妄言多謝の誘い

あれから何とか七日間生き延び、私と善逸は最終選別に無事合格した。
最初に出くわしたのが比較的強い鬼だったようで、その後は窮地に陥ることもなく無事に切り抜けることができたのだった。

屋敷へ戻って十日余り経った頃、ようやく自分の日輪刀とご対面することができた。
色変わりの刀という別名の通り染まり上がった藍色は、在りし日の母の瞳の色を彷彿とさせるものだった。
隣で辟易とする善逸の刀身を見れば、まさしく稲妻のような鮮やかな黄色の紋様が走っていて思わず見惚れてしまう。
そんな私の感動を他所に、当の本人は刀に持ち主が釣り合っていないと嘆いていた。断じて、そんな事はないと思う。最終選別の時の戦いぶりを思えば、この刀を持つに相応しいのは彼だけだ。

鬼殺隊士としての自覚がようやく生まれてきたそんな折、善逸の鎹鴉ならぬ鎹雀がチュンチュンと騒ぎ出した。
気配の見える私でも、さすがに雀の言葉が分かるほどの野性的勘は持ち合わせておらず困り果てていると、その様子を見かねたのか、私の鎹鴉がバサバサと目の前に降り立ち高らかに鳴いた。

「カァァ 我妻善逸ーッ!」
「ギャーーーッカラスが喋ってる!!!」
「近クノ街デェ 鬼ノ痕跡アリィ!!ソノ確認ニ向カェェ!!」
「……は?」

流暢に人間の言葉を喋った鎹鴉は、どうやら通訳をしてくれているようだった。
仕事ってこと?と静かになったチュン太郎に訪ねると、ちゅん、と肯定するように一言返ってくる。
なるほど、ついに善逸に初任務が回ってきたということか。

「初任務、頑張ってね」
「十分に気を引き締めて臨むのじゃぞ」
「ヤダヤダヤダ無理無理絶対死ぬ食い殺されるーーーーッ!!!」
「えぇいやかましい!!さっさと支度して出発せんか!!」
「まだ死ぬ準備も覚悟もできてないし!そもそも死にたくないんだってば!!!」
「善逸、そんなこと言ってたら何もできないでしょ」
「じゃあ名前ちゃん今すぐ俺と結婚しておくれよぉ!そしたら心置きなく死にに行けるからさぁあ!!」
「さすがにその頼みは聞けないかな」

案の定出発を渋る善逸は、またしても息をするように求婚してくる。覚えているだけでもこれで三度目だ。
何というか、過去女性に何度も騙されたというのもこの縋り付く姿勢が原因の一つなんだろう。段々と彼が不憫に思えてきて、気付けば代替案を口にしていた。

「代わりに、一緒に街までついて行くくらいなら」
「ほ、ほんと…!?」
「うん、よく買い出しに下りてたから多少詳しいし…それでもいい?チュン太郎」
「…チュン、チュン!」
「カァァ 共同任務ニ変更ゥ!我妻善逸!苗字名前!街ヘ向カェェ!!」

お計らいありがとう、と告げると鎹鴉はまたどこかへ去っていった。そういえばあの子の名前は何ていうんだろう、今度聞いてみよう。

「ありがとう名前ちゃぁああん!!!」
「まったく情けない奴じゃ…お前はそれでも男か!」
「怖いもんは怖いの!俺じいちゃんみたいに強くないんだからさぁ!」

すっかり甘え切った善逸は、師範に何を言われようと開き直った様子だった。さすがにこのままだと後々尾を引くかもしれない。
びし、と額の辺りを勢い良く指差すと、善逸はびくりと減らず口を噤んだ。

「但し!もしも鬼が現れたその時は、善逸が率先して頸を斬りに行くこと」
「え、」
「そうじゃな、それが良い」
「嘘でしょ…!?名前ちゃん手伝ってくれないの!?」
「元々は善逸に来た指令なんだから当然でしょ、それが嫌ならおひとりでどうぞ」
「わ、わかったから!!見捨てないでお願い!!」

縋り付かれることに慣れてきたのか、善逸に対して出会った当初のような面倒さは感じなくなってきている。
寧ろちょっと嬉しいような、安心するような感覚になるのは何故なのか、自分でもよく理解できない心境の変化だった。

理解できているのは、この妙な感覚が彼に悟られてしまうと困るということ。きっと、それだけ。
私の音が漏れ出す前に、さくっと思考を切り替え出発の支度に取り掛かることにした。


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「この辺りで頻繁に人攫いがあって、お陰ですっかり人が寄り付かなくなってしまったんです」
「そうだったんですか…」

久方振りに訪れたその街は、以前買い出しに来ていた時と全く様相が変わってしまっていた。
多くの人で賑わっていた通りには人っ子ひとり歩いておらず、ずらりと建ち並んでいた商店も殆どが店仕舞いしている。
しばらく歩いてようやく見つけた団子屋で、その店主に事の経緯を聞いたのだった。

「ちなみに、行方知れずになるのは夜の事ですか?」
「えぇ、人を攫うにしても昼間だと目立つでしょうし…死体も見つからないので気味が悪くて」
「なるほど…じゃあ熊や野犬の仕業というわけでも無さそうですね」
「専ら、落武者の憂さ晴らしなんて言われてますよ」

落武者と鬼なら、人を喰らわない分まだ落武者の方がマシかな。話を聞いた感じ、この街の人攫い事件はおそらく鬼の仕業だろう。
善逸は先ほどから怯えた様子で団子をお茶で喉に流し込んでいる。

「お客様も早いうちにお戻りになった方がいいですよ、もうすぐ日が暮れますから」

何なら宿を紹介しますので、と私たちの心配までしてくれる店主さんの様子から、余程この街が恐怖に貶められている事が窺える。

「お気遣いありがとうございます、お団子また食べに来ますね」

ご馳走様でした、とお金を手渡して店を出ると、空はうっすらと夕焼け色に染まりつつあった。
日没まであと僅か。そろそろ鬼がうろつき始める時間だ。


「まずいよもう日が暮れちゃうじゃん、鬼出ちゃうよぉ…!」
「さすがに街の中心部には出てこないと思うけどなぁ」
「へ…そうなの?」
「うん、これだけ拓けてると陽光が差した時に逃げられる場所も少ないし」
「た、確かに…」
「それに街を出入りする人を狙った方が、待ち伏せしやすいだろうから」

鬼も元々は人間であるが故に、賢く生き延びる術を身に付けている。けれどその為には人を喰らわねばならず、結果その存在の痕跡を残してしまう事になる。
鬼殺隊としてもできる限り被害に遭う人を減らしたいのに、その被害がなければ鬼の居所を掴みきれないなんて皮肉なものだ。
鬼と人間、双方が望む未来を両立するのは不可能だ。共存の道は万に一つもない。

「…前から思ってたんだけどさ、名前ちゃんの言葉って説得力があるよね」
「え、そう?」
「なんていうか…名前ちゃんが言うなら間違いないって思えちゃう」
「なにそれ、じゃあもし私が嘘吐いたら善逸のこと簡単に騙せちゃうの?」

でも音でバレちゃうか、と冗談めかして笑っていたら、不意に視線がかち合うまで善逸がこちらを真っ直ぐ見つめていた事に気が付かなかった。
それと同時に、いつから見られてたんだろう、と焦り出す自分にも気付いてしまった。

「俺、名前ちゃんになら騙されてもいいや」
「え?」
「俺はいつだって名前ちゃんのこと信じてるよ」
「……、何言ってるの」

また、無意識に言葉を選んでしまっている。
そんなこと耳の良い彼の前ではあまり意味を為さないなんて分かっているのに。

私、今どんな音がしてるんだろう。
自分の知らないところで、知らないうちに、知らない形へと変わっていくこの気持ちを、彼に知られるのが怖い。
掛けられる言葉が温かいほど、過ごす時間が楽しいほど、その人が大切であるほど、失うのが怖くてたまらない。

任務中に何考えてるんだ、と自分の気持ちに喝を入れて話の軌道を元に戻す。
それでも善逸の顔はしばらく直視できそうにないけれど。

「えっと、鬼の出そうな場所…あ、例えばあのお寺とかはちょっと怪しいかも」

話しながら歩いている内に、ほどよく街の中心から外れた場所まで来ていて一度立ち止まった。
夕焼けを背景にお堂の屋根が影を落としていて、物々しい雰囲気を醸し出している。
街道との境目辺りまで行ってみようか、と振り返ると善逸が泣きそうな顔をして私の羽織を掴んでいた。間違いなく既視感のある光景は、それが最終選別の時に見たものであったとすぐに思い当たる。

「お、鬼の、音…っ!!」
「…読みが当たってたみたいね」

いつ鬼と出くわしてもいいように辺りを警戒しつつ、慎重にお寺の敷地内に足を踏み入れる。
気配を探ってみるが、今のところそれらしきものは感じられない。けれど、後ろで膝をガクガクと震わせている彼には、何かが聞こえているらしかった。

「善逸、音はどこから聞こえる?」
「あ、あそこから…っ」

善逸の目線の先に、古びたお堂が見える。
少しずつ近づいて行くと、そのお堂の中に気配を一つ見つけた。それも、鬼ではなく人のものだった。

「っ、人がいる、捕まってるのかも…!」
「えぇ!?それ、ほんとに人なの、」
「うん、助けなきゃ」
「ま、待って待って頼むよ!心の準備がまだ…!!」

まぁ、無理もない。一度鬼の頸を斬った事があるとはいえ、当の本人がそれを覚えていないんだから。彼にとっては文字通り初めてで未知の領域に他ならないのだ。
このままじゃ埒も明かないし、一つだけ折れてやることにした。

「じゃあ私が様子を見てくるから、その間善逸は裏手を見回ってきて」
「え、一人で!?」
「いつも二人で任務に当たれるとは限らないんだよ?」
「そうだけどさぁ!」
「それに約束したでしょ、鬼の頸は善逸が斬るって」
「…うぅうっわかりましたよ、行くよ行きますよぉ…!」

青ざめた表情ですごすごと離れていった善逸を見送り、意を決して扉を勢いのままに開くと、一番奥で蹲っている人の姿が見えた。よく目を凝らすとそれはまだ幼い女の子で、怯えた様子で声を震わせながら泣いている。
早くここから助け出してあげないと、その一心で躊躇なく足を踏み入れる。

「大丈夫!?怪我は…」
「…っちゃ…」
「え?」
「来ちゃ、だめ…っ!」

女の子が必死に絞り出した言葉を認識したのと同時に、さっきまでぼやけていた鬼の気配が頭上に色濃く見えた。
突如現れた鬼の奇襲により、こちらが抜刀する前に手元を足で弾かれてしまう。体勢を立て直している間に今度は足下に気配が増え、気付いた時には下段から鋭い一撃を受けていた。

「っぐ…!」

堪らず膝をつけば、ぼたぼたと自分の血が床に落ちる音がした。
しまった、不覚だった。頭上の鬼に気を取られていた事で完全に反応が遅れた。
腰元の剣帯ごと引き裂かれ、支えを失った日輪刀は私の左腰ではなく鬼の足元に転がっている。

「可哀想に…刀が無ければ鬼狩りもただの人だな、お嬢ちゃん」


その鬼は落ち着いた口調ながらも口元には薄汚い笑みを浮かべている。
後ろ手に入口の扉を閉められ、差し込んでいた夕焼け色を遮断した。

鬼の中には特殊な術を使う奴もいる、と師範が言っていた事を思い出す。
天井や床をすり抜けるようにして分身するなんて、夢かまやかしでもなければ到底納得できないだろう。
何よりもこの鬼、姿を隠している時に気配が曖昧になるのが厄介だ。こちらが察知した時には既に間合いを詰められてしまっている。
刀を取り返したいけど、手負いの状態で下手に動けば私だけでなくあの女の子の命も危ない。
どうする、どうしたら…、

「あの奇妙な髪色の坊ちゃんは、君の仲間だろう?」
「…は、」
「俺の姿を見た途端に白目を剥いて倒れたよ、可哀想なほど類を見ない腰抜けだ」

そうだ、善逸がいる。
最終選別で見せたあの姿が幻でなければ、まだ勝機はある。すでに意識が無い、という事は。


「俺は女性の方が好みでね、失礼ながら手をつけるのは遠慮させてもらったよ」
「……、」
「仲間にも恵まれずつくづく可哀想なお嬢ちゃんだ…すぐ楽にしてあげよう」
「お、おねえちゃん…っ!!」

にたりと笑う鬼を見て、女の子は一層怯えたように喉を震わせた。
私の背に必死で隠れる彼女を宥めるように、努めて穏やかに声を掛ける。

「…大丈夫だよ、」

信じてるよ、と彼が言ったあの時、私は何と答えたらよかったのか。…本当は、何と答えたかったのか。
胸の奥に慌てて押し込めた、あの時口をついて出そうになった言葉は。


「私も、信じてるから」


そう呟いた瞬間、大きな音と共に扉が勢い良く開け放たれた。
驚きと焦りの混じる鬼の気配越しに、凛と佇む黄金色が見える。


「俺の食事の邪魔をするなァ!」

逆上した鬼が善逸に襲い掛かるも、すでにそこに彼の姿はなく、私と女の子を守るようにして構えを取っていた。


「名前ちゃんに手を出すな」
「…善逸、」
「俺が、絶対に守る」

嬉しいのと同時に心の中が悔しさで満ちていく。
強くなると誓ったのに、結局私は守られてばかりじゃないか。
傷口の痛みと自分の不甲斐なさに歯を食いしばりながら、女の子を庇うように抱き締める。


「雷の呼吸、壱ノ型、霹靂一閃」


踏み込みの勢いで巻き起こった強い風に、思わずぎゅっと目を瞑る。
バチバチと稲妻の走るような音と、ごとり、どたん、といくつか物音がして、次に目を開けた時には、頭と胴体が分かたれた鬼と、床に突っ伏していびきを掻く善逸の姿があった。

女の子はしばらく放心状態でその光景を眺めていたが、はっと我に返って私の顔を見るや否やぽろぽろと涙を零し始めた。

「ね、大丈夫だったでしょ?」
「っうん、うん…!!ありがとうおねえちゃん!!」
「私は何にもしてないよ、お礼ならあの黄色いお兄ちゃんに…」
「でもっおねえちゃん、わたしのせいでケガしちゃって、」

気配が見えるからと、その感覚に頼りすぎてしまっていた。
この傷はそれに甘んじた結果が生んだ、自分への戒めだ。

「この傷のおかげで、お姉ちゃんもっと強くならなくちゃって思えたんだ」
「え…?」
「だから、ありがとね」

にっこり笑ってそう伝えると、女の子は真っ赤になった目を細めて少しはにかんでくれた。
すると突然、規則的に聞こえていたいびきが止み、善逸がむくりと半身を起こした。

「おはよう、善逸」
「名前ちゃん!!また俺…ってギャーーーーーッ!!し、死んでるぅう!!」
「おにいちゃんっ」

女の子が善逸の元に駆け寄っていくのを笑顔で見送ってから、静かに息を吐いて顔を顰める。
さらにジクジクと痛み出した傷口は、炎症が酷くなりつつあった。
包帯や消毒液なんて、戦闘の邪魔になるだけだから携帯できない。多少医療の知識や技術があっても、さすがにモノがなければ何もできないわけで。
任務中にこういう怪我をした時はどうしたらいいんだろう、やっぱり気力で屋敷まで戻るしかないのかな、とりあえず水で洗い流すくらいはしておかなきゃ…なんてごちゃごちゃと考えていると、善逸が珍しく険しい表情でこちらへつかつか歩いてきた。

「…名前ちゃん、その怪我は」
「あ、」

バレた。怪我の度合い的に隠し通すなんて絶対無理だとは分かってたけど、できれば善逸には知られたくなかった。
だって、この人はまた絶対に自分を責めるから。
今回に関しては完全に私の怠慢が招いた事態だ。彼が心を痛める必要なんてこれっぽっちもない。

「何か音がおかしいと思ったら…痛いんでしょ、」
「平気だよ」
「…なんで嘘吐くの」
「私になら騙されてもいいんでしょ?」

彼の掛けてくれた言葉を逆手に取った。自分でもつくづく可愛げの無い女だと思う。
私の言葉を聞いて、善逸は口をつぐんで俯いた。
こうなるのが嫌だから知られたくなかったのに。

「…俺がついて来てなんて言ったから」
「一緒に行くって先に言い出したのは私だよ」
「でも、」
「謝ったら怒るから」

弾かれたようにこちらを向いた善逸の瞳は、後悔と慙愧に揺れていた。

「こうなったのは私の責任だから、善逸は関係ない」
「なっ、何だよその言い方…関係ないわけないだろ」
「これは私の問題なの、善逸が口出しする事じゃない」


善逸を巻き込みたくなくて、突き放した。
…いや、逃げたと言う方が正確かも。
守られてばかりの弱い自分への腹立たしさ、自分の能力が通用しなかったことの焦り、きちんと結果を出している彼に対する劣等感。
こんな負の感情を抱えたまま心の優しい彼と向き合ってしまえば、きっと徒に傷つけるだけだから。


「…そっか、わかった」

そう一言だけ残して背を向けた善逸に、胸がズキンと痛んだ。左の脇腹の傷よりもずっとずっと痛い。
自ら遠ざけておいた挙句に自分が傷つくなんて、どれだけ自分勝手なんだろう。


「あのう、お取り込み中失礼しますが…」


自己嫌悪に苛まれていたところへ遠慮がちに声を掛けられ、おずおずと姿を現したのは隠の女性だった。
そうか、あの下卑た縫製係の印象しかなかったけど、隠の人たちが事後処理をしてくれるんだ。その女性の後にもう二人入ってきて、色々と確認作業を始めていた。

「結構な大怪我じゃないですか!」
「すみません…よろしくお願いします」
「それならそうと早く言ってくださいよ、恋人と痴話喧嘩なんてしてる場合ですか!」
「こっ、恋人じゃ、」
「ひとまず応急処置をしますけど、すぐに療養ができる所へ移動しますよ」

善逸との関係を完全に勘違いされて慌てて否定するも、女性は聞く耳を持たない様子だった。
私がおぶって行きますから、と言いながらテキパキと処置を済ませる彼女に、素直に頷く他なかった。


「元気でね、これからは暗くなる前にお家へ帰るんだよ」
「うんっ!おねえちゃん、ありがとう!」

女の子はかすり傷程度の軽いもので、別段問題はなさそうとの事だった。隠しの人たちが家まで送って行くと言うので一安心だ。
さようなら、とひらひらと手を振り女の子を見送ってから、隠の女性の背に身を預ける。

「あ…名前ちゃん、」
「じゃあね善逸」

何か言いたげだった善逸の言葉を半ば遮る形で、顔も見ずに一方的に別れを告げた。
失礼します、と隠の女性は善逸に頭を下げ、足早にその場から立ち去る。



「よかったんですか?あんな別れ方して」
「…はい、」
「次にいつどこで、生きて会えるかも分からないんですから」

そんなこと分かってる。
いっそ、私の事を嫌いになってくれたら楽なのに。
どれだけ鍛錬を積んでも、いつまで経っても心は弱いまま。


「…これはただの独り言なんですけど、」

いつまでも気持ちの整理がつかない私に、彼女はそんな前置きをして話し出す。


「謝るのって、自分が責任を負うためじゃなくて、相手と分かり合うためにするものだと思うんですよね」

「謝れる人っていうのは、相手の気持ちに寄り添う事ができる人なんです」

「だから、謝られた方も相手に歩み寄ることが必要なんですよ」


彼女の背を通して聞いたその言葉は驚くほど素直に心に染み入って、すとん、と腑に落ちた気がした。
それと同時に、自分のこれまでの振る舞いを恥じた。

今度また善逸に会えた時には、私から謝らなくちゃ。
いつも気持ちに寄り添ってくれる彼と、分かり合うために。


「…ありがとうございます、」
「以上、独り言でした」

そっとお礼を告げると、彼女はそう言ったきり口を開く事は無かった。

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