25 抱きしめて、泣いて〈2〉
「ねえ……それだけ?」
わたしに向かって優しく微笑んで、そう言うウィリアムがゆっくりと口を開いたのは2人で黙り込んでから数分後のことだった。
それだけ、とは悩み事のことかと「うん、そうだよ」と一言返すと、ウィリアムはいままでよりもずっと真剣な顔をして話しはじめた。
「……人を好きになるのに理由って、いるの?そんなに理由が重要?」
日本人とは違って人と話す時にじっと瞳を見つめながら話すのは、海外生活が長いわたし達にとっては当たり前で普通のこと。
わたし自身はあまり見つめたりはしないけれど、見つめられる事には慣れている。
慣れているはずなのだけれど、ウィリアムの瞳にはなんだかものすごい迫力があって、見つめられると緊張してしまう。
「僕はね、………まなみを好きになったのに理由なんてなかったよ。気がついたら好きになってたんだ」
さらりと恥ずかしいことを言う彼はきっと、イギリスでも日本でもすごくモテるんだろうなと思う。
「一緒にいるといつでも幸せな気持ちになれるから……僕の傍にいてほしい、って。どんなに落ち込んでても、まなみの笑顔をみたら元気になれたんだ」
「あ、あの、ウィル……」
「いつ、どうして好きになったのかなんて僕自身わからなかったし今はもう忘れちゃった。ただ大好きだって、大切だって思ったんだよ、まなみ。ただ相手のことが好きってだけじゃダメなの?」
「……これが君の元恋人としての意見かな?」と最後に一言、ウィリアムはつけ足した。
「は、恥ずかしくなるから、その頃のことは言わないでっていつも言ってるのに……」
「僕にはいまだにその恥ずかしさが理解出来ない」
ウィリアムの発言一つひとつに恥ずかしさが込み上げてきて、リゾットを食べるのに使っていた右手はいつの間にかとまっていた。
それからウィリアムの手も、もちろんとまっていた。
「……まなみに好きだって言ったその人の気持ち、僕はわかるつもりだよ。まなみには素敵なところがいっぱいあるからね、聞きたい?」
まるで悪戯っ子みたいな笑顔でわたしのいいところは…、と喋りだすウィリアムはわたしの赤くなった顔を更にもっと赤くさせたいらしい。
「まなみは自分の魅力に気づいてない」
「そ、そんな、わたし魅力なんて……ない……」
「その人はきっとそんな君に惹かれたんだと思うよ、謙虚なところとか、優しいところとか、素敵な笑顔だとか……ね?僕にはすごく魅力的だよ?」
よく茹蛸みたいだ、なんていうくらい赤くなったわたしの顔をみてウィリアムはけらけらと笑ったと思うと、深く深呼吸をして息をととのえた。
「要はね、僕が言いたいのは、自信をもってってこと」
「……自信?」
「そう、自信もってその人にちゃんと『好き』って言いなよ。君の好きになった彼が、好きって言ってくれた『自分』に、もっと自信をもって?」
それはその通りだと思った。
桃矢君はわたしにきちんと直接言ってくれたのに、わたしだけ何も言わずにそのままには絶対出来ない。
「まなみが好きになった人なら、その人きっとすごくいい男なんだろうね」
「…………うん、とっても優しい人だよ」
照れながらそう言うとウィリアムはそれなら良かった、と微笑んでくれた。
「好きって言って、相手のことを知るのはそれからでもいいと思うよ」
「……わかったわ」
そしてもう一度食べはじめたリゾットはついさっきよりもすごく美味しく感じた。
「ありがとう。……自信もって、ちゃんと好きって言うね」
「お礼はいらないよ、まなみの笑顔が見られれば僕はそれだけでいい」
「だから、恥ずかしいことは言わないで……!」
「あ、また赤くなってる!ふふっ」
楽しい食事も終えて外に出ると、何やら見覚えのない車が店の前で待っていた。
「まだまだ話してたいんだけど……明日の為にも僕はもう帰るよ」
その車はウィリアムの親戚の車らしく、今からまた明日のリハーサルがあるらしい。
「わざわざ食事につき合ってくれてありがとう。それにお話も、自信ついたから!」
ウィリアムに話を聞いてもらって、それから自分と向き合って、心のなかで自分の気持ちをきちんと整理することが出来た。
これで桃矢君にわたしの想いを迷わずにちゃんと伝えられる、そう思った。
そしてもういますぐに車に乗り込もうとしているウィリアムにわたしは最後にもう一度感謝の気持ちを伝えようとして、無意識のうちに飛びついて海外にいたときみたいなハグをしてしまった。
日本ではあまりしていなかった久しぶりのスキンシップに海外での生活が懐かしく感じて、少し嬉しくなった。
「本当にありがと、ウィル」
「ぼくの方こそありがとう。たのしかったよ」
身体をすっと離して見つめ合えばどちらともなく微笑んだ。
流れる手つきでわたしの頬に手を伸ばすと、直前で触れるのをやめたウィリアム。
「………その笑顔昔から大好きなんだ、もっと笑って?」
車に乗り込む前に一言そう言うとすぐに「それじゃあまた今度ね!」と爽やかに去っていってしまったウィリアムは最後の最後まで恥ずかしい台詞をのこしていった。
そしていま、ここに来るまでにどこかもやもやとしていた気持ちをスッキリと晴らしてくれたウィリアムに、心のなかで何度も何度もお礼を言った。
「それでどうだったの、楽しかった?」
「もちろん楽しかったわ」
お得意様との食事が終わって合流したお母さんとわたしは、久しぶりに会えたウィリアムのことについて語り合っていた。
「どんなこと話してたの?」
「えっと……思い出話とか、お悩み相談……?」
まるでわくわく、と自分で言っているんじゃないかと思うくらいのにこにこ顔をしてそう聞いてくるお母さんは本当に楽しそうだ。
「…………どう?その悩み事解決しそう?」
「だいじょうぶ。ウィリアムのお陰ね」
「……そうね、悩み事って人に話すだけでもスッキリ出来たり心が落ち着いたりするもの。まなみが元気になってくれたみたいでよかったわ」
「……気づいてたの?」
まるでわたしが悩んでいたことがはじめからわかっていたかのように言うお母さんに、わたしは思わず驚いてしまった。
「これでもあなたの母親なの、ちゃんとわかるのよ」
お母さんは少し拗ねたように言うと、わたしの両手を優しく包むように握った。
「一緒にいられる時間は長くはないけれど、いつもまなみを想ってるわ」
両手から温もりが消えたかと思ったら、その温もりをすぐ背中に感じて、それは抱きしめられているんだと気づいたときにはわたしも無意識にお母さんを抱きしめかえしていた。
きょうはウィリアムといいお母さんといい、わたしはどれだけ励まされているんだろうかと思うと、自然に涙が出てきてしまった。
「ありがとう、お母さん……」
「ほら、泣かないで!お母さんみたいに年取ると、涙もろくなってすぐもらい泣きしちゃうんだから……もう!」
そう言いながらお母さんはもう泣いていた。
そして後から聞いた話だけれど、その時運転中の立花さんも、わたし達の会話を聞いていて何故か思わずもらい泣きしてしまっていたらしい。
わたしの周りには本当にあったかい人達ばっかりだなと思いながら、心の隅でははやくはやくと温泉を楽しみにしていた。
「それにしてもウィリアムは本当に素敵な人ね、あなたをこんなに元気にしてくれるなんて」
「そうだね、わたしの大切な親友よ」
「……それで、まなみの好きな人はそんな素敵なウィリアムよりも、もっと素敵な人ってことなんでしょう?」
「…………!」
「母親を見くびっちゃだめなのよ」
抱きしめて、泣いて
(久しぶりのお母さんはすごくあったかくて、優しかった)