32 「ねえ」〈1〉




「それでは多数決で劇に決まりました、はい拍手!」

 パチパチパチとみんなの拍手とざわめきが教室に響いた。
 面白そうだとか楽しみだねとみんなが盛り上がる中、ちらりと盗み見た桃矢君の表情はどこかつまらなさそうというか面倒くさそうだった。
 元々教室で騒ぐ様なタイプではないけれど、今のこの表情は誰も俺に話しかけるな、と言っているみたいであからさまに機嫌が悪そうだ。

「ああ、とーやね」
「桃矢君、劇とかそういうこと嫌いなの?」

 そんなことはないと思うよと月城君は言うけれど、桃矢君の表情はいつまでたっても変わりそうにない。

「劇の内容なんだけど、何か意見はないですか?」

 さっきから教卓の前でクラスの係りの子がみんなの意見を聞いているのは、来月にある文化祭での出し物の話し合いをするためだ。
 はじめはダンスやバンドなど色んな意見が出たけれど、最後はほぼ満場一致で劇をすることに決定した。
 わたしも単純に面白そうだと思って劇に投票をした。

「多分だけど、嫌な予感がしてるんじゃないかな」
「嫌な予感って?」

「内容は『シンデレラ』に決定で、えっと役は……」

 いつの間にか劇は文化祭お決まりのシンデレラに決まっていて、配役は時間が無いので後日決める事になった。
 そして桃矢君の面倒くさそうな表情の理由は、さっきの授業が終わる直前のクラスの雰囲気で何となくわかった気がした。

『わたしね、シンデレラは木之本君がいいと思うの』
『俺も同感!男がやった方が面白そうだし、木之本なら人気があってお客さんも呼べるし』
『なら王子様は女子がしたらいいんじゃないか?あ、ほら、演劇部の中川とか……』
『素敵ね!容子は男子からの人気もあるし、何より格好いい王子様になるわよっ』

 クラスのみんなが口々に劇の配役について語りあっていて、なんだかそれがそのまま決まってしまいそうな空気が漂っていた。
 確かに桃矢君がシンデレラを演じている姿を想像したらちょっと面白そうだと思った。
 それに演劇部部長の容子ちゃんは女子なのに男の子よりも格好よくて、桃矢君や月城君と同じく学校では人気者だった。
 何よりもしっかりしていて、さばさばとしていて、それでも可愛らしい容子ちゃんがわたしはとっても好きだったから、彼女の王子様役は心から賛成だと思った。

 そして配役を決める為に設けられた時間がやってきた。
 シンデレラ役をするのが心底嫌そうだった桃矢君も、みんなの粘りの説得に疲れたのか最終的には首を縦にふってくれた。
 そして容子ちゃんは仕方ないなあという感じで、ちょっと恥ずかしそうだったけれど王子様役を演ってくれることになった。

 その他の役はぽんぽんと決まって、わたしもちょっとした脇役と衣装係をすることになった。
 ちなみに月城君はサバの缶詰めという名の魔法使い役に決まったけれど、いったいどんな劇「シンデレラ」になるのか、少し不安になったことは確かだった。






 連日の劇の練習や衣装、小物づくりで少し遅くなった学校の帰り道。
 先に家に着く月城君とさよならしてすぐ、あきらかに劇の練習で疲れた様子の桃矢君がちょっといいか、と言うので何かあったのか聞くと、思いもよらないこたえが返ってきた。

「さくらちゃんは?」
「友達ん家にお泊まりだと」
「知世ちゃん家?園美さんの」
「ああ」

 あの噂が流れて、そしてこの前の別荘での出来事があって以来、正直桃矢君との仲は微妙だった。
 お互いに会話が探り探りというか、今まで通りにおしゃべりをしていても沈黙が続いたりと会話が弾まない。
 桃矢君となら心地よかったはずの沈黙が、いまのわたしには少し辛い。

 そして最近は少しの会話しかしていなかったけれど、藤隆さんが数日間出張で家にいない事は前に桃矢君から話をしてくれていたので知っていた。
 だからその間さくらちゃんと2人で家事を分担していた事は、少し頭をつかったらわかることだった。
 その為に料理も毎食つくっていた訳だけれど、夕食は主にさくらちゃんが担当していたと数日前に桃矢君の口からぽろっと聞いた。
 けれどそのさくらちゃんが友達の家にお泊まりするということは、桃矢君が自分で自分の夕食を用意しなければならないということだ。
 だから桃矢君は今朝、冷蔵庫の中を確認してから学校に来たらしい。

「それで、少し寄り道してもいいか?」

 生憎冷蔵庫の中は綺麗にからっぽだったみたいで、残り物で何かしようと思っていたらしい桃矢君は残念そうにそう言う。
 もちろん、と返せばありがとうと言ってくれた桃矢君はすごく優しい笑顔だった。
 ただわたしはその優しい笑顔の反面、いつもより少し猫背気味で元気のない背中の桃矢君が心配になった。
 そしてふと頭に浮かんだ考えを口に出そうとした瞬間、わたしはまた違うことを思いついた。

 はじめは、嫌じゃなければうちで食べていってと言おうと思った。
 わたしはひとり暮らしだけれど、ちょうど昨日買い物をしたばかりだったから冷蔵庫には何かしら食べるものがあった。
 沢山食べるであろう年頃の男子でも充分お腹いっぱいになれるくらいの食材はあったはず。
 ただ料理上手な桃矢君にわたしのつくった料理を食べてもらうのは正直ちょっと嫌だ。
 何より口に合うか心配だし、もし味付けが微妙だったとしても桃矢君ならわたしに気をつかって必ず美味しいと言ってくれるだろうから。変に気をつかわせたくなかった。

「あの、桃矢君……」
「?」

 でも勇気をふりしぼってわたしはその考えを口にした。

「今からスーパーに行くよりは楽だと思うの、」
「まあ……そうだな、近いし」
「桃矢君最近疲れてるみたいだし、どうかなって……」

 後から思えば多分、どもってしまったわたしに気をつかってくれたのだろう、桃矢君は考えにすぐ乗ってくれた。
 そして商店街からアパートの方向へと進路変更すると、桃矢君はわたしの家の冷蔵庫にどんな食材が入っているのかとか、料理は手伝うからとか、色々なことを喋りはじめた。

 そうしていたらいつの間にか自分のアパートの前まできていて、部屋までの階段をあがる前に桃矢君の自転車はわたしの自転車の隣にとめてもらった。

「お邪魔します」

 きちんとそう言ってから部屋にあがると、桃矢君は洗面で手洗いをはじめた。
 わたしは台所で手洗いをしながら、そういえば桃矢君がアパートの部屋に来るのは2回目だったなと考えていると、先に手洗いを終えた桃矢君が近くに立っていて少しびっくりしてしまった。

「久しぶりだな、お前の家」
「そ、そうだね……」

 桃矢君は何となくそれを口にしたみたいだったけれど、わたしは今でもその時の出来事を思い出してしまうと思わずどきりとしてしまうのに。
 勝手に開けるぞーと冷蔵庫の中身を確認している桃矢君の後姿でさえ、あの時の桃矢君を思い出させる。

「えっと、オムライスでいいかな」
「……おれがするからお前は座ってろ」

 桃矢君はさっそく玉ねぎを刻みはじめていて、わたしがやると言っても聞かずにどんどんと作業を進めてしまう。
 その手つきは本当に手慣れていて、いつも料理をしているんだということがよくわかる。
 そしてまったく手をとめる様子のない桃矢君に、わたしはもう自分ひとりで作ることを諦めて先にたまごをわっておくことにした。