吉瀬の両親に車で家の前まで送ってもらった。
そして両親を車にのこして、吉瀬はおれが車から降りて家の中に入っていこうとするのを引きとめた。
「……怒ってる?」
「なんでそう思うんだ」
「いまの君の顔をみたら、誰でもそう思うよ」
その通りだ、おれは今こいつを睨みつけているんだから。
「僕等はもうただの親友だよ、恋人じゃない。……何をそんなに焦ってるの?」
そうやっておれに語りかける声は、まなみに話しかけるときとは明らかに違う雰囲気をまとった声だった。
さくらは園美さんとこのパーティーに参加して、そのままお泊りすることになっている。
今日久しぶりの休みだった父さんは、家でゆっくり掃除や部屋の片づけをすると言っていた。
だから鍵を出さずにチャイムを押せば、なかからはーい、と父さんの声と足音が聞こえた。
そして扉が開いておかえりなさい、といつもの優しい表情で出迎えてくれる父さんにおれは何故だかほっとした。
ただいまと一言、はやくお風呂に入ってしまおうと荷物を置きに部屋への階段を登りはじめたとき、父さんは言った。
「何かありましたか?」
突然階段の下からおれを少し見上げてそう聞く。
すぐには父さんの言っていることの意味がよくわからずに言葉につまってしまったが、数秒後には理解した。
その時の父さんの顔はなんとも心配そうだった。
「…………別に…いや、あったっつーか」
おれはそんなに情けない顔でもしていたんだろうか。
ショックな気持ちを抑えつつ、前にもこんなことあったなあと思い出したけれど、色々と考えていたら嫌になってきたのでこれ以上はやめておいた。
「……だいじょうぶ?」
「あー…大丈夫、心配いらねぇから」
いつもと違うことにすぐ気づかれるなんて格好悪いなと思いつつ、父さんの一言に少しだけ救われた自分がいる。
何も思わない訳ない。
あんなに嬉しそうな顔をして男と抱きしめ合っている姿をみせつけられて、頬にキスをされて笑って。
まなみは本当に楽しそうだった。
そこに恋愛感情はない、それはわかる、でなければ逆に同年代の男女があんな風に抱き合ったりは出来ないだろう。
もちろん海外の生活が長い二人とはいえ、だ。
それだからこそ、入り込めない何かがあった。
その二人の間にある恋人や家族なんかよりも強い絆のようなものに、おれは嫉妬しているのだ。
頭では理解出来ているのに、心の中はぐちゃぐちゃになっていまにも爆発してしまいそうで。
はやく忘れてしまいたい、目に焼き付いて離れないあの二人の姿を、はやく自分の中から洗い流してしまいたい。
熱いシャワーをかぶればそんな醜い気持ちが少しは和らぐ気がした。
もやもやとした気持ちを少しだけ引きずって登校すれば、いつも通り学生としての一日がはじまった。
「で、実際どこまで進んでんだよ」
おれとゆき、それとクラスメイトの数人で他愛のない無い世間話をしていたときだった。
いつの間にかそれがゆきとまなみの話になって、年頃特有のそういう話題になった。
「うーん……それは秘密」
「だとよ、残念だったなお前ら」
「んだよー」
あからさまに残念そうな顔をしたクラスメイトは肩を大袈裟にさげた。
「つーかその口ぶり、木之本は知ってるんだろ!…ケチだなあ」
「…………」
ああ知っている。
目の前の男子が想像しているような事はおろか、キスだってまだだとおれはよく知っている。
もちろん表情には出さないし、今更まなみの恋人はおれだなんて言うつもりもない。
この手の話題が特別に嫌な訳ではない。
年頃の高校生ならばこれくらいのノリは普通だと思っているから、ただしつこく色々と聞かれるのが少し面倒でわずらわしいと感じるだけだ。
「お前彼女いないからって月城に絡むなよー」
「えー……じゃあまた今度教えてくれよな、月城」
隣にいた別の男子がそう言ってくれたおかげでこの話題からようやく抜け出せる、とおれは安心からかふうっ、と息をしたのをゆきは見逃さなかった。
離れていったクラスメイトを横目にゆきは「お疲れさま!」と何故かおれを元気づけるように肩をポンと叩いた。
「怒ってる?」
「いーや…ありがとな、ゆき」
ゆきはどういたしまして、と小さな声でつぶやいて、最近演技が上手くなった気がすると言った。
例えばどこか遊びにいっただとか、二人きりのときはどんな感じなの、だとか。
おれのかわりに様々な質問にこたえるのにも慣れたようだった。
「やっぱり気になるんだね」
「まあ、年頃だから普通興味あんじゃねーの」
「クラスの皆んながぼくとまなみのこと知りたがってるみたいに、とーやもウィリアムとまなみのことが気になる?」
にこりといつもの笑顔のようにもみえるがこれは違う、ゆきは今真剣だ。
素直に「気になる」とこたえるのが正解か、無言を突き通してゆきに悟ってもらうのがいいのか。
ちょうど背後からまなみがこちらに向かってきている気配がしておれは迷っていた。
「何のお話してるの?」
まなみ!、とゆきは少しだけ驚くと「ただの世間話だよ」と自然に誤魔化した。
そう、と本当はわかってるんじゃないだろうかというような表情でおれをちらりと見る。
タイミング良くそこで予鈴が鳴ったものだから会話もそこで途切れてしまって、授業がはじまった。
教師のいる方向をみて集中しているゆき。
そのときこちらの方をバレないようにみたのは少しだけ申し訳なさそうな表情をしたまなみだった。
頭の中はまだコンクールの熱が冷め止まなくて、なんとなくピアノの音がながれている。
本当に今日は楽しかった。ウィリアムにも会えたし、桃矢君と長い時間一緒にいられたから。
そして帰宅してすぐお風呂に入って数分後、部屋の電話が鳴りはじめた。
誰からだろうと受話器をとって聞こえた声はよく知る歌帆のものだ。
「こんな時間にどうしたの」
『ちょっとね、まなみの声が聞きたくなっただけよ』
「?」
歌帆がわざわざこんな時間にそんなことで電話をかけてくるなんて思えない。
意味の無い電話をくれたことのない歌帆だから、きっと今日この電話にも意味はあるんだろう。
『とーや、吉瀬君に会ってどうだった?』
「どう、って……」
いきなり、しかもさっきまで会っていた人の名前が出てきてびっくりした。
事前に桃矢君とウィリアムのコンクールに行くことは伝えていたけれど、家に帰ってくる時間までは教えていない。
相変わらず不思議で強力な力をもつ歌帆に驚きつつ何てこたえようか考えた。
普通だった、といえばいいんだろうか。
別に嫌そうな様子はなかったし、気が合わないってこともなさそうだったし、それに、
『これはわたしの独り言なんだけど』
わたしが何を言おうかと考えている途中で、歌帆はそう語りはじめた。
『もしとーやがその吉瀬君と仲よさそうに話していたのなら…』
気をつけて、と歌帆は言う。
『まなみ言ってたでしょう、コンクールが終わったらなるべく吉瀬君とは会わないようにするって』
「……それは……」
『最近ね、わたしに会わないようにしてるみたいよ、とーや』
数日前の事だった。
歌帆と会ったときにわたしはウィリアムのことについて相談していた。
いくら仲が良いとはいえ、わたしがウィリアムのコンクールに行って、そこで会うといったら桃矢君はどう思うのか。
そして一緒に会うなんて、想像がつかなかった。
「確かにいい気はしないかもしれないわね」
「……だからわたし、このコンクールが終わったらウィルに会わないようにする」
「どうして?彼は大切な親友なんでしょう」
「……桃矢君、優しいから会ってほしくないなんて絶対言わないわ。なんとなくだけどね、わたしも同じだからよくわかるの…」
それはわたしが、桃矢君と歌帆が一緒にいるのをみて抱く感情によく似ているのかもしれないと思ったからだ。
桃矢君に歌帆と会ってほしくないなんて思ったことは一度もない。
思わないはずなのに、心のどこかで何かが痛んでいるのに、それに気づいていないフリをしてしまっている。
桃矢君は人の気持ちに敏感だから、わたし自身が気づかなかった気持ちに気づいてしまったのかもしれない。
気をつかい過ぎる桃矢君のことだから、いつか歌帆と会わないようになるんじゃないかと思っていたら、既にそうなってしまっていたらしい。
「だから、もう、ウィリアムとは会わない」
わたしがそう言ったきり、少しの間歌帆は黙ってしまった。
『……本当にそれでいいの?』
最後にかけられたその歌帆の一言に、わたしはゾクッとするくらい何かを感じていた。