弱肉強食4
 

弱肉強食3.5




ぴこん、と卯崎のスマホに一件のメッセージが届く。
連絡をとりあう友だちもいない卯崎にメッセージを送る人間など限られていて、二限が終わったばかりの休み時間、次の授業の用意をして机に座りぼーっとしていたところ、鞄の中から鳴る突然の通知音に心臓が飛び出そうになりながら慌ててスマホを取り出しメッセージを確認する。

“今日の夜、俺の部屋来ない?”

それはつい最近、連絡ツールの友達欄に増えたばかりの人からのメッセージで、卯崎は間髪入れずにすぐさま返信した。

“行きます!”

と。デフォルメされたエロかわいい女の子が急いでる風のスタンプ付きで。このシリーズのスタンプは卯崎のお気に入りでもあった。

“じゃあ夜も一緒に食べよう”

思わず卯崎は立ち上がり声を出して喜びを外に出したかったのを、なんとか堪えて咳払い一つで済ました。

もちろん返事は決まっているが、文章に悩む。
卯崎はとかく学園の人が多い場…例えば食堂や、談話室。そういった場所へは行きたがらない。食事を共にする親しい友人もいないし、1人で行くのは過敏な思春期の男子には憚られる。周りの揶揄する視線が怖かった。なので朝昼夜の食事は卯崎は下手くそなりに自炊している。

“委員長の部屋で食べたいですんけど…だめですか?”

食堂は嫌ですと否定するのはなんだか冷たい返信な気がして、卯崎の返事は考えた結果この文章になった。



ーー所変わって、卯崎のスマホの画面の向こうの向こうでこの文面に頭を抱える男がいた。

「なに、鷲波。もしかして今笑ってる?珍しいね」

そう、それは卯崎とメッセージをやり取りしている最中の鷲波のことだ。鷲波を怪しんで声をかけてきた小爪の、朗読の時間に聴きたくなるような柔らかい声も今の鷲波には届かない。

なんと可愛らしい、小さな我儘か。
画面に映る文字を見ただけで鷲波の脳内ではしっかり、上目遣いで瞳をうるうるさせて、小首を傾げる卯崎の姿が再生された。実際はそんな事無いのだが。

鷲波が必ず卯崎の心を自覚させて、卯崎の頸に一生消えない痕を残すと決意してから、鷲波はちょくちょくこういった連絡を送るようになった。

まずは卯崎の意識改革ということで、セックス以外の事でコミニュケーションを図る。食事しながら会話するというのは一番効果的だろう。お互いを知るというのはとても大事な事だ。
そしてたまにはただ2人で喋りながら過ごすだけの、セックスをしない日も鷲波が勝手に作って、セフレでいるつもりは無いということも態度で示す。

あの手この手で鷲波は卯崎と駆け引きをしていた。押しては引いて、押しては引いて。普段からセックスする時や会話する時、基本的に鷲波は随分と卯崎を甘やかしている。だがたまに設けられるセックスをしない日、それは卯崎からしてみればとてつもなく動揺して不安になるほど大層な出来事である。だがセックスしないからといって突き放したり会話が適当になったりするような冷たいマネは決してしない。
しない日こそたんと卯崎を甘やかす。それが鷲波流押しては引いて作戦だ。

そして今日がそんな、鷲波が勝手に決めた卯崎を甘やかす日である。
卯崎が自分の部屋で食事をしたいと言うならそれでもいい。久しぶりに今夜は腕を振おうじゃないか。

なにを食べたい?、そう返事しようとした所でちょうど休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ってしまった。そしてすぐに生物担当教諭が入って来て出席を取りだした。この先生はチャイムが鳴った瞬間に席についていないだけで遅刻扱いにしてくる意地悪な先生だと生徒の間でもっぱらの評判だ。鷲波は一応風紀を代表する人間であるから、違反はよろしくないと返信しないままスマホを鞄にしまい込んだ。




(返信…こなかった)

ーーー再び所変わって、そう不安の海に溺れるのは卯崎だった。

(既読はついてるのに…烏滸がましいワガママを言ってしまったよな…愛想、つかされたかな。…それは、嫌だな…)

彼は今現在、先程の自分の返信に自己嫌悪中である。言うんじゃなかった、ああ言えばよかった、図々しいにも程があるよな、とすっかり後悔しまくりネガティブモードだ。そんな調子だから授業などにもちろん頭に入るわけもなく。

(…返信、早く来て欲しい)

思わずして、鷲波の知らぬところではあるが押して引いて作戦の効果がじわじわと現れて来ているようだった。

しかしそんな卯崎の願いも届かず3限目の休み時間が終わっても昼になっても彼の携帯に鷲波から返事が来ることはなかった。


(あ、水ない…買いに行こう…)

昼時の教室。生徒の大半は眉目秀麗で有能なこの学園のアイドル的存在と言っても過言ではない生徒会の役員ら見たさに自炊組の生徒であっても弁当を持って食堂へ行く。もちろん食堂利用者も多い。教室に残る人間は卯崎を省けばほとんどいない。ぽつーんと自席で卯崎が弁当を広げた時だった、鞄の中に水筒が入ってなかったことに気づいたのは。

さすがに朝から水分を取っていない卯崎、あまり食堂には行きたくなかったが自販機は食堂にしかないし売店にも飲み物は売っているが昼時のそこは人でごった返す。仕方ないと諦め早く買って戻ろう、と席を立ち上がった。





「会長様と副会長様、ほんとお似合いだよね!遠くから見てるだけでも微笑ましい…」
「うんうん、ホントにー!でもさ、最近風紀委員長様と副委員長の小爪さん!あのおふたりもなんだかいい感じじゃない?」

予想通り生徒で賑わい溢れていた食堂の端の端でガコッ、と卯崎は買ったばかりの水を落としてしまった。
たまたま自販機近くのテーブルで食事をしていたチワワ系生徒らの会話を耳にしてしまったからなのだが、

「だって今日もね、小爪さんが委員長様に優しく微笑んでてね、それに滅多に笑わないことで有名な委員長様が微笑み返してたんだよ!すっごいお似合いだったんだから」
「委員長様が笑顔に?!すごいね、それだけ小爪さんのことが好きなんだね!ほんとなら応援しちゃう!」

それらを聞いていた卯崎は1トンハンマーで頭をごつーん!と思いきりど突かれた気分になった。それくらいの絶望感だったのだ。

もし彼らの噂通り、鷲波が小爪と恋愛的な意味でいい感じなのであれば自分はどれだけ邪魔な人間なんだろう。
卯崎はつい最近のヒートでの失態、ヒートが終わってからもただ性欲発散の為に鷲波を利用していた自分に嫌悪する。

それに小爪とは卯崎も面識がある。他の人とは違って揶揄するような、嫌悪するような視線を向けることなくこんな自分にも優しく接してくれた人だと卯崎は記憶している。そんな身も心も美しい人と、お世辞にも整っているとは言えない顔に、自分のことしか考えられないような浅ましい性格の自分。比べなくても鷲波にとってベストなパートナーは自分ではないのは一目瞭然だった。

鷲波からの返信が来ないことも加えて、卯崎は不安の海で後悔と自己嫌悪という荒波に飲まれ溺死寸前だ。




それから動きがあったのは午後ふたつめの授業が終わった時だった。

“今日、7時に俺の部屋来て”

半ば返信が来るのを諦めて大人しく部屋に帰ろうと荷物を鞄にしまっていた時だった。随分と久しぶりに感じる通知音に、やはりお昼にあんな噂話を聞いていたとしても舞い上がる自分がいると卯崎はぼんやりと自覚した。

なぜ返信が来ただけで舞い上がるほど嬉しくなるのか、卯崎は未だ自覚していないが、しかし手放しで喜べないのも事実だ。小爪との噂を聞いてしまった今、このままではだめだと卯崎の心に変化の兆しも見え隠れする。

(ちゃんと、)

卯崎はぎゅっと拳を握りしめ決意した。



時は流れ7時前。卯崎は心も体も浮き足立って少し早めに鷲波の部屋の前まで来てしまった。早くないかな、大丈夫かな、と緊張した手つきで部屋に備え付けのもうこの短期間で何度も押したインターホンに触れる。軽く触っただけで明るい音を部屋中に響かせるそれに、卯崎はまたさらに緊張するも、近づいて来た足音に期待も膨らませる。

「はい。どーぞ」
「し、失礼シマス…!」

委員会終わりの鷲波は服を着替えただけで、部屋着すらかっこいい姿に卯崎はきゅんとする。一目見るだけで今日たった少し返信が来なかった事の不安や、信憑性のない噂話がどうでもよく思えた。ーーしかし、それではだめなことを卯崎は分かっている。

「ご飯は悪いけど今から作るからちょっと待って…」

部屋の入り口からリビングキッチンへ繋ぐ細い廊下で卯崎の前をいく鷲波を、卯崎は後ろから硬い肩甲骨の間に額を預ける形で抱きついた。

「…どうしたの、うさ」

発情してもない状態の卯崎からのスキンシップが珍しく一瞬反応に遅れる鷲波。

「……いいんちょう、すきなひとっていますか…?」

緊張した声でそう鷲波に問うのは卯崎。

「…いるよ」

そんな卯崎に怪訝そうにしながらも質問に答える鷲波に、卯崎はこの日二度目の絶望を味わった。昼よりもがつーん!と。
しかし言わずもがな鷲波の好きな人と言うのは当然卯崎のことである。もしやこの流れはいい感じの流れなのでは?と鷲波は少し期待したのだが。

(やっぱり、噂どおりなんだ…!)

やはり、勘違い男卯崎はそう一筋縄ではいかせてくれない。鷲波の好きな人は小爪だということを前提で話をした彼はこの部屋へ来る前、もし鷲波に好きな人がいるなら大人しく身を引こうと心に決めていた。ーーそう、大人しく。

「いっ、委員長が小爪さんと付き合うまでは、俺ここに来てもいいですか?!2人が付き合ったら、もう2度と関わらないようにしますっ」
「…は?」
「えっ?あっ、だ、だめですか…?な、なら最後にもう一度だけ!もう一度だけ俺と、エッチ…してください!」

…これでも、卯崎はお と な し く身を引いた方なのだ。これにはせっかくの卯崎からのスキンシップに少し浮かれた鷲波の琴線に触れた。しかし、あまりに馬鹿馬鹿しい我儘にどこから突っ込もうか、鷲波は廊下で立ち止まったまんま冷静に考えた。

好きな人の話が出たかと思えば、なぜ突然小爪の名前が出て来るのか。なぜ勝手にこの関係を終わらるようなことを言うのか。そして本当にセックスが好きだなと。山ほど突っ込みたいことはあるが、鷲波は大きめの溜息を一つ吐いてとりあえず質問に答えることにした。

「…俺はうさと、セックスしない」

鷲波のその言葉に、鷲波が目視することは叶わないが卯崎はその逞しい背中から顔を上げて、声にならない声をあげて瞳を絶望に染めて明らかにショックを受けた様子だった。

「逆に聞くけど、うさはなんで俺とセックスしたいわけ?」
「な、なんでって…」
「気持ちいいから?それだけなら別に俺じゃなくてもいいでしょ。もう一度ディザイアに行くなり、たまにはオメガなこと活かしてその辺の男でも釣ってきな」
「ちがっ…!いいんちょうじゃないとや…っ」

卯崎にとって顔色の見えない鷲波のその問い詰めは怒気を含んで氷よりも冷たく、思わず涙が溢れそうになる。

確かに、鷲波とのセックスは今までの相手たちと比べるまでもなく遥かに気持ちいい。どちらか言わなくても性欲旺盛な方だが、この人じゃないと嫌だと、もう一度、と強く思ったのは鷲波だけだった。それがどこから来るのかを鷲波は聞いているのだが、卯崎に「鷲波が好きだから」という頭はなかった。

ただ嫌われるのが恐ろしく、突き離されるのが怖くてたまらない。
口下手で、自分の感情を測るものさしを持たない卯崎にこの感情を表現し伝えることはとても難しいことだった。

「わか、じぶんでも、分かんないですけど…っ、いいんちょうといると、落ち着くし、今まで感じた事ない感じ…こころがふわふわして、一緒にいると楽しいんです。もっと、一緒にいたいとも、思うし」

しかしそれではいけないから、卯崎はこうしてアクションを起こしたのだ。鷲波と小爪が付き合うのが時間の問題なら、残された鷲波の時間を自分に使って欲しいと思う。それ以上は我儘を言うつもりはない。なのに鷲波に拒否されてしまった今、とてつもない空虚感に卯崎は襲われてしまっている。

「…それってさ、俺のこと好きってことなんじゃないの」
「……すき、?」
「そう」

しかしいつのまにか後ろを向いて卯崎を見下ろす鷲波のその言葉に、卯崎のぽっかり空いた心の一部が降ってきてそれはしっくり、ぴったり、すっぽりと綺麗に当てはまった。

「…おれが、いいんちょうを、すき」

ただの文字の羅列みたく「すき」を発音する卯崎がその言葉の意味をやっと理解し、自分の感情のルーツを自覚するまで、あと1分はかからない。





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