08 「邪魔しないでね」〈1〉

 


 昨日の夜、クロウさんの気配がしてぬいぐるみが大きくなって、月城君はユエさんに姿を変えた。その間に月城君の家やまわりがぐちゃぐちゃになっていたから、月城君に戻ったときにその惨状を説明するのはとても難しかった。知世ちゃんが特に上手に話をまとめてくれた。
 だから翌朝、もしかしたらやっぱりおかしいと月城君に何か質問されるかもしれないと少し緊張していたわたしは、慎重に「おはよう」を言うと決めていた。

 朝いつもの待ち合わせ場所に行けばすでに月城君が待っている後ろ姿がみえる。別に驚かせようとしているわけではないけれど、わたしはとりあえずおそるおそる近づいた。

「おはよう、月城君」
「…………」
「……月城君?」

 月城君は何か考え事でもしているのか一度めの呼びかけには反応しなかった。眠ってはいない。瞳はきちんと開いていた。
 そして二度目の呼びかけでようやく月城君はわたしのことに気がついた。

「あ、まなみ、おはよう」
「おはよう、月城君」

 本当ならだいじょうぶ、と声をかけるところだけれどそう簡単にだいじょうぶとは口にできなかった。何故月城君がうわの空だったのかは大体想像がついてしまうから。

「ごめんごめん、ちょっと考え事してて……」

 きっと昨日のことを思い浮かべているんだろう。月城君はいつにもなく少し不安そうな、浮かない表情をしていた。

「…………」
「?」

 考え事をしていたと言った月城君はそこから黙ってしまって、でも何か言いたそうにわたしを見つめていた。だから何だろうと首をかかげてみれば、少し遅れてから「ううん、何でもないよ」と微笑む。
 やっぱり昨日のことで話したいことがあるのかもしれない。わたしは意を決して何か気になることでもあるのかと聞こうとした。
 するとちょうどそこに自転車に乗った桃矢君とさくらちゃんが現れて、わたしの言葉は飲み込まれてしまった。

「おはよう」
「おはようございます!」

 すると月城君はいつもと同じ、さくらちゃんに向ける優しい表情をして行こうか、と口にする。さっきまでの浮かない表情はどこへやら、わたしや桃矢君に何も気づかせまいとしているようだった。






 休み時間、選択授業の為に桃矢君を教室に残して月城君と2人で廊下を移動していたときだった。わたしと月城君が恋人同士だと思っている同級生達は、わたしたち2人でいると邪魔をしてはいけないと少しだけ離れて距離をとるようにする事がたまにある。まさしく今がそれで、わたしと月城君のまわりには人がいなかった。
 月城君はその時間を利用しようとしていたのだろうか、まわりを見、気にしてから話しはじめた。

「まなみ、すこし……いい?」
「どうしたの」

 どうしたのとは建前で、心のなかではきっと昨日のことを聞かれる、何をどう聞かれるのだろうと緊張で一杯いっぱいだった。

「最近変なんだ……いくら食べてもお腹いっぱいにならないし、それにぼうっとしちゃって……」

 月城君はぽつりぽつりと話しはじめた。最近記憶が途切れたりする。昨日も気がついたら家のまわりが壊れていて、せっかくさくらちゃんにくまのぬいぐるみをもらったのにいつの間にかくまの耳が破れてしまっていて。

「……それも、全然覚えてない」

 月城君はとても申し訳なさそうにそう話してくれた。いつもはやわらかく弧を描くまゆも悲しそうに下がっていて、大きな瞳も元気がない。
 色素の薄い髪の毛先がふわりと揺れた。

 そんな月城君を見つめていると、さっきまでどんなことを聞かれるだろうかと緊張していた自分が恥ずかしくなってしまった。
 月城君は記憶がなくなってしまったりぼうっとしてしまったりすることをひとりで悩んで、思いつめてしまっていた。

「少しの物忘れくらいならいいんだ、……けどぼくの目の前にいる人に対してさっきまでの事覚えてないのって、何だか凄く申し訳がなくて……」

 月城君は今回特にさくらちゃんに対して申し訳ないと思っているみたいで、今朝のさくらちゃんの様子を気にしていたみたいだった。

「朝、いつも通りのさくらちゃんをみて安心したんだ。……昨日のぼくが何も覚えてなかったせいで悲しんでしまってないか、すごく心配だったから」

 だからさくらちゃんの前で自分もいつも通りの姿を見せて、普通に挨拶ができたのだと月城君は説明してくれた。そこで月城君は落ち込んでいる姿を見せないように、出来るだけいつも通りを意識していたらしい。

「ごめんね、こんなこと言って」
「ううん……そんなことない」

 月城君はゆっくりと瞬きをした後、申し訳なさそうだった表情を少しだけいつもの温厚そうな表情に戻した。

「あのね月城君……どんな事でもいいから、何かあったらわたしに話して?力になれるかはわからないけど……」

 わたしには話を聞いてあげるくらいしかできることがない。桃矢君が月城君は人間ではないと本人に話をするまで、わたしは月城君のことをできるだけ見守っていこうとそう思った。


「ありがとう。でもだいじょうぶ、いま話してたら少しだけすっきりした」
「本当?」
「うん、本当」

 だいじょうぶ、いつもの月城君だ。本当だと話してくれる月城君の表情はたった今いつも通りになった。

「まなみ」
「?」
「このこと、……」
「だいじょうぶ。桃矢君には言わないでおくね」
「……ありがと」

 月城君の言いたいことが何となくわかったわたしは桃矢君にこの事を伝えないと言った。月城君は桃矢君に心配をかけたくないのだ。ただでさえ勘の良い桃矢君は、多分あの強い魔力が無くともこういう悩み事を見抜いてしまうタイプだと思う。それを知っているわたし達だからこそ、そんな会話をした。
 するとすぐチャイムが鳴って気づけば授業がはじまる時間になっていて、わたしと月城君は急いで教室に入り授業の準備をはじめることになった。