見えざるものを視て

先ほどまで賑わっていた通りも、街の中心部から少し外れると人っ子一人見当たらなくなった。
日が沈んだ後とはいえ、確かにこれほど人目につかなければ鬼にとっては都合の良い事この上ないだろう。ぽつんと立つ街灯もその弱々しい光では少々心許ないけれど、今宵は煌々と輝く丸い月が頭上に浮かんでいる。
あれだけ悩まされてきた満月を心強く思える日がくるなんて、少し前の私には想像もつかなかった。


「この様子だと、もう刀隠さなくてもいいかもね」
「う、うん…」

ちょっとした鳥の羽ばたきや草木の揺れる音が聞こえる度に、善逸はびくりと肩を震わせる。
縮こまり丸くなった背中から恐る恐る刀を二本抜き取ると、それぞれ一本ずつ両腰に据えた。

「そうしてると何だか伊之助みたい」
「ほんと不本意だけど仕方ないよ…両方左に纏めちゃうと抜刀し辛いしさ」

善逸の左腰には自身の、そして右腰には私の刀。
善逸に戦闘を任せる前提でいっそ刀を置いていっては、という雛鶴さん達の提案はさすがにお断りした。そうして結局鬼殺隊士の命とも言える日輪刀を彼に預ける事となったわけだけれど、不思議と不安な気持ちにはならない。

「名前ちゃんの刀、俺のより少し軽いんだね」
「善逸に預けたよ、私の命」
「っひぇ…!急に重たくなったんだけど…!」
「大丈夫、いざとなったら私も戦うから」

冗談めいた言い方をしたけれど、半分本気の意味で伝えた。
善逸になら、自分の命を預ける事に何の抵抗もなかった。今まで幾度となく、肉体的な怪我のみならず精神面でも救われてきたから。
私らしくいられる時が、一番自分に自信が持てる。それは戦いにおいても強さに直結する大切な事だと気付かされたのだ。

ざり、と隣の足音が止まるのと同時に、少し先の街灯脇に佇む気配を捉えた。
例によって小刻みに体を震わせる善逸もまた、もはや聞き慣れてしまった異音を耳にしている事だろう。
そんな彼の羽織の裾をきゅっと握って身構えれば、耳に残る嫌な声が静まり返った空間に響いた。


「こんな時間に女連れとはいいご身分だなぁ」

鬼狩りサマよぉ、と嫌味ったらしく吐き捨てながら現れたそいつは、月明かりで姿かたちはぼんやりとしか映らない。
だけど見えなくたってわかる、こんなどす黒い気配を放つのは間違いなく、

「…鬼、」

それからほどなくして、照らされた街灯の下にようやくその全貌が露わとなれば、隣からひゅっと喉が狭まる音が聞こえた。

「イヤァアアア!!!出たァァアア!!!!」
「クッハハハ!!なんだお前、鬼狩りの癖してとんだ弱腰だなぁ」
「う、うううるっせぇわ!何回見たって怖いもんは怖いんだよぉ!!!」
「…ほぉ?何回も、ってこたぁそれなりに首を斬ってきたってことか」

意外そうな表情を浮かべる鬼を、善逸は涙目で睨みつける。
そんな彼を眉を顰めて見つめたかと思うと、鬼は怯むどころかニヤリと口元を歪ませた。

「腹ごなしにもならねぇかと思ったが案外楽しめるかもな、…兄弟よぉ」
「…いいや兄弟、どうせ女が足手纏いでろくに刀も振れやしねぇよ」

「ひぃッ…!?ううう嘘でしょこんなの聞いてないよ!!」
「っ挟まれた、」

兄弟、と口走るや否や背後に同じ容姿の鬼がもう一体現れ、いわば挟み撃ちの格好になってしまった。
丸腰の私を庇いながら善逸一人で二体を同時に相手するのは厳しいものがある。刀を置いてこず善逸に預けておいてやっぱり正解だった。
カタカタと震えながらも善逸は私を庇うように片腕を広げ、空いた手を刀に添えている。

「名前ちゃん、逃げて、」
「馬鹿かお前?こんな助けも呼べないような場所で逃げ切れるわけがねぇ」
「ククッ、鬼ごっこでもするか?その代わり捕まりゃ俺たちの腹ん中だ」
「そりゃ名案だな兄弟…おい鬼狩り、女を差し出せばお前は逃がしてやってもいいぜ」
「別に俺たちはお前に興味も用もねぇ、目の敵にして鬼狩りばかりを狙って喰らう仲間もいるがな」
「俺たちが欲しいのは若い女の血肉、ただそれだけだ」
「若い女は最高に旨いからなぁ…オイ兄弟、この女を喰い破るのは俺が先だからな」
「ったく仕方ねぇ、今回は譲ってやるよ」

鬼たちが矢継ぎ早に重ねる身勝手な言葉に今すぐ斬り伏せたい衝動に駆られるが、ギリっと奥歯を噛みしめてやり過ごす。
今は隙を見て対等に闘える状況に持って行かなければ。
本来の作戦通りまずは相手を油断させる事に徹しようと、眉を下げて瞳を潤ませつつ善逸の背後に隠れる。


「い、イヤぁ!助けて…っ!!」
「っ、へぇ!?名前ちゃん…!?」
「私、食べられちゃうの…?」

泣きながら善逸の背中に抱き付いて前に腕を回すと、「ん゛ん゛ッ」という妙な咳払いとともにみるみるうちに耳まで真っ赤に染め上がっていくのが見える。いや照れてる場合か。

「合わせて」
「…っ、」

鬼に聞こえないほどの僅かな声量でも、善逸の耳ならば拾えるはず。
そう思って呟いた私の声は思った通り彼にだけ届いたようで、ぴくりと肩が反応する。

「やだ、怖いよお、まだ死にたくない…!」
「は…っ、名前ちゃん、だだだだいじょぶ、だから、」

怖がるフリなんてしたこともないけれど、たぶん上手くできていると思う。伊達にいつも誰かさんが任務前に晒している姿を見ていないのだ、再現度はなかなかのはず。
善逸の顔は見えないものの、きっと、いや確実に引き攣っている。
背中から回した手を腰まで降ろしていく。鬼の死角となるように羽織の内側でゆっくりと動かしていると、善逸の体が小さくビクッと跳ねた。

「っんぁ、ちょ、名前ちゃ、」
「…なんて声出してるの」
「そ、そんな手つきで触るからっ」
「黙って」

善逸の右腰にそろりと指先を這わせると、ひんやりとした感触に辿り着く。
善逸のそれよりも一回り小さく丸みのある、私の日輪刀の鍔。

「狙いは私…それを助けようと動いた善逸の背後を襲ってくる、だから、」

そう淡々と告げると、もぞもぞ身じろいでいた善逸がぴたりと静止した。

「刀を抜いたら、何があっても目の前の敵に集中して」

善逸は肯定も否定もせず、一瞬息を飲んだ。
回した腕にぎゅっと力を込めて抱き締めれば、早まった鼓動が背中越しに伝わる。
あなたが私を信じてくれるなら、私もあなたを信じ続けるから。


「約束ね」


耳元でそう小さく念を押したところで、痺れを切らした鬼が口を開く。

「オイ女、さっさとこっちへ来い!それとも逃げ出してみるか?」

舌なめずりをしながら品のない笑みを浮かべて言い放つ鬼。
全く怖くないと言えば嘘になる。どんなに冷静に判断できてどんなに気持ちを強く持っていても、負ける時は負けるのだから。

もし。
もしここで私が死んだら、はたして未練を残すことなく逝けるだろうか。

本当はもうとっくに気付いている。
隠しても抑え込んでも滾々と湧き上がって溢れ出てしまうこの想いが、死にたくないという気持ちと強く結びついていることに。
未練を残したくない、残させたくない。ずっと望んでいたそんな自分の最期。
そのために必死にこの想いを口にしないでいるのに。その想いに応えないでいるのに。

今更、あなたの気持ちが聞きたいなんて。


「…我妻くん、守ってくれる?」
「ッハハハ!!守れるわけねぇだろうが!たった一人で!!!」

弱弱しく発した私の言葉を鬼がすぐさま叩き落すように否定した瞬間、善逸に纏う気配がゆらりと変化する。
いつもの暖かい蒲公英色に差している、凛とした藍色。

とんだ自惚れでもいい。
…その色がまるで私の瞳にそっくりだ、なんて。


「守るよ」


約束を?それとも、私を?
どちらともとれる善逸の言葉に胸がじわりと甘く痺れて、熱を持った息が口から少し零れた。
その刹那、背後の鬼が飛び掛かってくる気配を捉えた。
息を整え、鍔に添えた親指で鯉口を切る。


「誰が一人ですって?」

素早く身を翻して善逸の腰から抜刀すれば、
ビリビリと弾けるような音が空間を切り裂く。

いつもの耳をつんざくような悲鳴や、意識を手放す直前の妙な呻き声は聞こえない。
代わりに、自分の口から発される呼吸音と同じ波長がもう一つ、空気を震わせていた。

だったらもう、合図なんていらないよね。


「「雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃」」


重なるふたつの声が、月夜に閃いた。



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紫紺しこん、この文を蝶屋敷までお願いね」

その名を初めて呼んだ私を、じっと見つめ返した鎹鴉。賢いこの子はきっと事態を察してくれている。
カァ、と一声鳴いて夜空へ飛び立つ姿を見送りながら、ふと思い出すのは遊郭での事。

私が支度部屋を別々にしてほしいと申し出たあの時、善逸の落ち込みようは半端じゃなかった。
私がすすんで相部屋を選ぶことなんてまずあり得ない。そんな事をしようものなら、彼が目をひん剥いて汚い高音を撒き散らすのが目に見えているからだ。
『ヤダちょっと!!なんで今日そんな大胆なの!?期待しちゃうんですけど!!??』
とかなんとか叫びながら顔を耳まで真っ赤に染めて、その割に緊張でどうしていいかわからずいちいち言動がぎこちなくなったりして。
きっとその時の色は絵具をぶちまけたような、とにかく騒がしい色に違いない。

容易に想像できるそんな姿はお世辞にも格好良いとはいえないし、むしろ清々しいほど情けない。
いつだったか炭治郎の放った「恥を晒す」という言葉がこれほどまでにしっくりくる人は、善逸をおいて他にいないかもしれない。

それでもそんな彼を見たいと思ってしまう私は、右に同じく情けないのかも。彼の恥を晒す要因が私であればあるほど、心が満たされてしまう。
隣にいるこの人の、一番近くにいたいと思ってしまう。


だけどそれは、この人が本当の『彼』であるならばの話で。



「お部屋はご一緒でよろしいですか?」
「…はい、構いません」
「はあぁやっと休める、早く部屋でゆっくりしようよ」

そう言うと善逸は案内されるままに廊下をスタスタと歩いていく。
その背中を見つめながら、私の立てた仮説は正しかったと確信する。

違う。明らかに。

自分の目がおかしくなったのかと思った。
善逸と背中合わせでそれぞれ鬼の頸を斬ったあの時。
背後の鬼の気配が消えたと思ったら、善逸の気配が一瞬ぐらりと揺らいだ気がした。

自分の斬った鬼が灰となって消えるのを見届けてから振り返ると、同じく灰になっていく鬼と、それを見下ろしたまま動かない善逸の背中。

『ぜん、』

善逸、と声に出しかけて咄嗟に飲み込んだ。
とてつもない違和感に辟易しながらも、当たり障りのない言葉を引っ張り出す。

『…大丈夫?』

絞り出した私の言葉に、くるりと振り返った善逸は笑顔で口を開く。

『うん大丈夫だよ、名前ちゃんは?怪我とかしてない?』

いつもと変わらない顔で、いつもと変わらない声で、私にそう答えたのだ。
見た事のない、それはそれは禍々しい色を纏って。

見た目はどこからどう見てもいつもの善逸だ。
でも、中身が違う。おそらく器は善逸そのものだろうから、きっと炭治郎の鼻でも分からないだろうと直感的に思った。
ただ、私の目は真実を映してくれていた。
あの優しくて柔らかい陽だまりのような彼の色。私の好きな、善逸の色。
そんなものは微塵も纏っていない目の前の彼は、おそらく機会を見て私を食い殺そうと狙っているのだろう。

まったく、見くびらないでほしい。そんな小手先の血鬼術で私を騙せるとでも思ってるの。
私がどれだけ彼のことを見ていて、どんな想いで傍にいるのか。
そんな事などお構いなしにずかずか土足で踏み荒らされた気分で、怒りに震える手をぎゅっと握りしめる。
心は熱く、頭は冷静に。
ふっと小さく息を吐いてやり過ごせば、私の表情筋は綺麗に微笑みを作り上げたのだった。


『平気だよ、ありがとね我妻くん』



そんな訳あって、この他人行儀な設定をここまで引っ張る事になってしまった。
時間が時間だけに一泊するつもりではいたけれど、まさかこれほど緊張感のある夜を迎えるなんて。昼間過ごしたあの穏やかな時間が嘘のようだ。


「こちらのお部屋でございます、お風呂も沸いておりますので」
「ありがとうございます」

どうぞごゆっくり、と一礼して去っていく背中を見送り、さてどうしたものかと思案する。
体が善逸本人だとすると、頸を斬るわけにはいかない。気絶させてしまおうかとも考えたけれど、肉体まるごと支配する程の鬼の力だ。落とせるとも限らない。

鬼といえど、おそらく善逸の体を借りている今の状態では人を喰う事ができない。大方、もう一方の鬼がどこかで再生するためにひとまず器を作って繋ぎ止めているといった所だろう。
ただ、夜明けまでに手を打ってくるのは確実だ。こちらが正体に気付いていると勘付かれればそれまで。
たった一度きりの機会を逃さないように、慎重に…諸刃の剣なのは百も承知だけれど、やはりあの方法しかない。
そう方向性を固めた矢先、善逸が口を開いた。

「さっさと湯浴みして寝ようよ、なんか疲れちゃったし」
「そうだね、我妻くんよければお先にどうぞ」
「…ねぇ、一緒に入ろっか」


くすんだ琥珀色の瞳は細められて黒目がちになり、その仄暗さを縁側から差し込む月明かりが滲ませる。
その瞳が細められ、唇はすうっと弧を描いて。

こんな顔、するんだ。
不覚にも心臓が大きく跳ねた。私の知らない、善逸のそういう時の顔。
目から入る情報と体に染み付いた感覚がちぐはぐで、本能が抗っているのが分かる。
欲を孕んだ表情と熱っぽい声色は確かに私に向けられているのに、そこに彼の想いは伴わない。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、心までは果てしなく遠い。
どくどくと体中を駆け巡る熱情はやがて警告へと変わり、大きく脈打った胸がじわじわと締め付けられていく。

ああ、やっぱりこの人は善逸じゃない。


「…我妻くん」
「なぁに、どうしたの」
「……」
「もしかして緊張してる?」

こちらを見つめる善逸は、更にその笑みに艶っぽさが増している。
コクリと頷いてから、彼を上目遣いで見つめ返す。

「ねぇ…私の名前、呼んで?」

彼はクスリと小さく笑い声を漏らして、瞳の奥を光らせる。余裕たっぷりの大人びた表情が月明かりに照らされた。


「いつも呼んでるでしょ?…名前ちゃん」


その答えを聞いてから、差し込む月明かりを辿るようにして縁側へと歩み寄った。
夜空にはそこだけ綺麗にくり抜いたように丸い月が煌々と浮かんでいて、瞼を閉じればいつかの景色が脳裏を巡る。
あの夜もこんな満月だった。
彼の真っ直ぐな想いに背を向けた、あの夜。

自分の心を自分で殺すのはもうやめた。
いつか、いつかきっと。
生きて、笑って、ちゃんと気持ちを伝えたい。
そんな風に思えるようになったのは、あなたのおかげなんだよ。
だから。
絶対に助けるから、待ってて。

そっと胸に手を当て、首から提げた小瓶の固い感触を確かめる。
月を見つめたまま口に含ませれば、藤の香りとほろ苦さがじわりと広がった。

「名前ちゃん、こっち向いて」

ゆっくりと向き直ると、おいで、と両手を広げた善逸が綺麗に微笑んでいる。
迷わずその胸に駆け込んで、そのまま善逸の唇に自分のそれを重ねた。

「ん、っふ…んぐ、ッ!!」

勢いで畳の上に崩れて、善逸を押し倒す形になった。それでも重ねた唇は離さないよう、より深く合わせて自分の口内にあるものを送り込む。
捩じ込んだ舌を粘膜に擦り付ければ、ほんのり残っていた黒蜜と餡子の甘みもあっという間に侵食されていく。
善逸の舌が一瞬強張ったのと同時に、ドンと胸を突き飛ばされて後ろへ倒れ込んだ。

「っは、ぁ、」
「ゲホ…ッ!な、何を…ッ!!!」

咳き込む善逸の口から吐き出された液体が、ぼたぼたと畳へ落ちて染み込んでゆく。
こちらを鋭く睨み付ける彼を尻目にゆっくりと立ち上がる。

「特別に教えてあげる」
「っ、お前…!まさか、」

みるみる顔色が悪くなり動けなくなっている彼に、挑発的に微笑んで見せた。
誰にも言わないでね、と耳打ちするように小声で伝える。

「善逸はね、ここぞって時、私の事呼び捨てにするの」
「ど、毒を…ッ!!!このアマ…ッぐ…ぁあ!!」
「なかなかキュンとくるでしょ?」

もう口調にも気を遣えない程に化けの皮が剥がれてしまっている。
首元を掻きむしりながら悶え苦しむ姿が痛々しい。ごめんね。もう少しだから。

「ほんとは二人だけの秘密だったんだけど…冥途の土産にどうぞ」

苦しむ善逸の姿に心が痛む。けれど、それ以上に沸き上がるのは鬼への憤怒だった。
人間はただの器じゃない。その姿かたち、声や仕草の一つ一つに、その人の歩んできた人生そのものが宿っているのだから。
悠久の時を生きる鬼には理解できないかもしれないけれど、今この時の自分こそが生きている証であり、だからこそ誰もが最後は自分の心に正直でいたいと願うのだ。
そんな掛け替えの無い存在に成り代わり尊厳を冒した罪はあまりに深い。
彼を踏みつけにする奴はどんな理由があろうとなかろうと、鬼だろうが人間だろうが、絶対に許さない。

「返して、私の大事な人」

口から出た言葉は、自分でも驚くほど冷淡な声色だった。
ひとしきり藻掻いた鬼はコトンと頭を畳にもたれて動かなくなり、同時に善逸の体に纏っていた気配が抜けていくのが分かった。


「善逸、善逸っ!」

駆け寄って声を掛けてみるが反応はない。
口元に耳を近づければすうすうと規則正しい息遣いが聞こえて、へたりとその場に座り込んだ。

「…はぁ、よかった、…っ!!」

安堵した途端、胸の奥が焼け付くように痛んで急激に悪寒が走り出す。
だらだらと流れ出る脂汗に、これはまずい、と直感で悟った。
早く善逸に解毒薬を、とポケットをまさぐろうとした手が震え出して上手く力が入らない。ぐわりと大きく視界が歪んで堪らず畳へと両手をつけば、掴みきれなかった解毒薬が転がりそのまま縁の下へと落ちていった。
ぼやけ始める頭を必死に叩き起こそうとするも、本能的に機能を閉じようとする体に抗えない。息苦しさの中、痺れたような感覚が身体の内側を荒らしていくのが分かった。

「っぜ、いつ…ごめん、ね、」

きっと後援が駆け付けてくれるはず。薄れ行く意識の中で私に出来るのは、文を託した鎹鴉と隠の人達を信じる事だけだった。
そのまま善逸の上に被さるように倒れ込み、意識を手放した。

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