誰が為の求心力

善逸の着替えは伊之助さんの手を借りて無事に済んだようで、そのまま二人を同室へ入れる事にした。
続々と運び込まれて来ていた怪我人の数は徐々に落ち着き、ひとまず波は過ぎ去った様子だ。
ようやく静けさが訪れるかと思いきや、薬の時間の度に騒ぎ立てる善逸のおかげで本当にここは病室なのかと疑いたくなるほどで。
アオイさんにこっぴどく叱られ、布団に籠ってしくしくと泣き出すまでがお決まりの流れだ。そんな善逸の姿に、師範の元で修行をしていた頃の懐かしさを感じながらもため息を吐く。

そんな時、また一人男性隊士が隠の人に背負われ運ばれて来た。
赤みがかった髪に、市松模様の羽織。
何となく見覚えがある気がして記憶を辿っていると、男性は病室を覗くや否や、その赫灼とした瞳を見開いた。

「善逸!!」
「た、炭治郎…!」

その声を聞いて思い出す。最終選別で案内役の女の子を庇った、あの人だ。
炭治郎と呼ばれた彼もまた、伊之助さんと同じく私たちと同期という事か。
善逸は自分が山でどれほど大変な目に遭ったか、どれほど薬が不味いか、どれほどアオイさんが怖いかという事をひとしきり炭治郎さんにぶち撒ける。
困った顔をしながらも黙って聞いてやっている様子を見るに、彼は相当心の優しい人間なんだろうと思う。

「このまま同室でも構いませんか?」
「はい、俺はどこでも…っぁあ!?伊之助いたのか!!」
「落ち込んでんのか、すごい丸くなっててさ」
「え?伊之助さんって、普段はこんなじゃないの?」
「…まぁ、こいつの調子が戻れば嫌というほどわかると思うよ」

善逸はひどくげんなりとした表情のままそれ以上語ろうとしない。
いまいちピンと来ず首を傾げていると、炭治郎がおずおずと口を開いた。

「ええっと…善逸、その人は知り合いなのか?」
「この子も同期だよ、一緒にじいちゃんとこで修行してたんだ」
「そうだったのか!すまない、覚えてなくて…」
「ううん、私もついさっき思い出したくらいだから」

互いに苦笑しながら言葉を交わす。文字通り生死を賭けたあの七日間の後では、周りを把握する余裕なんてなかったのだ。

「俺は竈門炭治郎、よろしく」
「苗字名前です、こちらこそよろしくね」
「そうか!君が名前か、」
「え?」

互いに自己紹介を交わしたところで、炭治郎は何か合点がいったというような表情で声を上げた。

「任務中、善逸がずっとうわ言のように名前ちゃん名前ちゃんって言ってたから」
「ちょ、それを言うなって…!」
「善逸!心に決めた人がいるなら、誰彼構わず女性に言い寄ったりするもんじゃないぞ」
「たっ炭治郎、馬鹿お前…ッ!!!」
「禰豆子に対してはともかく、道の真ん中で初対面の女性に求婚するなんて失礼にも程があるだろう」
「…求婚、」

炭治郎が確かに口にしたその言葉に、心がもやもやと曇っていく。
善逸にどんな顔をして会えばいいのか、どんな言葉で謝ろうか、自然に会話ができるだろうか、とそんな事でひと月余りも悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。
私が不安に駆られている間に、彼は通りすがりの女性にうつつを抜かしていたのだ。顔も声も知らないその女性に結婚してくれと縋る善逸の姿を想像すると、怒りを通り越して呆れてくる。
人の気持ちも知らないで、この人は。

「へぇ、そうだったの」
「名前ちゃん…?」

自分の口から出たのは至って落ち着いた声色で、それが逆に威圧感を与えたのか善逸はたじろいだような反応を見せた。

「ご心配なく、善逸と私はただの相弟子だから」
「え、そうなのか?でも、匂いが…」
「肉離れ起こしてて辛いでしょ、冷やしましょう」
「あ、あぁ、お願いします」

有無を言わさず奥のベッドへ誘導すると、炭治郎は少し戸惑いながらも素直に従う。
私に素っ気なく関係性を否定された善逸は何か言いたげな視線を寄越したけれど、諦めたようにしぶしぶ薬に手を伸ばしていた。

「あ、あの…ごめん名前」
「うん?何が?」
「名前から怒ってる匂いがして…」
「へ?匂い…?」

咄嗟にくんくんと自分の匂いを嗅いでしまうけれど、別段変な匂いはしない。
そんな私の様子を見て、炭治郎は困ったような顔で笑った。

「俺は鼻が効くんだ、人の感情もそれで大体読み取れるから」
「へぇ…すごいね炭治郎」

善逸の聴覚のようなものなのだろうか。なんだか心の内を曝け出して歩いてるみたいで、少し恥ずかしい。
処置の準備をしながら先程の炭治郎たちの会話をふと思い出して、気になった事を尋ねてみる。

「さっき言ってた…ねずこ、っていう子も同期なの?」
「え?あぁ違うんだ、禰豆子は俺の妹だよ」
「妹さんかぁ、じゃあ兄妹で鬼殺隊に?」
「…そう、なんだけど…少し事情があって、」

さっきまではきはきと話していたのに急に歯切れが悪くなる。炭治郎は少し躊躇った後言い辛そうに言葉を紡いだ。

「鬼なんだ、禰豆子は」
「え…?」
「だけど人を守るために一緒に戦ってる…だから名前の言うように、兄妹揃って鬼殺隊士だな」

そう言ってはにかんだ炭治郎をじっと見つめる。その気配は曇りのない澄み切った青空のような色で、胸の辺りには温かなともしびが揺らめく。
鬼だと聞いて即座に意識を集中させてみたけれど、鬼特有の嫌な感じの気配はどこにも見当たらなかった。
きっとそれは、炭治郎の妹さんが人間としての大切な部分を忘れずに持ち続けているから。
思い立って目線を善逸へと向けると、彼は穏やかな様子で私を見つめていた。大丈夫だよ、とでも言うようなその表情に、私も小さく頷き返す。

「下顎の打撲と…筋肉痛も酷そうだね、」
「え…!すごいんだな名前は!触ってもいないのに怪我が分かるのか?」
「そうなの、変でしょ」
「変だなんて思わないよ、きっとこれまでたくさんの人を助けてきたんだな」

自分が満身創痍の状態であっても他人に労いの言葉を惜しみなく掛けられる、それだけで炭治郎という人がどれほどできた人間なのかが分かる。
向けられた優しい笑みは、まさに病室の窓から差し込むお日様の光のように晴れやかで、こちらまで顔が綻んでいく。


「妹さんの事だけどね、」
「え、」
「炭治郎を見てれば分かるよ、絶対に人を傷つけたりしない子なんだなって」
「名前…、ありがとう」

そうお礼を言う炭治郎は、ほっとした様子で笑顔を見せた。
鬼の妹を連れている、それだけで壮絶な過去があったという事は容易に想像がつくし、きっと鬼殺隊士になった今でも、周囲から敵意の眼差しを向けられる事だってあるだろう。

彼が弱音を吐けるような場所や甘えられる人はいるのだろうか。ふとそんな事を考えていると、私が言えた義理ではない事に気付いてしまう。
自分の弱さが露呈する前に思い直して、手元の作業に集中する。

「これでよし…ひとまず簡単な処置だけしてるから、後でしのぶさんに診てもらってね」
「あぁわかった、ありがとう」
「いいえ、任務お疲れ様」
「ね、ねぇ名前ちゃん!そういえばさ、どうして看護婦さんなんてしてるの?」

炭治郎との会話に割って入るようにして、善逸が問い掛けてきた。
さっきの求婚云々の話でささくれ立った気持ちはまだ落ち着いていないけれど、いつまでも根に持つのも良くないと自分に言い聞かせ返答する。

「負傷者が多くて人手が足りなかったの、だから手伝ってただけだよ」
「…そっか、」
「それがどうかしたの?」
「え?う、ううん何でもないよ」

一瞬取り繕うような反応を見せた善逸が気になったものの、表の方でふわりと感じた気配に意識が向いた。おそらくしのぶさんが帰ってきたのだろう。
あんな状況だったしアオイさんの同意もあったとはいえ、しのぶさんの許可を得ず動いていたのだから仔細の報告はしておかなくては。

「じゃあ皆、くれぐれも安静にね」
「本当に助かったよ、ありがとう名前」
「ヤダ行かないで名前ちゃん!後生だから!!」
「いつまでも甘えてないでさっさと薬飲む!伊之助のこと、二人で励ましてあげてね」

去り際にちらりと見えたのは、苦笑いで手を振る炭治郎と、捨てられた子犬のような目で湯呑みを手にする善逸の姿だった。


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「おかえりなさい、しのぶさん」
「ただいま戻りました、お手を煩わせてしまっていたようですね名前さん」
「すみません勝手な事を…」
「いいえ賢明な判断でした、感謝します」
「と、とんでもないです」
「所見の書き置きを見ましたがどれも的確でした、アオイの話では驚くほど診断が早いとの事ですが…」

しのぶさんは答えを促すようにこちらを見つめているけれど、すでに何かしら察している様子だった。

「あ、ええと、少し長くなってしまうのですが…」
「あら、ではこちらで少しお話ししましょう」
「え、よろしいのですか…?しのぶさんお疲れでは、」
「構いませんよ、ちょうど私も名前さんにお話ししたい事がありましたから」

話とは何だろうか。怒られはしないだろうけど、改まって言われると妙に意識してしまう。
少し緊張しながらも、しのぶさんに言われるがまま後ろをついて歩いた。


そのまま診察室に通された私は、自分の持つ能力にまつわる話を過去から現在に至るまで洗いざらい伝えた。
私の話が終わるまでしのぶさんは一言も口を挟まず、相槌を打ちつつ耳を傾けていた。

「気配が探れ、見るだけで体の負傷が分かる、ですか…それは興味深いですね」
「でも本当にそれだけなんです、怪我が見えたところで何もできない事なんてしょっちゅうで」

善逸との初任務での戦闘を思い出す。怪我をしたのもそもそも気配に頼りすぎていたからで。
善逸の聴覚は戦闘で活かされているのに、私は自分の特異な感覚を使いこなせていない、そんな引け目があった。
いっそのことこんな能力などなかったら良かったのに、とまたいつぞやの後ろ向きな自分が顔を出しそうになる。

しのぶさんは顎に手を当てて少し考える素振りを見せる。
それはつまり、と切り出してこちらへ目線を戻した。

「環境さえ整っていればその力を充分に発揮できるという事ですね、今回のように」
「え、えぇ…そうですね、」
「では、蝶屋敷に駐在するというのはどうでしょうか」


しのぶさんの発した言葉は予想外のもので、一瞬反応に困ってしまった。
この屋敷に駐在、という事はアオイさんたちのような存在の事を言うのだろうか。

「それは、ここで働くという事でしょうか…?」
「えぇ、こちらとしても名前さんがいてくださると助かりますし、貴女もご自分の能力を見つめ直せるのではと思いまして」
「見つめ直す…」
「もちろん優先すべきは鬼を倒す事ですから、任務の無い時だけこちらで働く事になるかと…いかがでしょう?」


鬼の滅殺と蝶屋敷での仕事。しのぶさんがこなしているとはいえ、新米隊士の私にその二足の草鞋を履きこなすことなんてできるのだろうか。
だけどこうして求められている以上、それを断る理由なんてどこにもない。それに今回のようにしのぶさん不在の場合、対処できる人間が一人でも多い方が苦しむ隊士も少なくなる。

「…分かりました、やってみます」
「さすがです名前さん、その向上心と変化を恐れない姿勢はあなたの強みだと思いますよ」
「あ、ありがとうございます、」

優しい笑みと共に不意に褒められてたじろいでしまう。
しのぶさんは人を褒めたりその気にさせるのが抜群に上手い。気付いた時には手のひらで転がされているようなものだけど、不思議と嫌な気はしないのだ。

「それともう一つ、お伝えしたい事が」
「何でしょう」
「私が毒を使って鬼と戦っているのはご存知ですよね?」
「はい、戦う相手によって調合を変えていると伺いました」
「その通りです…残念ながら私には鬼の頸を斬る力がありませんから」

小柄で華奢な体でも、自分に合った戦い方で柱にまでなるほどの強さを手にしている。
階級は文字通り天と地の差だけれど、同じ女性隊士として尊敬せずにはいられない。

「近頃妙な血鬼術を使う鬼が増えてきましたし、鬼狩りが刀を持たぬ状況につけこまれるような事もしばしばです」
「私も身に覚えがあります、情けない話ですけど」
「そういった非常時に、日輪刀以外の戦力として毒を用いる事ができたらと考えておりまして…」

確かに鬼からしてみれば日光と頸にさえ気を付けていれば、戦いの最中に逃げ果せる事だってできてしまうのだ。そこに毒という選択肢が加われば、その分戦いやすくもなる。
しのぶさんのように鬼の滅殺までは出来ずとも、非常時に一矢報いたり戦況を変えるきっかけにはなるかもしれない。

「名前さんには、その研究をお願いしたいのです」
「毒の研究、ですか」
「携わった事は?」
「薬の調合ならありますけど、毒の精製はさすがにないですね…」

苦笑しつつそう伝えると、ですよね、と眉を下げたしのぶさんは若干遠慮がちに話し出す。

「アオイや他の子たちですと、鬼に対峙する機会がありませんから」
「実戦で毒の効果を試したいという事ですね」
「おっしゃる通りです、とはいえ呼吸法や型の問題がありますから、刀に仕込むのとは別の方法になりますけれど」

初めての試みで上手くできるかどうか正直分からない。けれど、しのぶさんが私にこの話を持ち掛けている理由は理解できる。
研究成果は研究者自身が身を持って証明した方が、その後の修正や応用もやりやすいからだ。
医学と薬学の知識があり、なおかつ任務に赴く鬼殺隊士である事。この条件に当てはまる人間はそういないだろう。

自分にできる事をやるしかない、そう口走ったのは紛れもないいつかの自分だった。
私にできる事、それで誰かが救われるなら。

「お力になれるか分かりませんが…私でよければ是非やらせてください」
「名前さんなら、きっと引き受けてくださると思っていましたよ」
「…足手まといにならないよう努力します、」
「ふふ、頼りにしていますね」

そう言って笑ったしのぶさんがあまりに可憐で思わず見惚れてしまった。
しばらくぽかぽかと温まっていた心がその後バキバキにへし折られるとはつゆ知らず、機能回復訓練へと向かうのだった。

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