想い出ひとひら

訪れたその街には数々の商店や食事処が軒を連ね、浅草ほどとはいかないものの多くの人で賑わっていた。
一方で、変死体の件が街の人々の耳にも入ってきているのか、住居の軒先にはどこもお清めや厄除けの類が設えてある。
道行く女性には必ずと言っていいほど用心棒代わりに男性が付き添っているものの、さして怯えたような様子もなく日常を送っているようだった。普通に生きている人々にとっては、鬼の仕業だなんて考えもつかないのだろう。

そして私の隣でもまた、今回用心棒役を務める彼が眉を寄せてぶつぶつとぼやいている。


「ねぇ善逸、そろそろ機嫌直したら?」
「いやほんと何考えてんのあの人…!」

宇髄さんの言う作戦とは、囮になりやすいように一般人を装うという至って単純なものだった。私だけ洋装なのは不自然なのではとも思ったけれど、善逸の背に刀を隠す事を考えると羽織は必須だったのだろう。
油断させて派手にぶった斬っちまえ、と宣った彼の思惑はおそらく別のところにある。元柱ともあろう人間が本気でこんなお粗末な作戦を拵えるなんて考えにくい。
大方、私と善逸の距離を縮めてあわよくば男女の関係になるきっかけを…とか、きっとそういう意図の下に仕組まれたのだろうと思う。

横目で善逸を盗み見ると、相変わらず不快感丸出しの顔で時折すれ違う人々を睨め付けていて、何とも落ち着かない様子だった。
思えば宇髄さんの屋敷を出てからずっと目線を合わせてくれていない。
連れ立つ男女は皆、笑い合って話しながら買い物や食事を楽しんでいて。出掛けに須磨さんに言われた『楽しんできて』という言葉を思い出して、ほんの少しちくりと胸が痛んだ。
すると、急に善逸がくるりとこちらを向く。焦ったような困ったような表情の彼と、ようやく目が合った。

「あ…ごめん、嫌とかじゃなくて、」
「え?」
「久しぶりに聴こえたから、寂しそうな音」

ごめんね、とまた一言謝った善逸に、首を横に振って同じく謝罪を返す。

「こっちこそごめん、こんな面倒な事になっちゃって」
「いや、全然面倒なんかじゃないの!むしろ嬉しいっていうか、まぁ色々と心配だったりもするんだけど…」
「怒ってないの?さっきから全然目も合わなかったし」
「いや!それは…なんていうか、その恰好が、」
「この服?」
「…めちゃくちゃ似合ってて、直視できないんだってば」

そう言って照れ臭そうに目を逸らす姿に一瞬ぽかんとしてしまって、鼓動の高まる音ですぐに我に返る。
慌ててありがとうと返したものの、今度はこちらが直視できなくなってしまった。
善逸の恰好が普段通りだからあんまり意識してなかったけれど、今の私はどこからどう見ても洒落込んだ年頃のお嬢さんなんだった。
どうりですれ違う人達の視線を感じるわけだ、逢瀬のために張り切ってめかし込んだ町娘とでも思われていたに違いない。
こんなよそ行きの恰好で男性と街を歩くなんて、それこそまるで逢い引きみたいじゃないか。
今更込み上げる恥ずかしさを堪えていると、善逸が突然声を上げる。


「あっ甘味処!寄っていこうよ、前に約束してたしさ!」
「あ…うん、そうだね」

いつぞやに任務から無事帰ったら甘味を食べに行こうと約束していたものの、結局互いの時間が合わなくて行けずじまいになっていたのだった。
任務中にそんなうつつを抜かしてていいのかとも思うけれど、そもそも今のこの状況は宇髄さんの策略によるものなのだから非難される謂れはないはず。

甘味処を見つけた途端に足取りの軽くなった善逸は、店先に着くや否や満面の笑みで手招きをしている。まるで子どもみたいなはしゃぎように思わずこちらも笑ってしまった。
蝶屋敷でも来客用のお茶請けを度々くすねるほどだし、本当に甘いものが好きなんだろう。思えば師範の屋敷にいた頃は、修行が厳しすぎてゆっくりお茶する暇もなかったなぁ。
そんな事を考えながら目にしたのは、がらりと戸を引き“ふたり”と二本指で告げた後、暖簾を捲って私を待つ彼の姿。

どこが子どもみたいだ!と十秒前の自分を叩っ斬った。
温度差にやられたのか、というまきをさんの言葉は的を得ていると思う。あんなに喜び勇んでいたのにさらりと女性優先をやってのけるなんて、心臓がいくつあっても足りない。
その辺りの嗜みを身に付ける方法は考えるまでもなく、きっと昔騙されたという女の子達によるものなのだろう。
私はというと、勿論男の人とお茶なんてした事がない。つまりこういう状況においては善逸の方が手練れだという事になる。
向かい合って席に着けば、善逸はお品書きをくるりとこちらの正面に開いてくれた。

「名前ちゃん何にする?」
「えっと…どうしよ、迷うなぁ…」

折角だし普段食べないようなものを、とは思うものの、予想以上に種類が多くてなかなか決めきれない。
お品書きとにらめっこしていると、善逸の口元が緩んでいるのに気が付いた。

「え、私なんかおかしい?」
「あぁごめんごめん、そうじゃなくてさ、」

そう謝りながらもくすくすと笑う善逸は、そのまま楽しそうな口調で続ける。

「いつも判断力抜群の名前ちゃんでも、迷う事なんかあるんだなーって」
「わ、悪かったですねこんな事で迷っちゃって」
「違うってば、可愛いなって思っただけ」
「っ、あぁそうですか、」

ぶっきらぼうにそう返して、赤くなった顔をお品書きで隠すようにして誤魔化した。
向こうからくぐもった笑い声が聞こえるあたり、完全に見破られてるみたいだけれど。

「ちなみにどれで迷ってるの?」
「あんみつか、わらび餅…」
「じゃあ一個ずつ頼んで、半分こしようよ」
「え、いいの?善逸は他に食べたいものあったんじゃ、」
「ちょうど俺もそのどっちかにしようと思ってたんだよね…偶然、っていうかこれもう運命じゃない?」

善逸はそう言って嬉しそうに目を輝かせ、慣れた様子でお店の人を呼ぶ。あんみつとわらび餅を注文する彼を見つめながら、ふと出会った頃の事を思い出す。
もしもあの日師範が連れて帰ったのが善逸じゃなかったら、今頃私はどんな風に生きていたんだろうか。もしかしたら最終選別でとっくに死んでしまっていたかもしれない。
運命だとか必然だとか、そういう根拠のない考え方はあんまり好きじゃない。でも今と違う自分の姿がうまく想像できないくらいに、今この瞬間が当たり前で必然的なものに思えてしまっていて。

「運命かもね、」
「っへ…?」
「何でもない、ただの独り言」
「ちょっと、俺耳がいいの知ってるでしょ!?」
「はいはい、お店ではお静かに」

ずっと主導権を握られているのが少し悔しくて、仕返しとばかりに軽くあしらってやった。
拗ねたように口を尖らせる善逸を横目に改めて店内を見回すと、私達と同じように男女で甘味を楽しむ人々が多く見受けられた。

「善逸はさ、こういうお店よく来るの?」
「任務終わりに偶にね、甘いもんでも食べないと精神的な疲れが回復しないんだよぉ…」
「まぁ気持ちは分かる…どうりでなんか慣れてるなと思った」
「じいちゃんとこで世話になる前までは、奉公先の雑用で買い出しとかもしてたしね」
「あぁ、なるほど…、」

お待ち遠さま、という声と共に甘味が卓の上へ置かれると、会話そっちのけで視線を奪われる。
透明な寒天の上にたっぷりの餡子と干し杏子が鎮座するあんみつに、ぷるぷると揺れながら器の底にきな粉と黒蜜の池を作っているわらび餅。
どちらも後光が差して見えるほど美味しそうで、思わずごくりと唾を飲み込んだ。

「どっち先食べたい?選んでいいよ」
「えっと、じゃああんみつで」
「ほい、どーぞ」

いただきます、と声を揃えて手を合わせる。
一匙掬って味わえば、久々の餡子の甘さに思わず口角が上がっていく。思えば蝶屋敷では人にお茶を出すばかりで、自分が味わう事はあまりなかったかもしれない。
ふと視線を感じてあんみつから目線を移すと、善逸は目の前のわらび餅に手も付けずじっとこちらを見つめていた。

「な、何?」
「名前ちゃんのこんな顔なかなか見られないから、目に焼きつけとこうと思って」
「え…私今どんな顔してるの」
「内緒、言ったらたぶん怒るから」
「何それ、ずるい」
「……ずるいのはどっちだよもう…」

呟いた善逸の声が小さすぎて聞き返すも、なんでもない!とはぐらかされた。やっとわらび餅を一欠片口に放り込むと、それはそれは幸せそうに噛み締めている。
道行く男女が茶店に入る理由がよく分かる。勿論歩き疲れた足を休めるためでもあるけれど、こうして向かい合わせに座る事で、相手の色んな表情や仕草一つ一つを余す事なく堪能できるという訳だ。


「さっき、買い出しの雑用でよく来てたって言ってたよね」
「ん?うん」
「…女の子を連れて来た事もあるの?」

聞くまいと思っていたのに、結局気になって口から出てしまった。以前聞いた彼の話によれば結果騙されていたとはいえ、お付き合いをしていた女性が少なくとも七人はいるのだ。
食べる手を止めた善逸は、何でもないような声色であっさりと答える。

「うん、あるよ」
「…そっか、」
「でもさ、全然覚えてないんだよね」

眉を下げてへらりと笑い返した善逸に複雑な心持ちで相槌を打てば、んん、と少し考えるような素振りで話し出す。

「その時食べたものとか、どんな味がして、食べながら何話したかとか…たぶん、自分を繕うのに必死だったんだろうね」

善逸は自分の過去を思い返して苦笑しつつも、言いにくそうな様子もなくつらつらと話し続ける。
そのどこか他人事のような口ぶりからして、彼がもう当時の事を引き摺っていないのは明らかだった。

「失望されるのが怖かったんだよ、相手の気分を損ねないようにとか、少しでも頼られたくて見栄張ったりしてさ」


音で分かってしまうところの辛さはそういうところにあるのだと思う。推し量ることしかかなわないけれど、今までどれほど心を擦り減らして生きてきた事だろう。
知らない方が良い事なんてこの世にいくらでも溢れているのに、彼は決して自らの耳を塞ごうとはしないから。

「でもさ、俺名前ちゃんといる時、自分でもびっくりするくらい普通なんだよ」
「普通…、」
「うん、そのままの自分でいられる感じ?っていうのかな」

そんな善逸の言葉で、何かがすとんと腑に落ちた。
禰豆子ちゃんの前で頬を緩ませる彼を見て寂しいと感じていたのは、私に対する彼の振る舞いがあまりに普通だったからなんだ。
一口お茶を啜ってはぁ、と息を吐く様子は良くも悪くも飾らない姿で、確かにそのままの善逸だと笑ってしまう。
すると善逸もどこか安心したように笑い返した。

「だから、俺今日の事はずっと覚えてると思うよ」
「そうかな…特別でも何でもない日だし、すぐに埋もれちゃいそう」

当然人の記憶の容量には限界があるわけで、今までの全てを覚えている事なんて不可能だ。
かと言って、忘れたくない思い出だけに鍵を掛けてしまい込む事はできないし、反対に、すぐにでも忘れてしまいたいような出来事がいつまでも居座っている事だってざらにある。
複雑な私の心中を知ってか知らずか、不意に善逸の瞳が優しく細められた。


「俺が名前ちゃんの事忘れるわけないでしょ?」


赤くなった顔とうるさい心臓を鎮めるのに必死で、返す言葉が何も出てこなかった。
満足気に笑った善逸は半分無くなったわらび餅を寄越して、代わりにあんみつを攫っていった。


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甘味処を出ると先程よりも人出は少し減っていて、通りは幾分か落ち着いた様子だった。
太陽は随分低い位置まで下がっているものの、まだ夕焼けになりかけの淡黄色の雲が山裾に広がっている。

「まだ日没までは少し時間あるなぁ…」
「名前ちゃん、何か欲しいものとかないの?」
「欲しいもの?」
「うん、普段滅多に自分の物なんて買わないんでしょ」
「まぁそうだけど…特にこれと言って無いかなぁ」
「じゃあとりあえず見るだけ見てみようよ、あっほらあそこに小間物屋ある!」
「え、ちょ…、っ!」

突然腕を引かれて心臓がどきんと跳ねた。
手を取られたり偶然体が触れ合う事なんて今までいくらでもあったのに、今日は変に意識してしまう。
この恰好のせいなのか、状況のせいなのか、はたまた先日の月夜のせいなのか。手首から伝わる体温にまた顔が熱を持つ。
お構いなしに足を運ぶ善逸に連れられた小間物屋の店先には、様々な髪飾りや化粧品が所狭しと並べられていた。

「わぁ、お化粧道具がたくさん…」
「小間物屋は来たことなかった?」
「うん、年末に掃除用具の調達で荒物屋には行ってたけど…あと、師範の物持ちも良かったから」
「あぁなるほど、確かにじいちゃんの茶碗年季入ってたもんなぁ」
「そうそう、少し欠けちゃってたから新しく買ってきますって言ったんだけどね、まだ使えるから大丈夫だって頑なで」
「ほんと変なところで頑固だよねぇ…誰かさんとそっくり」
「どうせ頑固で意地っ張りで石頭ですよ」
「そこまで言ってないでしょもう」

そんなたわいもない会話の最中、すぐ近くにいた男女の様子が目に入る。
美しい装飾の着いた簪を手にして嬉しそうに頬を赤らめている女性と、愛おしそうに微笑んで女性の肩を抱いている男性。
ふと何気なく並べられた簪に目を遣れば、一つ一つ色や形が異なっていてまさに選り取り見取りだ。

「簪も綺麗だよね、色んな飾りがあって…」
「えっ、あ、名前ちゃん、簪が欲しいの…?」

なぜか急にそわそわし始める善逸の様子を疑問に思い、首を傾げて問い掛ける。

「ん?そういう訳じゃないけど…どうしたの」
「ヤッあの違うならいいんだけどさ、えっとなんていうか、まだその時ではないんじゃないかなって、」
「はい?」

要領を得ない善逸の答えにますます疑問が深まる。もう少し踏み込んでみようかというところに、視界の端できらりと何かが光った。
はたと視線を移すと、小さな手鏡が陽光を反射させて煌めいていた。陳列棚に立て掛けるように置かれたそれは、がま口のような留め具で開閉できるような作りになっている。
気付けば引き寄せられるように手に取っていて、そっと留め具を合わせると鮮やかな瑠璃色の装飾が目を引いた。

「それ、すっごく名前ちゃんに似合ってるよ」
「え、」
「気になるんでしょ?そんな音してる」
「もう、だから勝手に聴かないでってば…!」
「んひひ、買わないなら俺が買っちゃうもんね」
「へ?あっ、」

手の上からすっと手鏡を抜き取って、善逸はそのままお店の人の元へと行ってしまった。
慌ててその背中を追って引き止めようと声を掛ける。

「ちょっと待ってよ善逸、私自分で…」
「いいからいいから」

遠慮する私をたしなめるようにして、善逸はさっさと勘定を済ませてしまった。こういう時に限って歳上の感じを出してくるあたりがやっぱりずるい。それも無意識なのが余計に。
はい、と買ったばかりの手鏡を差し出され、おずおずと両手で受け取った。その瑠璃色が光の加減で咲き乱れた藤のような色にも見えて、一段と神秘的な輝きを湛えている。

「本当によかったの?買ってもらっちゃって」
「いいの、俺がそうしたかったんだから」
「別に誕生日でもないのに、なんでいきなり?」
「日頃の感謝の気持ちだよ…あ、ちゃんと言葉も伝えないとだよね、」

そう言うと善逸は道の端で歩みを止め、改まったように背筋を伸ばしてこちらへ向き直る。

「いつもありがとう、名前ちゃん」
「…善逸、」
「俺名前ちゃんがいてくれてほんと良かったって思うんだ、数え切れないくらい助けられてるし、励まされてるし」
「そんなの、私だってそうだよ」
「ほんと?じゃあ少しはじいちゃんの言ってたようにやれてるかな」

うん、と大きく頷いて返せば、善逸は気の抜けたような笑顔を見せた。


「なんかもう、名前ちゃんのいない世界なんて考えられないかも」


その言葉が心にじんわりと沁みていく。何より嬉しかったのは、私と同じ事を考えてくれていた事。
許して、同時に許されている。それだけで驚くほど心の安寧が保たれて、辛い過去に支配されそうになるのを踏み止まらせてくれる。


「…ってこんなの気持ち悪いよねごめん!!今のなし!お願い忘れて!」
「ふふ、絶対忘れてあげない」
「うぅ…時間差で幻滅するのだけはやめてよ…?」

泣きそうな顔で懇願する善逸を見ながら、両手で包み込むようにして手鏡を胸元に寄せた。
両親以外からの贈り物なんて初めてで、どんな顔でお礼を言えばいいのか一瞬考えてしまう。けれど、そんな迷いもすぐに消えて自然と顔が綻んでいた。

「ありがとう、大切にするね」
「…簪も、いつか贈るから」
「え?いいよそんな…というかさっきからやけに簪に拘るけど、何かあるの?」
「知らないなら知らないままでいいよ、」

そんな意味深な言葉を口にした善逸は、ふいっと顔を逸らしてそのまま歩き出してしまう。
彼の耳が真っ赤に染まっている理由も分からないまま、首を傾げつつ歩を揃えたのだった。

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