44 みんな嬉しい〈1〉




 その日の分の撮影が終了して、現場のスタッフさん達は片付けがまだ残っているものの、わたしと付き添ってくれた桃矢君達は一足先に南さんの車で最寄り駅まで送ってもらうことになった。

 大きなファミリーカーに乗せてくれた南さんは、今日はもの凄く良かった、明日も楽しみだと何度もご機嫌に語ってくれた。


 少しだけ暗くなった空に、都会のイルミネーションがちかちかと光っている。
 撮影があったスタジオから最寄り駅までは近く、楽しいドライブがすぐ終わってしまったので、イルミネーションに目を奪われていたさくらちゃんは少し残念そうに車から降りた。

「今日はありがとう、それにお疲れ様。また明日ここに迎えに来るから、気をつけて帰ってね」
「こちらこそありがとうございました。また明日、楽しみにしてます」
「桃矢君、彼女達しっかり送ってあげて!おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 颯爽と去っていく車の姿を見送ってから、わたし達は電車で仲よく帰ることになった。

 元々そう遠くない場所だから電車もすぐにわたし達の住む友枝町までついてしまった。
 そして駅には知世ちゃんのボディーガードさん達が待っていて、みんなを家まで送っていってくれるという。

 知世ちゃん、さくらちゃんが車に乗り込み続いて月城君、というところで「あ、」と何やらわざとらしく月城君は人さし指を立てながら言った。

「さくらちゃん達にはぼくがついていくから、とーやとまなみは歩いて帰りなよ」

 なんていう月城君のさくらちゃん達には聞こえないような小声はわたしと桃矢君を同時にどきりとさせる。

「あのなあゆき、こいつも今日は疲れてるだろうし」
「ちょっとの距離だから大丈夫。まだ明るいから2人なら帰り道も危なくないよ」
「……おまえ変なとこで頑固だな」
「うん、自分でもそう思う」

 さくらちゃんと知世ちゃんには上手く伝えておくからちょっと二人で散歩してきなよ、と強引にわたしと 桃矢君の背中を叩いて押すと、なんと次の瞬間には車は三人を乗せて出発してしまった。

「行っちゃった……」
「マジかよ……」

 全く疲れていないわけでもなかったけれど、なんだろう、置いていかれて寂しい、みたいな気持ちが先にあった。
 それは桃矢君も同じなようで、車の行ってしまった方をずっと見つめていた。
 そしてしばらくしてから大きくはあ、と息をはくとあきらめた様な表情で、でもちょっと楽しそうに言った。

「……とりあえず歩くか、帰るぞ」
「う、うん」

 動かなければ、とりあえず帰ろうとわたし達は夜の帰り道を歩きはじめた。






 特に話すこともなくお互いに無言で歩いて、わたしの住むアパートの目の前まで着いてしまったとき。

「ちょっと、いいか」

 ポケットに手をつっこんだまま、桃矢君はぽつりと告げた。
 それならわたしはじゃあお茶だすよ、あがっていって、と桃矢君をドアの内側へと招きいれた。

「…何かあった?桃矢君が引きとめるなんて…」
「いや、大したことじゃねぇんだけど、」

 そう、珍しかった。
 桃矢君はいつでも、帰り際は「またな」「ゆっくり休めよ」「おやすみ」なんてわたしをいたわる様な言葉をのこしてサッと帰ってしまう。
 本当にその言葉の意味のままに、わたしにはやく休んでしまえ、と気をつかってくれているのだ。
 だから帰り際話が終わりそうで終わらないなんてことないし、ちょっといいか、なんて会話の途中でしか聞いたことなかった。
 無言だった帰り道のことを思うと余計になんだろうと不思議だった。

「今日のこと」
「撮影のこと?あ、なにかわたし変な顔してたとか…?」

 ふと思いつくありきたりなことを言ってみたけれど、それは違うらしい。

 桃矢君の表情はいつも通り、学校で会っているときみたいな、優しい、ちょっぴり意地悪だったりする表情だ。

 けれど桃矢君の口から出てきた声はいつもよりほんの少し真面目で誠実な声。


「まなみが母さんに似てるかもしれないって言ったろ、それ、謝りたい」
「………!」
「ごめん。おまえと母さんを重ねて見てたわけじゃない、けど、無意識に重ねてたのかもしれねぇって思ったから」
「わたし謝られることなんてなにもない…それに嬉しかったの。さくらちゃんに撫子さんみたいって言われて」
「それくらいお前の顔みてりゃわかる」

 まだお茶すら出していない、玄関のドアを閉めたところでわたし達は突っ立っている。

 そこでまるで王子様みたいに、桃矢君はわたしの両手をつかんで胸の高さまであげて唇を寄せた。
 直接触れてはいない。けれど熱い息が手の甲に触れた。

「天使みたいだった」

 桃矢君はわたしの両手を見ているのか、それより下を見ているのか、視線は交わらず表情はわからない。

 でも見つめあっていなくて良かった。恥ずかしくて熱くて、きっとわたしの顔は真っ赤だ。

「確かに母さんに似てるよ…おまえ。そんで綺麗にしてるまなみの姿みて、おれはおまえのこと天使みたいだって、思った」
「それ以上言わないでっ」
「でも母さんとおまえは違うよ、好きの種類も意味も違う」
「う、ん」

「なあ、キスしていいか」
「い、今更それ、聞くの…?」

 それを聞く桃矢君は、ずいっと頭を近づけてお互いの鼻の先をくっつけた。
 こんなの我慢比べだ、ずるい。

 そして少しだけ顔を傾けた桃矢君のくちびるがわたしのくちびるを優しくかすめた。

「はじめてみれた」
「……何を?」
「キスで恥ずかしがるまなみ」
「てっ、天使みたいだなんて言われて、恥ずかしがらないほうがおかし、」

 そう言ってわたしが話し終わらないうちにもう一度くちびるを重ねる桃矢君は、いつもと少しだけ違う男の人みたいだ。

「母さんとは、違う」
「わかるよ桃矢君」
「いない寂しさを、おまえで埋めようとしたわけじゃねぇって、そう、言いたかったんだ」
「わかるよ、わかってる……」

 ああ、いつもの桃矢君だ。
 違う男の人みたいだなんてついさっき思ったけど、やっぱり違った。

 桃矢君はすごく優しい。
 わたしがまた思い込んで思い詰めて、隠してるんじゃないかって心配してくれてるんだ。

 お母さんに似てると言われて、わたしにお母さんを重ねていたと思われているんじゃないかって。
 また歌帆のときみたいに本当のことをわからないままに、隠したままにしちゃうんじゃないかって。

「ふふ、優しいいつもの桃矢君だ」
「あ?優しくなんてねぇだろ、おまえに襲いかかってる」
「心配してくれてる」

「………すきに言っとけ」

 それから自然に抱きしめ合ったあと、しばらくしてから桃矢君はまたいつもみたいに「またな」「ゆっくり休めよ」「おやすみ」と言って帰っていった。






「お、はよう」
「おはよう、桃矢君。今日もよろしくね」

 朝、アパートの前まで迎えに来てくれた桃矢君は昨日の事を少なからず引きずっているらしい。

 ちょっとだけ視線を上に、何か誤魔化すように右手で自分の頭をかきながら挨拶をした。

「気にしてるのは結局おれだけかよ」
「そんなことないよ、気まずいなーって思ってる」
「おまえはいつも"少しだけ"だろう」

 行くぞ、と照れ隠しに強引に腕をつかまれたかと思えば、次の瞬間には下から月城君の声が聞こえる。
 アパートの階段をくだってすぐ隣に月城君、さくらちゃん知世ちゃんが待ってくれていた。

「おはようございます」
「おはよう、さくらちゃん、知世ちゃん。それから月城君」

 同時に元気よく挨拶してくれたさくらちゃん知世ちゃんは、昨日と変わらずすごく楽しそうな笑顔だ。
 一方で月城君は昨日の発言を気にしているのか、その後の事を聞きたくてうずうずしているみたいだった。
 きっとここに来るまでに、桃矢君にはあの後何かあったのか聞き出そうとしたけれど散々はぐらかされたんだろうな、と想像出来た。

「今朝会ったときからとーやなんだか可笑しくって。まなみはわかるでしょ、昨日何があったって」
「うーん…王子様みたいだったからかな?」
「とーやが?王子様?」
「馬鹿、何言い出すんだ!」

 桃矢君は慌ててさくらちゃんの耳を塞ごうとして、けれど隣で月城君と知世ちゃんは嬉しそうに微笑んでいる。
 何があったのかはわからないように、けれど伝わるように、わたしの言った事はなんとなく二人には伝わったようだった。

「お兄ちゃん!なにするの!」
「怪獣は知らなくていい話だ」
「さくら怪獣じゃないもんっ」
「とーや照れてる」

 照れてねー!と抗議する桃矢君に頭を両手でつかまれているさくらちゃんは必死にそれに抵抗している。

 賑やかにはじまった朝に、今日も頑張ろうと思えた。






「次の衣装で最後だよ。あともうちょっとだけ付き合ってね、まなみさん」

 朝から撮影がはじまって、お昼の休憩をして、南さんからそんな一言がわたしにかけられた。
 スタッフさん達が用意してくれたお弁当を皆んなでいただきながら、次でもう最後かと少しさみしいね、なんて話をした。

 そして衣装を着替えて、ヘアスタイルを整えて、メイクをなおして、お昼からの撮影が再開した。

 昨日の撮影所では確認などの為だったからなのか、雑誌の編集者、関係者が沢山いたけれど、今日は必要最低限の人しかいないらしい。
 それも最後の撮影になったからなのか、わたしも撮影に少しなれたからなのか、その場はとても静かだった。
 会話はするけれど、わたしとカメラマンさんしか会話の声が聞こえない。
 けれどそれが今日はとてもリラックス出来たのだ。






 撮影は終わりに近づいていた。
 休憩しながら奥のデスクでカメラやパソコンにさっき撮ったばかりの写真が映し出されていて、確認をしながらああしよう、こうしようと意見が交わされる。

 そのとき一瞬の隙を見計らってわたしはスタッフさん達に声をかけた。

「あの、南さん」
「何かな」
「最後にもう一枚だけ、またさくらちゃんといっしょの写真を撮ってもらっても良いですか」
「もちろん!ほら、おいで、さくらちゃん」

 何も聞かされていなかったさくらちゃんは驚いた顔をして、そして理解してものすごく緊張をしている。
 となりの知世ちゃんは自前のビデオカメラをまわすのに必死なようで特にリアクションはなかった。
 月城君はといえば、桃矢君とパイプイスに座って何やらおしゃべり中らしい。

「せっかくだし、すこしだけお化粧してもらおうか、さくらちゃん」
「はっ、はい!」

 そして南さんに手をがっちりつかまされたさくらちゃんはわたしと同じメイクルームへと向かった。

「びっくりしました、わたし、今日もまたいっしょにお写真撮ってもらえるなんて…」
「わたしが無理にお願いしちゃったの。南さん、すみません、大丈夫でしたか?」
「大歓迎だよ、撮影自体はスムーズだったし、もう片付けちゃうだけだから。いつもより時間が余ってるんだ。協力してもらったお礼に少しだけだけど」
「ありがとうございます」

 今日もまたお洒落な格好をした南さんは昨日もメイクをしてくれた男性に声を掛けてくれた。
 撮るのは記念の一、二枚のつもりなのに、なんだか豪勢な一、二枚になりそうだ。

「きのうのまなみちゃんと、えっと、」
「さくらです!」
「ああ、そうだ、さくらちゃん……」

 にこにこと目尻に皺をよせた彼、ゲンさんは昨日もわたしのメイクを担当してくれた人だ。
 「天使」の昔話を聞かせてくれたとても良い人だった。

「今さくらちゃんと言ったね」
「はい!さくら…です」
「………失礼、お母様のお名前は?」

 さくらちゃんの名前を聞いた途端、思い出したように鬼気迫った表情でそう聞くこのメイクさんはわたしに話した通り「天使」のことを良く知っているらしい。

「なでしこです、花のなまえの、撫子」
「まなみちゃん、君、知ってたんだね!」
「はい…すぐに言えなくてごめんなさい、でも」
「謝罪なんていらないよ!大事件だ!南君!南君をすぐここへ呼んでくれ!」


 そこからは怒涛の数時間だった。
 まずわたしの恋人として招かれていた桃矢君がモデルであった撫子さんの息子と知って、スタッフさん達はなるほど、と驚きと半分半分の反応をみせてくれた。
 そしてその撫子さんの娘のさくらちゃんも同じように視線を集めてかなり緊張していたようだった。
 桃矢君も緊張か何か反応をするかと思いきや、注目を集めることには散々慣れているらしかった。
 確かに彼の高校生活をみているものとして、それはわかる気がした。

「亡くなったって話は本当だったんだね、お悔やみもうしあげるよ…桃矢君、さくらちゃん」
「いえ、」
「こちらからお願いだ、記念撮影をお願いしたい」

 なんでもそれは南さんからの提案だった。
 さくらちゃんと桃矢君を中心にスタッフさんもみんな集合した記念写真を撮りたいという話だった。

 二つ返事でOKした桃矢君は一番前でしゃがみこみその前にさくらちゃんを座らせた。
 その右隣りに知世ちゃん、月城君、南さん。
 左隣りにわたし、ゲンさん、あと残りのスタッフさん、カメラさん衣装さんまで全員だった。

「南さん、どうして全員なんです?」
「あの天使の娘さんと息子に運命的に出会えたんだ。君が導いてくれたんだよ、ありがとう、まなみちゃん」
「導いたなんて大袈裟です。……でも、嬉しいです」
「そう、それなら良かった」

 カメラのタイマーが鳴る、チカッとシャッターがたかれれば横目に見えた南さんは少しだけ涙ぐんでいた。

「南君大丈夫?」
「ちょっとゲンさんもじゃない!ティッシュティッシュ!」

 綺麗なお姉さま編集者さんが二人の介抱をしてくれている間に、カメラマンさんがわたしに視線をあわせ指をちょいちょい、とする。
 何か用事があるように思えた。

「あの、」
「これで本当に最後。君と彼氏君と妹さんで写真撮らない?」
「えっ、」

 わたしは瞬時に嬉しいと思った。
 けれど、桃矢君さくらちゃんと三人でとなればそれはまた別だと思った。

 そう、「天使」のかわりのようにしたらいいのだろうか、それとも普通に?どうしよう。いくらめかしこんでいるとはいえ人様のお家の家族写真に入り込んでも大丈夫なのだろうか、心配になった。
 「わたしは遠慮させてもらいます」と言おうとした時隣にいたはずの桃矢君の姿がみえなかった。
 ついさっきまでこにいたはずなのに、どこにいっちゃったんだろう。さくらちゃんまで不安そうな顔をしている。

 一瞬撮影所が静かになると、今度は誰か扉の奥の通路から人が歩いてくる音が聞こえてきた。
 きっと桃矢君だろうと扉に近づけば、扉の向こうからする気配は桃矢君ともう1人、知っている人、でもどうしてこの人の気配がするの?


「遅れてすみません。さくらさんと桃矢君の保護者です」

「お父さん!」
「藤隆さん!」

 どうして、という言葉は桃矢君に邪魔されて、先にスタッフさん達に挨拶と事情を説明しているみたいだった。
 さくらちゃんが雑誌に一部載ることの確認と了承のために、藤隆さんは大学からその足で撮影所まで来てくれたのだった。

 桃矢君はそのことを知っていながらさくらちゃんやわたし達には内緒にしていたらしい。
 意地悪お兄ちゃんらしい行動だ。


「ちょうど良い、お父様どうぞこちらへ」
「?」
「実は記念撮影しようとしてたところなんです、、ご家族で是非」


 藤隆さん、桃矢君、さくらちゃん、そして撫子さんの写真とを。

 急なお願いにも、快く参加してくれた藤隆さんに撮影スタッフさん。とっても素敵な家族写真をわたしは向かい側からみていた。

 すると藤隆さんの瞳と目が合う。


「まなみさん、いっしょにとりましょう」
「いやその、わたしは、」
「今日のまなみさん、まるで若い頃の撫子さんみたいで不思議なんです。是非、いっしょに。とってもお綺麗ですよ」
「でも……」

 この家族団欒の写真にわたしは入れない。そう思っていた。
 入るならそれは月城君に知世ちゃんも入れての集合写真だ。
 まるで撫子さんの場所をとっちゃうみたいで、そこに入るのだけは駄目だと思った。

「何ボケッと突っ立ってんだよ、はやくこい」
「そうですよ、まなみさん、ここ!」

 それなのに兄妹揃って催促してくるのは本当に狡い。

 渋々その木之本家のなかに入ろうとした瞬間、空気がガラリと変わった。
 まるで一瞬時が止まったみたいにしんと静かで、でもまわりは凄く明るくてあたたかい。
 とっさに頭をふってその原因を探そうとすると、まだ少し離れたところにいる桃矢君が指を指してわたしの隣を指差した。

「な、」
『はじめまして』

 ニコリと微笑むその姿はもう何日も雑誌に写真に見てきた人、撫子さん本人だった。

『桃矢君と貴女しか気づいていないわ』

 撫子さんは口元に手を寄せて、しずかに、っとポーズをとると可愛らしいウインクをした。
 確かに今はもう、静かだと思っていた撮影所は既に雑音が聞こえていたし、さくらちゃんの「まなみさん、はやく!」という声がしっかり聞こえていた。

「あの、わたし、家族団欒のお写真に入っちゃうなんておこがましくて、で、出来ないんです…!」

 完結にはっきり、わたしははじめて会うことの出来た撫子さんに伝えた。
 すると撫子さんはゆっくり首を横にふってダメよ、と言う。

『わたしがみたいの、藤隆さん、桃矢君、さくらちゃん、そしてまなみさんがいっしょに写ってるところ』

 もう何も言い返すことなんて出来ない。

 わたしは風に流されるように木之本家のなかにお邪魔して、そして気がつけば沢山写真を撮られていた。
 そして知世ちゃんはその光景をずっとカメラで撮っていたし、月城君は後半団欒のなかにいっしょに入ってみんなで写真を撮ってもらった。

 午後、撮影は全て終了した。