋭い歯を見せて、オリーブ色をした瞳孔が少し開いていた。

「家族、友……何もかもを失わずに済む、悲しみのない世界に!」

 マレウス・ドラコニアがそう声を張り上げると、その手元には徐々に光が集まっていった。まるで、私がユニーク魔法を使うときのように。魔力が徐々に込められていく。静まり返っていた辺りがざわめき出す。

「とりあえずヤバそうってことだけはわかった」

 フロイド先輩がそう言うと、長い左腕をさっと私の前に出した。いつもなら安心する香りも、今この瞬間はそうじゃなかった。その間にも、白い光はマレウス・ドラコニアの手元に集まり続けている。それを止めるように、学園長が踵を鳴らした。一体、どうしてこんなことに。考える間もなく、けたたましくアラーム音が鳴り響いた。

「半径十メートル圏内にブロット濃度の急速な上昇を感知。緊急魔法災害警報を発令。早期非難、および予防措置を推奨します」

 オルトが告げる緊急事態。辺りはよりいっそうパニックに陥る。こんなの、今まで生きてきた中で初めてだ。ひゅっと息を呑んだ。鼓動が速まって、周りに聞こえるのではないかと思うほどうるさい。私たち、どうなるの? そんな不安や思いなんて無視するかのように、学園長が声を張り上げた。

「くっ……総員、攻撃魔法の使用を許可!」

 その指示を聞くや否や、フロイド先輩やハーツラビュル寮の先輩は迷いなくマジカルペンを手にとった。まさか、アレと戦うつもり? そんな無茶な。訴えかけるように周りを見るけれど、誰も私の視線に気がつくことはなかった。もう、やるしかない。

「ドラコニアくんを止めなさい!」

 学園長からの明確な指示の末、ようやく私もマジカルペンを取り出した。真っ白で、濁りのない魔法石が光っている。
 四方八方からあらゆる魔法がマレウス・ドラコニア目がけて飛んでいる。炎、氷、水、風、それから砂にファンシーな首輪に、大釜。無法地帯。けれど、もしかしたら、生徒に教員総出の今なら恐れられているあの魔法士を止めることができるかもしれない。私も何が起こるかわからないこの世界で生き残るため、水や風の魔法を唱えた。しかし、そんな希望は、呆気なく散ってしまった。
 すべてがマレウス・ドラコニアの手によりいとも簡単に弾かれてしまい、リドル先輩の首輪はカランと音を立てて床に落ちた。ゴン、と鈍い金属音がした。
 ユニーク魔法をこの場で使うのは危ない。私もエペルも、狙いが定められない場所で使える技術はまだない。他にも犠牲を出しかねない。そう思うと、指が動かずにいた。本当に、あれを止めることができるのだろうか。すると、生徒が撃ったらしい、鋭い氷の塊がこちらに飛んできた。

「わっ!」

 あんなの直撃したら、死んじゃう。思わずぎゅっと目を瞑ると、聞き馴染みのある声と共に、氷塊が逸れた。

「『巻きつく尾バインド・ザ・ハート』!」

 明らかに不自然に挙動を変えた氷は、私の数センチ横を通っては砕けた。思わず腰が抜けてしまって、その場にへたり込んでいると、フロイド先輩がふう、と息をついた。間一髪。

「大丈夫?」
「あ、危なかった……」
「へばってる場合じゃねぇよ、ほら」

 今の、ユニーク魔法ですか? 攻撃魔法を逸らすことができるんですか? そんなことを聞くのはまた後でだ。差し出された手に腕を伸ばせば、ぐっと掴まれて思いきり引っ張られた。女の子になんてことを、なんて言っている場合ではない。また、守られた。
 立ち上がって攻撃対象を見ると――驚くほどに、無傷だった。まるでマレウス・ドラコニアの周りに透明な壁でもあるかのようだ。炎が弾け、氷が砕け、水が蒸発する。魔法は、触れた瞬間に消えていった。

「マジ最悪だわ」

 フロイド先輩がそう呟く。左手に握られたペンに取り付けられた白い石は、次第にインクを垂らしたような染みが広がっていた。きっと、もう既にたくさん魔法を撃ったのだろう。それはフロイド先輩だけではなかった。
 徐々に生徒たちはくずおれて、ついさっきまでたくさんいたケイトさんの分身も、ほとんど消えてしまっていた。こんなの、勝てるわけない。けれど、目の前のウツボは、まだ諦めていない。

「ナマエ、まだいけんだろ」
「! ……いけます!」

 ほんの少しだけ濁ったマジカルペンを構えると、再び魔法を唱えた。私の力いっぱいの水魔法は、マレウス・ドラコニアを止めようと勢いよく奔った。

 ◈◈◈

 結果は、虚しかった。
 最初から勝てるわけなんてなかったんだ。

「下がれ、愚か者が」

 私たちは弄ばれていたのではないだろうか。辺り一面が緑色に禍々しく燃え盛り、誰の魔法も通用しなかった。帽子はどこかに落ちた。マレウス・ドラコニアは、リリアさん、シルバー先輩、そしてセベクと私たちとを炎で分断した。まるでこれ以上踏み入るなというように。ブロットが蓄積してしまった私たちはその場に座り込んでは、ただ見ているだけだった。

「やめよ、マレウス!! これ以上はならぬ!」

 リリアさんがヒールをカツカツと鳴らしながらこの事件を起こしている王子に歩み寄ると、マジカルペンを構えた。次第に光が集まるが、それは呆気なく消えた。ブロットが蓄積していてもあんなふうには光は消えない。それに、当のリリアさんはとても疲れきった様子がない。リリアさん、もしかして魔力が……。
 炎や周りの混乱で、とても会話は聞こえない。魔力の消費をして疲れきった身体を労るように呼吸を整えると、長い歴史の詰まった声が上がる。

「馬鹿者! お前は自分が何をしているか、わかっておるのか!? こんなことをして何になるッ!」

 今まで聞いたことのない、張り上げられたその声にハッと驚き炎の中を覗き見ようとすると、次の瞬間。

「お前を失わずに済む!!」

 マレウス・ドラコニアが声を荒らげると同時に、ぼうっと高く火が上がった。刺すような眩しさに反射的に目を閉じれば、遮るようにフロイド先輩の腕の中に吸い込まれた。フロイド先輩が、私を守るかのように、ふた回り以上大きな身体でひしと抱きしめる。それでも炎の熱さは感じた。

「っぶねぇ……怪我は?」
「ありがとう……フロイド先輩、燃えちゃう」
「燃えねーよ」

 耳元で響くいつもより低い声にほんの少し安堵して、寮服の裾を掴んだ。炎の中で聞き覚えのある声が交差している。シャツの中で冷たい感触が揺れた。それは私を安心させるものか、それとも忠告か。正解は、どちらもだった。
 ふと、霜が下りたような心地がした。理由もなく背筋に冷たいものが走った。視線が、一点に集まる。まるでこれから、舞台の幕が上がるかのように。

「『運命の糸車よ、災いの糸を紡げ。深淵の王たる我が授けよう』」

 静かに、重々しく言葉が紡がれていく。これから起こることは、間違いなく最悪なことなのに、私たちはその声に耳を傾けてしまう。闇のように濁った魔力が、渦を巻いて広がっていく。私たちは、炎の奥のマレウス・ドラコニアに釘付けになった。
 彼はひと呼吸置くと、口端をほんの少し上げた。炎越しに、ライムグリーンが私を捉えた気がした。長い睫毛の隙間から、鋭い眼光を放った。

「『祝福フェイ・オブ・マレフィセンス』」

 彼がそう言い放つと、ずっしりと重い空気がのしかかった気がする。瞼が鉛のように重い。ぼんやりと、小柄な彼が、腕を伸ばしているのが見えた。さっきまでの喧騒が、遠い水の底みたいに滲んでいった。

「マレウス――――!!!」

 初めて聞く、聞き慣れたその声を最後に、私は徐々に意識を手放し――
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