神の思し召し

任務を終えて蝶屋敷へ戻ると、客間から何やら賑やかな女性達の声が聞こえてくる。
珍しく来客でもあったのかと思っているところに、台所から出てきたアオイさんと鉢合わせた。

「アオイさん、ただいま戻りました」
「おかえりなさい、ちょうど名前さんに来客ですよ」
「え?私に?」
「はい、今お茶をお出しするところですから」
「あ、じゃあ私このまま持って行きます、ありがとうございます」
「ではお願いします」

アオイさんからお茶とお菓子の乗ったお盆を受け取って客間へと向かう。
段々と鮮明になる気配に心当たりがあって、襖を開けるのとほぼ同時に名前を呼んだ。


「雛鶴さん!」
「名前さん、ご無沙汰してます」

無事だというのは善逸から聞いていたものの、実際に顔を合わせるのは遊郭の切見世で別れて以来だった。
お茶を机に置いてから改めて彼女に向き合えば、すっかり元気なその様子に安堵して自然に笑みが溢れた。そんな心持ちなのは雛鶴さんも同じだったようで、気遣うように私に言葉を掛ける。

「ひと月も意識が戻らなかったと聞いたけど…もう大丈夫なの?」
「この通りピンピンしてます!すみません、ご挨拶もできないままで…あ、今日は宇髄さんの付き添いですか?」
「えぇ、定期検診でお邪魔してます」

再会を喜びつつ言葉を交わしていると、こちらへ向けられる二つの視線に気が付いた。
一人は幼顔で可愛らしい雰囲気、もう一人は気の強そうな女性。雛鶴さんとはまた系統が違うけれど、三者三様に別嬪さんだ。

「須磨さんと、まきをさん…ですよね?」
「あぁ、そういえば二人とは初めてだったわね」
「はじめまして、苗字名前です」

戦いの最中に私が気を失ってしまったせいで、結局もう二人の奥さん達とは対面できていないままだったのだ。
自己紹介と共に頭を下げると、須磨さんとまきをさんも会釈をする。どこか品定めするような視線に少したじろいでいると、二人は意外そうな表情を見せた。

「へえ、思ったよりも可愛らしい子だね」
「天元様が認める人なんて、もっと強くて怖い感じかと思ってましたよぉ」
「へ、え?」
「もう、名前さんが困ってるでしょ」

まきをさんと須磨さんの言葉の意図がいまいち分からず当惑していると、雛鶴さんが助け舟を出してくれた。

「私だけ付き添う予定が、二人も一緒に来たいって聞かなくて…騒々しくてごめんなさいね」
「いえそんな!皆さんにお会いできて嬉しいです」
「あの戦いの後、天元様があなたの事をいたく褒めていたの」
「え、宇髄さんが…?」
「そうそう、派手に肝の座った女だってさ」
「久々に見込みのありそうな隊士が出てきたな、とか何とか言ってましたもん!」
「そ、そんな、私は特に目立った働きもできなかったですし」

実際、あの時鬼の頸を切ったのは私以外の四人だ。ギリギリで勝てたというその瞬間には、私は一足先に気を失っていたのだから。
そんな引け目から謙遜していると、雛鶴さんが静かに首を横に振った。

「天元様があなたに一目置くのには私も納得です」
「え、」
「あんな状況で咄嗟に投げたクナイを命中させるなんて、忍でもそうそうできるもんじゃないよ」
「うんうん、私だったらきっと下手こいてますよぉ!」
「間違いなくあんたには無理だろうね」
「あ!そんなハッキリ言うなんて酷いですまきをさん!」
「それに、あの時名前さんの毒がなければ、こうしてまたお話しする事も叶わなかったかもしれないもの」
「…ありがとうございます、皆さん」
「天元様も言っていたけれど、私達に力になれる事があったら何でも相談してね」
「はい!とっても心強いです」

三人の言葉に自分の存在意義を見つけられたような気がして、隙間風の吹いていた心が救われる。
あの時上官命令に逆らうような形になってしまっていた事がずっと引っかかっていたけれど、ようやく荷が降りた感覚だ。


「そういえば、宇髄さんはどちらに?」
「今こちらへ向かっていると思うわ、お館様にお目通りするご予定があったからその後に」
「そうでしたか、じゃあそれまでゆっくりしていってくださいね」

軽く一礼して退室しようとする私を、まきをさんと須磨さんが身を乗り出すようにして静止する。

「ちょっと待った、まだ何の話も聞けてないんだから」
「そうですよ!そのために来たようなもんですし!」
「え?」
「ちょっと二人とも、」

焦った様子で制す雛鶴さんに構わず、二人はやけにニヤついた顔で話を切り出す。


「ちらと小耳に挟んだんですけど、名前ちゃんにはただならぬ関係のお相手がいるとか…!」
「…はい!?」
「どう見ても好き同士なのにグダついてる地味な関係らしいね」
「ぅぐ、」

あまりに直球な言葉にグサリときたのはそれが紛れもない事実だからだろう。思わず変な声も出て、言い逃れのできない状況を自分で作ってしまった。
観念して畳に座り直すと、申し訳なさそうに眉を下げた雛鶴さんが座布団をそっと差し出した。

「あの、そんな話どこで…」
「もちろん天元様からですよ!」
「うぅ、やっぱり」
「あの金色の髪した子だろ、雷の呼吸使ってた」
「も、もうそこまで分かってるんですね」
「まぁあの子の戦うところも近くで見てたしね、寝ながらバッサバサ斬ってたのには驚いたよ」
「そうかと思えば目が覚めた途端びーびー泣き出したりして、何だか別人みたいでしたよねぇ」
「あぁ、ですよね…私も最初はびっくりしましたけど」


今でこそもう見慣れてしまったあの姿には、確かに初めは驚いたものだ。最終選別で目にした時のあの胸の高鳴りは今でも鮮明に思い出せる。
立ち振る舞いは普段の彼と真逆でありながら、内に秘めた芯の強さは変わらない。どちらが本当の彼だとか考えた事はないけれど、言うなればどちらも我妻善逸そのものなのだ。
どんな姿であろうとも、あの温かくて穏やかな蒲公英色は彼だけに纏う特別な気配だから。


「そんでその温度差にやられちゃったのか」
「そ、そういうわけでは…!」
「でも天元様が言う分には、向こうからは好意だだ漏れみたいですし」
「というか、もう愛の告白なんかもされてたりしてね〜」

ぎくり、と私の肩が揺れたのを二人が見逃すはずもなかった。
まさか彼の想いを途中で遮って言わせなかったなんて、そんな事が知れればますます突っ込まれて大変な事になってしまう。
案の定食い付いた二人に、冷や汗をかきながらも何とか当たり障りのない返答をする。

「えっまさかの図星!?」
「ち、ちち違います、何もないです!」
「えぇ?本当だろうね?」
「本当ですってば!第一、私と善逸はただの相弟子で、同期ってだけなんですから!」

そう高らかに宣言したところで鎹鴉が縁側へ降り立つのが見えて、助かったと胸を撫で下ろす。
任務の知らせであればひとまずこれでこの場からは抜け出せそう。案の定、鴉は声高らかに指令を告げる。

「北西ノ街外レニテェ 女性ノ変死体ガ多数ゥ!食イ荒ラサレタ形跡アリィ!!」
「…女性ばかりを食べる鬼って事?」
「カァァ!若イ女ガ次々ニィ!」

以前、炭治郎からそういう嗜好を持つ鬼に出くわした事があると聞いた。特殊な血鬼術で居所が掴みづらく匂いを辿って突き止めたものの、すでに何人もの女性が犠牲になっていたそう。
今回の鬼も何か変わった血鬼術を使うのだろうか。

「女ばかり狙うなんて、何とも気持ち悪い鬼だね」
「鬼にとっては若い女性や子どもの方がご馳走らしいんです、柔らかくて味もいいとかで」
「うえぇ…!そんな具体的に言わないでくださいよ名前ちゃん…!」
「だけど、それなら名前さんが行くのは危険なんじゃ…」

雛鶴さんの言うように確かに危険は伴うけれど、女性を狙う鬼という事は囮になって誘き寄せる事も可能なのだ。おそらく指令自体もそういう意図で女性隊士である私に回ってきたのだろうし。

「大丈夫ですよ、もう何度も任務は経験してますから…」
「だめだよ!!!」


突然響き渡った声と同時に襖が勢いよく開く。何事かと振り返ると、そこには随分と焦った様子の善逸の姿があった。走ってきたのだろうか、肩で息をしながら眉を寄せている。

「な、何いきなり」
「全然大丈夫じゃないって!駄目駄目、絶対に駄目!!」
「…私じゃ力不足って事?」
「そうじゃなくて、危ないでしょ!というかその任務、ほんとに平隊士ひとりに務まるものなの?どうしても女性じゃなきゃ駄目ならさ、しのぶさんにお願いしてみるのも手だと思うよ俺は!」

宇髄さんや雛鶴さん達に認められたばかりだったからかもしれない。真っ向から反対する善逸の態度に無性に腹が立った。
漸く自分の能力に価値を見出そうかという所で、一番心を許している人に認めてもらえないなんて。
悔しさや悲しさからどんどんムキになってしまって、雛鶴さん達の前であるにも関わらず口調が激しさを増してゆく。

「何それ、そんなに私のこと信用できないの!?」
「だから違うってば!囮みたいな真似させたくないんだって!」
「任されたのは私なんだから、どう立ち回ったっていいでしょ!」
「よくない!!だって名前ちゃん可愛いし綺麗だし滅茶苦茶いい匂いするんだよ、もういい加減自覚してってば!!」
「……は?」

唐突に発せられた場にそぐわぬ言葉を脳が処理できず、思わず反論の勢いが止まる。困惑する私をよそに善逸は鼻息荒く捲し立てた。

「髪の毛は絹みたいに艶々でずっと触ってたいし!手なんて一回握っちゃうと離せなくなるくらいに柔らかくて気持ちいいんだからさ!!」
「ぇ、なっ、なに変な事言って…!」
「とにかくどこもかしこも魅力的なの名前ちゃんは!!だから鬼だってすぐ食べたくなっちゃうって話!!!」
「ば…っ!ばっかじゃないの!?」
「馬鹿だよ、馬鹿ですよ俺は!!でも、嫌なんだよぉ……もし名前ちゃんが怪我したら、怪我よりもっと酷い目に遭ったら、とかさ」


…考えるだけで、怖くて堪らないんだ。

項垂れるようにして呟いた彼の体が小刻みに震えるのを見て、血の上りきっていた頭がすうっと冷えていく。
本当に、この人はこういうところがずるい。
私を心配してくれている事なんて、はじめから分かっていたのに。最後まで意地を張り切れない私の方がよっぽど馬鹿だ。
落ち着きを取り戻した耳に入ってきたのは、遠慮がちに発された須磨さんの声だった。


「あのぅ…お取り込み中申し訳ないんですけど、皆さん見てますよー…」


はっと我に返って見回せば、庭には何事かと覗きにきた療養中の隊士たち、なほちゃんすみちゃんきよちゃん、目を真ん丸にして興味津々といった様子のカナヲまで。
アオイさんは昼餉の支度中だからか姿が見えなくて、それが不幸中の幸いだった。屋敷の中でこんな子どもみたいな言い合い、迷惑すぎるし恥ずかしすぎる。

「…街外れ行ってくる」
「俺の話聞いてた!?」


ひとまずこの場から逃げようと勢いよく廊下へ飛び出した途端、どんっと真正面から何かにぶつかった。

「んぶっ、」
「よぉ名前、相変わらず地味だなお前は」
「…う、宇髄さん!」

柱を引退したとは言え、その元忍たる佇まいは健在だ。やっぱり気配も音も全くしなかった。
ぶつかって痛む鼻をさすりながら、おはようございます、と頭を下げた。

「お体の調子、どうですか?」
「あぁ、地味な生活を強いられてるがまぁ問題ない…ってそんな事聞かなくても分かっちまうんだろ、お前には」
「まぁそうなんですけど…でも、念の為しのぶさんにしっかり診ていただいてくださいね」
「んなもんもう終わっちまったよ、お前らが派手に痴話喧嘩してる間にな」
「え、あ…そうでしたか、」

少々バツの悪さを感じながらちらと客間の様子を伺うと、まきをさんと須磨さんに捕まって半ば尋問されている善逸が目に入り苦笑する。
また引き止められる前にさっさと任務へ行ってしまおうと思っていると、宇髄さんがニヤリと笑みを浮かべた。

「それはそうと、お前指令来てただろ」
「はい、これから向かうところです」
「その任務、俺様が直々に手を貸してやろうじゃねぇか」
「え?手を貸す、とは」
「ま、一緒に行くのは俺とじゃねぇけどな」

そう言ってつかつかと歩き出した宇髄さんは、開けっ放しだった客間の前で足を止めた。
戸口をくぐるように頭を屈めて鴨居に手を掛けると、びっ、と真っ直ぐに指を差す。つられて目線を向けると、そこにはさっきまで騒がしかった半べそ状態の彼がぽかんと口を開けて立っていた。


「善逸、お前も来い」


----------


一通り支度を済ませた後、連れてこられたのは宇髄さんのお屋敷だった。
道中で宇髄さんが奥さん達に何やら耳打ちしていて、私と善逸は完全に置いてけぼりを食らっていた。
屋敷へ着いても状況は変わらず、訳もわからぬままに腕を引かれ背中を押されて屋敷の中へと連れられる。

「じゃあちゃっちゃと身支度済ませようか」
「え?任務の準備なら終わって…」
「はいはい、こちらですー!」

宇髄さんに困惑の眼差しを向けてみても、手を挙げて私を見送るだけで欲しい答えは得られない。
その隣で警戒心を剥き出しにする善逸も、「まぁそう身構えんなって」と軽くいなされていた。


たん、と襖を閉める音と共に、口火を切ったのはまきをさんだった。

「とりあえず、いま着てるもの全部脱ぎな」
「へ!?」
「ちょっとまきを、他に言い方があるでしょ、」
「えっと、どういうこと…」
「はいじゃあ脱がせまーす」
「えええ!?」
「もう須磨!…ごめんなさい名前さん、時間もないから進めちゃうわね」

絶対悪いようにはしないから、と雛鶴さんが優しく笑うのを見て、どうやら抵抗する暇もなさそうだと諦める。
三人がそれぞれ着付けと化粧と髪を分担するようで、私は文字通り着せ替え人形のように突っ立っている他なかった。
手際のよさに驚いている内にあれよあれよと自分の体に布が重ねられ、顔には粉を乗せられ薄く紅を引かれる。
髪の毛も上げられて綺麗に纏め結われ、普段は隠れている首元が空気に晒されて何だかくすぐったい。

「よし、上出来でしょ」
「可愛い!私たち天才じゃない!?」
「名前さんの元がいいからよ、ほら見て」

雛鶴さんに促されて姿見の前に立てば、そこに映っていたのは街ゆくお嬢さんといった感じに垢抜けた私の姿だった。
白基調のワンピースの胸元に淡い黄色の装飾が美しく映えている。
体を捻って鏡越しに背を見ると、髪は器用に編み込まれ耳の辺りで花が咲いたように形作られていた。腰元で琥珀色のリボンが小さく揺れていて、上品だけどお高く留まりすぎない感じにうまく纏まっている。

よそ行きの洋服なんていつ振りだろう。ふとそんな事を思ってしまって、頭の片隅に押し込んだ記憶が顔を出す。
幼い頃、両親が私に内緒で仕立ててくれた贈り物。それを着て一度家族で出かけたことがあった。
家業が忙しくて家族みんなで出かけることなんて滅多に出来なかったから、はしゃいでいたのを覚えている。
『どちらのお嬢さんかな?』
『素敵よ、名前』
そんな父と母の言葉が嬉しくて、大切にしていたら体が合わなくなって…それきり。

忘れてしまっていたのではなく、わざと忘れようとしていたんだ。スカートを履かなくなったのも、楽しかったあの頃を思い出したくなかったから。
慌てて思い出に蓋をする。もしもまたあの頃に戻れたら、なんて叶いもしない事を願う前に。


「…名前さん?」

黙り込む私に、雛鶴さんが心配そうに眉を下げる。咄嗟に作った笑顔で取り繕い、鏡越しに目線を合わせて大きく頷いた。

「あ、大丈夫です!すみません、ちょっと色々思い出してて…」
「あ、もしかして昔の男のこととか!?」
「へ?いえ、家族のことを」
「そりゃこんな別嬪さん隣に連れて歩くんだから、それ相応の男だったんだろうね〜」
「あのう人の話聞いてますか」
「ささ、天元様のところに戻りましょう」

相変わらず話を聞いてくれないけれど、この流れにも慣れてきている自分がいる。
用意されていた細身のブーツに足先から納め、確かめるように軽くとんとんと土を踏み鳴らす。

「残念だけどパンプスはさすがに無理ね、任務だから足元は疎かにできないもの」
「は、はぁそれは構いませんけど…」
「せっかくこんな恰好するんですから、しっかり楽しんできてくださいよ!」

ばちーんと音がしそうな勢いで投げられた須磨さんのウインクに首を傾げながら門戸まで戻ると、こちらへ手招きしている宇髄さんと、なぜか少し不機嫌そうな善逸の姿があった。

「やっぱり俺の目に狂いはなかったな!お前いつもそれぐらい派手にしてろよ」

未だに状況の飲み込めない私を他所に、宇髄さんは得意気に笑う。
どうやら漸くまともに話を聞いてくれそうな雰囲気だ。

「あの、ところでこれのどこが任務の手助けなんでしょうか…?」
「…全く、お前はほんと頭が固いな」
「こんな慣れない恰好、戦い辛いと思うんですけど」
「だから護衛をつけてやってんだろ」

べしん、と叩きつけるように背中を押された善逸が私の前につんのめる。
どうにか倒れるのを堪えて顔を上げた彼と至近距離で目が合った。すると善逸は、一瞬ぐっと目を見開いてからすぐに勢いよく顔を逸らす。
明らかに来る時とは様子の違う彼に疑問を抱きながら、宇髄さんの言葉に耳を傾けた。


「いいか、俺の考えたド派手な作戦だ、心して聞け」

back
top