32 「ねえ」〈2〉
「………すっごく美味しい」
結局たまごをかき混ぜることしかわたしに手伝わせてくれなかった桃矢君は、ほぼひとりでオムライスを完成させてしまった。
出来上がったオムライスはわたしが作るより美味しいと思うし、きっと有名レストランで出てくるふわふわオムライスにも負けないくらいの味だ。
「まあ……得意だからな、オムライス」
そう言いながらもぐもぐとオムライスを食べている桃矢君は、さも普通の味だというように料理についてのことはあまり話さない。
「オムライスはよく作るの?」
「うちの怪獣が好きなんだ、これ」
素直にさくら、って言えばいいのに、と笑えば「うるせぇ」と返すけれど、その桃矢君の顔は照れたように少し赤くなっていた。
このときはじめて、桃矢君のことを可愛い、なんて思ったからだろうか。何となく気が楽になったわたしは、料理をする前に思い出してしまっていたことなんて忘れて、オムライスを食べることに夢中になっていた。
「あっ、ダメ!」
「んー?」
桃矢君はお皿にいっぱいだったオムライスを早々に食べ終えて、椅子から立ちあがると食器を持って台所に移動した。
そして帰ってくる様子がないと思えば水のサーッという音がきこえてきた。
そう、桃矢君は自分でつかった食器を洗おうとしていたのだ。
だからわたしは急いで台所に駆けつけた。
「桃矢君は座ってて!お客様なんだから」
家に晩ご飯を食べにきたらと誘ったのはわたしなのに、料理をつくってもらって、洗い物まで桃矢君にしてもらうなんて。
ちょっと強めに桃矢君の両腕をつかんでひっぱって、テレビの前のソファーに無理矢理に座ってもらった。
「おい」
「座ってて、ね?」
ちょっと睨みつけるようにすれば、さすがの桃矢君もあきらめてくれたみたいで、大人しくソファーに座ったままでいてくれた。
その後、わたしは自分の分の食器もあわせて洗い物をすることが出来た。
「何だかお泊まり会みたい、あ、本当に泊まっちゃったりして」
そして洗い物をしながらふと中学生時代の友人とお泊まり会をしたときも同じ様なやり取りをしたことを思い出して、それを思いついたままに口にして、ちょっと後悔する。
桃矢君は男の子、恋人なのだ、わたしの。
年頃の男女が誰もいない家で2人きり、なんて、今まさにそうなのだと気づく。
桃矢君はテレビの方を向いていて、後姿しかみえないけれど今のわたしの発言はバッチリと耳に届いていたはずだ。
「な、なんてね、ははは……」
「おれはいいけど」
明日バイト昼からだし、とあっけらかんに答えてくれた桃矢君はまだ台所にいるわたしに背を向けたまま、表情まではみせてくれない。
洗い物が沢山あったなら台所で時間を潰せるし、水の音で聞こえなかったことにも出来たのに、生憎洗い物はちょうど終わったところで後は水をとめればいいだけだった。
水がもったいないから流しっぱなしには絶対に出来ないし、と思っても、何も考えなくてもいつものように無意識のうちに水をとめてしまっていた。
シーンという音が部屋中に響いているみたいで。
「……………あの、着替えとか、」
「持ってる」
なんでもバイトや部活で汗をかいたとき用にいつも持ち歩いているらしい。
「………じゃ、じゃあ、お風呂わかしてくる、ね?」
桃矢君は下心なんてないだろうし、変な意識もしてないと思うけれど、わたしはそうは思えないし、もう既に変な意識をしてしまっている。
それにわたしはまだあのとき別荘で起こったことを気にしていたし、料理を食べ終えた今もまだわたし達2人の間には恋人とは思えない微妙な空気が漂っていた。
そして忘れていたはずの心のもやもやが急にわたしを襲う。
わたしはそれを悟られまいと、その場から逃げるようにお風呂へ急いだ。
変な意識をしていたのはわたしだけだったのか。
その後も桃矢君があまりにもいつも通りでいるからだろう、何が何だか、わたしも妙に落ち着いていた。
はじめこそ緊張したものの、特別に何かあるわけでもないし、本当にただのお泊まり会みたいで。
「そうだ、牛乳あるけどのむ?」
桃矢君がお風呂場から帰ってきたから、わたしは冷蔵庫で冷やされていた牛乳をすすめた。
桃矢君は牛乳の入ったコップを受けとると、ふっと身体の力を抜くようにソファーに沈んだ。
その行動に、やっとわたしの家だからと気をつかわずにリラックスしてくれたんだと安心した。
「シャワーしかつかってねぇから、しっかりつかってこいよ」
しかし桃矢君はわたしがゆっくりお湯につかってきてねと言ったのに、実際はシャワーだけですませてしまったようだ。
ここまできたらもう仕方が無いなと、わたしは黙ってお風呂に入ることにした。
「冷凍庫にアイス入ってるの、好きなの食べていいよ」
それだけ桃矢君に伝えると、わたしは準備をして急いでお風呂場へ移動した。
お風呂場のドアを開けた瞬間、目に入ったのは桃矢君が立てかけておいてくれたであろう風呂場用のイス。
細かい気遣いに思わずくすりと笑ってしまう。
わたしはそんな嬉しい気分のまま髪を洗いはじめた。
お風呂からあがると、どうやら桃矢君はソファーでテレビを見ているみたいで、その手にはリモコンが握られていた。
何か面白いのやってる?と隣の空いているスペースに腰をおろして聞くと、別に、とテレビ画面をみつめながら言う。
わたしは髪の毛をバスタオルで乾かしながら、自分も牛乳を飲もうとソファーから立ち上がって冷蔵庫の方へと向かった。
そしてコップに注いだ牛乳をごくごくと飲みほして、コップをさっとゆすいでから、また桃矢君の隣に腰をおろした。
すると桃矢君から自分と同じ香りがふっと香ってきて、でもそれがいつもかいでいる匂いとは少し違う感じがして。
「そうか、服ね」
「………服がどうした?」
シャンプーや石鹸はいっしょでも、いま桃矢君が着ている服は木之本家の洗濯か柔軟剤の香りがするからだ、とわたしは思った。
「桃矢君、いい香りがする」
その香りが本当に心地良くて、まるで雛鳥がお母さんに甘えるようにすっと顔を近づける。
本当になんとなくだった。
考える間もなく、身体が勝手に動いたというか、多分、わたしはそうしたかったんだと思う。
隣にいる桃矢君に、ただ近づきたいと、そう思った。
「…………まなみ、」
やっぱりわたしの行動が変だと思ったのか、桃矢君は少し心配そうに優しくそう言った。
ついさっきまでの微妙な空気はどこへいってしまったのか。
そしてもぞり、とさっきまでテレビの方を向いていた身体をこちらに向ける。
「まなみ」
名前を呼ぶと、わたしの瞳をじっと見つめる桃矢君の瞳の色がかわったような気がした。
部屋に2人きりで、見つめあっているのは恋人同士。
いつもなら恥ずかしくて目をそらしてしまいそうな状況なのに、きっとお互いに今は目をそらしたくなくて、そばにいたいとそう思った。
そしてこれまでにないくらい顔を近づけているわたし達はごく自然に額と額を触れ合わせた。
「両手、あいてるだろ」
「うん」
「嫌ならそれで押しかえせ」
嫌なわけないじゃない、とわたしは瞳で訴えた。
だって好きだからいっしょにいるんじゃないのかと、どんな噂が流れても耐えられるのは、桃矢君のことを好きな気持ちが大切だからだと、桃矢君には伝えたはずだ。
「わかってないよ、桃矢君は」
「何が」
「嫌なら、家にあげたりなんか、しない」
いままでのもやもやは嘘のようになくなって、そのもやもやの理由が今なんとなくわかった気がした。
「キス、していいか」
きっとお互いにこのときを待っていたはずなのに、なぜ今更、それを聞くのかと。
「ねえ、桃矢君、」
そうやって見つめあうわたし達の空間に、邪魔をするものはなにひとつない。
「ねえ」
(はやく、キスして)