11 チョコレートはお好き?〈3〉

  


 バレンタイン特有のそわそわとした空気が少し落ち着いてきた頃、折角のバレンタインだからいっしょに来てほしいと言うウィリアムに連れてこられたのは学校の音楽室。
 本当はまなみにだけ渡すつもりだったんだけど、とバレンタインカードをわたしと桃矢君、月城君にも手渡してくれた。シンプルな白地のカードに Happy Valentine と赤いペンで書かれている。
 そしてウィリアムはグランドピアノの前に座ると深呼吸をひとつ、ショパンの有名な曲を演奏しはじめた。

 コンクールで優勝するほどの腕前のウィリアムが奏でる音楽にわたし達は酔いしれていた。ピアノを弾くウィリアムの姿はいままでに何度も見たことがあるけれど、学校でこんな風に演奏を聴くのははじめてだ。親友贔屓かもしれないけれど、ウィリアムの弾くピアノはとっても素敵。

 あっという間に演奏が終わると隣で目をつぶっていた月城君がゆっくりと拍手をする。

「ありがとう、ウィル」
「どういたしまして」

 とっても素敵なバレンタインのプレゼントだった、と月城君がにっこり微笑んだ。本当に嬉しそうだ。そして少し離れていたところで演奏を聴いていたわたしと桃矢君も拍手をしながらピアノに近づいた。すると視線を鍵盤から桃矢君に向けるウィリアム。

「ねえ桃矢」
「?」
「僕きみの演奏が聴きたかったんだ」

 わたしへのバレンタインプレゼントというのはもちろん本当なのだけれど、ウィリアムは桃矢君の演奏が聴きたいから音楽室にいっしょに連れてきたのだと言う。

「桃矢と僕ふたりきりなら絶対演奏してくれないだろう?まなみと雪兎がいたらきみもピアノ弾く気になるかなーと思って」

 以前コンクールがあったとき、わたしと桃矢君はウィリアムといっしょに食事をした。そのときに桃矢君がピアノを弾けると言っていたことをウィリアムは覚えていて、ずっとその腕を確かめたかったらしい。

「お前みたいな上手な奴に聴かせられるようなもんじゃねぇよ」
「それでも聴きたいんだ」

 お願い、と普段見せないようなとっても真剣な表情で桃矢君を見つめるウィリアム。対する桃矢君は何やら複雑そうな表情だった。
 桃矢君はピアノが弾けることを決してひけらかしたい訳じゃない。

「…………少しだけだ」

 複雑そうだった表情を少しだけ崩して、仕方がないというようにため息をつきながらピアノの椅子に座る桃矢君に、やったー!と席を譲るウィリアム。
 桃矢君はさっきのウィリアムと同じように深呼吸をしてから、ゆっくりと鍵盤に手をそえた。

 そうして奏でられるそのピアノはとっても心地良さそうで。ウィリアムとはまた違う、けれど引けを取らないくらい桃矢君の演奏は上手だった。その証拠にプロの演奏を沢山聴いているはずのウィリアムが驚いたようにしていた。

「上手だね、とーや」

 区切りのいいところですっと演奏をやめた桃矢君に月城君はそう声をかけた。わたしと月城君とウィリアムが桃矢君のそばに寄ると、また演奏をしはじめる桃矢君。あまり見ることのない穏やかな表情で鍵盤をなぞっていた。

「聴いたことない曲だけど」
「……母さんがつくった曲だから」

 だからそんなに穏やかな表情をしていたんだと納得した。むかしを懐かしむような、何かを思いだそうとしているような、そんな表情。

「きれいな曲だね」
「そうだな」

 そんな桃矢君につられてわたし達みんなが穏やかな気持ちになった。
 すると演奏が聴きたいと言ったウィリアムは少し難しい表情をして、そして次の瞬間には何か気がついたみたいに桃矢君に話しかける。

「ちょっとつめて」

 桃矢君の座っている椅子を指差して移動をお願いすると、少しだけ空いた隙間に控えめに座るウィリアム。
 そしてついさっき桃矢君が演奏していた撫子さんがつくったという曲を即興で弾きはじめる。

「桃矢も弾いてよ」

 そう催促するウィリアムに珍しく素直にこたえてまた演奏をはじめる桃矢君。するとウィリアムは手を横にずらして連弾をしはじめた。

「お前、」

 そして連弾をはじめた途端、驚いたようにウィリアムの横顔を見つめる桃矢君。

「やっぱり当たり?嬉しいな」

 ふたりとも演奏はそのままに、ウィリアムが微笑んでいて。意味のわからないわたしと月城君はただその様子を見守るしかなかった。

「なんとなくなんだけど……そんな気がしたんだ。こんな風にふたりで弾いてたんじゃないかな、って」
「どういうこと?話がみえないんだけど」

 月城君がわたしのかわりに今何が起こっているのかを聞いてくれた。わたし達ふたりには桃矢君とウィリアムの会話の意味がわからなかった。

「聴いてたら、この曲は元々ふたりで弾いてたのかなって思って」
「もとは1人で弾く曲だ。だけどこうやって……母さんと並んで練習してた」

 「なるほど」と月城君は手を打って納得している様子だった。

 桃矢君はこの曲をお母さんに教えてもらったらしい。さいしょに聴いた曲はお母さんの伴奏に合わせて練習していたものを桃矢君がアレンジしたものだった。その演奏を聴いたウィリアムは何か違和感を感じたらしい。桃矢君の左手側に座るとまるでお母さんが弾いていたような演奏をしたのだ。お母さんが弾いていたような伴奏を突然ウィリアムが弾きはじめたものだから、桃矢君はものすごく驚いた。

「そんなことまでわかっちゃうんだ!凄いね」
「はじめてだよ、こんな事」

 嬉しそうに演奏をし続けるウィリアムについていくように桃矢君も演奏を続ける。桃矢君のお母さん、撫子さんがつくった曲を弾いている桃矢君はいつもと少しだけ雰囲気が違う。
 心があったかくなるような、そんな曲。
 きっと桃矢君はこの曲を弾きながら撫子さんのことを思いだしているに違いない。桃矢君の思い出がつまった曲なんだろうなと思った。

「すっごーい!!」

 そんな演奏を途切れさせたのは元気のいい奈久留ちゃんの声だった。

「すごい!すごーい!桃矢君ピアノ弾けるんだー!」

 隣にいるウィリアムのことなど気にしていない様子でいつものように桃矢君に抱きつく奈久留ちゃん。するとあ、と何か思い出したように、桃矢君に抱きついたまま月城君のほうを向いて話しはじめた。

「月城君、弓道部の部長が呼んでたよ。また試合の助っ人頼みたいんだって」
「ありがとう」

 じゃあ先にいってるね、と月城君だけが音楽室をあとにする。

「僕達も教室に戻ろう」

 ウィリアムの呼びかけにこたえてわたし達も教室をあとにした。