「……はぁ」
この別荘に来てから、いったい何回ため息をついたんだろうか。
よく幸せが逃げるなんていうから少し気にしてはいたものの、やっぱりいつの間にか何度もため息をついてしまっていた。
そのため息の原因とは、最近学校で広まってしまっているわたしと月城君が付き合っている、なんていう噂。
いままで一度も話した事のなかった他のクラスの人から話しかけられたり、応援していると言われたり、学校では変な気をつかってしまっていたせいか心身共に疲れていた。
でもこの自然にかこまれた別荘にいるおかげか、短い時間でも充分リフレッシュが出来て身体は少し楽になった気がする。
ただし疲れはとれても、なぜか心は晴れないまま。
「さっきからため息ばっかり」
「っ、伯父さんいつからそこに…?」
「えっと……ため息数えてたんだけど、さっきので7回目」
伯父さんはくすくすと優しく笑いながら「悩み事かな?」と、わたしが座っていたベンチの隣に腰掛けた。
そして俺ももう一回学生時代に戻って青春したいな、とぽつりと呟いて、散歩にでも行ってきたらどうだいとわたしに微笑みかける。
確かに今朝この別荘に着いてから、わたしは敷地の外へ一歩も出ていなかった。
だって少し行った先の橋の向こうに、桃矢君と月城君がいるんだと思うとちょっと気まずくて。
あの噂が流れてから月城君との関係はもちろん、桃矢君との関係も別に以前と何も変わったところはない。
いっしょに登校して、普通にお話しして、いっしょにお昼ご飯を食べて、下校して。
月城君から佐伯さんとの会話の内容を聞いたときは正直びっくりしたけれど、同時に桃矢君とも普通にいつも通りにしていようと決めた。
ただあの話を聞いた頃から今現在まで何かがわたしの胸の中でつっかえている、なんだろう、それがわからなくて。
数日前、選択授業のときのことだった。
いつもと同じように月城君といっしょに教室を移動して、それぞれ自分の席についた。
ちなみに月城君はわたしの席の前の、前の、隣の席だった。
席について少し経つと、何人かの人に囲まれてしまって、あ、また何か聞かれる、どうしようと頭の中はいっぱいいっぱいで。
「ね、木之本君が2人の恋のキューピットになったって本当?」
どうやら知らないところで付き合っているという噂にプラスαで色んな脚色がされているらしい。
はじめて聞く話にわたしは軽くパニックだった。
そして彼女の話だとわたしと月城君がお互いに素直になれず曖昧な関係だったところを、桃矢君がうまく月城君に発破をかけた、らしい。
わたしはとっさに、どこかの有名な少女漫画でみたことのあるようなお約束的なワンシーンを思い浮かべた。
いったい誰がそんなことを言い出したんだろうか、途中であまりにもベタすぎないかと誰か不思議に思わなかったのか、それが不思議だった。
「ごめんね、質問はもうそれくらいにしておいて?」
「月城君?」
そこにどうしようも出来なくて困っているわたしを助けようと月城君がわたしのいる席までわざわざやってきてくれた。
と言っても元々席はすごく近いのだけれど。
突然わたしの隣に現れた月城君の姿に、さっきまでわたしに話しかけていた子達だけじゃなく教室にいた人みんながざわめいた。
「残念だけど、とーやはキューピッドなんかじゃないよ」
最近はいつでもこんな風に、わたしがひとりぼっちになって質問攻めにされないように気づかってくれている月城君。
助けを求めなくてもいつもいいタイミングに近くにいてくれる月城君には本当に申し訳なくて。
それにそんな月城君の姿がより一層、わたし達が付き合っているという噂の信憑性を高めていたことは事実。
だから色々な質問にどう返したところで、この噂がそう簡単に消えてくれないのはもうわかっていた。
「ごめんなさい!……噂の2人のことがどうしても気になって……本当にごめんね?」
「ううん、いいの、気にしないで」
彼女達は月城君のおかげで自分の席に戻ってくれたし、桃矢君が恋のキューピッドだという噂もただのウソだったと何とか伝わったようだった。
けれどその後の教室では「さっきの月城君、まるで王子様みたいだったね」「素敵だったわ」なんて会話が聞こえてきて、思わずため息が出た。
「……ごめんね、月城君」
「謝らないでよ、ぼくは気にしてないから」
皆に悪気はない、年頃の高校生であるわたし達にこういう噂話は尽きないものだから、この噂がしずまるのをゆっくり待とうと、この前月城君と話したところだった。
「迷惑かけてるなんて思わないでね。それから無理してぼくのこと避けたりしないって、約束して」
優しく微笑んでそう言ってくれる月城君は本当に王子様みたいで、王子様みたい、と言うのは流石にやめておいたけれど、わたしは精一杯感謝の気持ちを伝えた。
伯父さんに言われるがままに出かけた散歩は思っていたよりも楽しかった。
ゆっくり歩いていたら散歩中のお隣さんのワンちゃんと出くわしたり、久しぶりの別荘のまわりの風景は前に来たときと何も変わっていない。
そして橋まできたところでやっぱり立ち止まる。
ここの橋を渡ると木之本君達が貸してもらっているらしい別荘がある。
伯父さんの別荘から歩いて二十分もかからない距離にいるのに、よし今から会いに行こうなんて気分にはならなかった。
桃矢君達も二泊三日だと言っていたから、もう別荘には着いているはず。
―あの紙、忘れちゃってるのかな……。
わたしは伯父さんの別荘の住所と電話番号を書いた紙を桃矢君に渡した。
自分から会いに行く、とあの時は言っていたけれど今会いに行くのは気まずくて、でも心の奥では桃矢君に会いに来てほしいと思っていて、声が聞きたくて。
わたしってすごくわがままだと思いながら、ここまで歩いてきた道をゆっくりとひきかえしはじめた。
「ここにいるって聞いたから飛んで来ちゃったわ」
「園美さんはお祖父様のところに?」
「ええ、そうよ」
夕食後、リビングでまったりとしていたら突然来客を知らせるベルが鳴った。
こんな時間に何かと思えば、玄関から伯父さんと何故か園美さんがやってきた。
伯父さんの別荘の近くには、天宮真嬉さんの別荘がある。
わたしのお祖父様と友人だった天宮さんのお孫さんにあたる園美さんは、天宮さんの別荘へ泊まっているみたいで。
ということは知世ちゃんもいるのだろうかと聞けば、今回は遊びに来た訳じゃなくて何か別の用事があるらしい。
わたしの両親と同じようにおっきな会社の社長さんである園美さんにもきっと色々あるんだろうと、わたしはそう思った。
「ちょっと時間があったから会いに来ただけなの。また今度、時間があるときにゆっくりお出掛けでもしましょ?絶対よ!」
「もちろん、楽しみにしてます!」
園美さんは本当にちょっと会いに来ただけで、ほんの数分で帰っていってしまった。
まるで嵐みたいだったと思っていたら、園美さんと会うのは数年ぶりらしい伯父さんが「まるで嵐みたいな人だね」と笑いながら言ったものだから、ついふき出してしまった。
「あ、やっと笑ってくれたね」
にこり、とわたしに向かって微笑みかけた伯父さんは、それだけ言うとすたすたと寝室の方へいってしまった。
なんだか余計な心配をかけていたんだと思ったら申し訳なかったけれど、その後伯父さんの奥さんが何度も気にしないでね、と声をかけてくれるものだから言われた通りあまり気にしないようにした。
それからわたしはお風呂にはいった。
園美さんのおかげか、はたまたヒノキの香りのする入浴剤のおかげか、少しずつだけれど心が元気になっていくのが自分でわかる。
時間が経てば、まだ少しもやもやとしているこの心は間違いなく晴れていく。
それがどのくらい時間が掛かるのかはわからないけれど、その時間がこの別荘にきて縮んでいるのは間違いなかった。
伯父さんに誘ってもらえてよかった、と湯ぶねにつかりながらわたしはそう考えていた。
そして明日は桃矢君達のいる別荘へ行こうとそう決心をした。
さくらちゃんにも会いたかったし、もちろん月城君にも桃矢君にも会いたいと思ったから。
明日の天気はどうなるかなと考えながら、わたしはお風呂からあがることにした。