心の臓に潜む

「…よし、できた」

調合した試作品を任務で実践し、その度に微調整し直してまた任務へ。ここ四ヶ月程そんな日々を繰り返してようやく私の研究した毒薬が完成した。
鬼の神経系に効率良く作用させるために、経皮吸収だけで毒を巡らせられるよう藤の毒をかなり高濃度に凝縮してある。
その為人間にとっても少なからず害はあるものの、肌に触れるくらいなら問題ない事は既に身をもって実証済みだ。極端な話、飲み込んだりでもすれば危険性はあるかもしれないけれど、解毒剤を常備する事で対処できる。
あとは私が任務で数をこなして実践方法を確立させるだけ。今のところ指令は来ていないし、自主鍛錬にでも打ち込むとしようか。

んん、と一つ伸びをしてから日輪刀を手に取ると、屋敷の表が突然騒がしくなった。
何事かと意識を集中させると、不穏な気配を揺らめかせるアオイさん、なほちゃんすみちゃんきよちゃん、それからカナヲ。
鬼の気配はない。けれど何か良くない事が起きているのは確実だ。毒薬の入った小瓶を引っ掴んで、急いで廊下を走り抜ける。

「っどうしたのみんな!」

勢いよく玄関の戸を開けた瞬間目に飛び込んで来たのは、袖のない隊服を着た大柄な男性とその体に必死にしがみついているすみちゃん、きよちゃん、カナヲの姿。
その筋肉の隆々とした太い腕にアオイさんとなほちゃんが囚われていて、状況が飲み込めないながらも異常事態だという事は伝わった。
それに最も驚くべきはあの男だ。あれほど大柄で存在感もあるというのに、気配が全くと言って良いほど視えない。

「なんだまだいたんじゃねぇか、地味な奴だな」
「あなた何やってるの!二人を離して!!」
「ぁあ?お前誰に向かって口利いてんだ、元忍の宇髄天元様だぞ」
「知りませんそんな事!忍だろうが何だろうが、鬼殺隊士ならば隊の規則に…」
「俺はその鬼殺隊の最上位である柱だ、よって下級隊士のお前が俺に逆らう事は許されねぇんだよ」


…柱。宇髄と名乗った男は確かにそう言った。
柱ほど強い人間ならば普通は気配も色濃く纏っているはず。元忍と言うくらいだし、自らの意思で気配を消せるというのだろうか。
射抜くような鋭い視線に気圧されていると、カナヲが振り絞るように声を出す。

「名前、二人が…!任務に連れて行かれちゃう、」
「え、」

その言葉でようやく状況を察する。アオイさんの事情も考えないで無理矢理戦いの場に引き摺り出すなんて…それになほちゃんに至っては隊士でもないというのに。

「私が行きますから、二人を離してください」
「どちらにせよお前一人じゃ足りねぇんだよ、こいつも連れて行く」

なほちゃんは解放されたものの、相変わらず宇髄さんの左腕にがっちりと捕まっているアオイさんは恐怖に青ざめた顔で震えている。
こんな横暴が許されてたまるか、いくら上官とは言えこんなのおかしい。
更に強く抗議しようと一歩足を踏み込んだところに、はっきりと芯の通った声が飛んできた。

「代わりに俺たちが行く!!!」

屋敷の門に炭治郎が、そして塀の上に伊之助と善逸が宇髄さんを挟むようにして立ち塞がっていた。

「俺は力が有り余ってるし行ってやってもいいぜ!」
「アアアアオイちゃんを放してもらおうか、それに名前ちゃんを一人でっいいい行かせるもんか」
「っみんな、」

これで状況を変えられるかどうかは分からないけれど、三人が味方についてくれるだけで随分心強い。
すると宇髄さんは威圧するようにこちらへ視線を向けたかと思えば、やけにあっさりと承諾した。
さっさと歩き出す宇髄さんに何か裏があるのではと訝しみながらも、私たち三人は戸惑いながらもついて行く事となったのだった。


道中で花街へと向かう事を知らされ、ピンときている様子だったのは私を除けば善逸だけだった。
当然彼だって男の人なのだから、興味がないという方が不自然だ。女性に対する関心が強い分、やはり…そういう事、も良く知っているんだろうか。

そんな悶々とした気持ちと格闘している間に、さっきまで目の前を歩いていた宇髄さんが一瞬でとんでもない距離を移動していた。
遠ざかるその背中を必死に追いかけ、着いた先は藤の花の家紋の家。宇髄さんがあれやこれやと家の人に指示を出したかと思うと、運ばれてきたのは羽織と同じ柄の着物と化粧道具だった。
遊郭での潜入任務について宇髄さんから一通りの説明を受けた後、その準備に取り掛かる事となった。


「野郎どもはこっちへ来い、俺が直々に手を加えてやる」
「あの私はどうしましょう、」
「お前は自分でやれ、化粧くらい少しは嗜みあるだろ」
「そりゃまぁできますけど…潜入って事は目立たない方がいいんですよね」
「ああ、まぁお前は元々地味だから整えるくらいで十分だ」

褒められているのか貶されているのか、複雑な気持ちを抱えつつ鏡に向き合う。
白粉をはたいてから頬紅をつけた穂先で軽く撫でる。唇に薄く紅を引けば、それなりに仕上がった。
それから襦袢に袖を通し、姿見を見ながら着付けていく。鬼殺隊に入ってからは寝る時以外ずっと隊服を着ているから、外行きの着物なんて本当に久し振りだ。
適当に髪の毛を結えてから、そろそろ頃合いかと隔てられた向こうに声を掛ければ、問題ないと返って来たので襖を引く。

「う、わぁ…」

思わず声が出てしまったのは、女装した三人があまりにも奇天烈な見た目だったからだ。
宇髄さんの手前皆まで口には出さないでいると、向こうは向こうで私に視線を寄越したまま固まっている。
妙な空気が流れる中、口火を切ったのは宇髄さんだった。

「へぇ、なかなかの出来じゃねぇか」
「へ?あ、ありがとうございます」
「すごいな…化粧一つでこんなに…」
「お前いっつもその顔でいりゃいいんじゃねーのか」

予想外の賛辞に恥ずかしさを覚えながらも、
少しだけ心が華やいだ。
潜入任務の一環ではあるけれど、これくらい軽い気持ちを抱いたってバチは当たらないだろう。こんな風に女性らしく自分を扱える機会なんて滅多にないのだから。


「…でしょ、」
「え?」

それまでずっと俯いて黙っていた善逸が、ふるふると体を震わせてぽつりと何かを呟く。
よく聞き取れず問い返すと、彼は勢いよく顔を上げるや否や力の限り声を張った。

「ダメでしょ!!絶っっっ対にダメ!!!」
「…は?」
「は?じゃないよ!!鏡見たの!?もっと細工しないとダメだってば!!!」

物凄い剣幕で詰め寄ってくる善逸は、どうやら私の化粧が気に食わないらしい。
そんなに可笑しかったかといま一度鏡で見直しても別段違和感は見つけられないし、少なくとも彼らよりはまともだと思う。
すると、戸惑う私を見かねた他の男性陣が善逸の発言に物言いをつけ始める。

「お前な、どのツラ下げて言ってんだ」
「そうだぞ善逸、名前に失礼だろう!」
「やっかましいわ!!お前ら寝ぼけてんのかっつーの!!!」
「あ?寝ぼけ丸に言われたくねぇぜ」
「ハァアアアーーーッもう!!どいつもこいつも危機管理能力無さすぎじゃない!?」

善逸の怒りは鎮火するどころか、煽られて余計に燃え盛り始める。
そろそろ善逸の腹に宇髄さんの拳がめり込みそうで、すかさず間に割って入った。

「ちょっと善逸、」
「あのね名前ちゃん、こんな別嬪さんに仕立ててどうすんのさ!!すぐ客が付いちゃうでしょ!!!」
「え…」

真正面から両肩を掴まれた上あまりに真剣な表情で言い放たれ、仲立ちに入ったのも忘れてぽかんと口が開いてしまう。

「ただでさえ可愛いのに、こんなおめかししちゃったら男が放っとくわけないよ!名前ちゃんが客に指名されるとか俺無理なんだけど!!想像しただけで気が狂いそうなんだけど!!!」
「さっきからうるせぇんだよお前は!!」

とうとう宇髄さんの拳が飛んできて、善逸は畳の上に転がされた。私の化粧が可笑しいわけではないと分かって安心はしたけれど。
私を心配するが故の言動である事には違いないし、と漸くおとなしくなった善逸に情けをかけてやる。

「そんな心配しなくても…任務なんだし、目的から外れるような事するわけないでしょ」
「…名前ちゃんはもっと自分が魅力的だってこと自覚してよね」

拗ねたようにぽつりと零した善逸の言葉に、じわじわと顔が熱を持つ。
そろそろ行きましょう、と慌てて話を逸らし振り返ると、そこに立っていた宇髄さんの顔を見て今度は私が固まった。
ジャラジャラと目立っていた額当ては取り払われ、左目に施されていた個性的な化粧も綺麗に落とされている。下ろされた髪の間から覗く切れ長の眼は何とも雰囲気があって、その素顔は普段とはまるで別人だ。

「…宇髄さんって男前なんですね」

思ったままを言葉にすれば、宇髄さんは色っぽく口角を上げて受け応えする。

「じゃあ嫁に来るか?四人目として迎え入れてやってもいい」
「え、何言って…!」
「冗談に決まってんだろ、第一俺は派手な女が好きだからな」
「悪かったですね地味で」
「それにソイツがいちいち鬱陶しいしな…オイお前、束縛する男は嫌われるぞ」
「…俺アナタとは口利かないんで…」


その後ますます機嫌を悪くした善逸は花街で声を掛けてくる遣手を威嚇しまくり、ことごとく私が売れるのを阻止し続けた。
これでは埒があかないと踏んだ宇髄さんが、私と善逸をまとめ売りにする事で手打ちにしたのだった。


----------


「ちょいと狭いけど、この部屋を二人で使っておくれ」


かなり強引ではあったものの宇髄さんの顔面が功を奏し、私たちは無事京極屋に潜入する事ができた。
けれど遣手の女性に案内されたのは相部屋のようで、どうしたものかと一考する。部屋が一緒という事は一日の動きや時間の取り方も自ずと一緒になるわけで、そうすると別行動で捜査しづらくなってしまう。
それに万が一、鬼に勘付かれて二人まとめて襲われでもしたら為す術がない。やっぱり同じ空間にいるのはできるだけ避けるのが得策だ。

「あの、別々でお願いしたいのですが」
「悪いけど、個室を用意できるほど空き部屋に余裕はないんだよ」
「そ、そうだよ名前ちゃん!一緒の部屋でいいでしょ!それに俺…っあ、あたしたちみたいな新米がそんな図々しい事…!!」

そう言って私を制す善逸は、その不自然な慌てぶりからしてどうせ碌な事を考えていない。
話をややこしくするなと目で訴えると、善逸はぐっと口をつぐんで諦めたように黙り込む。

「いえ、そうではなくて…できたら他の姐さん方との相部屋にしていただけないかと」
「え?」
「まだ入ったばかりで色々と教わりたいですし、新米同士で馴れ合うよりも厳しく指導していただけた方が早く仕事も覚えられると思うので」
「まぁ確かにそれもそうだね…じゃあ別の遊女の部屋割りを確認しとくから、ひとまずここで待っときな」
「ありがとうございます、ご無理を言ってすみません」
「いやいいのさ、あんたみたいなやる気のある新入りは久々で嬉しいよ!」

あっはっは、とご機嫌な様子で去って行く背中とは対照的に、隣の善逸はいじけた様子で不平を漏らす。

「せっかく二人一緒の部屋だったのにさ」
「もう、そんな事言ってる場合じゃないでしょ」
「だって一人だと不安だし、何より名前ちゃんが心配なの!」
「…極端な話、二人が共倒れになる事だってあるんだよ」

両親の最期を思い出して、力の入った拳を握りしめる。
父をしっかり抱き止める母と、その上に庇うようにして覆い被さっていた父。互いを思い合うような二人の姿に余計心が痛んだのを覚えている。いくら二人一緒でも、死んでしまっては元も子もないのだから。

「大丈夫だよ、」
「え?」
「名前ちゃんの事、一人にしたりしないから」

先程までの弱々しい表情とは打って変わって、真っ直ぐにこちらの目を見つめている。
きっと私の不安な音を聴いて気遣ってくれているのだろう。


「もし俺が鬼に捕まろうが死にかけようが、なにがなんでも、這ってでも戻ってくる」
「善逸…」
「だってそうでもしないと目離した隙に変な虫寄ってくるでしょ!!いい?名前ちゃん、絶対に俺か他の人の目の届くところにいてよ、ね!?」
「…はいはい」

一人にしないと言われたのは素直に嬉しかったけれど、結局はそっちの心配かと呆れ気味に答える。
こんな呑気な会話をしていられるのも今の内なのだろうか。若干の胸のざわめきを感じながら、勝手に隣で息巻いている善逸に苦笑いを返した。


そしてその胸騒ぎは、案の定的中する事となる。

back
top